第2話 第二講 食材の見分け方

 料理教室は午前の部が九時から十二時、午後の部が二時から五時の二部制になっている。

 僕は午前の部なので、いつも教室には朝の八時四十五分に席についていた。今朝は市場の見学を予定していたので、家を早く出て八時に席に着いた。

「今日は、八時三十分にここを出て卸売市場に出かける。午後の部の生徒も来ているので、総勢七十人になる。食材を選ぶのは、机上の論理では分からない。よく目で見て、選んでくれ」と、先生は呼び掛けた。

 食材は青果、水産、食肉の順に、見分け方を教わる予定だ。全員が集まるまでの間は、自習するように指示されていた。

「テキストの五ページを開いて見ておいて欲しい」と、先生は同じページを開いて、頭の上にかざして見せた。

 テキストには、食材の名産地が記されている。

 食材の名産地として、四十七都道府県別に北海道=ジャガイモ、乳製品、サケ、毛ガニ。青森県=マグロ、ニンニク。新潟県=こしひかり、ダイコン。兵庫県=神戸牛、タコ、真ダイなど、全国各地の食材が紹介されている。

 先生は「これらの名産品は押しなべて高価なので、今回はスーパで安く手に入る食材の選び方を説明したい」と、予告した。

 市場は日曜日なので、午前九時から十二時まで朝市が催されている。大型の貸し切りバス二台に分かれて乗り、市場入口には予定の九時ちょうどに着いた。

 先生は、メガホンを片手に持ち「先ずは青果物を見に行こう」と促すと、足早に歩き出した。先生の隣には、小太りの女性がいて右手に同じ種類のメガホンを手にしていた。

 総勢七十人が二班に分かれた。

「アシスタントの福島さんだ。午後の部の組の面倒を見てもらう」と、先生は小太り女性の名前を伝えた。

 全員の顔を見渡すと、先生は「注意してもらいたいのは、わしか福島さんが手に取って説明する。皆は勝手に食材に触らないで欲しい」と、注意事項を言い渡した。

 市場青果部の集まる棟に行き、段ボール箱に入ったキャベツを見た。

「キャベツは、季節によって見るべきポイントが違う。今の季節……夏と、秋、冬は手に持ったときにずっしりと重くて、色の濃いものを選ぶ。ただし、春は巻きが緩くて、軽いものを選ぶと良い。この基準はレタスにもあてはまる」

「ふーん、春と他の季節では選ぶ基準が違うのか? 先生、どうしてですか?」僕は、先生のそばに近づき、愚直に尋ねた。

「私も、疑問に思っていたの……」と、小声で囁くので、そちらを見ると、鈴奈が僕のすぐ近くにいた。

「永瀬君はキャベツの旬が、いつか知っているか?」

「先生、分かりました。春ですね。だから、春キャベツだけが特別ということでしょう?」

「残念だが、キャベツの旬は冬だよ。春キャベツが特別なのは正解だ。つまり、春物は他の季節とは別品種ということだ」

「レタスも……ですか?」

「いや、すまんね。言い方が悪かったようだ。レタスの旬は、晩春から初夏だ。選ぶポイントは、巻きが緩くて葉が淡い緑色のものが良い。それと、芯の切り口が十円玉の大きさで、瑞々しいものを選んで欲しい」

 先生は「次は、これにしよう」と、ダイコンを手にして眺めた。

「誰か、ダイコン選びのポイントを知っている人は……?」と、先生は右手を顎の高さまで上げて、挙手を促した。

 新婚主婦の柿崎さんが手を上げると「私の母は、ダイコンは小野小町みたいに色白美人が美味しいと、教えてくれました」と答えた。

「素晴らしい回答だ。次から、わしに代わって教壇に立ってもらおうかな……。ただし、他にもポイントがある。つまり……、良いダイコンはずっしりと重く、葉が活き活きしていて、触ったときに張りと瑞々しさの伝わってくるもの……。それが、全部言えていたら百点満点だ」

