第15話 第十五講 パン料理
「新約聖書のマタイの福音書にキリストの言葉として『人はパンだけで生きる者ではない』と書かれているけど、二千年以上も前に食べられていたパンってどんなもの?」
「今のベーカリーショップの店頭にあるものとは違うはず。多分だけど……、イタリアのピザレストランみたいに、平べったいもので、石の上で焼かれていたのではないかしら」
料理教室に向かう電車の中で、僕の問いに、鈴奈は答えてくれた。今日のカリキュラムは「パン料理」となっている。僕はパン料理のイメージが湧かず、ピンと来なかった。
鈴奈に聞くと、トースト、サンドイッチ、ハンバーガー、チーズフォンデュなどの多彩なものがあるので、先生の講義内容も想像がつく――と、断言するのである。
鈴奈の家では、朝食はトーストにハムエッグか、サンドイッチが定番メニューなので、今日の講義はあまり期待していないらしい。鈴奈が家で手伝う様子が、僕の脳裏に浮かんでは消えた。
僕の朝食は、母親が作る焼き魚、納豆、味噌汁、漬物が定番だ。鈴奈と違い、僕は今日の講義がどんなものか、期待感が膨らんでいた。
教室の外の廊下に、コツコツとリズミカルに足音が聞こえると、先生がドアを開けて入ってきた。先生の足音は、福島さんのものとは違い、よく響くが不快なものではなかった。逆に福島さんは、せっかちなのかバタバタと騒々しく、耳に届く場合があった。
「一日に一回以上パンを食べている人は、統計によると三割にあたる。一週間に一回以上となると、85%だ。ただし、朝食で食べる人が多く、大半は食パンだ」と、フェルトペンを手に取ると、ホワイトボードに向かい、大きくパンと書いた。
「私は、ほとんどパンを食べません。朝食もトーストを食べるくらいなら、おにぎりを頬張るタイプです」と、野島さんは冷ややかな口調で嘯いた。
「スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスは『あらゆる悲しみはパンがあれば少なくなる』という言葉を残している。この言葉の意味は、食事に心を落ち着かせる効果があるのを示していた」と、先生は教えると、野島さんの方を一瞥しながらも「今日はパンを使った料理の講義だ」と続けた。
僕は先生の話を聞きながら、名作「ドン・キホーテ」の第一幕でパンと葡萄酒を盗み食いしたサンチョ・パンサがロレンソに追いかけられて、広場に転がり出て大騒ぎになる場面を思い出していた。
「荻久保さん、君の朝食は、トーストがメーンだな。そこで質問だが、食パンを焼くときに何か工夫はしているかな?」
「そうですね。焦げ過ぎないように、よく見張っています。こんがりとキツネ色になると、トースターから取り出しています」
「他には何か、工夫していることはないか?」
「というと……、どんなことでしょう? 私は、マーガリン、ジャム、ママレードを使う日があります。たまに、チーズを載せて焼く日もあります」
「なるほど……。焼き方についてはどうだろう?」
「えーっ、焼き方に工夫があるのですか?」
僕にも、荻久保さんの素朴な驚きが伝わってきた。
先生は、シンプルにバタートーストの焼き方を教えてくれた。
一.トースターは予め中を温めておく。
二.食パンの厚みの半分に縦横三本の切込みを格子状に入れる。
三.食パンを二分間焼く。
四.薄っすらと焦げ目の付いた食パンに、半分のバターを塗り、二分間焼く。
五.こんがりと焼き上がったら、お皿に移し、残り半分のバターを塗って、出来上がり。
先生は講義の始まりや、途中で様々な蘊蓄を話してくれる。サンドイッチの調理方法を教える前に、この軽食がいつ頃、何処で作られ始めたのか、エピソードを語った。
