第8話 第八講 お弁当の作り方

 先生は教室に来て、駅弁の箱を見せると「皆は駅弁が何故、愛されているか、どこに魅力があるか分かるかな? 何が正解という基準はないが、考えて見てくれ」と、問いかけた。箱には「神戸のステーキ弁当」と、書かれている。

 僕は自信満々に手を上げて答えた。「SNS映えするからだと思います」

 言った途端に、生徒たちは爆笑した。笑い声が鳴り止む前に、先生は

「笑っちゃいかん。それも、立派な答えだよ。ただし、駅弁の歴史は、永瀬君が思う以上に長い。駅弁は明治十八年に宇都宮で、旅館が提供したのが始まりだと言われている。今じゃ、全国で数千種類の駅弁が扱われているよ……。どうだ? いつも模範解答を出してくれる春野さん、何か気づいたかな?」

「手軽さが魅力です。それと、誠也君がさっき言ったように、見栄えがする点も良いですね。どの駅弁も、食欲をそそるように、楽しく演出されています」

「名回答だ。それこそが今日この講義で、わしが言いたかったことだよ。それに……、永瀬君に対するフォローもできている」

 皆が鈴奈の明解な答えと、先生の話に聞き入っていると

「先生」と、野島さんが手を上げて「駅弁と……、普段私たちが作るお弁当とは、別物だと思います」と、異議を唱えた。

「君はどんな点が、別物だと思うのかな?」

「春野さんは、駅弁を手軽と言いましたが、それは求める側の手軽さです。実際の駅弁は、かなり作るのに手を加えています。私たちに、同じものは作れないです」

「野島さんの意見も、正しい見方だね。普段、家庭で作るお弁当は、時間をかけて作れない。その一方で、食欲をそそるものを作る必要がある」

「それなら、納得です」と、野島さんは認めた。

 先生は、さらに「お弁当は手早く作り、栄養のバランスの取れたものを弁当箱に入れるのがコツだ。料理に時間をかけずに、それなりに美味しく、栄養のバランスの取れたものを作るには、冷凍食品の利用を勧めたい」と伝えると、冷凍食品の選び方と、電子レンジの使い方から話し始めた。

 先生に指示されたページを見ると、冷凍食品は大別すると「青果物」「凍魚、食肉」「調理食品」の三つに分けられる。これらの冷凍食品は-18℃以下の温度で、品質が保たれている。スーパーマーケットなどで、商品を選ぶには冷凍ケースの中で、きちんと凍っており霜などの付いていない物を選ぶ。

「冷凍食品は、すべての買い物の最後にすると状態の良好な商品を持ち帰れるので、注意が大事だな」と、生徒に告げると「自分の知っている冷凍食品で、お弁当に使えそうなものを一人、三つずつ書き出してくれ」と、A4用紙とサインペンを配布した。

 僕は「シューマイ、肉団子、エビフライ」と記入した。

 書き終えてから、鈴奈の方を見ると申し合わせた訳ではないのに「肉団子、コロッケ、エビフライ」と、二つまで同じ答えだった。

 全員の発表を見ても、他に「唐揚げ、枝豆、ハンバーグ、とんかつ、等々」と、定番の商品ばかりだ。

「どの冷凍食品を選ばないといけないという基準はないが、他のおかずとのバランスが大事だね」と、先生は話すと電子レンジの方を向いた。

「この中で、電子レンジを一度も使ったことがない人?」と、先生は挙手を促した。

「…………」さすがに、誰も手を上げなかった。

「電子レンジの使い方で、最重要なことは……、取扱説明書をよく読んでおくことだ」

 あまりにも当たり前の答えに、僕は肩透かしにあったような気分になった。

「電子レンジには、タイプがある。教室にあるこの電子レンジは……」と、振り返りながら、「ターンテーブル付きで、オーブン、スチームなども使える多機能型だ」と続けた。

 テキストには、電子レンジで使えないのはアルミ、ステンレスなどの金属製のものや、漆器、木製品、土鍋、耐熱性のないガラス製品などと記されている。

「自宅の電子レンジが、ターンテーブル付きの物を使っている人?」先生が質問すると、三十五人の生徒のうち十人が手を上げた。先生は、そのうちの一人、柿崎さんを指名した。

