第6話 第六講 調味料の使い方

 衛生管理の講義で、5S「整理、整頓、清掃、清潔、躾」を学習したが、調味料の5Sというと「さ=砂糖、し=塩、す=酢、せ=醤油、そ=味噌」だ。

「先ずは、砂糖だ。砂糖と言っても、何種類もある。誰か諳んじて言える人はいないかな?」

 先生の質問に誰も、手を上げようとしない。

「永瀬君、君は知っているか?」

「いえ、何のことやら……。例えば、角砂糖、金平糖みたいな答えでもOKですか?」

「それは、製品名だ。よく使われる砂糖の代表的なものが、上白糖、グラニュー糖、三温糖だ。日本で最もよく使われるのが上白糖で、原料糖を洗浄・濃縮・濾過などの工程を経て結晶化した製品だ。これに転化糖を加えて完成だ。グラニュー糖は、基本の原材料や製法は、同じだが上白糖と異なるのは、転化糖を加えないことだね」

「代表的な砂糖が三種類ということは、他にも何種類もあるのですか?」

「黒糖やてんさい糖、粉砂糖などもあるが、今回は上白糖、グラニュー糖、三温糖の三種類について説明したい。テキストにも載せておいた」

 テキストを開くと、上白糖は料理にオールマイティーに使え、グラニュー糖はコーヒー、紅茶や菓子作りに向いていると書かれている。三温糖の記述を読もうとしたら……、先生が

「さっき、言いそびれたが、三温糖は精製した糖蜜を何度も加熱してカラメル化して作られる砂糖だ」と、補足した。

 テキストには、三温糖は煮物や照り焼きに用いると記述されていた。

「砂糖と塩の両方の調味料を使う場合、どちらを先に入れるか知っているかな?」と、先生は教室を見回し「砂糖だと思う人」と、投げかけた。

 三十五人の生徒の八割に当たる二十八人が手を上げた。

 先生は「塩だと思う人」と問うと、六人が手を上げた。「分からない人」に対して、一人が手を上げた。

「分からない人」は、実は……、僕だ。先生に聞かれ「正直言って、どっちが先でも同じだと思います」と答えた。

「砂糖を先に入れて、その次に塩を入れる。調味料を入れるタイミングで、料理の味はまったく違うものになる。これは鉄則だね」と、先生は正解を教えた。

 肝心の砂糖を先に入れるのは、砂糖の分子が他の調味料の分子よりも大きいため、食材に浸透しにくいのが原因している。逆に、塩は食材の内部に浸透するのが早く、水分を吸着し甘味を引き締める効果がある。

 塩は、大別すると三種類ある。テキストの記述では、岩塩、天日塩、せんごう塩だ。

 岩塩=輸入物で、地中深くから掘り出した塩。

 天日塩=輸入物で、塩田で海水を蒸発させて作った塩。

 せんごう塩=釜で炊いて作った塩。日本国内では岩塩がなく、雨が多いため天日塩も作れない。国産品はすべて、せんごう塩。日本で海水から作られる塩は、膜濃縮せんごう塩(海水を膜透析で濃縮して煮詰めた塩)である。

「塩は生命維持に欠かせないが、摂取量を間違えると健康を害する。WHOは、一日の摂取量の目安を一日当たり5g、厚生労働省は男性で8g、女性で7gとしている」と、先生は話すと、一息つきペットボトルの水を飲んだ。

 一般的な塩の使い方として、一.隠し味、二.ふり塩、三.色止めの塩、四.化粧塩がある。

 隠し味=食材本来の味を活かす使い方。

 ふり塩=塩を振ることで、食材の水分を引き出してしんなりさせる使い方。

 色止め塩=野菜や果物を切った後で、切り口が茶色く変色するのに用いる方法。塩は食塩水にして、野菜や果物を漬けておく。酸化防止にもなる。

 化粧塩=姿焼きの魚を焼くときに、塩をまぶすことで鰭が焦げないように使う方法。

 先生は、教室を見渡し生徒の様子を見て「ここまでの講義で何か不明な点はないかな?」と、問いかけた。

 教室では、先生の次の言葉を待つように、生徒たちは押し黙っていた。先生は、お酢の使い方を話し始めた。

「お酢は大別すると、どんなものがあるかな? テキストを開かないで、誰か答えてくれ」

 先生が言い終わると同時に、鈴奈が手を上げた。

「お酢は大きく分けると農産物やはちみつ、アルコールなどを原料とした醸造酢と、氷酢酸や酢酸を水で希釈し、砂糖、塩、酸味料などを加えた合成酢があります。一般家庭では、醸造酢が用いられます」