 市場は、ざわざわしていた。子供連れの夫婦が何組か、僕らの後ろを通り過ぎると「わーっ」という声が聞こえてきた。

 声の方向を見ると、卸売市場のマスコットキャラクターの野菜キャラと魚キャラの二体が登場し、子供たちに向かって手を振り、相手をしていた。

「市場は子供たちにとっては、社会勉強にもなるし、楽しい思い出にもなる。わしも、生まれたときからジジイじゃない。ああいう頃があった」と、先生は目を細めた。

「僕にも何か、出題してくれませんか?」と、僕が口を開くと「先ず、発言する前に手を上げてくれないか? それがルールだ」と、先生は即座に諭した。

 その時も、僕の隣に来ていた鈴奈は、様子を見てクスクスと楽しそうに笑った。

「そうだな、永瀬君、このタマネギはどうだ? わしが今、手に取ったものがヒントにもなっている」先生は、手にしたタマネギを僕の眉の高さに持ち上げ、自分の目の動きで下にあるものも見るように示唆した。

「多分ですが、皮に艶があって他の物よりも丸く見えます」

「若いだけあって、さすがに勘が良い。あと、補足するなら、ずっしりと重い。重さは、目で見て分からないけどな。それと……、傷が見当たらないだろ? まあ、ここのタマネギは、どれも傷がない。良いタマネギだ」

 先生は、福島さんを呼ぶと、相談をして、トマトとジャガイモの説明後に水産部に移動する方針を決めた。

 先生は「トマトは、色むらや傷がなく、硬く身が締まったものが最良だ。ヘタの部分は濃い緑色をしたのを選ぶことだ」と、簡単に話した後で、男爵イモを手に取り「ジャガイモが、二種類あるのは知っているかな?」と、鈴奈に尋ねた。

「ええ、先生が手にしている男爵と、メークインのことですね」

「そう、男爵イモは丸く鶉のタマゴの形、メークインは細長くラグビーボールの形をしている。男爵にするか、メークインを選ぶかは、用途によって決める。そこは、どうだろう? 君なら分かるかな?」

「どうでしょう? 男爵はホクホクしているので、ポテトサラダに使います。メークインは煮崩れしにくいので、母はいつもカレーライスに使っています」

 鈴奈が答えると、先生は「素晴らしい答えだ。模範解答だね」と、笑顔で褒めた。

「先生、それとコロッケは男爵で、肉じゃが……などの煮物には、メークインですよね」と、いつも出しゃばってくるOLの野島さんが横から答えた。

「それも、その通りだ。男爵は表面に凸凹がなく、ふっくらとした丸みのあるものがベストだ。表面に傷やしわのないものを選び、大きさも中くらいものが良い」

「何故、大きいものは駄目なのですか」と、柿崎さんは首を傾げ「うちでは、大きくて重いものを買っていますが?」と質問した。

「重くて質感のあるものは良いが、大きすぎると中心部が空洞化して水っぽくなっていることが多いからだ」

「なるほど、そういう意味ですか? 納得しました」柿崎さんは頷いていた。

「男爵イモの語源は、明治時代に函館の川田龍吉男爵が、イギリスから輸入し日本に定着させたことに由来している」

「つまり、男爵のように気品と風格のあるジャガイモが、優れているのですね」と、サラリーマンの荻久保さんは付け足した。

「良いことを言うね。それと……、メークインだが、基準は男爵と同じで、ふっくらと丸みがあり、傷としわがなく表面に凸凹がないものがベストだ。あとは、そうだな……、皮が薄くて、手でつかんでみて硬い感触のある方が良いイモだ」

「ああ、良いことを覚えたな」と、僕が感嘆していると、先生は肩を掴み「永瀬君、料理はまだ一つも教えていない。これからだよ。これから……」と、諭し「ニッ」と笑った。

 鈴奈は、この時も僕の横にいてクスクスと笑った。

       ※

「福島さぁーん」と、先生は大きな声でアシスタントを呼び、全員で水産部に行くように伝えた。

 水産部では、ちょうどマグロの解体ショーが始まる前だ。市場関係者が手に持つ、マグロ包丁は刃渡り六十センチもあり、一見すると日本刀のように見える。僕は、息を呑んで見守った。台に載せられたマグロを卸人が、手際よく切り分けていくのは圧巻に思えた。

