第21話 隣にいてくれたらすごく安心します


「――馬子にも衣装とはこのことでしょうか」


 舞咲の本邸に帰ってきた次の日の午後。

 昌磨さんに提案された会食に向けて用意されていた衣装に着替えた俺の格好を確認しに来た水越さんが、頭からつま先までを流し見てこぼした感想がそれだった。


 俺が着ているのは高校生には分不相応な、誂えたかのようにサイズがぴったりのスーツだ。

 ノリを利かせた白いワイシャツの上に着こんだ濃い紺色のベスト、銀色の細いラインが描かれているネクタイ。

 黒一色のスラックスから伸びる足には磨き上げられた革靴のつま先が輝いている。

 ベストの上にはさらにジャケットを羽織っていて、袖のところで赤いカフスボタンが煌めいていた。


 髪もスタイリストさんの手によって整えられているため、着慣れていないスーツ姿にもしっかりマッチしている。


「……着られている感があるのは否めませんけど。まだ高校生ですからね」

「似合っていないとは言っていません。自信を持ってください」

「結局どっちなんですか?」

「それを伝えるべきは私ではないと思っていますので」


 どういうことだ? と思っていると、部屋の扉がノックされて、


『那月です。入っても大丈夫ですか?』

「どうぞ、那月お嬢様」


 俺の代わりに水越さんが返事をすると、部屋の扉が開く。


「お待たせしてしまいましたね。少々、時間がかかってしまいまして」


 淡い笑みを浮かべながら入ってきた那月の姿に、思わず視線を奪われる。


 那月が着ていたのは夜空を彷彿ほうふつとさせる濃い藍色のドレスだった。

 丈はひざ下くらいまであるノースリーブで、肩から背中の方に紐が二つ伸びている。

 丸く切り取られた首元、僅かに露出された鎖骨の間で真珠のネックレスが控えめに主張をしていた。

 ひらひらとスカートの裾が揺れ、脚の白さが色の対比でより際立つ。


 足元はあまり履いているのを見たことがない高めのヒールで少し歩きにくそうにしているが、それを自分でもわかっているのかゆっくりとした足取りでこっちの方へ寄ってくる。


 だが、注目するべきはドレスだけではない。

 那月のドレスアップを担当した人の手によって施された化粧で、那月の顔が一段と大人びた雰囲気を帯びているのがわかる。

 長い銀髪も後頭部の方でブーケのように綺麗に束ねられていて、肩甲骨のあたりまで染み一つない素肌を見せていた。


 普段の生活ではまず見ることのないほどメイクアップされた那月は深窓の令嬢然とした雰囲気を漂わせていて。


 見惚れてしまっていた、のだろう。


「…………綺麗、だな」

「……紅? 今、綺麗って言いましたか?」

「嘘。声に出てたか?」

「聞き間違いでなければ。莉子さんも聞こえましたよね」

「はい。綺麗だな、と」

「まじかぁ……」


 ぽつりと、自分の意思とは関係なく、考えていたことがそのまま言葉として出てしまっていたことを知った俺は恥ずかしさから顔を抑えてうめく。


 油断したわけじゃなかった。


 現実が、想定を簡単に飛び越えてしまっただけ。


 元々那月が可愛い、ないし美しい恰好で現れることは予想していた。

 素材には文句のつけようがないし、身に纏うものも一流なら当然だ。


 だけど――ここまでとは聞いていない。


「紅。その……言い間違いではなく、ちゃんと紅の意思で伝えてください」


 那月はこちらを真っすぐに見据えながら告げてくる。

 ぱちりと瞬く長い睫毛まつげの奥で、赤みを帯びた頬よりも紅い色合いの瞳が俺を映していた。


 そこには喜びや期待の他にも、薄いながら不安や緊張などの色が窺えて――最後の一押しを望むように揺れている。


 そう、だよな。


 考えてみれば那月がこういったパーティに出席したことは片手で数えるほどしかないはずだ。

 それも本当に小さな頃か、小規模なものばかり。

 今回の会食は結構大きな会場を貸し切りにして行うそうなので、大勢の人がいる環境に慣れていない那月が緊張するのは当然と言えた。


 だったら、迷える主人の背中を押して隣で支えるくらいのことは、従者としてしなければならないだろう。

 そうでなくとも、ちゃんと伝えるべきだと思うし、元よりそのつもりではあった。


