第11話 第十一講 野菜料理
土曜日は鈴奈と「神戸ワイナリー農業公園」に出かけた。
「母親の軽自動車を借りて、運転してきたの。あまり、運転したことがないけど、大丈夫かしら」と、僕の顔色を窺った。
「君の度胸には、いつも感心させられるよ」と、茶化したものの、鈴奈が運転するクルマの助手席に座った僕は、冷や冷やしながら見守った。
クルマの中は、芳香剤の爽やかな匂いが漂っていた。鈴奈の髪から、シャンプーの甘い香りが時折、鼻腔をくすぐり、二つの香りが、僕の淡い空想を掻き立てた。
農業公園には神田桔梗と、宮間茜が先に来て待っていた。二人とも鈴奈と同じ美少女チームのメンバーだ。僕の見立てでは、世界ランキング一位が春野鈴奈で、二位が神田桔梗、三位が宮間茜、四位が若き日のオードリー・ヘップバーンの順位になる。ヘップバーンは、DVDで見た「マイフェアレディ―」や「ローマの休日」の印象が、頭の中にある。
僕の高校の同級生は、妖精にも似たオードリー・ヘップバーンの存在すら知らない。鈴奈も「うーん、どうかなあ、名前なら聞いたことがある」と、期待外れの回答だった。
僕の目の前の三人は、最も魅力的だった頃のヘップバーンの魅力を凌駕していた。飽くまでも、僕の主観的判断によるもので、美術家の鑑定によるものではないが……。
公園の中には、中央に「神戸ワイン城」と呼ばれる建物があり、周辺にはブドウ園やバーベキュー場などの施設がある。ブドウ園の周辺を歩いた後、ワインの製造過程を見学した。中央広場付近には、熟成館、工場館、製品館が並び、窓越しに、仕込みから発酵、瓶詰まで見ることができた。
昼食は四人でバーベキューを楽しんだ。バーベキュー場には、四人席と六人席が用意されていた。僕らは四人席に腰かけた。従って、僕は人も羨む空間で食事ができた。神戸産の牛肉や朝採れたばかりの野菜やご飯を場内で買い求めて、自然に囲まれて、自ずと会話も弾んだ。
普段は無口な桔梗や茜も、教室で見る時と違い、饒舌に話していた。桔梗も茜も、神戸市内の女子大に通っていて、鈴奈よりも学年は一年上だった。二人とも二十歳なので、ワインを飲むのは違法ではないが、僕ら二人への遠慮なのか誰も飲みたいとは言い出さなかった。
「僕が二十歳になったら、鈴奈ちゃんと二人でここに来て、そのときはワインを飲みたいね」と、言葉にすると
「まあ、まあ……お熱いことで」と、茜が冷やかすと、桔梗も
「それって、ある意味プロポーズに聞こえるわよ」と、二人で声を合わせて笑い出した。
翌日、バイトの新聞配達を終えて、鈴奈と同じ電車で料理教室に向かった。鈴奈とは、この一週間の出来事を話した。先週バイトの途中で犯人逮捕に協力して、警察で褒められたことや、手痛い怪我をしたこと。昨日、四人で農業公園を探索し、楽しかったことも伝えた。
僕は、同年代の少女と会話していると「そうだね」「わかるわかる」「それって大変だよね」「今の話、気持ちが伝わってきたよ」と、ほぼ同調的に聞いている。そのため、女性から「一緒にいても、違和感がない」と指摘される。
華奢で弱気に見える――と、悪く評価されがちな僕が、悪漢退治に協力した話題は教室全体に広がり、彼女らの見る目が変化していた。皆、好意的だ。
※
先生は講義の最初に「フランスの政治家で美食家としても知られるブリア・サヴァランが著書の『美味礼賛』の中で、『新しいご馳走の発見は、人類の幸福にとって天体の発見以上のものである』と述べている。君たちは、料理を食べている時に幸福を感じたことはあるかな?」と、投げかけ「食事中に幸福を感じたことのない人?」と、挙手を促した。
当然のごとく、誰も手を上げなかった。
僕の頭の中では、美少女三人とバーベキューの席を囲んだ幸福感で満たされていた。何と麗しくも、楽しい時間だったのか……。僕は高校生にして、サラリーマンの諸氏が美形のホステスがいる場所に、何故……足しげく通うのか、心情的に理解できた。
僕が昨日の光景を思い浮かべて、窓の外を見ていると、長谷川さんが「永瀬君、先生の講義が始まっているわよ。ちゃんと、ノートとっているの?」と、耳打ちしてきた。
主婦の柿崎さんまで、僕の席の背もたれに、塵がついているのを見つけて、手で払ってくれた。
先生は、目の前の食材を手に取ると「野菜料理で、最も簡単なメニューはサラダだよ。草食動物の気分を味わってもらいたい」と伝えた。
「草食動物の気分が、本当に……、理解できるのですか?」僕が冷やかすと、先生は
「さあ、どうかな」と、首を傾げて見せた。
生徒は一斉に、どっと笑った。笑うと同時に生徒全員が先生ではなく、僕の顔を見ていた。
今日の最初のメニューは、ツナ卵サラダだ。
一.キュウリを小口切りにし、塩を振る。