「マグロは一般的には、解体ショーで見たのと同じクロマグロを言う。他にも、ビンナガ、キハダ、カジキ、メバチなどがある。スーパーマーケットには、切り身で並ぶので、選ぶときも既にパックに入ったものを目視で確認することになる」

「僕には、切り身だと見分けがつかない気がします」

「マグロの種類は、どう見分けると思う?」

「想像もつきません」と、柿崎さんは目を白黒させた。

「簡単なことだ。パックに貼られたシールに表記されているよ」

「何だ、そんなことなの……」先生のジョークは、時たますべることがあった。

「だがね。味には、それぞれ特徴がある。クロマグロは、脂身と甘味が特徴で寿司や刺身に合う。ビンナガは、身が柔らかくあっさりしている。マグロの中では安く求められるので、回転寿司でよく使われている。春野さんの家では、どのマグロを買うことが多いかな?」

「うちは、キハダマグロです」

「よく知っているね。実は大抵の生徒は、自分の食べているマグロをクロマグロだと思っている。神戸市民は、あっさり味のキハダマグロが好きだからね。春野さんの家と同様に、関西では、刺身用にキハダマグロが売れている。関東ではよく、赤身の魚が食べられているが、関西では白身魚がメーンだ。それと、同じ理屈だよ」

「先生、肝心の美味しいマグロの見分け方ですが……?」と、野島さんが口を挟んだ。

「ああ、そうだったな。マグロの切り身を見たときに、ポイントは二つある。一つは筋をよく見ることだ。表面の筋が平行に入っているものが良品だ。逆に筋が斜めに走っていたり、筋目の幅が狭かったり、半円状のものは背骨に近い身なので避けた方が無難だ。あとの一つは、身の色だ。くすんだものは避けて、透明感のあるものを選ぶと良いよ」

「難しそうですね」と、野島さんは気難しい表情をした。

「いや、難しくはない。今日話した内容を一度に覚えようとせず、食材を購入する都度、テキストやノートを確認することだな」

 マグロの解体ショーが終わり、場内をしばらく歩いた。市場では一般の道路上では見かけないフォークリフトや、ターレットが走行し、市場の卸人は皆、忙しく立ち働いていた。

 関係者は「普段は、日曜日は休みで、朝市のみ運営しているのですが、先生のところだけではなく、自治会や小中学校の市場見学が重なり、急遽出て来て作業しています。休日は物が動かないので、冷凍庫の庫内作業や商品の整理をする者が、ああして作業にあたっているのです」と、明かした。

 先生が足を止めて示した売台には、サケ、アオリイカ、イワシ、クルマエビなどが並べ置かれている。

「サケはニジマスを品種改良したトラウトサーモン、身が柔らかく脂の乗った銀サケ、天然物で旨味がたっぷりの紅サケが代表的だ。それぞれの特徴が違うので、用途によって使い分けると良い」

「僕は……、父親に鮭児と呼ばれるサケが一番、上等のサケだと聞きました。どれが当てはまるのですか?」

 また、愚問だったのか、先生は苦笑していた。

「君は、どれだと思う?」

「紅サケのことですよね。その中でも、鮭児は、一番美味しい魚種だと思います」

「鮭児は、一万匹に一匹しかいないという幻のサケだよ。しかも、鮭児は紅サケではなく、知床半島から網走付近で漁獲される白サケだ。一尾で七万円する高級魚だ。普段はあまり縁がない魚だね」

 僕が、またやらかしたと思って恥じ入っていると

 鈴奈は「先生が言われた、見分け方のポイントは何でしょう?」と、問いかけた。

「美味しいサケには、四つのポイントがある。一つ目は、サケの皮が乾燥しておらず光沢があること。二つ目は、身の赤い色の部分が濃いこと。三つ目は、身の表面が乾いておらず汁がでていないこと。四つ目が北海道などの国産のものであること」

「ノルウェー産、チリ産は駄目ということですか?」

「いや、そうじゃない。外国産は一旦、冷凍してから解凍している。長期冷凍ものは、冷凍焼けして、風味や食感が劣化しているケースがある。外国産でも、よく見て  一から三のポイントは押さえるのが大事だね」