「サンドイッチが作られ始めたのは、十八世紀のイギリスだ。貴族で政治家の第四代サンドイッチ伯爵が、軽食として自ら考案している。伯爵は無類のカードゲーム好きで、ゲームの途中でも食べられるものとして持ち歩いていた」
「僕は、ピクニック用に、誰かが考え出したと、思っていました」
「まあ、サンドイッチは軽食だからね。間違いだとは、言い切れない。実はサンドイッチ伯爵のエピソードも、都市伝説だと指摘する人もいて、真相は不明だよ」
「ふーん、そうなのか・・・…」僕が思わず気の抜けた応答をしたので、生徒たちは愉快そうに笑った。
先生は生徒の意見を聞くと、一番人気の卵サンドの作り方を説明した。
一.鍋にタマゴを入れ十二分間茹でてから、冷水に浸す。
二.しっかり冷えたのを確認し、殻を剥く。
三.キッチンペーパーで水分を取り去り、ゆで卵をみじん切りにする。
四.みじん切りした、ゆで卵をボウルに入れて、マヨネーズ、塩、胡椒を加えて混ぜ合わせる。
五.キュウリを半分に切り、縦に薄切りし塩を少々振る。五分間、置いたままにして水分を除く。
六.すべてのパンの耳を切り落とし、片面にバターとマスタードを塗る。
七.すべてのパンの半分にあたるパンの上に、切ったキュウリを載せて、みじん切りにし、味付けしたゆで卵を塗り付ける。
八.もう一枚のパンを載せて、ラップで包み、二十分間冷蔵庫に入れる。
九.冷蔵庫から取り出し、包丁で切り分け、皿に載せて完成。
次いで、ハンバーガーだ。
「ハンバーガーが食べられるようになったのは、十九世紀初頭のアメリカで、セントルイス万博の会場で売り出されていたのは記録が残っている。ドイツ発祥のハンバーグをアメリカ人が、パンに挟んで食べ始めたのが始まりだ」
「ハンバーガーは、マクドナルドの経営者のレイ・クロックが、最初に作り始めたと思っていました」と、僕が知ったかぶりしたのを横で聞いていた鈴奈は、頷きながらクスっと笑った。桔梗や茜も明るい表情で、こちらを見ていた。
「話が、横道に逸れてすまないが……」と、先生は「マクドナルドのレイ・クロックは、ハンバーガーを世界中に広めた最大の功労者だ。しかし、マクドナルドの創業者は、レイ・クロックではなくて、二十世紀半ばにカリフォルニア州で、マクドナルド兄弟が始めた」と、話し始めた。
「先生の余談は、長くなりがちです。講義に関係ない話は手短にお願いします」と、野島さんは鋭い目つきで非難した。
「おっかないね」と、先生は薄笑いを浮かべて続けた。
「マクドナルドは、他社にはできない偉業を二つ成し遂げている。一つは、マクドナルド兄弟が作ったシステムで、『バンズ』と呼ばれるパンに『パテ』と呼ばれる牛肉を挟み、特殊なコーティングが施された紙で包むハンバーガーを始めている。レストランで食べられていたハンバーガーをクルマの中や、家庭に持ち帰って食べるものに……、進化させている」
先生は話しながら、野島さんを見て「もう少し、説明して良いかな?」と尋ねた。
「ええ、手短にね」
「マクドナルド兄弟は、調理システムの改善でお客様に手渡すまでの時間の短縮にもつなげている。もう一つは、永瀬君も知っているレイ・クロックの経営手腕によるもので、マクドナルド兄弟が作り上げたシステムそのものをフランチャイズ形式にして、世界中に拡大した。一九六一年には、マクドナルド兄弟からレイ・クロックは経営権を譲り受けている」
「なるほど、マクドナルド兄弟が手軽に食べるハンバーガーを開発し、レイ・クロックがマクドナルド社を世界的な大企業に育てたのですね」と、僕は納得した。
先生の長話が終わり、ハンバーガーの作り方の説明に移った。
一.トマトを1cm幅に切る。
二.ピクルスを薄切りにする。
三.タマネギをみじん切りにする。
四.バンズをトーストしておく。
五.ボウルに合い挽き肉と塩胡椒を捏ねて入れて、粘り気が出てきたらみじん切りのベーコンを合わせて捏ねる。
