第23話 貴方のことが、焦がれるほどに
中々食べる機会もなければ作る機会もない上質なフレンチに舌鼓を打ちながら、どうにかして味を盗めないかと頭の片隅で画策しつつも時間は流れて、落ち着いてきた頃。
相変わらず会場では楽しそうに談笑する人たちの姿が見られ、給仕を担当するウェイターさんは忙しそうにホールを行ったり来たりしている。
料理も減るたびに随時追加されているようで、今日もてなしてくれている人たちへの感謝の念を心の中で伝えた。
ステージでは会場に入ったときから管弦楽団が絶えず息の合った演奏を続けていて、数分おきに別の曲へ切り替わって雰囲気の違いも楽しめる。
あまりクラシックに詳しいわけではないが、それでも聞いたことのある曲が流れているとテンションが上がるものだ。
「私はこれくらいにしておきましょうかね。あまり食べてしまうのも見栄えが悪いですし」
「……一日二日で体型がそんなに変わるか?」
「そこまでではありませんけど、食べすぎるとお腹が膨れてドレスがきつく感じてしまうかもしれませんし。結構サイズとしてはぴったりなので……ね?」
綺麗に食べ切った皿をテーブルに置いた那月は両手を軽く広げて、くるりと回って見せる。
誂えたかのように那月の身体を包む濃い藍色のドレスは、とてもよく似合っている。
しかし、このドレスを着たまま食べ過ぎれば、お腹が出て不格好になってしまうだろう。
女の子としてはそういったことを全力で避けたいのは理解できる。
「それでもちゃんと前菜から主食、デザートまで食べてしまいましたから、とても満足していますよ。どれも美味しかったです。趣向を凝らし、食べる人に少しでも楽しんでもらえるようにと考える料理人のみなさんの気遣いが伝わってきます」
「そうだな。やっぱりプロは凄い。俺も見習わないとな」
「私のために、ですか?」
「……他に振る舞う相手なんていないからな」
わかりきったことだと思っていたが一応伝えると、満足げな笑みが返ってくる。
俺が料理の腕を上げたところで、食べるのは俺か那月くらいなものだ。
本邸にも本職の料理人の人が務めているから俺の出番はないし、そのことに不満もなければ文句もない。
でも、本邸から家に帰ったら那月が食べるものは俺たちで作る必要がある。
そのときのためにも、吸収できることは身につけておきたかった。
演奏の曲が切り替わり、ゆったりとしたヴァイオリンの音色を主旋律にした演奏がホールに響く。
「とても今更なのですが、私たちって結局パーティに来たのに食事をして二人で話していただけですね……?」
「いつも通りと言えばそれまでだけど……昌磨さんに言われたことを気にしすぎても仕方ないぞ? 一日二日でやりたいことが見つかるなら人間苦労してない」
「……そうかもしれませんね。ですが……そういう人を見ていると、少しだけ、眩しく感じてしまいます」
たとえば、と那月が視線を送ったのはステージで演奏を続けている管弦楽団。
「あの方々はきっと幼いころから楽器や音楽に触れ、その魅力に引き込まれた結果、今日この場で素晴らしい演奏をしているのでしょう。一朝一夕で積み上げられる重みではありません。途中に辛かったことや苦しいこと、泣きたくなるようなことがあったかもしれません。でも、それらを乗り越えて、あの方々は楽しそうに……聴く人を楽しませる演奏をしています」
「…………」
「ですから、考えてしまうんです。果たして、私にそんな眩しい生き方が出来るのでしょうか、と」
呟く那月の目元は優しげで。
けれどどこか、どうしようもない悲しみと羨望を滲ませていた。
その横顔を見て、どう言葉をかけるべきか迷っていると、
「……少し風に当たりませんか? どうやらベランダにも出られるみたいなので」
解放されているらしいベランダへ繋がる扉を見ながら誘われる。
頷いて那月の手を取りベランダに出ると、涼しげな空気が間を抜けていく。
安全対策の洒落た柵の向こうには、眠らない人々の営みが窺える眩い夜景がどこまでも広がっていた。
頭上にあるはずの夜空に浮かぶ星々は街の輝きに対抗するように瞬いていて、その向こうに半分よりも欠けた月がうっそりと浮かんでいる。
ベランダにも参加客の姿はあったが、なるべく人の少ない方へ二人で寄り、柵に手を掛けながら景色をぼうっと眺める。
「危ないですよ。落ちたらどうするんですか」
「この高さの柵なら落ちないって。仮に落ちても三階ならまあ……死にはしないし」
