第28話 在りし日の憧れ


 雷の音に震え続ける那月を宥めながらベッドで過ごしていたが、夕食前になると雨風は変わらずだが雷の方は次第に止みつつあった。

 元々はお昼寝をする予定だったが、雷が鳴ったままでは那月が安心して眠れるはずもなく、ほぼ抱き合っているのと変わらないほど密着した状態のまま気を紛らわすように話をしていると、


「……なんだか、こうしていると昔のことを思い出しますね」


 しみじみとした調子で呟いていた。


「そういえば似たようなことがあったな。六歳くらいの頃か?」

「多分そのくらいですね。今日みたいに雷が怖くて泣いていた私の隣に、あのときの紅もずっといてくれました」

「違うのは今日の那月は雷で泣いてないってことくらいか」

「……高校生ですから雷では泣きませんよ」

「引っ付いたまま言われても説得力がなあ……」


 半眼のまま指摘すると、気まずくなったのか視線だけを逸らしていく。

 でも手は繋いだままだし、身体も離さないのであまり意味はないと思う。


「にしても、懐かしいな。俺が那月に引きずられてたあたりか」

「引きずってはいません。……いません、よね?」

「わからん。ただ、部屋から連れだされて遊びに付き合ってた覚えがある」

「だって……家に来たばかりの紅は、なんだか寂しそうでしたから」


 俺の両親が事故で死んで、舞咲家に引き取られたのは三歳の頃だ。

 両親が死んだことすらちゃんと理解できていなかったと思うけど、何日も顔を合わせない日が続けば寂しさは感じてしまう。


 そんな俺の心境を同い年だった那月は見抜いたのか、毎日のように部屋に訪れて遊びに誘いに来た。


 初めは困惑した。

 俺は引っ込み思案な子どもだったから溌溂はつらつとしていた那月に合わせることも難しく、外に出ようと誘う手を取ろうとはしなかった。


 だが、断わられても諦めようとせず、ずっと隣にいてくれた。

 特に会話をするでもなく、一緒に遊ぶでもない。

 同じ空間にいるだけの関係だったけど、その空気感はとても居心地がいいものだった。


 毎日のように部屋に来て一緒にいるだけの那月に、俺は何かを感じたのだろう。

 ある日、俺を誘いに来た那月に「いいよ」と答えて、初めて二人で外に出た。


 久しぶりに出た外に降り注ぐ太陽の光は眩しく、空気は爽やかで――ぱっと、閉じかけていた世界が広がっていくような感覚があった。


 頑なだった俺を連れ出したのは那月の根気がもたらした勝利で、人生においても一つの大きな転換点になっている。


「俺さ、那月に連れ出されていなかったらどうなっていたんだろうな……って今でも考えるんだ。舞咲の環境は足りない物がないくらい充実してる。多分、それに甘んじて自堕落に過ごし、意味もなく日々を消化して――人生がつまらないものだと思っていたんじゃないかなって思う」

「もしもの話、というやつですね。ですが……そんな心配をしなくても、紅は立派に生きていたと思いますよ」

「なんでだ?」

「こんなにも誰か――私のために一生懸命になれる精神の持ち主なら、自分がやりたいことを見つけて走り続ける姿が目に浮かびます」


 静かな声音。

 背に回されていた那月の左手が、今度は頬に優しく添えられる。

 繊細な指の感覚に持っていかれかけた意識を、今度は微笑みながら見上げた緋色の瞳が繋ぎ止めた。


 確固たる信頼を湛えた眼差しに、少しだけ、どうしていいかわからなくなる。


「私が知っている紅は、とてもかっこいい人です。努力を惜しまず、愚直に前に進み続け、誰かをおもんばかることのできる優しさも持ち合わせています」

「買い被りすぎだな。俺はそんな殊勝な志で生きている人間じゃない」

「少なくとも、一番紅の近くにいる私からはそう見えますよ? 紅がどう思っているかは関係なく客観的な視点からの評価ですから、否定したくなる気持ちもわかりますが」

「……多分さ、この生き方は那月の傍にいられたから出来ているものなんだよ。いつも模範的で圧倒的に輝いていた見本が近くにあるんだ。憧れない方がおかしい」


 子どもの頃の俺は、そういう那月の姿に心を動かされたのだろう。


 諦めない心も、努力を惜しまない精神性も、誰かを気に掛ける優しさも――全て那月から学んできたことだ。

 そして、那月が吸血鬼として目覚め、壊れたかに見えた日常を取り戻すために、自然と自分も同じようなことをしていただけ。


 与えられたものを返したい。

 幼き頃の俺を救ってくれた那月を、今度は俺が救う番なんだ、と。


 憧れを憧れで終わらせないため――ただそれだけの想いで、ここまで来た。


「……私に、憧れていた?」

「今でこそ言えるけど、当時は必死だったんだろうな。変わった環境に適応しようとしたけど自分にそんな力はなくて。でも、生きていくにはいずれ変わる必要がある。そこに颯爽と現れて狭い世界から連れ出してくれた那月は……言うなら物語のヒーローみたいなものだった、気がする」