 僕の位置から、向こうのグループの福島さんが、近づくのが見えた。

「先生、うちのチームは塩干物を予定通り見てもらいました。そろそろ、交代しませんか?」と、福島さんは尋ねた。

「ちょっと待ってくれ。イカとイワシを説明したい。十分でいいから待ってくれないか?」

「分かりました。もう少し、うちのメンバーには、塩干の食材を見てもらいます」

 福島さんが戻って行くと、先生は説明を再開した。

「スルメイカ、ヤリイカなどのイカの選び方だが、いずれも全体に透明感があって、目に濁りがなく黒いもの。スルメイカの身の色は茶褐色のもの、ヤリイカは鮮やかな赤い色のものが良品だ。勿論、身に傷がないのも確認が必要だね」

「先生、向こうで待ちかねているので、先へ進めましょう。後はイワシですね」と、荻久保さんが促した。

「そう急かさないで、イワシのことは言わしてくれんかね」

「…………」

「まあいい、イワシのポイントは二つだ。一つは頭の小さいイワシほど脂の乗りが良い。もう一つは、身体全体に張りと厚みがあるものが良い。それと、身体に斑点が出ているのなら、模様の明確なものほど新鮮だ」

 先生は話し終わると、塩干物売り場にいた、福島さんに手を振り合図した。

 午前の部のグループが、塩干物売り場に移動し、午後の部のグループと入れ替わった。塩干物の売台の前に立ち、先生は商品にざっと目を走らせた。

「まずは、アジの干物から始めるかな」と先生は呟くと、干物を一つ手に取った。

 先生は、アジの開きの身の方をこちらに向けると「美味しいアジの開き物は、このように全体が丸く肉厚がある。それと、近づいてよく見てくれ。身に脂がついていて白っぽい部分があるだろ。これが絶品だ。身に光沢が出ているのは、塩分がほどよくついている証拠だ」と伝えると、大事そうに売台に置いた。

「酒のつまみに合いそうですね」と、荻久保さんは声を漏らした。

「ご名答。塩干物は総じて、酒のつまみによく合う」

 先生は、ちりめんじゃこの入った袋を手に取ると「これなら、永瀬君や春野さんに説明しても支障はない。酒のつまみではなく、健全な青少年がご飯と一緒に食べるのにふさわしいからな」と気遣った。

 僕が鈴奈を見ると、こちらを見て楽しそうにほほ笑んだ。

「ちりめんじゃこのポイントは二つある。できればしっかりと干していて、乾燥したものが良い。もう一つは、白い魚を選ぶことだ」

「塩干物と普通の魚の違いは何でしょうか?」と、僕は手を上げた。手上げルールは、いつの間にか忘れ去られていたので、先生は驚いたような表情をした。

「一言で言うと、加工の手の加え方の違いだね」

「鮮魚や活魚は、加工していませんよね?」僕は、愚問にならなければ良いが……と、念じながら問いかけた。

「販売されている魚の形状は、テキストに写真を載せたので、それを見て欲しい」

 僕がテキストを開き、ページをめくっていると、鈴奈はテキストの下に手を潜らせて支えながら、興味深そうに覗き込んだ。

 テキストには、ラウンド=丸魚、セミドレス=頭付きだが、内臓を取り除いたもの、ドレス=頭と内臓を取り除いたもの、フィーレ=ドレスから尾、鰭、中骨を除いたもの、スライス=寿司種用に細かく切り分けたもの、スモーク=燻製品、塩干=魚介類を天日や風で干した乾物。塩漬けにしてから干すものもある。

 何枚もの写真と、その下に記述された説明を読み、納得した。

「そうだ。永瀬君、今のページの写真を見ると理解が深まる。現物を見て、テキストと比較しておくことだ」と、先生は他の生徒にも、同じページを見るように指図した。

「何か……、塩干物に共通して、美味しいものを選ぶコツはないのですか?」

「君ならどうする?」

「一度、食べてみて判断します」

「それが正解だ。お若いの……、さすがだな。わしもそう言おうと思った。永瀬君の百点満点の回答を敢えて補足すると、一度買って美味しいと思った製造元のものを選ぶことだな。塩干物の製品は確かに、永瀬君の言うように、食べてから判断するのがポイントだね」

