第3話 第三講 計量の仕方

 最近、僕は高校で悪ガキたちに「張り子」の綽名を付けられて揶揄われている。鈴奈に知られたくない秘密である。僕は悪ガキの見立てでも、二枚目俳優並みのイケメンで、見るからに優等生に見えるそうだ。

 つまり「張り子」とは、張子の虎と同様に、見かけは立派だが中身が何もないという意味だ。僕が悪ガキ連中に揶揄われていると、音楽の先生や、隣のクラスの担任、保健室の養護教諭などの女の先生ばかりが、庇ってくれる。それが、この綽名が生まれるきっかけにもなった。

 七月二十日に夏休みに入り、九月一日までは高校に通わなくて良くなった。当面は、新聞配達に精を出し、料理の研究にも専念できる理想的な状況になった。しばらくは「張り子」とも呼ばれずに済む。

 姉は、相変わらず「あんた男でしょ、もう少し、男らしく振舞いなさい」と、手厳しい。「うん、そうするよ」と、姉の意見には肯定しながら、内心では――料理の腕前で姉を追い抜いてやろう――と、決意を固めていた。

 早朝の新聞配達は十六歳の僕にとっては、良い運動になるものの、雨の日は流石に気分が重くなる。犬に吠えたてられるのも勘弁願いたい。それに、朝夕の新聞配達以外に、印刷所から届いた新聞をトラックから下ろしたり、折り込みチラシを新聞紙に挟み込んだりするのも時間がかかる。

 ある意味、バイトこそが姉が言うような男の修行場となっている。

 バイトで新聞を配達するエリアは、半径1.5キロメートルの範囲内だ。阪神電鉄「新在家駅」から徒歩五分の鈴奈の家の周辺は、配達の周回コースに含まれていない。僕は、それを酷く残念に感じていた。

――ゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」のように、窓辺に佇み意中の人のシルエットを見てみたい――と思っていた。小説の中では、主人公のウェルテルが、美しいロッテという女性に思慕している。一方で、春野鈴奈に対する行為としては、ストーカーのような無粋で不敬な思惑にも感じて、躊躇っていた。

 読書好きの僕は、勉強をそっちのけにして大量の本を読破してきた。書棚には世界文学全集や、東西の思想書、世界の名詩集、漫画コミックまで、幅広く収められている。小遣いとバイトで稼いだお金の大半を本代に費やし、中央図書館にも通っていた。夏休みは、料理教室で先生に勧められた本を読み、DVDも関連のものを視聴する構えだ。

 いつも通り、料理教室に着くと机の配置が変わり、自分の席がどこなのか戸惑いながら、目に付いた空席に座った。長机は、三本組み合わせてコの字に四セット配置されている。

「今回の講義から、座学中心ではなく実習してもらうので、チームを分けたい」と、先生は教室に来てすぐに告げた。各自には座席表が配布され、目を通すように促された。

 生徒三十五人は、九人ずつ三セット、八人掛けが一セットに分かれた。

 僕のチームは、サラリーマンの荻久保さん、主婦の柿崎さん、OLの野島さん、他の主婦とOL五人を合わせて九人のチームだ。

 残念ながら春野鈴奈は、左隣のチーム編成されていた。しかも、鈴奈を筆頭にした女子大生中心の美少女チームだ。断トツ美人は、どう見ても鈴奈だが、他の八人中四人がモデル並みの輝かしさだ。

 僕は自席に着いて、隣のチームをチラ見している時に、先生が講義を始めた。

「今回、計量スプーンやカップを利用して、方法を覚える目的は……、意外に感じるだろうが、目分量を体得してもらうことだ。何故だと思う?」

「目分量だと、憶測でミスをしやすくなり、料理の都度、味が変化します。それに、考える時間がかかる分だけ、効率が悪いのではないですか?」と、野島さんは先生の問いに対して、疑問で応答した。

「それも、一理ある。人が感じる味わいは、様々だ。気候風土や体調の変化に合わせて、同じ料理でも味付けを変える必要がある。レシピ通りに料理するのは基本だが、一歩進んで、目分量で感覚を磨いて貰いたい」

「具体的に、何をします? 雲をつかむように聞こえますが……」

「まあ、あれだな。最初に言ったように、計量スプーンと計量カップ、キッチンスケールの使い方から教えよう。目分量のコツは、その後で伝えるよ。それで良いかい?」先生は、白けたような表情で告げた。

