第20話 第二十講 食器の選び方


 昨晩、鈴奈の父親に、二人で旅行した件が露見してしまい、交際を猛反対された。どこから情報が漏れ出たのか判然としない。今更、下手人探しや情報の出所を探っても、事態は改善しない。鈴奈の父親は、家に電話してきたため、応対に出た母はオロオロしていた。

 僕は、二人で旅行に行ったことを家族に対して白状した。白状するまでは、旅行の件を家族は知っていたものの、真相を隠し、同性の複数の友人と出かけると伝えていた。嘘がバレたときの気まずさだけではなく、鈴奈に何かしていないかと疑われている自分が情けなく思えた。

「誠也、いったい、あの子に何をしたの?」

「何もしていないよ。友達の一人として仲良くしているだけだよ」

 母親は胸を撫でおろし、すぐに信用してくれた。

 反対に姉は「鈴奈ちゃんを泣かせたら、承知しないからね。自分の分をわきまえて、真面目に付き合いなさい」と、目つきを鋭くして、𠮟声を浴びせかけた。

 姉は、僕が鈴奈と交際できるのは「奇跡のようだ」と、何度も言葉にした。

 父親は、いつもと同様に母の意見に追随し「お母さんの言うことを聞いておくように」とだけ言葉にした。

 父の頭の中には――事なかれ主義という、薄ぼんやりとして実体のない主義だけが存在している――僕はそんな風に想像していた。

 新聞配達のバイトを終えて、料理教室に向かったが電車に乗り遅れたため、行きは鈴奈とは別便に乗車した。

 教室に着くと大半の生徒が、すでに席に着いていて先生が来るのを待っていた。

 鈴奈の様子は、普段と変化がなかったものの、逆にそれが気になった。

       ※

「現代から一万六千年前の旧石器時代は、土器が作られていなかったので、石や木の葉を食器代わりに使っていたと考えられている」

「動物は手づかみで食べているし、本来は食器なしで、ワイルドに齧りつくことができます。食器が発明されたのは何故でしょう?」

「随分、素朴な疑問だな。それを言葉にできるのが、永瀬君の長所かもしれないね。人間は動物と違い、食材を調理するからだよ。焼いたり、煮炊きしたりすると、手づかみだと熱くて食べられないからだよ」

「ああ、分かりました」僕は弱々しい声で答えた。

 先生の気遣いが、何故か自分に対する嘲笑に聞こえたため、息苦しくなった。

 鈴奈は、心配そうな顔で僕の方を見ていた。

「美食家として知られる北王路魯山人は『食器は料理の着物だ』と表現している。魯山人によると、料理において尊ぶ美感は、絵とか、建築とか、天然の美と全く同じで、美術の美も、料理上の美も、元はひとつだから、料理を盛る器も様々な苦心を払う必要があるという。わしも、この魯山人の考え方には大賛成だ」

 北王路魯山人は陶芸家、料理研究家、画家としても有名な総合芸術家だ。大正時代に、会員制の食堂「美食倶楽部」や高級料亭「星岡茶寮」を運営し、食器から料理まで自分で作ったものを提供するほどの本格派だという。

「どんな料理にも合う食器の色は、何色か分かる人?」先生が挙手を求めたところ、生徒全員が手を上げた。先生はいつものように、僕の顔を見たが野島さんに答えさせた。

「白です」野島さんは不愛想に、さも当然のように答えた。

「そう、白だ。白ほどではないが、黒もそうだ。黒い食器は、重厚感があって、料理映えさせることも多い。それと、青い食器は、中華には合わないが、和食・洋食の両方に合う色だ」

「色は好みに、左右される場合が多いと思います」野島さんは、冷ややかに反論した。

「野島さんの言うことも一理ある。じゃあ、食器の素材の説明をするとしよう」先生は、自説に執着せずに、あっさりと話題を変えた。やはり、野島さんは只者ではない。

「食器の素材は、陶器、磁器、木製、プラスチックなどがメーンだ。それぞれの特徴を書いているので、テキストの該当ページを見てくれ」と、先生は指図した。

 陶磁器は、どちらも土を練り固めて作ったセラミックの一種だ。陶器と磁器の違いは、土を使用する量の違いである。陶器は、陶土とし呼ばれる粘土で作られる。800~1200℃で焼き上げられており、磁器と比較すると土の密度が低く壊れやすいため、厚く作られる。本来は吸水性があるため、釉を使って水を通りにくくしている。

 磁器は、岩石を砕いた粉末に粘土を混ぜて作られる。1300℃の高温で焼き上げられているため、生地が硬く強度があり、薄く作られる。磁器は、吸水性のないものが大半で、電子レンジにも対応できる。

 漆器などの木製食器は、軽くて口当たりが優しい。熱伝導率が低いため、温かいものが冷めにくい。反面、電子レンジでは使えず、乱暴に扱うと傷つきやすい。

 プラスチック食器は、軽くて割れにくく安価なものが多い。耐熱性がないため電子レンジでは使えず、汚れが目立ちやすい。

「ガラス製食器には、すべてが同じ素材で作られているのではないので、分類している。これも、テキストで確認して欲しい」と、伝えた。

 ガラス製食器は大きく、三つに分類できる。

 ガラス製食器の大半は、ソーダ石灰ガラスで作られていて、お皿、グラスなど多用途に使われている。

 耐熱ガラス食器は、二酸化ケイ素の含有率が高く、家庭で使われるケースは少ない。コーヒーメーカーのポット部分に使用されている。

 高級ガラス食器に使われるのは、鉛ガラスで作られていて光の屈折率が高く、キラキラと美しいデザイン性の良さが特徴である。

「先生、ベネチアングラスが家にあるのですが、それも鉛ガラスで作られているのですか?」と、普段はあまり質問しない茜が尋ねた。

「ああ、あれは違うね。宮間さんの言うベネチアングラスも、素晴らしいガラス食器だ。しかしね、原料に鉛を含まないソーダ石灰を使い、鉱物のコバルトやマンガンを混ぜて、様々な色合いを表現している。良い質問だね。ちなみに、鉛ガラスを使ったものは、クリスタルガラスと呼ばれていて、キラキラと輝く透明のものが当てはまる。宮間さんのような質問は歓迎だね」