「電子レンジ台に、冷凍食品を置くときは、どの辺りに置いている? 真ん中? それとも端の方か?」

「私は満遍なく温まるように、いつも冷凍食品を中央に置いています」

「それは、不正解だな。そう考える者は多い。が……、実は逆に、中央を空けて置くのが正解だよ。何故なら、ターンテーブルがある電子レンジでは、電磁波を一方から照射している。そのために、中央に置くと満遍なく温まらない。移動回転することで、照射ムラをなくすのが目的だ。次回からは、真ん中を空けて置くと良いよ」

 柿崎さんは、意外そうな表情をして聞いていたが、先生の話が終わると何度も頷き、ノートに書きこんでいた。

 先生の話をまとめると、電子レンジの使い方には三つのポイントがある。

 一つ目は、揚げ物や焼き魚などの水分を含むとふやける料理はラップをつけない。

 二つ目は、ラップをつける時はきっちりと隙間なくつけると、熱くなりすぎる。必ずふんわりと包むようにつける。

 三つ目は、スープやカレーなどの液状の料理を温めるには、加熱する前によく混ぜておく。一度に六分温めるよりも、二分ずつ三回に分けて混ぜながら温めた方が加熱ムラを防げる。

「電子レンジの使い方は、理解できたかな?」

 生徒は、誰からともなく「はい」と答えた。

「ここまでの説明で、何か質問はないか?」

「先生、枝豆を鍋で茹でずに、電子レンジで温めることはできますか? 私はお弁当箱に詰めるだけではなく、ビールのおつまみにしたいと思っています」と、荻久保さんが答えを求めた。

「勿論できるよ。君が言うように、弁当用にも晩酌用にも、電子レンジで十分にできる」

「…………」荻久保さんは、嬉しそうな表情で、先生が話し出すのを待っていた。

「枝豆を水洗いし、耐熱容器に入れて蓋をする。枝豆200gなら、500Wで五分間加熱して、塩を適量振ると出来上がりだ。鍋で茹でるより、簡単だね」

「ありがとうございます。今日の晩酌が楽しみです」と、荻久保さんが感謝の言葉を言った瞬間、他の生徒から笑い声が漏れ出た。

 先生は、電子レンジの説明を終えると、本題のお弁当の作り方の講義を進めた。

「おにぎりの握り方にもコツがある」と、先生はポイントを教えた。一.炊き上がったご飯は、全体をしっかりと混ぜる。二.一つまみより少し多めの塩を使う。三.熱いうちに茶碗半分のご飯を片手に乗せて、反対の手をくの字に曲げて、優しく回転させながら三角に握る。四.具を入れる時は、おにぎりの真ん中に窪みを作り、まわりのご飯で包みながら優しく握る。

