第30話 自分で優しいって言ってる人ほど疑わしいものってありませんよね


 GW残りの一日は家でゆっくりと過ごして、翌日。

 久しぶりに制服に袖を通して登校している間も那月は有言実行をしようと考えていたのか、表情に緊張の色が窺えた。


 教室の扉の前にまで来た那月は一度深呼吸をしてから扉を開き、教室へ入っていく。


 そして、扉の近くにいた女子生徒へ、


「――おはようございます、三波さん」


 淀みなく澄んだ声と笑顔で挨拶をした。


 ざわつく教室、視線が一気に那月へと集まる。

 挨拶をされた側の女子生徒も自分が何を言われたのか初めは理解が追いついていない様子だったが、ただの挨拶だったことに気づくと「おはよう」とぎこちなくではあるが返してくれた。


 それからも那月は自分の席につくまでに何人かに挨拶をして、突然のことに戸惑うクラスメイトから挨拶を返され――というのを何度か繰り返し、やっと席に腰を落ち着ける。

 変わらずクラスメイトからの視線が集中しているが、負の感情は少なくとも感じられない。

 精々が「どうしたんだろう」という興味関心と困惑の入り混じったものだ。


 那月もそれに気づいているのだろう。

 一度、席に座りながら楚々とした笑顔を浮かべて教室をぐるりと見渡した。

 自分は敵ではありませんよ、とアピールをするように。


 初めてなのに大した度胸だな、と思いながら俺も自分の席に着くと、早速駆け寄ってくる足音があった。


「……おいおい。こりゃあどういうことだ?」


 動揺を隠すことなく伝えてくるのは治孝だ。

 話題の種はやはりというべきか、那月が挨拶をしていたことらしい。


「別に挨拶くらいするだろ。前もされたら返すくらいのことはしてた」

「そうだけどよぉ……今日は自分から、しかもあんな笑顔だぜ? 何かあったんじゃないかって勘繰るのは当然ってもんだろ」

「本人の中で心変わりがあったんだろうな。やっぱり戸惑うか?」

「そりゃあな。でもまあ、いいんじゃねーの? あんな超絶美少女が朝から笑顔で挨拶してくれるなら嫌な気分になる奴はいないだろ。てか俺にもして欲しい」


 いいなあ、と視線を送る治孝に気づいたのか、那月はこっちに向かってにっこりと微笑みを投げてくる。

 うっ、と治孝は顔を後ろに逸らしながら手で押さえていた。


「……やべえわ、アレ。被害者の会が続出するぞ」

「変な集団を作ろうとするな」

「ちなみに舞咲ファンクラブはもうあるんだよな」

「なんだその明らかに不穏な名前の集団は」

「文字通りのファンクラブだよ。イエス舞咲ノータッチが標語の安心安全なファンクラブだ。俺は一応副会長をやってる」

「那月に手を出そうとかは考えないって言ってなかったか?」

「手を出すつもりはないぜ? 火傷するのは勘弁だ。そも、お前らの間に割って入れるようなやつはなかなかいねえよ。実際そうだろ? 紅も舞咲も、告白全部ぶった切ってるんだから」


 なんで俺たちの告白への返答を治孝は知ってるんだ?


 下手なストーカーより怖いぞこいつ。

 ちょっと付き合い方を考えた方がいいのかもしれない。


 それはそれとして、那月が人目を引く存在なのはわかっていた。

 優れた容姿に惹かれて告白を受けていることも、その全てを断わっていることも知っている。


 理由に思い当たる節がある身としては、那月の意思を意識せざるをえない。


 適当なところで自分の悩みに見切りをつけてしまえば楽になるのはわかっている。

 本当にその道を選ぶのなら、迷いは残しておきたくなかった。


「舞咲がアレを続けるんなら、今よりもっと人気になるぞ。唯一の欠点と呼ぶべきものが周囲に壁を作っているような態度だったからな。それも関わるのを嫌がってるんじゃなく、どっちかといえば怖がってるようなもんだったし」


 ……治孝は那月を見ただけでそこまでわかっていたのか。

 観察眼が鋭いな。

 こういうやつだから周囲との距離感の測り方が上手いのかもしれない。


「どうしたんだよそんな俺のこと見て。……まさか、俺に惚れたのかっ!?」

「それはない。絶対ない」

「わかってるってそんな頑固に拒絶しなくてもいいだろ? 泣いちゃうぞ?」

「このくらいで泣くようなやつじゃないだろ。ただな、案外と那月を見てくれてる人はいるんだって知ったら、嬉しくなった」

「俺のこと見直したか? 妖怪彼女欲しいみたいに思ってたろ?」

「自分で言ってて悲しくならないのかよそれ」

「悲しいより虚しいわ。結局GWも彼女出来なかったしよぉ……」

「治孝は意外といいやつなんだけどな。あまりに酷い言動が先に目につくだけで」

「なんかディスられた!?」


 事実を述べただけでディスってはいないぞ?