「……紅なら空中で体勢を整えつつ受け身を取るくらいの離れ業はやってのけるとわかっていますけど、心配する私の身にもなってください」
「その心は?」
「紅がいなくなると困るので。致命的に」
それはきっと吸血できる唯一の相手がいなくなるのが困る、ということだろう。
他の意味が込められているのはわかっているが、一番大きい割合を占めるのはどうしてもそこになる。
俺は柵から手を離し、代わりに那月の手にそっと添える。
「いなくなるはずないだろ」
「……じゃあ、ずっと傍にいてください。それこそ、死がふたりを分かつまで」
「言葉が重すぎる。もうちょっと軽い誘いの方が嬉しいんだけどな」
「重い女は嫌い、と」
「……どう考えても那月より重い感情を俺に対して向けてくる人はいないと思うんだよなあ」
「私の偽らざる本心ですから」
ふふ、と隣で笑い声が聞こえたが、あえてそちらへは視線を向けない。
なんとなく、ここで見たら負けな気がした。
そのまま少しだけお互いに無言の時間が続いて――那月が横に距離を詰め、ジャケット越しに肩と腕が触れあう。
「私は、紅に寄りかからなければ生きていけません。文字通りの意味として。『人』という字は人が人を支え合っている――なんてことを聞きますが、私は、人ではありません。支えられるという表現よりも寄生している……ええ、この方がよっぽどお似合いなんです」
「そんなことは」
「あるでしょう? 紅は私がいなくなっても生きていけます。誰かを支えて、支えられて、今よりも楽に。ですが……そんな光景を想像すると、嫌だと感じてしまう私がいるんです。紅の隣にいるのは私じゃないと納得できません。理性ではなく、感情の問題。吸血鬼であることを抜きにしても、その気持ちは変わりません」
だから、と。
――好きです、紅。貴方のことが、焦がれるほどに。
耳元で囁かれた言葉が鼓膜を揺らして脳へ送られ、唐突な告白に驚きながら視線を向けると、那月は照れたように目を細めて笑っていた。
夜の暗さに紛れているが、那月の顔は耳まで赤く染まっている。
束ねられた銀色が月明かりを跳ね返し、煌めきを放つ。
その姿は、さながら地上に舞い降りた天使のようで。
途方もない熱量が全身へと急速に広がっていく。
背筋が震えて、脳からなにかよくない物質が分泌されているんじゃないかと思うほどに心臓の鼓動が加速する。
そこで、より強くなった自分の感情を自覚してしまう。
「……ああ。そうか」
俺は那月のことがこの世界の何よりも大切で――誰よりも、愛している。
わかっていたつもりだった。
でも、現在進行形で胸の中に特大の渦を巻いているこの想いは余計な思考を引き込んで、一つだけに収束させていく。
できることならすぐにでも想いを伝えて楽になってしまいたい。
しかし、那月のことを想えば想うほど、軽々しく口にできなくもなってしまった。
その迷いを見透かしたように、
「これは私のエゴ……自分勝手な妄想です。他の誰かの人生を縛ることは許されざる行いです。非道だと罵られて然るべきだと理解もしています」
「…………」
「それでも。どうか、これから先もずっと、私の隣にいてください。それだけで、私はこの上ない幸せを感じながら生きていけます」
あくまで自分が悪いんだと前提を置きながらも、一緒にいてほしいと伝えてくるのだ。
けれど、那月はひとつだけ間違えている。
寄りかかっているのは那月だけじゃなく――俺も同じこと。
許嫁で家族同然に近い距離感での生活がぬるま湯のように心地よくて。
昌磨さんは依存と言ったが……これは
那月は俺がいなければ生きていけず、俺は那月がいないと生きる意味を見失う。
だから、答えはとっくに決まっている。
「……そんなの、当たり前だ。那月が俺を不要だと捨てるその日まで、何があっても隣にいる」
「…………そう、ですか。なら、飽きられないようにしないといけませんね」
呟く那月の表情は穏やかなのに、妙な艶やかさを秘めていて。
どきりとしたのを悟られないよう、夜景を眺めるふりをして誤魔化した。
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いつも読んでいただきありがとうございます。
ようやく最後まで書き終わりましたので、どうか最後までお付き合いいただけますと嬉しいです。毎日同じ時間に一話ずつ更新します。
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