第18話 第十八講 お菓子の作り方
僕は、今日の講義を心待ちにしていた。やっと、お菓子を調理できる。鈴奈には、講義が始まる前から「どんなお菓子が作れるのかな?」と、話しかけて笑われてしまった。
「私も楽しみにしていたけど、そこまでワクワクするものかしら?」と、飽くまでもクールな反応だ。
「僕が絶品を作って、君に食べさせてあげるよ」
鈴奈と話しながら、僕は「グリム童話」のヘンゼルとグレーテルの兄妹が、森の中でお菓子の家を見つける場面を思い出した。
「ヘンゼルとグレーテルの兄妹が見つけた家は、屋根がケーキ、壁がパン、窓が砂糖でできた理想の家だね」
「グリム童話は、本当は恐ろしい物語で、お菓子の家の主は悪い魔女なの。ヘンゼルもグレーテルも囚われて、虐待される物語だというのは知っていた?」
僕は、鈴奈が興ざめになるほど、現実的な話をするのに驚いた。他人が夢想していると、身近にいる者は眠りのような心地良さから、現実に引き戻そうとする。
「いや、知らなかった。でもね……、今日の料理教室は、夢のようなお菓子作りの教室で、先生も良い魔法使いだよ」僕は、弱気になり小声で漏らした。
先生は教室に来ると「古代ギリシャの哲学者ソクラテスは『食べるために生きるな。生きるために食べよ。働くために生きるな。幸せになるために働け』と諭している。わしは、料理も人が幸せになり、健康に役立つと思う。お菓子作りも、同じだよ」と、意味深長な話をした。
先生は「後で、各チームで作ってもらうのでよく見ておくように……」と、アップルパイ、ポテトチップス、チーズケーキ、フルーツゼリーの順に調理方法を話した。
アップルパイには、市販のパイシートの準備が必要だ。
一.冷凍パイシートを冷蔵庫内に三十分置いて解凍する。
二.リンゴ四個を洗って皮を剥き、それぞれを八等分に切る。
三.フライパンにリンゴ、砂糖大匙二杯、バター10g、レモン汁を入れて、蓋を載せ中火で水分がなくなるまで混ぜながら熱する。
四.一枚のパイシートを裏返した皿などを使い、包丁で直径18cmの円形にくり抜く。
五.円形のパイシートの上に、熱したリンゴを放射状に並べる。
六.他のパイシートを使って、1.5cm幅に切る。切ったパイシートを格子状に編み込み並べたリンゴの上に載せる。
七.縁のパイ生地を折り込む。
八.艶出しのため、卵黄一個分を使い、スプーンの背でパイの表面に塗りつける。
九.200℃のオーブンで三十分間、焼き色がつくまで焼く。
十.皿に載せて完成。
僕は正直なところ、ポテトチップスを家庭で作れるとは想像もしていなかった。
「ポテトチップスは、十九世紀のアメリカで偶然、誕生した。ニューヨークのホテルレストランで、フレンチフライポテトを厚く切りすぎて、客から苦情があったときにシェフのジョージ・クラムが、紙のように薄く切ったポテトを出したのが始まりだ。クラムが偉そうな客に対する仕返しのつもりで作ったものが、逆に苦情客を喜ばせたそうだ」と、先生は繙くと作り方の説明を始めた。
一.ジャガイモ三個をよく洗い、芽を取っておく。
二.ボウルに水250ml、塩小さじ2分の1を合わせて混ぜる。
三.皮付きのままジャガイモをスライサーで薄くスライスし、食塩水に五分間浸す。
四.スライスしたジャガイモをボウルから、笊に移し替えて水を切り、ぬめりが取れるまで洗い流す。
五.キッチンペーパーで、スライスポテトの水分を拭き取る。
六.フライパンにサラダ油を入れて、180℃に熱する。
七.熱したサラダ油に、スライスポテトを入れて二分間動かさない。
八.スライスポテトを菜箸で裏返し、揚げ色がつくまで揚げ続ける。
九.揚げ色が付いたら、すぐに火を止めて、スライスポテトを取り出す。
十.油が切れたら、塩を振りかけて完成。
僕のイメージでは、チーズケーキは難易度が高そうだ。
一.クリームチーズとバターを常温に戻す。
二.チーズケーキの土台作りのために、ビスケットを粉々に砕く。
三.バターを電子レンジで溶かす。
四.砕いたビスケットに溶かしたバターを加えて混ぜ合わせる。
五.シートを敷いた型に、ビスケットをギュッと押さえて敷き詰める。
六.ボウルにクリームチーズと砂糖を入れて混ぜる。
七.さらに、タマゴ、薄力粉、生クリーム、レモン果汁を加えてよく混ぜる。
八.型にボウルの中身を流し込む。
九.170℃で四十五分焼き上げる。
十.一晩、冷蔵庫で冷やすと出来上がり。
次は、フルーツゼリーだ。
「フルーツゼリーをつくる時に、寒天とゼラチンを間違えて買う人がいる。寒天とゼラチンの違いは分かるかな?」
誰も手を上げようとしないので、先生は鈴奈の方を見て
「どうだ? 春野さん、何か……、思いつかないかな?」
「そうですね……。寒天と、ゼラチンは、原材料が違います。寒天は、テングサやオゴノリなどの海藻が使われます。ゼラチンは、牛や豚の骨や皮から採れる動物性たんぱく質から、作られています」