六.バンズの大きさに合わせて円形に成形し、薄力粉をまぶす。
七.サラダ油を中火で熱し、タマネギのみじん切りと合い挽き肉を入れたら強火で両面を焼く。
八.焼き色が付いたら、弱火にしてチェダーチーズを載せて蓋をして五分間、蒸し焼きにする。
九.火が通り、チェダーチーズが溶けたら火から下ろす。
十.下側のバンズにマスタードを塗り、上側のバンズにケチャップを塗る。
十一.レタス、トマト、ピクルス、チーズの載ったハンバーグの順に載せて完成。
ハンバーガーの次は、チーズフォンデュだ。僕は、鈴奈の読みが的中したのでゾクッとした。鈴奈の方を見ると、僕に向かって薄笑いを浮かべている。先生の講義の順まで当てている。鈴奈は、まるで予言者だ。
一.トマト、ブロッコリー、ジャガイモのヘタや芽を取り除きよく洗う。
二.ウインナー、フランスパンと各種の野菜を一口サイズに切る。
三.ブロッコリーは、耐熱容器に入れてラップをかけて、500Wの電子レンジで二分間加熱する。
四.ジャガイモは、耐熱容器に入れてラップをかけて、500Wの電子レンジで三分間加熱する。
五.ウインナーは、耐熱容器に入れてラップをかけて、500Wの電子レンジで三十秒間加熱する。
六.耐熱容器にピザ用チーズ、白ワイン、おろしニンニク、片栗粉を入れてかき混ぜ、牛乳を加える。
七.ホットプレートの真ん中に、六の耐熱容器の蓋をして置き、チーズが溶けるまで時々ヘラでかき混ぜる。
八.チーズが溶けたら、加工済みのトマト、ブロッコリー、ジャガイモ、ウインナー、フランスパンをホットプレートの周囲に並べて、焼きながら、チーズに絡めて食べる。
昼食の時間になり、先生は各チームが調理したものを分け合って食べる順番を示した。
「トースト、サンドイッチ、ハンバーガー、チーズフォンデュの順に食べること、逆順にすると、トーストの旨さが分からなくなるからね」と、生徒の表情を見た。
僕らのチームはトースト担当なので、作る時には損した気分になっていたが、今度は逆に過分な分け前を与えられた盗賊の心境が理解できた。
僕は講義が終わり、自宅に戻ると、姉がはにかむような笑顔で「警察署に電話し、副署長と話しなさい」と指図した。
「警察署? へっ?」僕が驚いて尋ねると、「悪い話じゃないみたいよ」と、姉が悪戯っぽく告げた。
「永瀬君か? 今から、警察に来て少しだけ時間を割いてもらえないかな?」と、副署長は低くて重厚感のある声ながら、感じの良いテンポで尋ねた。
警察署に出向くと、何人もの警官が僕の方を見て起立した。警察署長は厳かな雰囲気で、僕に表彰状を手渡した。
「感謝状 神戸市灘区 永瀬誠也殿 あなたは、本年八月に発生した窃盗未遂事件において、犯人逮捕に協力し、市民の安心安全および、警察活動に貢献されました。ここに厚く感謝の意を表します」
署長が感謝状を読み終えると、カメラマンがフラッシュをパシャパシャと光らせて、僕を撮影し、複数の「ありがとう」と「おめでとう」の声が混じって聞こえた。
警察署には新聞記者が詰めかけており、取材を受けた。副署長が新聞各紙や出版社との調整を図り、インタビューに関しても質問項目のチェックをしてくれた。
地元新聞では「お手柄・高校生の勇気ある判断」の記事が写真入りで掲載されていた。記者に取材を受けたとき、僕は「物凄く怖かったのですが、犯行を見過ごすことができませんでした」と答えた。
マスメディアで取り上げられたので、今回は、事件当日よりも、話題が大きくなりそうだ。僕はキリストが言う「精神の糧としてのパン」を手に入れた気がして、例えようのない幸福を感じていた。
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