「はあ? まあ、良いですよ」野島さんも、気の抜けた返事をした。

 先生は、三本の計量スプーンを手に持って説明を始めた。右手に一本、左手に二本を重ならないように持ち、自分の眉の高さまで上げている。

「この三つのスプーンの内、どれが大匙で、どれが小匙か分かるかな? どうだ、春野さん?」

「先生が、右手に持っている一番大きいスプーンが大匙で、左手の大きい方のスプーン……、三つの内、真ん中のサイズのスプーンが小匙だと思います」

「正解だ。素晴らしいね、君は……。君たちの先輩は、一番大きいものを大匙、一番小さいものを小匙と答えていた。今回もそれを期待したが……、質問相手を間違えていたか。永瀬君、君に聞くべきだったな」

「先生、僕ばかり虐めないでください」僕が情けない声で言うと、周囲の笑い声が大きくなった。

「大匙は15ml、小匙が5mlだ。一番小さいスプーンは、小匙二分の一サイズで2.5mlだ。1ml=1gで、水を基準にしている。因みに、1㏄も1gだ。難しく考える必要はない」

 話し終えると、先生はアシスタントの福島さんに命じて、各チームに計量スプーン、計量カップ、キッチンスケール、バケツ、ウェットティッシュを配布。さらに、パン粉、粉チーズ、胡麻、マヨネーズ、水、醤油、蜂蜜の入った容器をそれぞれに配った。

「それでは、君たちに計量スプーンを使ってもらう。小匙一杯で、パン粉は1g、粉チーズは2g、胡麻は3g、マヨネーズ4g、水5g、醤油6g、蜂蜜7gに相当する」

 福島さんは、各チームの間を縫うように歩きながら「良いですか? 粉を計る時は、フォークの背ですり切るようにして下さい」と、呼び掛けた。

 一つ計るたびに、汚れをバケツの水で洗い、ウェットティッシュで拭いたものをゴミ箱に捨てる。その繰り返しが馬鹿馬鹿しく思えた。先生は、僕の思いを見透かしたように、

「座学で覚えた記憶よりも、目で見て、身体を動かして体得したものが、後々役立つからな。頭で考えすぎないで、感じ取って欲しい」と、注意を促した。

 先生が見るように指図したテキストのページを見ると、水と同じ5gのものは、酒、酢、牛乳、トマトケチャップだ。粉末状のものは、食塩が6g、グラニュー糖は4gと表記されている。塩と砂糖の重さの差が2gあるのは気づかなかった。

 先生は大匙でも、同じ要領で計量するように指示した。

 次いで、先生は計量カップでの使い方を話し始めた。

「計量カップは、二種類のものがある。一般用が200ml、炊飯用が180mlだ」

 先生は、一般用のものを取り上げると

「計量カップを使用する時は、必ず水平なところに置く。真横から目視で確認するのが大事だ。粉状のものや、粒状のものを計量する際には、塊やバラツキがあると正確に分からないので、スプーンを使って均して置くことだな」と伝えた。

 先生は、また教室全体を見渡すと「先に進めても良いかな?」と、尋ねた。

 生徒たちは、特に自分から声を出さず、他の人の反応を待つ様子だ。僕はそこで……。

「特に質問はありません」と告げた。先生は僕を見て、柔和な表情でほほ笑んだ。

 福島さんはタイミングを見て、先生の前に、二種類のキッチンスケールを並べた。

「キッチンスケールは、アナログとデジタルの二種類がある。インテリアなどの見た目重視ならアナログ、機能性重視なら0.1gから細かく計量できるデジタルを選ぶと良いね」

「計量スプーン、計量カップは、理科の実験に使うものみたいで見栄えがしないし、キッチンスケールは置き場所に困りそう」と、柿崎さんは指摘した。

「そうか、それなら、計量スプーン、計量カップ、キッチンスケールの代用品の使い方を言っておいた方が良いな」と、頷くと先生は意外なものを手にした。

「計量スプーンの代わりに使えるものの一つが、このペットボトルのキャップだ。このキャップのすり切り一杯が大匙一杯の半分の7.5mlだ。つまり、小匙一杯だと、キャップの3分の2に相当する。ペットボトルには、JISなどの規格はないものの、サイズは同じなので、代用できる」

「例えば、ティースプーンでは代用できないのですか?」と、柿崎さんは熱心に質問した。

 福島さんから、ティースプーンを受け取ると、先生は「良い質問だ。キャップに抵抗感があるなら、この方が使える」と、右手の三本指でつかんだスプーンをかざし、少し前後に振って見せた。

