第20話 依存


 昌磨さんとさらに少し話した後、那月は母親――星良せいらさんが話したがっていたとのことで、そっちへ顔を出すことになった。

 家族水入らずで話したいこともあるだろうと思った俺はどうしようかと考えたが、昌磨さんに少し話がしたいと求められたため、二人で客間の方に移動する。


 書斎では俺が座る椅子がないから、という気遣いだったのだろう。

 革張りのソファに腰を落ち着けてすぐに使用人のメイドさんがコーヒーを二人分運んできて、それぞれの前に並べる。

 それからテーブルの中央にミルクと角砂糖の入った容器を置くと、仕事を終えたメイドさんは綺麗に腰を折って部屋の外へ出て行った。


「紅くんもコーヒーで大丈夫だったかい?」

「ええ。まあ、ブラックはまだ早いと思っていますが」

「何事も自分が美味しいと感じる方法で飲み込むのが一番だよ。砂糖もミルクも悪の存在じゃない。くいう僕も実は砂糖とミルクをたっぷり入れた甘いコーヒーが好きでね。これを言うと本当にコーヒーが好きな人には難色を示されてしまうこともあるんだけれど」


 ははは、と柔和な笑みを浮かべつつ、昌磨さんは角砂糖が入った蓋を開けて、そこから三個ほどコーヒーに沈めていく。

 ティースプーンで角砂糖を溶かしながら混ぜ、白い塊が完全に見えなくなると今度はミルクを加えていた。

 結果、ブラックよりも幾分かマイルドな色合いになった、いかにも甘そうなコーヒーを楽しげな表情のまま飲んでいた。


「やっぱり甘いコーヒーはいい。心が落ち着くよ」

「……血糖値は上がりそうですけどね」

「痛いところをついてくるなあ、紅くんは。実際その通りだし、妻に知られると困ったことになるからあまり飲めないんだけど……秘密にしていてくれるかい?」

「バレたら俺も怒られるんじゃないですか?」

「大丈夫さ。紅くんがいれば多少のお目こぼしはあるはずだから」


 本当にこの人は……それでもいいけどさ。

 俺も角砂糖を一つとミルクを加えて混ぜたコーヒーを一口。

 使っている豆がとてもいいものなのだろう。

 風味や後味がインスタントのそれとは一味も二味も違う。


「……それで、那月をわざわざ遠ざけてまでしたい話ってなんですか」

「遠ざけたというのは僕の都合でもあり、紅くんが嫌がるかもしれないと思ったからだよ? 誤解がないように言っておくけど、意地悪をしようってわけじゃない。許嫁の間柄とはいえ、プライバシーは必要だろう?」

「つまり、昌磨さんは那月との関係に関する話をしたい……と」

「端的に言えばそうなるね」


 それは確かに那月が同席していない方が話しやすい。


 昌磨さんはコーヒーを一口飲み、一呼吸おいてから、


「――那月とは、最近どうだい?」


 探るように聞いてくる。


 これまたアバウトな聞き方をされたなと思いながら、直近……今年に入ってからのことを頭に思い浮かべた。


「これといって大きな変化はなく、ですね。高校に通って、家のことをして、吸血されて…………そういうことも、継続しています」


 昌磨さんは俺と那月がそういうことをする関係なのは知っている。

 言葉を濁したのは、なんとなくその事実を正確な言葉にするのを躊躇っているからだった。


 俺と那月が同居生活をしていてしていることなんて、本当にその程度。

 そういうことをその程度と纏めてしまうのは自分でもどうかと思うけど……あれは実質的に医療行為と変わらない。


 吸血の頻度が多いのはどうにかして欲しいところではあるけど。


 昌磨さんの反応は至ってフラットなもので、穏やかな笑みすら浮かべている。

 その温度差がどうにも気まずくて、逃げるようにコーヒーで喉の奥からせりあがってくる何かを飲み込む。


「紅くんを責めたりしないから堂々としていればいいのに」

「……それは、勘弁してください」

「那月の事情で付き合わせているんだし、君たちは許嫁……高校生くらいの歳なら、そう珍しいことでもないと思うけれどね」

「そうかもしれませんけど……まだ、ちゃんとした返答が出来ていませんので」

「許嫁の件はゆっくり考えてくれたらいい。出来ることなら前向きな返答をしてくれると嬉しい。紅くんになら那月を安心して任せられる。……それもこっちの勝手な事情だけどね」