 時計は十一時二十分を示していた。先生は、慌てる様子で福島さんを呼び、そこから十分先のスーパーマーケットへの移動を命じた。

       ※

 市場を後にして、バスは食品スーパーマーケットに到着した。

 先生は店長に挨拶した後で、食肉売り場に着くと売場主任に対して「この店は、牛・豚・鶏のいずれも良い肉を揃えている」と、持ち上げた。

 僕は――先生の如才なさからも学ぶ必要がある――と思った。人を逸らさない弁舌、物腰の柔らかさや自信に満ちた態度は、高校生の不良グループとは比較にならない。

「それじゃあ。十二時まであと、二十分しかない。手っ取り早く話そう。特に何か質問があるなら、帰宅後でもメールを送信してくれ。必ず読んで返信するよ。それで良いかな」

「はい、大丈夫です」と午前の部の全員が返答した。

「こちらも、大丈夫です」福島さんの教える午後のグループも承諾した。

 売り場の牛肉は、ステーキ肉、細切れ、切り落としなどの表記がされていた。

「ステーキ肉は、牛肉のリブロース、肩ロース、サーロイン、ヒレ、ランプだ。大きく分類すると、濃厚でジューシーな味わいのロース、サーロインと、あっさりとした赤身肉のヒレ、ランプに分けられる。どちらが良いかは、好みの問題だ」

「良い肉の見分け方は、どうでしょう?」

「信頼できる店なら、値段が高いか安いかで、良い肉かどうかは分かるよ」時間が押しているせいなのか、先生はシンプルに答えた。

 先生の返答がどことなく、ユーモラスに聞こえ、生徒たちの笑い声が漏れた。

「ハンバーグに使う挽肉は、色で判断する。牛肉は鮮明な赤で、豚肉はクリアなピンクが良品だ。合いびき肉は色で選びにくいので、表面が艶やかで脂身の少ないものを選ぼう」

 先生は講義スケジュールのメモにさっと目を通すと、話を続けた。

「カレー用の肉は、東日本は豚肉、西日本は牛肉がメーンだ。神戸市は、勿論ビーフカレーが主流のエリアだね」

「地域によって、扱う食材が違うのですか?」

「ああ、違うものもある。それで……、えーと、カレーに使われる牛肉は、モモ肉、スネ肉、バラ肉、切り落とし肉だ。歯ごたえがあるのが好みならモモ肉、柔らかいものが好みなら切り落とし肉を選ぶと良い」と、言い終わると同時に、先生は腕時計を確認した。話し方も、普段のゆっくりペースではなく、早口になっていた。先生の責任感の強さが表れていた。

「時間が迫ってきたので、豚肉と、鶏肉の説明をしよう。豚肉は綺麗なピンク色で艶があるものが良い。肉質に締まりがあって、赤身と脂身の境目がはっきりしているかも確認しておこう」と、伝えた直後に、先生は「ふうー」と息を吐いた。

「次いで、鶏肉だが……」生徒たちは、先生の指し示す方を見た。陳列棚には、各種の色鮮やかな食肉が並べられている。

「鶏肉のポイントは三つある。一つ目は弾力性、二つ目は透明感、三つ目は鳥皮の毛穴の盛り上がりだ。以上で、今日の講義は終了したい。何か質問はあるかな?」

「…………」

 店内に、正午を告げる時報が流れた。

「先生、お見事です。ピッタリのタイミングですね」と、荻久保さんが褒め立てた。

「あ、いや、もう少し補足しておこう。大事な点だからね。食肉では……、牛・豚・鶏を問わず肉汁……、いわゆるドリップと呼ばれる旨味成分の流出していないものを選ぶことだ。一見すると、ドリップは血液に見えるが薄い色をしている。これが、流れて溜まっていないものが良い」

 福島さんも同じタイミングで、講義を修了したのか、近づいてきた。

「ありがとうございました。先生、お疲れさまです」生徒たちは、先生と福島さんを労うように明るい声で謝意を表した。

「どうだ? 皆、楽しかっただろ? たまには、遠足気分で野外授業も良いね」

 生徒たちは、家路に着いた。

 僕が受講後に思う寂寥感は、先生の人柄から滲み出るものと、講義の面白さからくる。次回の講義が待ち遠しいのは、皆、同じ思いのようだ。

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