「確かに、そう言われると憧れても不思議ではない……のでしょうか」

「それだけじゃないんだろうけどさ。那月と一緒にいたら元気を貰えた。勇気が湧いた。明日が楽しみになった。何気ない積み重ねで……気づけば、那月のことを目で追っていた」


 きっと、それが始まり。


 神奈森紅という人間が、舞咲那月の背中を追うことになったスタートライン。


「好きになったんですか?」

「……さあな。間違いなく友達としての好きは合ったんだろうけど、異性としてのそれに繋がるかは怪しくないか? 小学生になる前だぞ?」

「それもそうですね。――では、今は? 私のこと、ちゃんと異性として好きですか?」


 僅かに口元を緩めながら聞いてくる。

 答えなんてわかりきっているだろうに、それを俺の口から言わせようとしているのだから那月も意地が悪い。


 どう答えたものかと思ったけど……誤魔化す必要もないか。


「当たり前だろ? 大好きだよ。そうでなきゃ、いくら昌磨さんが決めた許嫁の話だとしても断ってる」

「っ!」

「それだけじゃない。毎日新しい那月の一面を知れて、余計に好きになった」


 至極真面目に答えれば、那月は顔を真っ赤にして固まった。

 自分から言えと言っておいてそれはどうなんだろうかと思わないでもないけど、そういうところも可愛いのでついついからかってしまうのは悪い癖か。


 俺も自分の気持ちを表に出したことによる気恥ずかしさからか身体が熱くなった。

 溢れた感情に突き動かされるように右手で那月の頭をそっと撫でてみれば――はっと目を見開いて硬直から那月が復活する。


「……………………ちなみに、どういうところを見て好きになったんですか?」

「そうだなあ……苦手なことでも努力を続けて、失敗を糧に前に進み、誰かのために行動できる優しさとか、かな」

「それ、私が紅に言ったことの言い回しを変えているだけじゃないですか」

「自分のことは自分じゃ案外よくわからないものだろ? 長年一緒にいたからか、根っこの部分も似てきてるんだろうな」


 どちらかと言えば俺が那月に寄っている、だろうか。


 先にその在り方を示してくれたのは那月だ。


「もちろん、一人の人間としても好きだな」

「……今日はどうしたんですか? いつもははぐらかそうとするのに、ちゃんと好きって言うなんて」

「雷に怯えて元気をなくしていた誰かさんのためなら……まあ、いいかと思って。減るものじゃないし。賢い那月のことだから許嫁の件を承諾しようとしないのは好き嫌いの問題じゃないともわかってるはずだから」


 許嫁の方は、あくまで俺個人の心情的な理由だ。

 那月も昌磨さんも悪くない。


「……やっぱりそうだったんですね」

「そっちは少し待っててくれ、としか言いようがないな。それと……那月の様子がおかしい気がしてさ。多分、本邸に戻ってきた日から。星良さんと何か話したのか?」

「…………それは、もうちょっとだけ考えさせてください。いずれ話します。紅には知る権利がある。一個人の感情で留めておくことは難しい内容なので」


 伏せた目元。

 自罰的な雰囲気を感じるも、那月の思考を読むことなど不可能だ。


 だったら追及や負担をかけるような真似はしない方がいいだろう。


「その気になったら言ってくれ。今すぐどうこうって話じゃないんだろ?」

「恐らくは。ですが、一つだけ先に伝えておくと……紅は一切悪くないです。私が解決できれば済む問題ですから」

「俺が言うのもなんだけど、あんまり一人で抱え込まないでくれよ。那月は真面目過ぎて色々考えすぎる。傍にいる人くらい頼って欲しい」

「……そう、ですね。どうしようもなくなってしまったときは胸を貸して弱音を吐かせてください。相当にみっともない姿を見せてしまう気がしますけど」

「それで嫌いになるような仲じゃないから安心してくれ。泣いて喚いて収まるならそれに越したことはない」


 だって――限界を超えて壊れてしまったら、泣くことすらままならないのだから。

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