「サケを焼くときは、酒を振りかけると良い。ダジャレじゃないよ。何故か分かるかな? 誰か答えてくれないか?」

「先生、振りかける酒は、どんなものでも良いのですか?」と、僕は質問に対して、質問で返してしまった。

「日本酒で一尾に対して、小匙一杯だよ。それで何故、酒をかけると良いか分ったかい?」

「日本酒をかけると、身が柔らかくなり風味が増すからでしょうか」

「まったく、その通りだ。よく分かったね」

 僕は久しぶりに、先生に褒められたので嬉しくなった。

「焼く前にグリルは五分間、強火で温めておく。その後七分間、中火で焼くと出来上がりだ」

 僕を含めて、生徒たちは先生の説明を聞き、テキストを見て、ノートを取るのに大忙しだ。

 先生はいつものように、教室全体に目配りし、一人一人の生徒の様子をチェックし終わると、講義を先に進めた。

「ゆで卵の茹で方を教えようか?」と、先生は生徒に向かって尋ねた。

 生徒たちはジョークと思ったのか、皆笑っている。

「どうだ? 聞きたいか?」先生は、またしても僕の方を見ていた。

「いいえ、結構です。そんなことなら、知っています」

「本当に、そう思うか? 永瀬君のゆで卵を茹でる手順を聞きたい。さあ、言って見てくれ」

 僕は促され、席から立ち上がると、ゆで卵を茹でている光景を思い浮かべた。

「先ず鍋に水を入れて、沸騰するのを待ちます。沸騰したら、冷蔵庫からタマゴを取り出して入れます。固ゆで卵が好きなので、十五分後に取り出します」と説明した。

 先生は「その手順だと、ゆで卵の絶品は作れないな」と、面白そうに笑った。

「ゆで卵に茹でるコツがあるのですか?」

「そうだ。先ず、冷蔵庫からタマゴを出すと、すぐに茹でないで時間を置き常温に戻す。それから鍋に水を入れて、タマゴを投入して茹でていく。水が沸騰するまで、箸でタマゴを転がし続けると黄身が真ん中に来る。固ゆでの時間は、九分で完成だ」

「先生、恐れ入りました」

「後は……、そうだな。タマゴの殻を剥くには、ボウルに氷水を用意して、そこに茹で上がったタマゴを入れると、タマゴの殻をツルンと簡単に剥けるよ」

 美少女チームのメンバーは、僕が答えると皆、こちらを見てクスクスと笑う。鈴奈が声を潜めて「誠也君って、ユニークでしょ?」と、周囲に問いかけているのが耳に届いた。

 ユニークという表現は、褒め言葉よりも、揶揄する気持ちを表現しているかに思える。僕は、鈴奈の心情を量りかねて、複雑な心境になった。

 このところ、講義の時間がタイトになることが多いためなのか、先生はロースハムの焼き方、きんぴら牛蒡の作り方、ピーマン炒めの作り方と、次々と講義を進めた。

「ロースハムの焼き方は、フライパンに油を敷き両面をしっかり焼き目がつくまで焼く。ただし、ハムの真ん中が水蒸気で膨らみ、全体をまんべんなく焼けないケースがある。予め、ハムの真ん中に1~2cmの×印の切れ目を入れておくと、この点は解消できるので、全体に焼き目が付く。弁当箱には、折りたたんだハムを入れると良い」

 ロースハムの次は、きんぴら牛蒡だ。

「きんぴら牛蒡の作り方は、先ず洗って泥を落とす作業から始まる。ゴボウに付いた泥は、アルミホイールを丸めて表面をこすると取れる。この時、ゴボウは縦ではなく横に優しくこすると、皮を残して上手く汚れを落とせる。ゴボウの根元を切り落とし、左手に包丁を手にして固定し、右手に持つゴボウを回しながら動かし、鉛筆を削るように削ると良い」と、先生は先にゴボウのささがきを作り方法から教えた。

「ささがきができたら、水に十分間さらして灰汁を抜く。フライパンを中火で温め、胡麻油と赤トウガラシを熱して、ゴボウのささがきを入れて炒める。醤油と本みりんに水を適量加えて、汁気がなくなるまで煮る。最後に、胡麻を振って出来上がりだ」

 きんぴら牛蒡の次は、ピーマン炒めだ。僕にとっては、先生の話はすべて斬新で魔術的で素晴らしく思えた。

「ピーマン炒めは、ピーマンの種とヘタを取ることから始まる。ピーマンは縦半分に切ってから、種とヘタを取り去る。次に、5mm幅の薄切りにする。フライパンを熱して、胡麻油を入れると、ピーマンを中火で炒める。ピーマンが柔らかくなったら、ポン酢で味をつけ胡麻を振って完成だ」

 先生の話すスピードが速くなり、生徒の中には「もう少し、ゆっくり進めてください」と、不満を口にする者もいた。

 先生はそういう時は、我を張ろうとせずに生徒の様子を見て、待っていてくれた。先生は「お弁当は、時間をあまりかけないで作る。そのためには……」と、生徒の様子を見ると

「ポテトサラダや、ふりかけも自家製のものを作れるが、お弁当に入れるものは市販品を購入する方が時間的には効率が良い」と、教えてくれた。

 僕には、当たり前に思えることも、疑問が残らないよう配慮しているのか、丁寧に説明してくれる。それが、僕にはとても大切で、有難く……、勿論、役立つ内容だと感じていた。

 お弁当の詰め方は、弁当箱の形によって違う。先生は、弁当箱には長方形、楕円形、円形の物があると示しながら「代表的な長方形の弁当箱で説明しよう」と、ホワイトボードに向かいフェルトペンを手にした。