 こんな大人で申し訳ない、と最後に付け加えて苦笑する。


 俺は未だに許嫁のことを正式に承諾したわけではない。

 だが、拒否したわけでもない。


 不安定な関係性を続けてしまっているのはひとえに俺の心の弱さが原因なのだ。


「……紅くんの両親が事故で亡くなってから、もう十二年経つ。僕はずっと、一人残された紅くんにどう接するべきか、悩んでいたんだ」


 そう。


 俺の両親は十二年前……三歳の頃に事故で死んでいる。

 幼くして残された俺を拾い、育ててくれたのは昌磨さんを筆頭とした舞咲家の関係者だ。


 だから俺と舞咲は家族同然の付き合いで――けれどそれは、本物の家族ではない。


「その答えが那月の許嫁にすることだった、と?」

「当たらずとも遠からずだね。僕は紅くんに家族というものを知って欲しかったんだ。なにせ紅くんの両親が亡くなったのは三歳の頃だ。ほとんど記憶はないだろう」

「……それらしい記憶はありますが、自信を持って両親のものだとは言えません」

「だから、那月が紅くんのお嫁さんになってくれれば――と、昔の僕は考えていたんだ。二人が将来お互いをどう思うかなんて考慮していない自分勝手な考えさ。今となっては那月の方が紅くん以外を受け入れられなくなってしまっているんだけれどね」


 ……そんな昔から昌磨さんは許嫁のことを考えていたのか。


 てことは、那月と俺が身体の関係まで進んでしまったことは、許嫁の件を話すためのいい機会くらいにしか思われていなかったのでは?


「許嫁のこと、那月はいつから知っていたんですか」

「ちゃんと話したのは十二歳の頃だったかな。吸血鬼のことも落ち着いてきて、余裕が出てきたから話しても大丈夫だと判断したんだ」

「那月の反応は」

「少し戸惑っていた感じはあったけど、安心していたよ。それだけ紅くんは那月からの信頼を得ている。依存気味に見えるのは……僕たちの落ち度だろうから強くは言えない。あの大事なときに那月の傍にいられたのは、他ならない紅くんなんだからね。感謝こそすれど、責める親がどこにいようか」


 依存気味……か。

 昌磨さんが言いたいことは俺もよく理解しているつもりだった。


 吸血の一件以来、那月は同年代との関りが俺以外一切なかった。

 いつ起こるかもわからない吸血衝動を抱えたままでは学校に通わせられないという現実的な判断も、その原因の一端を担っている。


 だが――一番の原因は、那月が誰かに再び危害を加えることを恐れているからだとも思う。

 那月は自分の意思で誰かを傷つけるなんて考えようとしない優しい心の持ち主だ。

 それは幼いころに両親を亡くし、孤独になりかけていた俺の手を引いてくれたことからも明らかにわかる。


 しかし、そこに吸血衝動という自分の意思ではほとんどどうしようもない要因が追加されたことにより、極端に人と関わることを避けるようになった。

 今でこそ水越さんを含めた舞咲の使用人だけでなく、色んな人と表面上は普通に話せるようになっているが、当時は那月の家族も俺も不用意に近づけないほどの怯えようだったのを覚えている。


 時間が経って吸血衝動にも向き合えるようにはなったが、相変わらず那月が受け入れられる血は俺のものだけ。

 それこそ実の父親である昌磨さんの血でも那月は吐き出してしまうため、吸血される役割を俺が一手に引き受けている。


 それが那月の依存を加速させている要因なのだとわかっていても、本人の精神的な面が深く関わってくるだけに俺たちにはどうすることもできないのだ。


「紅くんには負担をかけてしまっているね。昔も、今も」

「……初めに助けてもらったのは俺の方ですから。那月がいなかったら、今頃どうなっていたかなんて考えられません」

「そう、か。そう言って貰えることだけが救いだよ。僕が那月にしていることは形だけ見れば最低最悪のことだからね。今のご時世、許嫁なんて個人の自由を否定しているようなものだ。だから……紅くんが那月を貰ってくれたら、この罪悪感も少しは晴れるのかな」

「………………」


 簡単に同意を示せるはずもなく黙り込んでいると、


「すまないね。こんなことを話されても反応に困るだけだし、卑怯だった」

「実の家族を大切に想ってのことだとわかっていますから」

「慰めが心に染みるよ。でも、そうだね。もしも紅くんが那月の隣にいてくれるなら、これ以上安心できることはないとだけわかっていて欲しい」

「……前向きに検討させていただきます」

「期待して待っておくことにするよ。僕たちはいつでも歓迎するからね。困ったことがあれば遠慮なく頼ってくれて構わない」


 仕事で忙しいはずなのにそう言ってくれる昌磨さんの存在は本当に大きなものだ。


「……だったら早速一つ、聞いてみてもいいですか」

「なんだい?」

「その……夜に求められたときの棘の立たない断り方を教えて欲しいんですけど」

「甘んじて受け入れるのをおすすめするよ。僕も昔は……よく襲われたものだ」


 遠い目をする昌磨さんを見て、那月のあれは遺伝もあるんだなと考えてしまい、なんとも微妙な気分になってしまった。


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