第26話 私を甘やかす義務があると思います
昼食を済ませて二人で部屋に戻ったのだが、窓の外では朝方よりも雨脚が強まっていて、横殴りの雨に変わっていた。
風も強いのか、庭木が左右に大きく揺れている。
窓を叩く雨粒の音は少し怖いくらいで、しかも空は雨雲に覆われているため、まだ昼過ぎだと言うのに夕方かと錯覚するほど暗い。
窓の外を眺めていた那月の代わりに部屋の灯りをつけて、早い時間だけどカーテンを閉めてしまう。
「梅雨に入るにはまだ早いはずなんですけどね。台風が来た、なんてわけでもありませんし」
「こういう日もたまにはあるだろ。ま、部屋でゆっくり過ごそう」
「そうですね。でしたら、こっちでお話しましょう」
那月はベッドに腰を下ろして、その隣をぽんぽんと叩く。
誘うような行動には全く他意はないとわかっている俺は躊躇うことなく隣に一人分くらいの余白を開けて座る。
すると、その隙間を埋めるように那月がこっちのほうに寄ってきて、
「どうして離れて座ろうとするんですか? いいじゃないですか、くっついていても」
「余裕があった方がいいかと思っただけだって。それとも、那月はくっついていたかったのか?」
「……そうですって言ったら、このままでいさせてくれますか?」
間近で向けられる上目遣いの純粋な視線に喉を詰まらせながらも、そこから離れようとしなかった行動と沈黙を返答の代わりにする。
すると那月も察したのか、ふにゃりと表情を緩めて肩のあたりに頭を預けた。
目も瞑っていて、このまま眠ってしまっても不思議ではない。
「寝るならちゃんと横になった方がいいぞ」
「身体を休めるならそうかもしれませんけど、私が求めているのは紅と一緒の時間です」
「…………」
「許嫁なんですから、これくらいのことは許されますよね」
「……俺は許嫁でもあり那月の従者なんだから、断る理由がない」
「紅は……いちゃいちゃしたくない、ですか?」
それは恋人同士がすることで――いや、そうでもない、のか?
付き合う前の男女でもする人はする、というかそれが普通ではあると思う。
多分、俺たちも無自覚にやっていることだ。
だから意識的にしようと言われると困ってしまう。
……のだが、好きな人とそうやって意味もなく触れ合っていたいという欲求は俺にだってあるわけで。
「別に、したくないとはいってない」
不愛想に答えるのが限界だった。
顔が熱を持っているのが触れなくてもわかる。
「ふふっ、嬉しいです」
声が聞こえて、那月との間についていた手にひんやりとした手が重ねられた。
そして那月の頭が肩から離れ――今度は太ももにゆっくりと降りてくる。
長い銀髪がくしゃりと広がって乱れるのも気にすることなく俺の膝に収まった那月は、安らいだように目を瞑りながら微笑む。
「膝枕がよかったのか?」
「それもありますが……なんだか、起きているのがちょっと辛くて」
平坦とした声音のまま告げられたそれを確かめるべく、すぐに那月の額に手を当ててみる。
前髪を上げて、白い額に手を当ててみるが、熱はない。
「多分低気圧の影響でしょう。ほら、外はずっと雨が降っていますから」
「ああ……いつものやつね。怠いだけか?」
「頭痛も少々、ですかね。それ以外は至って普通ですよ」
「いちゃいちゃしてる場合じゃないだろ。素直に寝てくれ。これが原因で体調が悪化したら大変だ」
「……じゃあ、一緒にお昼寝でもしますか? 気圧が原因の症状なら移る心配もありませんし。紅が添い寝してくれたら、ちゃんと休める気がします」
……俺から精神を安定させるような物質が出ているのだろうか。
なんか聞いたら「当然じゃないですか」と自然の摂理に真っ向から反するような言葉が返ってきそうだから言わないけど。
お昼寝……か。
「するか、お昼寝。那月は俺の添い寝をご所望らしいし。まあ、それもいつもしてるきがするけど」
家ではベッド一つで夜をともにしている訳だし。
本邸に来てからは部屋が分かれている都合上、夜は一人で寝ていたけど……そもそも、一緒に寝るのがダメと言われてもいない。
那月はこう見えて結構な寂しがり屋だからな。
「……でも、紅の膝枕がなくなるのは惜しいです」
「男の膝枕なんてただ固いだけだろ? 寝心地も悪いぞ」
「普通の枕にはない人肌の温かさがあります。こうしているとすごく落ち着くんです。こんなことをするのは紅にだけ、ですけど。頭とか撫でてくれてもいいんですよ?」
「那月が撫でて欲しいだけだろそれ」