 単に、予定がズレてしまっただけのことで。


 息を整えててから、真っすぐと那月を正面に見据え、


「……本当に似合ってる。綺麗だよ、那月」

「ありがとうございます、紅」


 心からの言葉を贈ると、那月は安堵するように表情を弛緩させながら緩い笑みを浮かべた。


 心臓が跳ねる。

 どこからともなく湧き上がってきた熱量を発散するように咳払いをして、ようやく那月へ視線を戻せた。


 だが、肝心の那月は目が合うとかちりと固まり、照れくさそうに視線を泳がせて、


「……改めて言われると、照れてしまいますね」

「…………二度も言わせられたこっちの身にもなってくれ」

「自業自得です。……本当に、心臓が止まるかと思いました。紅が思わず言ってしまったのがわかったので」


 そんな大げさな、と思ったものの――胸のあたりに両手を置いて呼吸を整えている那月を見て、自分の中から何かが溢れそうな感覚に見舞われる。


 愛おしい。


 直感的にそう感じた俺の右手は既に那月の方へ伸びようとしていて……その予兆にいち早く気づいて腰の横に引き留めた。


 この気持ちは、まだ、伝えなくていい。

 心の瓶に詰めて、漏れ出さないようにコルク栓で蓋をして、閉じ込める。


「……本当にお二人は仲がよろしいですね。胸焼けしてしまいそうです」

「莉子さんっ!? ……紅と仲がいいのは認めますけど。許嫁ですから」

「さりげなく外堀を埋めようとするな。俺はまだ昌磨さんにちゃんと返事はしてないぞ」

「神奈森さんは早いうちに決断した方がいいと思いますけれどね。優柔不断で鈍感なのは救いようがありませんので」

「やけに俺にだけ辛口じゃないですか??」

「育てた弟子が那月お嬢様に迷惑をかけると思うと大変心苦しいのですよ」


 迷惑……なのか?

 よくよく考えればそうか。


 もし仮に俺が許嫁の件を断わったとしたら、那月は新しい婿候補を探す必要がある。

 舞咲は特殊な家だ。

 那月は吸血鬼という事情もあるため、なるべく舞咲系列の家から婿を取らなければならない。


 しかし――そこで問題になるのが俺の存在だ。

 いくら生命維持に必要とはいえ他の男とそういうことをしなければならない、なんて事情を都合よく呑み込んでくれる人がいるだろうか。


 世間一般の価値観として、自分の嫁が他の男と行為に及ぶことを嫌悪する人は多いはず。

 表立って悪感情を晒すようなことはないだろうけど、那月が途方もない生きにくさを感じてしまうのは想像がつく。


 現状、一番波風を立てずに事を済ませる方法は俺が許嫁のことを受け入れ、正式に那月と婚約すること。

 昌磨さんの話や日頃の那月の様子を見るに、嫌がっているようには思えないのが幸いか。


 ……だとしても、もう少しだけ答えを出すのは待って欲しい。


 まだ、那月と本当に家族になるという未知の事象に対して整理がついていない。


「それはそれとして――那月お嬢様も何か言うことはありませんか?」


 水越さんがそう話を振ると、那月はぱちりと両目を瞬かせ、視線を右往左往させながらも合間合間に俺のことを見ていて。


「……ええと、その。紅も、とても似合っていますよ。いつもより大人びている感じがして……上手く言えないですけど、いいです。隣にいてくれたらすごく安心します」


 とろけるような笑みとともに告げると、一拍遅れて白かった顔色が徐々に朱に染まっていく。


 ……本当に、那月は。


 ここまで言われて自信を持てないわけがない。


「スーツはあんまり似合ってないかもって思ってたけど、那月が言うなら大丈夫か」

「大丈夫というか、大丈夫じゃないといいますか」

「……まさか吸血衝動が」

「…………ちょっとだけ。ほんのちょっと、危なかったかもしれません」


 まさかないだろうと思っていた内容が図星だったらしく、目を背けていく那月はどこか面白く感じてしまう。


 スーツ姿に興奮……俺にはよくわからない領域だな。


「ま、今日は那月の従者ってことでの参加だからな。――精一杯お守りさせていただきます、那月お嬢様」


 役者めいた言葉と調子で口にすると、那月はけほ、けほとむせてしまっていた。

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