第31話 嫉妬と独占欲
那月が朝の挨拶を始めてから数日。
初めは遠慮しがちだったクラスメイトもその光景に慣れてきたのか普通に挨拶を返してくれるようになり、授業などの合間の時間には那月の周りに人が集まって和気藹々と話すようになっていた。
たった数日、されど数日。
那月は挨拶という一つの起点から、この短い時間で接点の少なかったクラスメイトと打ち解けてしまっっている。
「眠れる獅子が目を覚ましたってとこか? ありゃすげえな……天性のカリスマだよ。人を集めて離さない魅力ってやつ? どうしてあんなことがすぐできるのに一年近くぼっちだったのか理解できん」
肩を竦めながらそう語るのは那月の方を横目で盗み見ている治孝だ。
今も那月の周りには数人の生徒が輪を作っているが、その外側にいる人の大半が那月の方へと興味関心を寄せているのが視線から読み取れる。
元より、那月が人目を引くことなんてわかっていた。
容姿が優れていることもそうだが、お嬢様として育てられた那月は一挙手一投足が美しく、そこにいるだけで目を奪われるような魅力が溢れている。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花――そんなことわざが似合う少女。
これまでは周囲を遠ざけるような態度を取っていたが、それが失われて友好的なことを行動で示すようになったと知ればこの通り。
入学時から積み重ねられた評価はすっかり一変してしまっていた。
「……それには本当に同感だ。あ、本人にはぼっちとか言うなよ? 前にその噂を耳にした那月がすごい凹んでたから」
「知らなかった。気をつけとくわ。でもまあ……あの様子なら、もう心配はいらねーんじゃねーの?」
「どうだろうな。本人的にもこういうのは初めての経験だからな。どっかしらで躓く可能性もまだある。コミュ力自体が劇的に変わったわけじゃない。ただ、自分から動こうとした結果なんだ」
「あれでコミュ力がないは嘘だろ」
「じゃあなんで友達がいなかったと思う?」
「……悪ぃ」
治孝も理由に気づいてしまったのだろう。
正確にはコミュニケーションを取るほどの相手がいなかった、が正しい気もするが、結果を見たらどちらにしろ変わらない。
那月が聞いたら半泣きになりそうではあるけど。
でも……なんだろう、この気持ちは。
那月の考えが上手くいって喜ばしいのはその通りだし、ああして楽しそうに笑っている姿を学校で見せてくれていることには長らく付き合ってきた身として感動すら覚える。
その一方で、言葉にしようのないもやもやとした感情が少しずつ積もっていくのを自覚していた。
「でもよ、紅的には寂しくなるんじゃねーか? 舞咲に友達が出来たら、独り占めってわけにもいかないだろ。昼は他の友達と食べたり、放課後に離れて遊びに行くかもしれない。そのへんはどうなのよ」
そんな俺の心を見透かしたかのように治孝が問いを投げてくる。
胸に染みるような言葉に対して、明確に答えを出そうと思考を巡らせ――見ないふりをしていた感情に気づいてしまう。
一つではなく、二つ。
この感情には明確な名前がある。
とびきり強く、厄介で、自分ではどうしようもなく、求めれば求めるほど強まってしまうような――そういう感情。
嫉妬と独占欲だ。
内心で俺は那月の魅力に惹かれて近づいてきたクラスメイトに嫉妬していて、そんな那月を誰にも渡さず自分だけのものにしたいと思っていたのだ。
言語化してしまえばなんてことのない、誰にでもあるような欲望で。
那月の幸せを願うのであれば、捨て去らなければならない醜い感情だった。
「……そうだな。那月の魅力をみんなが知ってくれて嬉しいって気持ちはある。その過程で友達が出来て、遊びに行くのを止める権利は俺にはない」
「随分と他人事みたいに言うんだな」
「舞咲で働いていて那月と近しいのは理解してるけど、束縛するのは違うからな。那月だって自由なんだ。求められれば助けの手は差し伸べるつもりでいたけど……それも必要なさそうだし」
だって、俺がいなくても、那月はあんなに笑えている。
一年かかってしまったけど、楽しい学校生活を送れている。
そのことを喜んでも、悲しみや怒りを覚えることは絶対にない。