 ■


 GW開けということもあってか普段よりもふわふわとした午前の授業を乗り切って、明日香も一緒に昼食をカフェテリアのテラス席で取っていた。

 那月と明日香が仲良くなったというのは本当らしい。


 俺が食べている間も話の流れが途切れないし、二人とも楽しそうにしている。


「先輩方はGWは実家の方に帰っていたんですよね?」

「ん、そうだな」

「久しぶりだったのでとても楽しかったですよ。お父様にも会えましたし」

「いいなあ……送られてきた写真を見ましたけど、本当にお嬢様って感じじゃないですか。ていうか何ですかあの嘘みたいな広さのお屋敷! 映画のセットかと思いましたよ!?」

「写真なんて送ってたのか?」

「ええ。雫さんが見たいと言っていたので」


 そんなやり取りをしていたとは全く知らなかった。


 にしても明日香の驚きようは新鮮だな。

 一般人? があの屋敷を見たらそう思ってしまうのも無理はないのかもしれない。

 実物は写真よりも圧があるし、ただ広いだけでもないけど。


「いいなあ……わたしもお嬢様気分を味わってみたいですよっ! だって執事さんとかメイドさんもいるんですよね!?」

「いるけどそんなに興奮することか?」

「持つ者にはわからないんです! わたしみたいな一般庶民には手の届かない生活……っ!」

「……そんなに興味があるのなら、今度都合がつく日に来てみますか?」

「いいんですかっ!?」


 那月がおずおずと誘ってみると、明日香は食い気味に目を輝かせながら叫んだ。


 休日に屋敷で遊ぶだけなら一日あれば事足りる。

 もし泊まりたいと言い出しても部屋は余るほどあるから問題ない。

 明日香が両親を説得できるかにかかってはいるけど、那月が初めて友達を誘って遊ぶと考えると背中を押したくなる。


 懸念があるとすれば、舞咲の秘密が明日香に知られないように注意しなければならないことくらいか。

 本邸の使用人がボロを出すとは考えにくいから大丈夫だろうけど。


「そうだ! ちょっとお二人に聞きたいことがあったんですけど」

「お困りのことがあれば是非相談してください。可能な限り力になりますよ」

「そういうわけではないんですが……那月先輩、何かしたんですか? 『あのお嬢様がクラスメイトに挨拶してた』なんて噂を耳にしたもので」

「噂になるほどのことか……? まあ、これまで他人との関りが薄くて友達がいないなんて噂されるようなお嬢様が、連休明けにいきなり挨拶とか始めたらそうなってもおかしくはないか」

「紅……? なんだかよそよそしい上に小馬鹿にされている気がするんですけど?」


 正面からジト目が突き刺さるも、我関せずの精神を貫くことにする。

 俺は馬鹿にしているつもりは全くない。


「お二人は本当に仲がいいですね。わたしと話している時よりも那月先輩の表情はコロコロ変わりますし、神奈森先輩はなんだか楽しそうですし」

「紅はサディストの気があるので雫さんも注意したほうがいいですよ。いつこの毒牙が向けられるかわかりませんから」

「人を要注意人物みたいに紹介するな。怖がられるだろ。これでも優しい先輩で通しているんだぞ?」

「神奈森先輩が優しいのは身をもって知っていますけど、自分で優しいって言ってる人ほど疑わしいものってありませんよね」


 ぼそっと明日香が呟いたそれに俺は何一つ反論ができず黙り込み、那月は首が取れそうなほどに頷いていた。


「ああでも、気のせいだったらごめんなさいなんですけど……那月先輩、ちょっと人当たりが柔らかくなりましたか?」

「……そう感じますか?」

「上手く言えませんけど……なんとなく、前より話しやすい感じがします。あっ! 勘違いして欲しくないんですけど、決して前までが話しにくかったとかではなくて――」

「正直に言っていいぞ。誰も怒らないから。那月にだって自覚症状があるはずだし」

「それは……っ! ……はい。私もこれまでを思い返してみると、凄く話しかけにくい雰囲気だったと猛省しています。怒ってるとか話すのが嫌とかじゃないんですけど……多分、あまり人と関わりたくなかったのも伝わっていたんでしょうね」

「そんななかで懐に入り込んできた明日香は勇敢だよ、ほんとに」

「ええっ!? あー……えっと、ありがとうございます?」


 困惑しつつも照れたように明日香が笑って、そこへ重ねるように那月も「その節は本当にありがとうございました」と座りながら深々と頭を下げていた。

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