「ティースプーンは小匙一杯と同じ5mlだ」

「それは、聞いておいて良かったです」

「次に……」と、口を開くと先生は、教室内を見渡した。視線の流れを追うと、皆が熱心にノートを取り、テキストと見比べている。

「計量カップの代わりになりそうなものを二つあげておく。一つはおたまで、もう一つは牛乳瓶だ」

「色んなものが、代用として使えるのですね」

「おたまは直径が8cmあり、一杯で50mlだ。牛乳瓶は200mlだ」

「へーっ、勉強になりました。ということは、身近にあるものでも、容量が分かるものは同様に使えるのですね」

「君は、頭が良い。その通りだ」

 僕は、まだ料理については具体的になにも習っていないにもかかわらず、段取りの大切さや奥の深さに感心していた。

「キッチンスケールのような秤がないときは、計量スプーンや計量カップで、何mlか調べればそれをグラム単位に置き換えれば良いよ。1ml=1gなので、すぐに分かる」と先生は、簡明に話した。

 僕の後ろのチームの長谷川さんは、先生が指摘する都度、何か気づきがあったのか、小さな声で「あっ」と、声を出す。計量の講義に、熱心に聞き入っている様子だ。

「目分量には、手や指先を使う手ばかりと、目で見て判断する目ばかりがある。では、手ばかりはどんな時に使うかな? 長谷川さん」

「わかりません」長谷川さんは、戸惑いながら答えた。

「それじゃあ、ヒントをあげよう。例えば、君は塩を入れる時に、何を使う?」

「指先ですか……」

「正解だ。肝心のどんな時に使うのか……。それは手早く、調味料を加える必要がある時だ」

「塩一つまみとか、塩少々とか、ああいう……、料理本に書いてある、あれですよね」

「塩一つまみは、人差し指、中指、親指の三本の指先でつまむ量で、小匙5分の1から4分の1の量。塩少々は、人差し指と親指の二本の指先でつまむ量で、小匙の8分の1だ。それから、塩一握りは軽く握った量で、大匙2杯分にあたる」

「一度に、覚えきれません」

「初めは、誰でもそうだ。慣れだよ……。料理しているうちに身に着く」

 僕は、講義を聞いている間も、隣の美人チームが気になりそちらを見ていた。すると、たびたび鈴奈と目と目が合った。鈴奈は僕と目が合うたびに、にこやかな顔になった。僕の目ばかりでは、まんざらでもなさそうだ。先生の目ばかりの説明だと

「例えば、レシピの写真を見て分量の検討をつける。少しずつ、調味料を加えながら味見をしていくのが、目分量の目ばかりのコツだ」との認識だ。

 僕は、少しずつ鈴奈とアイコンタクトを重ねるパターンが、二人の仲を近づけていると感じていた。

 計量の講義が終了し、帰宅する前に僕は、いつも通り鈴奈に声をかけた。

 鈴奈は「ケータイの番号を交換しよう」と、提案してきた。

「友だちの一人として、何かと、連絡できた方が便利でしょう?」との申し出だ。

 勿論、僕はOKした。鈴奈に問われるまで、自分から聞き出したかったが、断られるのが怖くて言い出せなかった。

「誠也君、この後、何か予定はある?」鈴奈が尋ねた。

「いや、特にないけど……」

「良かったら、家に遊びに来ない? 」

「…………」僕は鈴奈の突然の申し出に、嬉しさのあまり黙り込んでしまった。

「嫌なら、別に来なくてもいいけど……」

「行くよ、勿論。嫌なわけがない」

 僕は大石駅を過ぎて、新在家駅で下車した。鈴奈の自宅は、大きな門構えの立派な家だ。鈴奈が先を歩き、門扉を押し開けて進むと、犬小屋に繋がれてゴールデンレトリバーがこちらを見ていた。

 僕は、慌てて視線をそらし、首を巡らすと、庭は広く大小の樹木が緑の葉を伸ばしていた。中でも、百日紅の淡いピンク色の花が目についた。

 僕が犬にびくついていると、鈴奈は「おとなしいし、賢い犬だから、私と一緒にいるお客様に噛みついたりしない」と、腕をそっとさすり、誘導してくれた。

 家の中に入り、リビングルームに着くと、鈴奈の母親が出迎え、ソファーには鈴奈と同じ年頃の少女が二人座って待っていた。

「おかえりなさい。お邪魔しています」と、二人の少女が挨拶した。

 テーブルの上には、五人分の昼食の用意がされていた。

 二人の友人は、鈴奈に包装紙にくるまれてリボンのついたプレゼントを手渡した。

「誕生日のパーティーだけど、一人欠員ができちゃって、急遽参加してもらったの」

 プレゼントは三つあった。欠席した友人の物を一つ預かって持参していた。僕は、今日が鈴奈の誕生日なのを知らされていなかった。要するに、僕は来なかった友人の欠員補充要員として選ばれていた。

