第25話 餌付けしてる気分だな


「――雨では外には出られませんし……今日は室内で過ごしましょうか」


 パーティの翌日。


 那月の私室にいた俺は、窓の外でしとしとと降る雨を眺めながらの呟きを聞いた。

 舞咲の令嬢であり年頃の異性の部屋へ簡単に出入りして大丈夫なのかと思うものの、俺と那月は許嫁で同居生活もしているのだから、気にする方がおかしいのかもしれない。

 そもそも、那月と過ごすことに慣れ切ってしまっていて、普通にしていたら何一つとして緊張しないのもどうかと思う。


「課題でもやるか? 結構な量あったよな」

「……あまり気は進みませんが、後顧の憂いを断つという意味ではアリかもしれません。終わらせておけば気持ちが楽ですし」


 俺も那月も本分は学生。

 たとえ舞咲のお嬢様であろうとも課題からは逃げられない。


 一度自分の部屋に戻って課題を持ってくると、那月は窓際のテーブルの椅子に座って待っていた。

 そこに向かい合うようにして座り、課題を広げる。


 特に開始の合図もないままお互いペンを走らせ始めると、部屋に響くのは僅かな呼吸の音とペンがカリカリと文字を書いていく硬質な摩擦音だけ。

 集中しながら会話もせずに課題の問題集を解き続けていると――不意に、部屋の扉がノックされる。


「お嬢様、紅様。お茶をお持ちいたしました」

「どうぞ」


 那月が返事をすると、声の主……水越さんがティーセットを乗せたカートを押して部屋に入ってくる。


「申し訳ございません。お勉強のお邪魔をしてしまいました」

「そんなことありませんよ。休憩を入れようかと考えていたところでしたから」

「その割に集中力が凄かったけどな」

「紅も同じでしょう?」

「目の前で脇目も振らずに頑張られると、そりゃあこっちも気合が入るって」


 昔からだが、那月の集中力はすさまじい。

 短時間の集中力の深さの方が目立つが、それでも普通に一時間は保っていられる。

 それに加えて地頭もよく理解も早いので、すぐに学習したことを自分のものとして次々と蓄えていく。


 本当に羨ましい限りだ。


 俺も不甲斐ない成績は取れないと思い、那月にならって勉強をしているが、同じ時間ではいつまで経っても追いつける気がしない。

 元々座学がそこまで得意ではないというのもあるけど、それを理由にして勉強をしないのは……なんていうか、格好がつかない。


 こんなことを口にすれば「紅もちゃんと男の子なんですね」なんて言われそうだから絶対に表には出さないが。


「アッサムとバームクーヘンをお持ちいたしました」

「美味しそうですね。もしかしてわざわざ焼いてくれたのですか?」

「ええ。お嬢様が帰ってきているのなら――と。随分気合が入っていたように見受けられます」

「そんなに気を遣わなくてもいいのですけどね。後でお礼をしにいきましょう」

「そうだな。きっと喜ぶ」

「私はこれにて失礼いたします。おかわりなどのご要望がありましたら都度お呼びくださいませ」


 水越さんが礼をして去っていくと、不意にこんなことを思ってしまう。


「俺って那月の従者らしいことをあんまりしてないよな?」

「従者というよりも家族的な距離感だとは思いますが……いいんじゃないですか? 私はその方が嬉しいです」

「……本当に今更だな。最近は従者ってのも怪しくなってきたし。暇つぶし役とかの方が正しい気もする」

「なんですかそれは。というか、それ以前に紅は私の許嫁なのですが」

「それはそうなんだけど……一番初めに目指した立場から徐々にズレてきてるよなあと思っただけで」


 俺が色々な技能を修めたのは那月の従者となるためだった。

 厳密に言えば傍付きの世話役とかの表現が近しい気もするが、今となっては許嫁――これも俺が知らないだけで裏では話が進んでいたのだが――になっている。


 今も従者を自称するのならお茶なんかの用意は俺がするべきだろう。


「細かいことはいいじゃないですか。本邸にいる間くらいはゆっくり身体を休めましょうよ」


 背筋をぐーっと伸ばして息をついた那月が、濁りのない琥珀色の紅茶が満たされたティーカップを傾ける。

 リラックスしきった姿。

 オンとオフの切り替えの早さに感心しながら、那月の言うことに一理あるなと思う。


 俺も紅茶を啜ってみれば、爽やかな味わいが口の中に広がっていく。

 ほっとする温かさに心を落ち着かせて、自家製のバームクーヘンに揃って手を伸ばす。


 鮮やかな小麦色の生地が何重にも重なっている、一口サイズにカットされたバームクーヘン。

 舌に乗ると感じる優しい甘味。

 しっとりとした生地を噛む感覚が心地よく、紅茶との相性もばっちりだ。


「……美味いな。甘すぎず、甘くなさすぎず。絶妙な加減だ」

「ですね。ですが、あんまり美味しいと食べ過ぎてしまいそうです」

「細いんだから少しくらい食べ過ぎても丁度いいんじゃないか?」

「どこを想像しているのかあえて問いませんが、一度太ると面倒なんですよ? 日頃から気を付けてこのスタイルを守っているんです。紅にはわからないかもしれませんけど。あと、女の子に太るとかの話題はダメです」

「悪かったって。でも、残すのもよくないからな」


 早くも三つ目を食べてしまっている那月をじーっと見ながら、呆れたように笑って見せる。

 余程口に合ったのだろう。


 その視線に気づいた那月ははっと手を止めるも、恨みがましくこちらを見て、


「……残すのは作ってくれた方に申し訳ありませんから」

「責めてるわけじゃないんだけどな」

「紅も食べてください。私にだけ食べさせて肥え太らせる気ですか」


 そう言いつつ、那月はバームクーヘンを俺の口元に差し出してくる。

 きっと俺が食べるまでは引かないのだろうと思い、おもむろにバームクーヘンだけを口で受け取った。


「美味いな」

「……でしょう?」

「じゃあ、ほら。那月も」


 お返しとばかりに俺も一つを摘まんで那月の前に差し出すと、一瞬それをみて固まってしまう。

 しかし、自分がしたことを相手にされて恥ずかしがるのはおかしいと気づいたのだろう。


 躊躇いがちにではあるが、手で髪を耳にかけつつ――ぱくりと食べてくれる。

 するとバームクーヘンの美味しさにやられてか、那月の表情がどんどん緩いものに変わっていく。


 ……なんか、餌付けしてる気分だな。


 いや、実際その通りか。


「…………なんですか。そんなに私の顔をじろじろとみて」

「今日も那月は可愛いなと思ってただけだから気にしなくていい」


 本当に思っていたことを口にすると、「かわ……っ」なんて呟きを残しながら勢いよく顔を窓の方へ背けてしまう。

 そういうところが可愛いんだよなあ、と言葉にはせずにぼんやりと考えていると、振り返った那月が勢いよくバームクーヘンを差し出してきて、



「……もう、全部食べてくださいっ!! なんだか無性に甘くてもう食べられそうにありませんからっ!!」



 口元にバームクーヘンを押し付けてくる那月の顔は耳まで真っ赤だった。


 でも、それを指摘するとさらにややこしいことになるとわかりきっていたので、あまり食べ過ぎないようにしようと気を付けながら、次々と那月が餌付けしてくるバームクーヘンを食べるのだった。


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