「君は、利口過ぎるな。というか……、わしの質問の仕方が悪かった。言い方を変えよう。醸造酢の種類はどうだろう? 答えられるかな?」

「ええ、分かります。醸造酢を大別すると、穀物酢と果実酢があります。穀物酢は、米酢、米黒酢、大麦黒酢の三種類。果実酢は、りんご酢、ぶどう酢の二種類です」

「よく覚えているね。見事な答えだよ。今、春野さんが答えてくれたのは、テキストにも記載しているが、農林水産省『食酢品質表示基準』に基づく」

 先生に褒められて、鈴奈は目を伏せてちょこんと頭を下げた。僕の観察結果では、利口な生徒がよくする仕草だ。

 実際の食酢の使い方は、味付けの他に、飲料、調理、殺菌、減塩、血行改善に役立つ。先生はテキストの該当ページを開き「一つ一つ説明しよう」と、予告した。

テキストの味付けの欄には、穀物酢と果実酢の用例が記載されている。

穀物酢=キュウリもみ、カルパッチョ、南蛮漬け、らっきょう、ところてん、他。

果実酢=飲料用、サラダ、酢豚、ドレッシング、他。

「食酢は、調理や殺菌にも使える。どんな風に使うかな? 誰か分かる人」

「私の実家の母が、よく魚を焼くときに焼き網にお酢を塗り付けていました。そのことでしょうか?」と、柿崎さんが手を小さく上げながら答えた。

「正解だ。何故そうするか分かるかな?」

「それは、魚や肉を網で焼くときに、くっつくのを防ぐためですね」

「そうだね。高熱で、魚や肉のタンパク質が反応し、熱凝着という現象を起こす。それを防ぐ、生活の知恵だ。柿崎さんのお母さんは、それを知っていた」

 先生は「他には、ないか?」と、挙手を促したが、今度は誰も答えなかった。

「食酢の殺菌効果だが、これを利用して、食器やまな板、調理器具にスプレーしておくと食中毒予防になる」

 生徒たちは、名調子に感心したように演題に立つ先生の姿を見ている者、講義内容を細大漏らさずにノートに書き留めようとする者に分かれたため、室内は騒がしくなかったが、不思議な活気が漂っていた。

「一番大事な……、食酢の健康効果だが」と前置きし、先生は一つ「コホン」と小さな咳をした。視線を走らせ、生徒の様子を見ている様子だ。ノートにペンを走らせる生徒が手を止めるのを目視で確認すると――

「それは、先程告げた通り、減塩と血行改善による効果だ。減塩は醤油を二杯酢に代えて使うことで、高血圧症や腎臓疾患などにつながる塩分の摂りすぎを抑制できる。血行改善は、食酢のクエン酸による代謝の促進や血液さらさら効果によるもの……」と、説明した。

 今回の講義も、前回と同様に調理台や調理器具のある教室が使われているので、最後に実習があり、昼食後の帰宅になる予定だ。今のところ座学なので、僕は、早く実習が始まらないかと、待ちどおしかった。

 先生に指図され、テキストの醤油のページを開いた。醤油の代表的な物は、日本農林規格(JAS)によって五種類に分類されている。

 濃口醤油(こいくち)=醤油の全国出荷量84%の定番醤油。塩分濃度も色合いも中間に位置する。卓上用、調理用の両面で使える万能醤油。

 淡口醤油(うすくち)=醤油の全国出荷量13%の関西生まれの醤油。色合いは薄いが、塩分濃度は濃口醤油よりも高めである。

 溜醤油(たまり)=中部地方で製造される醤油。濃い色の醤油で、トロ味と濃厚な旨味が特徴である。

 再仕込み醤油(さいしこみ)=一般の醤油の製法では、醤油麹に食塩水を混ぜて熟成させるのに対して、再仕込み醤油は、食塩水の代わりに醤油を使って熟成させる。濃厚な味わいが特徴である。

 白醤油(しろ)=淡口醤油より色合いが薄い琥珀色の醤油。味は淡白で甘味が強いのが特徴である。

「それぞれの醤油の特徴を活かすのがポイントだね」と、板書しながら生徒の様子を確かめると、先生は「煮物で醤油を使うには、香りを活かすため、タイミングが大事になる。醤油をグツグツと煮込むと、香りが飛んでしまう。醤油は、後から入れるのがコツだ」と教えた。

 調味料の講義のラストバッターは味噌だ。味噌の種類は麹、味、色合いで分類できる。先生が示すテキストのページでは、麹による分類は、米味噌、麦味噌、豆味噌、調合味噌の四種類だ。国内生産の八割が米味噌である。