 鈴奈は僕に対して、二人の友人の名前と、大学の同級生であるのを教えると、続けて二人に僕を紹介した。

「こちらは、永瀬誠也君……、私の彼氏で、料理教室で志を同じくする仲間なの」

「えーっ」と、僕は思わず声に出して驚いていた。

「いいの、いいのよ」と、鈴奈は言葉にすると、僕を肘で軽くつついて

「くすっ」と、小さく可愛らしく笑った。

 友人たちは「鈴奈みたいに、イケメンの彼氏が欲しい」「背が高いし、スタイル抜群ね」と、僕を見た目基準で褒めた。

「いえいえ、僕なんか、たいした者じゃないです。学校では、中身が空っぽの張……」と、言いかけたところ、また鈴奈が肘でつんつんと突いた。

「誠也君って、カッコいいし、優しいし、物知りなの」と、鈴奈は僕を自慢した。

「鈴奈ちゃんの同級生ですか? 皆、頭が良いのですね」と、僕は照れ隠しのつもりで告げてみた。

「…………」

「誠也君って、照れ屋なの……。そこが、良いところだけど」

「二人の馴れ初めを教えてくれない?」と、友人の一人が尋ねた。

「馴れ初めねえ……」僕が口を開くと

「あなたは、少し黙っていてね。私から説明するから……」と、遮った。

 僕は、台所仕事を終えて、こちらに近づく鈴奈の母親の表情が気になって、目で追った。終始、にこやかな表情で、鈴奈が何か言うたびに、上品に口に手を当てて笑っている。

 鈴奈は僕との出会いや、意見交換するようになった経緯について、身振り手振りを交えて、劇的に演出した。鈴奈は、嘘にならない程度に誇張を交えて説明し、友人たちを楽しませた。

 正直なところ、僕と鈴奈は料理教室で最初に会ってから、半月程度の付き合いで、まだデートした経験もなかった。

 それなのに、鈴奈の友人たちは、都合よく脚色された恋物語に感嘆し「素敵ね」と言い出す始末だ。

 ある意味、僕にとっては望んでいたような展開だが、戸惑わざるを得なかった。僕は、二人の少女の興味津々な視線に晒されながら、何か質問されるたびに「鈴奈ちゃんがさっき言った通り」とか、「鈴奈ちゃんと同意見だよ」と、肯定的に答えた。

 食卓には、大皿にオードブルが盛り付けられ、各自の前に小皿や箸、水の入ったコップが配置されていた。こんがりとしたエビフライ、光沢のある肉団子、一口サイズに切り分けられた卵焼き、茹で上がった枝豆など、馴染みの料理がひと際、美味しそうに目に映った。

 食後のデザートのケーキと紅茶を飲み、鈴奈が家族や友人からいかに愛され信頼されていたのか、僕は考えていた。――底辺の高校に通う、不器用な僕とは大違いだ――と痛感してもいた。

 僕は、鈴奈が僕を持ち上げるのに照れ臭くなり、話題を変えた。

「アガサ・クリスティーの推理小説には、ティータイムを描写したものがよく出てくる。『杉の棺』という小説にも、そういう場面があったのは知っているかな?」

「エルキュール・ポアロシリーズ、それともミス・マープルシリーズだっけ?」友人の一人が、僕に確認した。

「エルキュール・ポアロが探偵として、名推理を展開する方だよ」と、説明した。

 偶然だが、鈴奈本人がアガサ・クリスティーのファンで、大半を読破していた。

 しばらく、僕の提案で文学作品の中で、料理や飲料などがどう扱われているか話し合った。話が弾んでいるようで、実のところ僕と鈴奈の発言量が増え、二人の友人は辟易していた。

 僕が何か話すと、鈴奈は「ねっ、誠也君って物知りでしょ」とか「私の意見と一緒だわ」と褒めるので、二人の友人は「まあまあ、お熱いことで」と、冷やかした。

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