そこまで話すと鈴奈は「えーと」と、周囲を気遣い戸惑う素振りを見せた。
先生は「構わないよ。そのまま、続けて話してくれ」と促した。
「つまり、寒天は高温で溶け、ゼラチンは人の体温で溶けるので食感が違います。一般的には、寒天は和菓子、ゼラチンは洋菓子に使われているようです」
「春野さんの答えは、いつ聞いても良いね。理論的な話は、交代して春野さんに教壇に立って欲しいくらいだ」
先生は人の表情で、気持ちが読めるのではないか――と、僕は思った。僕なら鈴奈が口ごもったタイミングで、答えを促さずに助け舟を出していた。
人の本質を見抜いた上で、褒めることができるのは、名伯楽にしかできない。僕は内心で、鈴奈だけでなく、先生にも拍手を送りたくなっていた。
フルーツゼリーの作り方は
一.蜜柑の缶詰を開けておく。
二.苺のヘタを取り除き、洗っておく。
三.苺とパイナップルを一口サイズに切る。
四.粉ゼラチンに80℃のお湯を注ぎ、よく溶かす。
五.砂糖と缶詰の汁を入れて、混ぜ合わせる。
六.フルーツを入れる。
七.グラスなどの容器に移し替えて、冷蔵庫で冷やして固めれば完成。
「今回は、わしの独断で決めずに、何を調理するかをくじ引きで決めよう」と、先生は提案した。誰からも異論は出なかった。
僕は、自分が作ってみたいポテトチップスのくじを引き当てた。昼食がお菓子だとは、可笑しな話だと思い、先生の様子を見た。
「今日は君たちの作ったお菓子を持ち帰ってもらうので、わしが作るチョコレートパフェを提供しよう。作り方は、よく見ていてくれ」先生が言い終わるのを待たずに、野島さんが抗議した。
「空腹時に冷たいチョコレートパフェだけを食べるのは、どうかと思います。軽食の後で食べるのなら分かります」との主張だ。
即座に、アシスタントの福島さんも反対を唱え「時間がないので、冷蔵庫にあるレトルトカレーで、私がカレーライスを作ります」と提案した。
生徒全員が福島さんの提案に賛成したので、昼食はレトルトカレーに決まった。
生徒がカレーを食べている間、先生は黙々とチョコレートパフェを作る様子がスクリーンに映されていた。
僕は食事しているので、テキストの余白に書き込めないのを残念に思っていた。
一.生クリームに砂糖とリキュールを加え、よくかき混ぜる。
二.かき混ぜた生クリームを絞り袋に入れて冷やす。
三.グラスの下半分に、バニラアイスをスプーンで入れる。
四.バニラアイスの上に、コーンフレークを八分目まで載せる。
五.生クリームをグラスの淵に絞り込む。
六.コーンフレークの上に、バニラアイスを山盛りに盛り付ける。
七.バニラアイスの上に生クリームを絞る。
八.カップの内側から、細長く切ったバナナを差し込む。
九.最後にチョコソースをかけて出来上がり。
カレーライスを食べた後の、チョコレートパフェの味の良し悪しは意見が分かれたが、僕は肯定的に考えて満足していた。
先生は自宅に持ち帰り、家族に食べてもらうように今回は多めに作らせていた。先生はケーキショップの店員がそうするように、同じ箱にドライアイスとアップルパイを入れてくれた。
「自分で作るのも楽しいけど、美味しい洋菓子店を見つけて食べたいね」僕はトイレ休憩の途中で、鈴奈とすれ違い話しかけた。
「神戸市は洋菓子の街なの。明治時代に、神戸港の開港と同時に大勢の外国人が来航し、それぞれの国のお菓子を作ったのが始まりでね。バウムクーヘン、シュークリーム、ケーキ、ビスケットのどれも、美味しいのは、この街の歴史が関わっている」と、鈴奈は教えてくれた。
確かに鈴奈の言う通り、モロゾフ、ゴンチャロフ、ユーハイム、ケーニヒスクローネ、アンリシャルパンティエ、ハイジ等、どの洋菓子店のスイーツも当たり外れなく、デリシャスな風味が楽しめる。
講義が終わり、先週の約束通り鈴奈と二人で谷崎潤一郎邸「倚松庵」を訪ねた。倚松庵は阪神魚崎駅から北に向かって、歩いて数分のところにあった。昔ながらの木造建築だ。門構えは質素だが、野面積みの石垣とのコントラストが、目に沁みて美観を印象させた。
文豪が暮らしていた居宅なので、僕は大邸宅を思い描いていたが、予想よりも小さな家だった。襖や障子、木戸などの木造建築の風合いが懐かしく、温もりを感じさせた。
一階は洋室二室、和室二室に、風呂と台所がある。一階は生活スペースなので文豪・谷崎氏の暮らしぶりが想像できた。洋室のうち、一室が応接間で書棚に並ぶ本が文学的ムードを醸し出していた。
僕は、電話機の大きさと、上品な木目調のレトロなムードに驚き「凄いね」と声を上げた。
二階は和室が三室あり、夫人や家族が使用していたようだ。
僕は、松子夫人の随筆「倚松庵の夢」に、谷崎潤一郎が寿司や鍋料理を好む健啖家ぶりが記述されていたのを思い出した。それを言葉に出すと、鈴奈がまた驚くだろうと想像した。
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