「おかずとご飯の比率は半々だ」と声に出すと、フェルトペンで縦長の長方形を描き、上下の真ん中に線を引いた。

「おかずは、お弁当箱の下半分に詰める。メインディッシュをコロッケにする。他のおかずは、きんぴら牛蒡とピーマン炒めだ」

 先生はコロッケをご飯の真下の左に配置し、ピーマン炒めをご飯の下の右上に、きんぴら牛蒡を右下に並べた。

「ご飯の上には、ふりかけをかけるか、真ん中に梅干を乗せると食欲をそそる」と、付け足した。

 お弁当づくりに関する先生の説明が終わり、調理実習が始まった。僕は卵焼きとサケとキャベツ炒めやきんぴら牛蒡を詰め、ご飯にふりかけをまぶした。

 福島さんが見に来て「バランスがとれているし、なかなかの腕前ね」と、褒めてくれた。隣のチームの鈴奈は、三種類のおにぎりを作っていた。

 帰りに、僕の席まで来た鈴奈はニコニコしながら「おにぎり一つ余ったので、誠也君、食べてくれない? 迷惑でなければ良いけど……」と、目を覗き込みながら尋ねた。

「迷惑どころか、飛び上がるくらい嬉しいよ」

「『かもめ食堂』のDVD借りたので一緒に見ない?」と、また自宅に誘われた。鈴奈によると、家族は全員外出中なので二人の時間を楽しめるという。

 この映画は、フィンランドのヘルシンキを舞台にした物語だ。「かもめ食堂」というのは、当地で日本食の食堂を運営する女性サチエが主人公だ。サチエが経営する日本食の「かもめ食堂」は、開店当初はまったく客足がなく、経営に苦戦する。

 キャスティングは、小林聡美、片桐はいり、もたいまさこのリアリティを感じさせる陣容だ。マサコ役のもたいまさこが、手づかみで食べるおにぎりをフィンランド人の客が一斉に、珍しそうに見る場面が印象的だった。食堂のメーンメニューが、日本人のソウルフードおにぎりだ。

 映画では、日本食以外に洋食も扱い、地元食材を使ったおにぎりも人気メニューになり、客足が増えて、食堂は満席になる。

「結論を言うと、料理は工夫次第で改良可能だよね」と、僕は感心しながら鈴奈の表情を見た。

「そうね。そうなのよ」

 鈴奈は、映画の場面に出てくるのと同様に、シナモンロールとコーヒーを用意して、目の前においてくれた。「偶然だけどね」と、鈴奈は楽しそうな笑顔を見せてくれた。

 愛する女性と二人でいる時間ほど、人生の中で充実した時の流れを慈しむことのできるものはない。

 鈴奈は、僕の目を見て「ちょっと……」と小さく声を出すと、後ろをついてくるのを促すように歩き出し、自分の部屋のドアの後ろに立ち止まった。鈴奈は、照れくさそうに頬を薄桃色に染めていた。鈴奈の頭は、僕の目の5cm下にある。鈴奈は目を薄っすらと閉じて、唇をつんと突き出していた。

 その仕草が、何を意味するのか、僕には即座に理解できた。願ってもいないチャンスを僕は、恥ずかしさのあまり、つかみ損ねてしまった。

「あのう、鈴奈ちゃん、大丈夫かな? 気分が悪いのなら、無理しない方が良いと思うよ」

 僕は、自分の口から出てくる言葉が、空しく胸の響き、自分でも信じられない気持ちになっていた。

「どうしたの? 嫌いになっちゃったの?」と、鈴奈は寂しそうに呟いた。

「そんなことはない。そんな風に思わないで……」

「誠也君って、鈍い。本当に鈍い。ねえ、どうして……?」

 僕は、そこにいるのが苦しくなり、リビングに戻るとソファーに座り、テレビ画面を見つめた。後から来た鈴奈は、何も言わないで隣に座ると、僕の肩の上に頭を乗せた。動かないでそっとしておいてやろうと思った。

 鈴奈に貰ったおにぎりは、家に帰ってから食べた。先生が気を利かせて、保冷剤を入れてくれていたので、おにぎりはヒンヤリとしていた。僕には、今まで食べたどのおにぎりよりも美味しかった。

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