「バレちゃいましたか。でも、紅には私を甘やかす義務があると思います」
なぜか得意げにそう言いながら、腹に後頭部を押し付けてくる。
懐いた猫っぽいなと思ってしまう。
仕方ないか、とため息をつきつつも残されている右手でそっと那月の頭に触れ、ご所望通りに撫でてみる。
上質な絹にも似た手触りの細く艶のある銀髪を手のひらで余すところなく感じていると、「……はふぅ」と気の抜けた息を那月が吐き出す。
くすぐったそうに背を丸めて緩む頬。
言葉を介さずとも「もっとしてください」なんて声が直接聞こえてくる気がする。
「無防備過ぎるだろ……」
「紅に……一体何を警戒したらいいんでしょうか……?」
「いや、あるだろ」
「だって私、紅になら何をされてもいいと思っています。頭を撫でられるのも、髪を触られるのも、手を握られるのも……いいえ、もっと。望むなら胸を揉んだり、強引に唇を奪ったり、服を破り捨てるように脱がされても――は服を作ってくれている方に申し訳ないのでできればしないでほしいですが、気分としては構いません。さらに言えば、私が眠っている間に紅の欲望を発散するためだけに犯されても許せます」
「…………するわけないだろ、そんなこと」
絞り出すように、那月の言葉を否定する。
そんなことをするなんて、到底許されることではない。
初めの方はまだしも、途中からは完全に犯罪に手を掛けるようなことばかりだ。
ただしそれらは、お互いの関係を認めているのなら許される行為でもある。
俺と那月は許嫁。
何事もなく俺が承諾したならば将来結婚する相手は那月であり、その本人が拒んでいないのなら、きっとそういうことをしても咎められることはないだろう。
だとしても――俺が那月にそういったことを強要するつもりは欠片もない。
すると、那月はゆっくりと長い睫毛を持ち上げ、緋色の瞳をうっすらと覗かせて、
「紅のそういうところが私はとても好きで、同時に悩ましい点でもあるんですよね」
「……ちなみにどう悩ましいのか聞いても?」
「主に私のせいではあるんですけど……私は紅に求めるのに、紅が私に求めることはないじゃないですか。ああ、夜の話ですよ?」
「聞いた俺が馬鹿だった。というか……やっぱりむっつりだろ、那月」
「むっつりじゃありませんから。紅こそ、いつもは口にしないだけで色々とエッチな妄想をしてるんじゃないんですか? この前一緒にお風呂に入っていたときは――」
「あれ俺が悪いの??」
「私は紅の上に座っていただけですし。妙な解釈をしたのは紅では?」
そう言われると否定しにくい……じゃなくて。
「――ともかく、少しは警戒してくれ。嫌がれとまでは言わないけど、このふにゃふにゃな那月を見てると……なんか、そわそわする」
「手を出したくなる、ということでしょうか」
「言い方に語弊がある気がするけど……間違ってない」
「いいじゃないですか。手を出してしまいましょう。本人の合意もあることですし、私のどこでも触りたい放題ですよ?」
口の端を上げながら誘う那月には余裕の色が見える。
どうせ何もできないと高を括っているのだろう。
そう思うのは勝手だけど――挑発されたのに引き下がるほど素直でもない。
「先に言ったのは那月だからな?」
「っ……ええ。どうぞ?」
「そんじゃ、遠慮なく」
若干驚いたように目をぱっちりと開いていた那月だったが、あくまで余裕は崩したくないのか、長い睫毛を降ろして身を委ねてくる。
その様子を眺めながら、どうしてやろうかと考え――ふっくらとした頬を指でつんとついてみることにした。
触れた瞬間、感じたのはえも言えない柔らかさ。
押し返す弾力もあるのだが、指が無抵抗に沈み込む感触は癖になってしまいそうだ。
無心でふに、ふにと押したり引いたりを繰り返していると、
「こ、紅……? 何をしているんですか?」
困惑したような那月の声があった。
「何って、那月のほっぺたをつんつんしてる」
「ほっぺた、ですか」
「そう。めちゃくちゃ柔らかいんだな。あんまりちゃんと触ったことってなかったなあと思ってさ」
話す間も頬をつくのを忘れない。
「……どうしてここまでして触るのがほっぺたなんですか意味がわかりませんっ」
なんだか怒っている感じの声がしたけど、決して嫌がる素振りを見せないので、那月の恥ずかしさが限界に達するまで頬を触り続けるのだった。
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