第24話 深夜、たった一人のティータイム
立食パーティを終えて莉子さんの運転する車で帰宅した私たちは入浴などを済ませ、早いうちに就寝しようとしていた。
本邸にいる間は紅と部屋が分かれているため、一人で寝ることになる。
厳格に決まっているわけではないし、紅の部屋は隣にあるので呼びつけて誘えば仕方ないと言いながらも一緒に寝てくれると思います。
けれど――昨日、お母様とお話をして、あることを知ってしまった私は、一人で寝ることにしていました。
それは今日も同じこと。
慣れないことをして疲れているはずの私は……いくら目を瞑っていても、眠れそうにありませんでした。
「…………はあ」
ため息とともに、ゆっくりと瞼を上げていく。
薄暗い部屋の中で際立つ白い
私は少し迷った後にベッドから起きることを選択する。
スリッパに足を通し、愛用のネグリジェの上に薄いカーディガンを羽織ってから部屋を出て、キッチン――正確には厨房と呼ぶべき場所へ足を運ぶ。
そこには寝ずの番をしている男性の使用人がいて、私を見るなり
「こんなお時間に御用ですか、お嬢様」
「少し、眠れなくて。ハーブティーかなにかを貰えたらと思ったのですが……お願いできますか?」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたします。お部屋の方でお待ちいただければ」
私はここで待っていても良かったけれど、ここではお嬢様。
紅なら話は違っただろうけど、誰もが私に対してそんな風に接することは出来ない。
部屋に戻り、カーテンを開けて夜の淡い輝きを取り入れながら窓際にあるテーブルセットの椅子に腰を落ち着けて待つ。
すると、ものの数分で扉がノックされ、「お嬢様。ハーブティーをお持ちしました」と女性の声が聞こえてくる。
きっと男性がこんな夜に女性の部屋に入るのは良くないだろうと気を効かせてくれたのだろう。
その配慮に後で会うことがあればお礼をしようと頭の片隅にメモをしつつ、メイドを部屋に招き入れる。
「こちら、カモミールティーとパウンドケーキになります。お茶菓子の方は不要でしたらお召しにならなくても構いません」
「……ありがとう。いただくわ」
彼女は窓際にあるテーブルセットにその二つを静かに置くと、
「また何かあれば遠慮なくお呼びつけください。それでは失礼いたします」
軽い微笑みを浮かべながら礼をして、部屋を去っていく。
ぱたん、と扉が閉まれば、しんとした静寂だけが残る。
ぼんやりと窓の外へ視線を送れば、パーティ会場のベランダでも見た半分よりも欠けた月が薄い雲に隠れながらも浮かんでいた。
月の浮かぶ夜空を眺めながらハーブティーを少しだけ啜る。
温かで落ち着く香りのそれが、じんわりと染みるように喉を通っていく。
「……………………本当に、私は」
紅に、なんて言って欲しかったのでしょう。
パーティ会場のベランダで、あんなことを話す予定ではありませんでした。
きっと、その原因となったのは、昨日……もう一昨日にお母様とお話しした内容が、頭の片隅で叫んでいたからでしょう。
「――吸血鬼は同じ人の血ばかり摂取していると次第に慣れて、吸血衝動までの間隔が短くなっていくなんて、本当に知らなかったんです。そうなれば、いつの日か……私は紅の血を全て吸ってしまい、殺してしまう」
残酷極まる現実だった。
私が薄々感じていた心配が現実のものとして存在すると知らされて、心が雲に覆われたかのような感覚が一昨日からずっと続いていました。
過去、本邸にいた頃から舞咲に残されている吸血鬼の情報はほぼお父様とお母様から教えてもらっていたのですが、どうやらこのことは私を不安にさせてしまうからと隠していたらしい。
しかし、私が最近になって吸血衝動の間隔が短くなっていることを伝えると、白状するかのように話してくれました。
それを聞いてやっぱりか、と思う反面、どうにかしなければならない――紅以外の血も摂取できるようにならないと、とも強く考えました。
幸いなことに吸血衝動の方を収めるために直接噛みつく必要はありません。
血の方は輸血パックなんかでどうにでもできます。