――それはそれとして、自分じゃない誰かと那月が笑っていることは……正直嫌かもしれない。
嫌、という表現が正しいのかもわからないけど、それ以上にこの不透明極まる感情を指し示す言葉が思い当たらなかった。
同性の……女の子の友達となら全然理解は出来るのだが、男友達と一緒にってなると途端に『嫌だな』って感じがして、気分が悪くなる。
いつも那月の隣にいたのは自分なのに、なんて考えてしまう自分の浅ましい欲を自覚してしまい、今すぐに消えたくなる衝動に駆られてしまう。
そうしないのは長年積み重ねてきた意地と、那月への想いを捨てきれないからだ。
俺には誰にも代わることのできない役目がある。
最後の希望に、俺は縋っていた。
そこで、ふと、違和感を覚えることがあった。
ここ最近、那月に吸血されていないのだ。
俺の記憶が正しければ最後の吸血はGWに入る直前――つまり、もう十日くらいは間が空いている。
一週間と持たずに吸血を強請っていたはずなのに、だ。
頭の中で歯車が軋む音がする。
そういうときもあると言われれば納得するしかないことだけど……少し注意しておいた方がいいか。
俺と二人の時ならまだしも、周囲の目がある状態で吸血衝動に見舞われたら隠すのも鎮めるのも面倒になる。
「とかいいつつ、すげぇ顔してるぞ? 突然別れ話を切り出されて了承したものの、未練たらたらで別れた男の顔だ」
「……そんな顔はしてない」
「じゃあ心がそうなってる。いずれ顔もそうなる。いいか? よく聞け。お前には舞咲との間に、他にはないアドバンテージがある。それはなんだ?」
「……仕事の付き合いがあること」
「違う。そうじゃない。もっとあるだろ? 単純なのがさ」
単純はお前だろ――と言いかけたが寸でのところで呑み込んだ。
本当に言いたかったことは理解している。
治孝は俺と那月が許嫁であることを知らないはずだが、互いに好意を寄せていることはお見通しなのだろう。
婉曲的な言い方をしてきたのは不用意に話を広げないための配慮。
「……治孝はその気遣いが女の子にも出来たら彼女ができるんじゃないのか?」
「それは俺の方が聞きてぇよ!?」
切実な叫びを聞きつつも、俺にはどうすることもできなさそうなので思考を中断。
会話の隙を見て横目で那月へ視線を送る。
群がるような生徒の隙間から目にした那月の表情はちょっとだけ必死で、でもそれを超えるくらいに楽しそうな雰囲気を湛えていて――ちらりと、同じように隙間から視線が投げ返された。
まるで「ちゃんとここにいますよ」とアピールでもするように一瞬だけ緩い笑みを浮かべると、すぐに会話に戻っていく。
喉の奥に砂糖を流し込まれたかのような甘さと、むずがゆい感覚を味わうことになって、表情を繕うので精いっぱいだった。
こんなにも想われていることを再認識させられたら、疑うのが馬鹿らしくなってしまう。
そんな中で周囲のひそひそとした会話が耳に入って。
「――なんか舞咲、ちょっと前から一段と可愛くなったっていうか……すげー親しみやすくなったよな」
「わかる。前のお嬢様って感じの舞咲も好きだったけど、今のはもっとヤバい。手の届かないはずのアイドルが身近にいるようなもんだろ? マジで好きになりそう」
「俺、告ってみようかな」
「お前みたいなのが相手にされるわけないだろ」
なんて会話が不意打ち気味に聞こえてくる。
彼らがどこまで本気なのかはわからないけど……やっぱり、そういう風に見えているんだな。
これまでの那月に表立って接触してくる人は少なかったが、それでも告白自体は数えきれないほどに受けてきて、その全てを断わっている。
それを知っていても告白してみようと考える人が出てくるのは、今の良い方向に変わった那月を見れば納得できた。
「紅も早いとこ正直になっちまえよ。それで終わる話だろ?」
「こっちにはこっちの事情があるんだよ。そのうちどうにかする」
それだけ伝えて話を終わらせてすぐにHR開始のチャイムが鳴る。
席に戻っていく生徒で誤魔化すようにしながら那月を視界の端に映して眺めていると、またしても目が合ってしまい、謎の気まずさを感じて目を逸らした。
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