 話の流れで、先生は他の食器についても話した。今回は座学中心なので、野島さんも熱心にノートにペンを走らせていて、クレームを言う雰囲気ではなかった。

「陶器は、国内では美濃焼、有田焼、瀬戸焼が名品とされている。海外では、リモージュ、マイセン、ウエッジウッドなどのブランドが知られている。うちでは、ロイヤルクラウンダービーのティーカップを家宝にしている」と、笑いながら

「日本が世界に誇れる食器は、輪島塗の漆器だよ」と告げた。先生の話では、輪島塗の漆器は、木地作りから百を超える工程で製造されており、優美なだけでなく、修理して何度も使えるように堅牢に作られている。

「食器は、どんなものを用意すれば良いのですか? 抽象的にではなく、具体的にお願いします」と、野島さんが不満気に尋ねた。

「皿から説明しよう。テキストを開いて欲しい」と、指示しながらスクリーンに同様の画像を映写した。

「最低限必要な皿は、ディナープレート、パスタ皿、スーププレート、サラダボウル、グラタン皿、パン皿と言ったところだ」

 先生は、それぞれの特徴について画像を見てとらえるように促した。

「コップは、コーヒーカップ、ティーカップ、マグカップ、湯呑……、それから、飲酒用にお猪口、タンブラー、ワイングラスあたりが必要だな」

「和食器の説明がないようですが……」

「そう急かさんでくれ……、和食器は茶碗、お椀、そば丼、刺身皿は必須だね」

 先生は続けて、カトラリーで必要なものを教えてくれた。

「スプーンは、ティースプーン、スープスプーンと、中華用のレンゲだな」

 同様に、フォークはテーブルフォークとケーキフォーク、ナイフはテーブルナイフとバターナイフ、箸は食卓用と菜箸が最低限、必要だ。

「うちは、そんなには揃っていません」と、荻久保さんは声を発すると「単身赴任中なので、全部そろえるのは経済的に負担が大きいですね」と続けた。

「単身赴任期間は、長くなりそうかな?」

「まだ、いつまでとは決まっていません」

「そうか、それは困ったな。まあ、慌てず必要に迫られた時に、買いそろえると良い」

「それなら、納得です」荻久保さんは、明るい表情で答えた。

 食器棚に食器を並べる時は、茶碗、お椀、湯呑、取り皿などの使用頻度の高いものを中段に置く。逆にワイングラスなどの来客用で、使用頻度の低いものを下段に配置する。大皿などのあまり使わないものを上段に収納する。

 食器を重ねる場合は、同じ種類の物にする。多くても二種類までにすると、皿がずれて破損する危険が少ない。

 箸やカトラリーは、同じ種類の物をまとめて、ケースや抽斗に収納する。

 講義が終わると、僕は鈴奈に近づいて「ごめんね」と謝った。

「あなたが、謝ることないわよ」鈴奈は、明るい声で宥めた。

 三ノ宮駅で鈴奈の耳に口を近づけて「例えていえば、僕はロミオ、君はジュリエットだ」と、僕は囁きかけた。

 シャイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」では、周囲の反対のために苦しむ二人の若い男女の姿が描かれている。物語は悲劇的結末で終わるが、僕は鈴奈との関係を悲劇的なものにしたくはなかった。

 僕と鈴奈の関係に「ロミオとジュリエット」の托鉢僧ロレンスのような支援者を求めるのは難しい。そこで、一計を巡らせた。

僕は鈴奈に「これからは、永瀬誠也ではなく、瀬奈誠子を名乗る」と告げた。鈴奈は、目を白黒させると、一瞬くすっと笑い「それ、どういうことなの」と、僕の目を覗き込んだ。

「つまり、メールやラインを使って連絡するのに、誠也と書くのを止めて、誠子に変える」

「すぐに、バレると思う。もっと大胆に名前を変えて、女の子みたいに書ける? 例えば・・・セナマコ…」と話しながら、メモ用紙に「世奈真子」と書いて示し「この文字で名前を名乗り、桔梗や茜の書き方を真似て送信するの……。サンプルを送ろうか?」

 落ち込む様子もなく、淡々と語る鈴奈の表情を見ていて、僕は無類の逞しさを感じていた。

 僕は早速、世奈真子の名前で鈴奈にメールを送信した。

「鈴奈ちゃん、元気ぃ~、あたしよ、マコ……」と、書いたものを届けた。

 僕も鈴奈も、それを何度も読み返して、クスクスと笑った。

「なかなか上手ね。今度からは、もっと自然体で書いてね」

「分かったよ。『僕は……』は禁句だよね」

 僕は、周囲に嘘をつくのに気の咎めを感じていた。

 鈴奈は「何も疚しいことをしていないのに、二人の仲を裂こうとする方に問題があるから気にしないでね」と、ケロッとした口調で、僕の心配を笑い飛ばした。

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