二.レタスを食べやすい大きさにちぎる。
三.トマトを一口サイズに切る。
四.ゆで卵を一口サイズに切る。
五.タマネギをスライスする。
六.ツナの油を捨てる。
七.ボウルにキュウリ、レタス、トマト、ゆで卵、タマネギ、ツナ、マヨネーズを入れてゆっくりとかき混ぜる。
八.塩胡椒を振り、味を調える。
僕は、サラダは料理らしくないので、もっと手の込んだ料理を作ってみたかった。 隣の美少女チームは、美容と健康が気になるのか「サラダを作ってみたい」と、声に出して訴えていた。
「サラダは、野菜の管理とよく切れる包丁を使うこと。レタスは食べやすい大きさにちぎった後で、氷水にしばらく浸して脱水するとシャキシャキ感が増す。トマトは湯剥きで皮を剥いた方が、ドレッシングの味が馴染む」と、先生はポイントを教えた。
次のメニューは、野菜炒めだ。
一.ニンジンを短冊切りにする。
二.キャベツを一口サイズに切る。
三.ピーマンを1cm幅に切る。
四.豚バラ肉を一口サイズにスライスする。
五.ボウルにオイスターソース、鶏がらスープの素、酒、醤油、みりん、胡椒、片栗粉を混ぜ合わせる。
六.豚バラ肉に薄力粉をまぶす。
七.フライパンを中火で熱し、豚バラ肉を入れて炒める。
八.豚肉の色が変化したら、塩胡椒を振り、さっと炒めて、いったん取り出す。
九.同じフライパンでニンジンを炒める。
十.ニンジンに火が通ったら、キャベツとモヤシを入れて炒める。
十一.味見をして、味を調えて、最後に胡麻油を加えて出来上がり。
「野菜炒めは、下手な切り方をすると水っぽくなる。そこで、野菜を切る時は、包丁の先を使って優しく切ることだ。力づくで切ると、野菜の内部の水分が出て不味くなる」と、先生は伝えた。
ロールキャベツは、キャベツをはがす手間から調理が始まる。
一.キャベツはそのまま剥がすと割れるので、ラップをして丸ごとレンジで加熱する。600Wで五分間が目安だ。
二.加熱した後は、ラップを外し包丁の先で芯をくり抜く。
三.キャベツの一番外側の葉から、剥がしていく。
四.タマネギをみじん切りにする。
五.ニンジンをみじん切りにする。
六.鍋にお湯を沸かし、塩を入れる。
七.キャベツを鍋の中に入れて、箸で軽く押さえながら二分間茹でる。
八.ボウルの中に、豚のひき肉と、みじん切りしたタマネギとニンジンを入れる。
九.ボウルに、パン粉、牛乳、塩、胡椒を適量入れて、粘り気が出るまで手でこねる。
十.下茹でしたキャベツを広げて、丸めた肉種を載せる。
十一.キャベツの芯の部分から、横の葉を折りたたみながら、強めに巻いていく。
十二.巻き終わると、煮崩れの予防に爪楊枝を端から差して、しっかりと固定する。
「ロールキャベツは、肉種をジューシーに仕上げよう。冷蔵庫から出したひき肉は、手でこねる時に、粒が潰れて白っぽくなり粘りを出しておくことだ」と、先生はまとめた。
きんぴら牛蒡と蒟蒻炒めは、ゴボウのささがきから始める。
一.ゴボウを洗い、ささがきにする。
二.ニンジンを細切りにする。
三.蒟蒻を細切りにする。
四.フライパンに胡麻油を入れて熱し、切ったゴボウ、ニンジン、蒟蒻を加えて三分間炒める。
五.砂糖とみりんを入れて一分間煮る。
六.蓋をして、醤油と酒を加えて十分間煮る。
七.蓋を取り、水分を飛ばす。
八.胡麻と七味唐辛子をかけて完成。
先生は「きんぴら牛蒡やニンジンは、皮の部分に旨味成分が多いので皮は剥かない方が良い」と、指導していた。
今回は、チームごとに違う料理を作り、バイキング方式で食べる。先生は、生徒の意見を聞き入れ、美少女チームにはツナ卵サラダ、僕のチームには野菜炒めを作らせてくれた。
昼食が終わり、いつもは鈴奈と二人で帰るが、今日は途中まで桔梗や茜と並んで歩いた。
帰宅後、テキストを読み返し、明日のお弁当のおかずにする予定のきんぴら牛蒡の調理方法を思い出した。冷蔵庫の野菜室を見たが、ニンジンはあるが、ゴボウと蒟蒻が見当たらない。そこで、近所のスーパーマーケットに出かけた。
ゴボウを選ぶ基準は、泥付きのものが新鮮で、太さは均等に近い物で、尚且つひげ根が少なく、硬い物が良品だ。ゴボウは適当なものを選べたものの、蒟蒻を選ぶ基準が分からない。僕はスマホで、鈴奈に尋ねてみた。
電話の向こうの鈴奈は、考えあぐねている様子だ。
「テキストにも記述がないし、先生も蒟蒻の選び方は、何も言っていなかった。参考にならないかも知れないけど、私なら蒟蒻原料が100%国産のものを選ぶわ」と、申し訳なさそうに答えた。
「ありがとう。すごく、参考になったよ」
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