もっと言えば、吸血によって発情したとしても異性と交わる必要もありません。
ただ、自分で処理するにはとてもではありませんが……物足りない。
何時間も、下手をすれば何十時間も自慰を続けるなんてあまりに非効率的です。
世間では中学生と呼ばれる年齢の頃は発情のことを紅に秘密にはしていましたが、たぶん気づかれていたと思いますし、吸血の後の数時間は発散に費やしていたことも今ならば感づいていても不思議じゃありません。
けれど、そんな生活がずっと続くはずもなく……高校生活を機に紅と同居生活を始めたことで自分に課していた枷が外れて、
「あのときの背徳と罪悪感は……二度と忘れられないでしょうね」
血を啜ったとき特有の快楽に酔い、
その行動自体は絶対的に間違いだったと今でも後悔していますけど、もう、どうしようもなかったんです。
同居していればいつかはバレること。
だったら早い方がいいとは思ったし、それで紅に捨てられるのなら……それでも構わないとすら思っていた。
結果だけを見れば紅は受け入れてくれたし、お父様が許嫁の件を話すきっかけにもなって、私は発情という唯一の心配事が消えました。
これなら少しは前向きに生きていけるかもしれない――そう、思っていたのに。
「こんなの、ありませんよ。だって、もう、無理です。紅の血を吸えないことに耐えられない。もしも紅がいなくなって、他の誰かの血を受け入れなければ死ぬと言われても、正直私は死を選ぶでしょうね」
それくらい、私という存在は紅に依存している。
でも、それ以上にもっとよくないことが一つあるとすれば。
「……紅はきっと、このことを聞いても何一つ変わらないでしょう。私が求めれば、血でも身体でも差し出してくれます。その末に自分の破滅があると知っていても」
だから、言えない。
私の胸の中にだけ秘めて、耐えるしかありません。
まずは……出来る限り吸血の頻度を抑えるところからですね。
果たして、今の私は何日保つのでしょうか。
「せめて半月は大丈夫だといいんですが……とても辛いです。この期に及んで何を言っているのかと正気を疑われそうですが、紅の身体も心も独占できる時間が減ってしまうのは、本当に惜しい」
だからといって我慢する以外の選択肢はありませんけど。
……紅と、一緒にいたい。
おはようからおやすみまで、片時も離れないでほしい。
紅の姿が、気配が近くにあるだけで、私は安心して生きていられます。
考え事でちゃんと眠れずに起きてしまいましたが、紅がいたらすんなり眠れてしまうのでしょうか。
今から紅の部屋に押しかけるのは流石に非常識でしょう。
淑女としては許容できるものではありません。
紅のことですから部屋に押し入って、無断でベッドに忍び込み、一緒に朝を迎えたとしても「寂しかったのか?」なんてからかうだけで理由までは追及してきそうにはありませんけど。
お父様もお母様も許嫁なのだから一緒に寝ているくらいで何かを言ってはこないでしょう。
使用人たちは言わずもがな……あれ? もしかして、押しかけても大丈夫なのでは?
「いえいえいえダメですよ舞咲那月。己の欲望くらいちゃんと律しなさい。たとえ無防備に眠る紅のあどけなさが残る寝顔は朝まで眺めていても飽きないどころかずっと見ていたいと思っていますけど……っ!」
本来なら女性である私の方が色々と心配をするのでしょうけど、相手が紅なら何の問題もありません。
むしろウェルカムまであります。
「……これを飲んでも眠れなかった考えましょうか。この時間に甘いものを食べるのは自分の身体が色々と心配になってしまいますが……気分を紛らわすという意味では有効でしょうし、考えないことにします」
折角私を心配して用意してくれたものでしょうから、厚意を無駄には出来ません。
レーズンが中に入ったパウンドケーキを菓子用の楊枝で一口分に分けて口に運び、口の中に広がる優しい甘さに目を細めつつ、ハーブティーの温かさが心を落ち着けていく。
深夜、たった一人のティータイムは、緩やかに過ぎていった。
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