 米味噌=米麹を使用して製造した味噌で、甘いものから辛いものまで様々。色合いも白いものから赤いものまで様々にある。味にくせがなく、どんな料理にも合わせやすい。

 麦味噌=麦麹を使用して製造した味噌で、色合いは、愛媛産は淡色、関東産は赤褐色。甘味が強く香り豊かな特徴を持つ。

 豆味噌=豆麹を使用して製造した味噌で、色合いは赤味噌(黒に近い茶色)である。長期間熟成するため、水分が少なく硬めで辛口の味が特徴となっている。

 調合味噌=二種類以上の味噌を合わせることで味にコクがある。ちなみに、豆味噌と米味噌を調合したものを「赤だし味噌」と呼んでいる。

 味による分類は、甘口、辛口。色による分類は、白味噌、赤味噌、淡味噌の三種類になる。

「味噌汁をつくる時のタイミングは、コンブでだしを作り、豆腐やワカメなどの具材を入れて、煮立たせた後、一度火を止めて、おたまで溶いた味噌を入れると良い。その後、ネギを入れると完成だ」と、先生は伝えた。

 先生は、ここまでの講義で何か疑問に思う点がないか――、生徒に尋ねてくれたが、今回は誰も手を上げなかった。

「調味料を使うための呪文の言葉は『さ=砂糖、し=塩、す=酢、せ=醤油、そ=味噌』だ。これは、調味料を加える順番でもある」と、先生はアンテナペンを短くし、テキストをポンポンと軽く叩いた。

 アシスタントの福島さんが、教室に来て調理実習の準備をして、先生の斜め後ろで見守っている。

先生は「色々、検討した結果だが……」と、言った後で「調味料をすべて使う料理は、見当たらないので『豚肉の味噌焼き』にチャレンジしてもらう」と、指図した。

テキストに記載がないので、「豚肉の味噌焼き」のレシピが書かれたプリントが配布された。材料は、豚ロース、キャベツ、味噌、酒、味醂、砂糖、塩、胡椒、サラダ油だ。

 今回の実習は、調味料がテーマだが、前回で習った技術を生かしキャベツを刻み、豚ロースも適当な大きさに揃えた。まだ、身体が自然と包丁を動かし、気が付けば綺麗に切り分けるという水準には程遠く、生徒の大半は悪戦苦闘している。

 最大の山場は、味付けである。味噌、酒、味醂、砂糖を混ぜて味噌だれを作る。ボウルに入れて、混ぜる順番が分からない。前回で習ったのは、調味料の「さ・し・す・せ・そ」であって、それ以外の使い方は学んでいない。

「先生、酒と味醂と胡椒とサラダ油を投入する順番が分かりません」と、僕は思い切って質問した。

「ああ、そうだったな。味噌だれには、砂糖、酒、みりんを先に入れる。味噌が最後だ。何故かと言うと、砂糖や酒は素材を柔らかくする。本みりんも同様だ。ただし、本みりんではなく、みりん風調味料を使う場合は、照りやコクをつけるために最後に入れる」と、指示してくれた。

「あと、胡椒とサラダ油は、いつ使うのでしょう?」

「今回の作業は、二つある。一つは味噌だれ作り、もう一つは豚肉を炒めることだ。胡椒とサラダ油は豚肉を炒めるのに使う。そう、先を急がないでくれ。手順は、これから説明するよ」

 先生は、味噌だれを作り終えると、豚肉を炒めるように命じ、手本を見せた。生徒は大スクリーンに映し出される先生の動きを見ながら真似た。

 豚ロースには、塩・胡椒を振り、フライパンに油を引き熱した。焼き色が付いたら味噌だれを塗り、裏返し同様に焼き、たれを絡める。千切りキャベツの上に、豚肉を乗せれば出来上がりだ。

 今回も教室で、ご飯のおかずとして食べた。福島さんが、別途用意した味噌汁とお茶を並べてくれた。僕はご飯のお代わりをして、満腹になった。

 帰る途中で、鈴奈と一緒に三宮センター街の書店に立ち寄った。僕も鈴奈も読書傾向は似ていて、東西の純文学、推理小説、ライトノベル、漫画まで幅広く読んでいて、話題が弾んだ。唯一、漫画に関しては、僕は少女漫画を読まず、鈴奈は少年漫画を読まない点が違う。

 僕は、今まで何度も、勉強部屋の机の上に置いたままの料理本を手に取り眺めていた。他の本と違い、読むだけですんなりと知識が入っては来なかった。

 鈴奈は、僕の非効率な学習方法と違い、教室で受け取ったテキストを軸にして、分かりにくい個所に関しては、ネット動画を活用し調べていた。鈴奈は「勉強は……、拡散志向よりも、選択と集中が大事なのよ」と、教えてくれた。

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