第34話 だから、ずっと俺の傍で笑っていてくれ
「――私はここで失礼いたします。また何かありましたらお呼びください」
水越さんにマンションまで送り届けられた俺と那月は走り去っていく車を見送り、腕に無言で抱き着いてくる那月と一緒に帰宅した。
そして今は、二人でベッドに並んで座っている。
帰ったのならまずやることは那月の吸血衝動を鎮めることなのだが……隣で俯きがちに座ったまま無言を貫いていた。
吸血衝動は残っているのだろう。
顔はほんのりと赤いし、横目でちらちらといつも吸血の時に噛みつく首のあたりを見ているし、両手で堪えるようにスカートの裾を握っている。
気まずい空気が流れる空間で、俺はどうやって話を切り出したものかと静かに頭を悩ませていた。
那月が車内で真実を明かしたあと、俺はなんの言葉もかけることができなかった。
このまま吸血を続ければ俺は死ぬ。
それを聞いて初めに思ったのは「やっぱりか」という謎の納得感。
俺も心のどこかではそうなるんじゃないか、という予感があったのだろう。
でも……こんな那月を放っておく選択肢だけはあり得ない。
勇気を振り絞り、己を奮い立たせて口火を切る。
「――那月は、俺の血を吸うのは嫌いか?」
「……あの頻度で吸血を強請っていて嫌いなら、私がこの世界に嫌いなものは一つも存在しません」
「それもそう、か」
答えてくれるか不安だったが、思いのほか、那月は素直な解答を示してくれた。
だったら、何も躊躇うことはない。
「わかってると思うけど、那月の吸血衝動は吸血鬼に備わってる本能的なものだ。血を摂取しないと段々衰弱して、最後には死ぬ。だから誰かの血を吸う。不思議なことはどこにもない」
「……ですが、私が紅の血しか摂取できないのは私の問題です。私が普通に血を吸えたら、こんなことにはなりませんでした……っ!」
悲痛な声。
さらに強く手が握られ、肩が震える。
脳裏に刻まれた記憶と重なってしまう。
あの日、俺は――
鮮明に刻まれた記憶を手繰り、再現をするように身体が動く。
伸ばした腕。
壊れ物を扱うようにそっと縮こまっている那月を抱き寄せた。
「っ」
喉が鳴る。
緊張した身体は敏感になっていたのか、身体を震わせる。
押し返すようなことはしないけれど、完全に受け入れるわけでもない中庸な姿勢を感じた。
それはきっと、那月がまだ自分を許せていない証拠。
「――強がりすぎなんだよ。舞咲那月って人間が完璧超人じゃないことくらい、俺はずっと前から知ってる」
「でも……っ! ……ダメ、なんです。私はとても弱いので、一度甘えてしまったら、もう戻れなくなってしまいます。一方的に寄りかかるだけの関係は、嫌なんですっ」
「だから吸血を続けてたら俺が死ぬことを話さなかった。……話せなかった、の方が正しいか」
那月の長所でもある真面目さの裏返し。
自分が我慢すれば最低限俺の命はどうにでもなる。
そう考えて実行に移したが……破綻した。
上手くいくとは那月も考えていなかったはずだ。
しかし、やるしかなかった。
「……でもさ、それっていつの話なんだ?」
「…………え?」
「よく考えてくれよ。同じ人から吸血を続けていたら頻度が増し、最後には死んでしまうとして――それっていつの話なんだろうな。これは俺の体感なんだが、明日や一週間後の話じゃない。年単位の時間はあると思ってる」
「……っ! ですが、根拠はどこに――」
「高校に入学してからの一年で、那月の吸血頻度は平均して一か月に一回から一週間に一回程度になった。でも、那月の吸血の半分くらいは自発的なものだろ?」
「……はい」
「今回の吸血衝動までの間は約十日。一年で三倍の頻度。まあ、一日一回でも死ぬ気はしないから、単純計算であと二年は大丈夫だろ。そんだけ時間があったら、どうにかできると思わないか?」
あくまで平然と俺なりの考えを伝えた。
同時に、頭の中に否定の言葉も聞こえてくる。
――そんなにうまくできるわけないだろ、と。
紛れもない希望的観測。
話した内容に理論的な根拠もなければ、前例もよく知らない。
俺の体感を理屈っぽくして言語化しただけ。
真面目に考えれば信用に値する内容ではない。
「…………私が他の人の血を吸えるようになると、本当に思いますか?」
「俺が知ってる舞咲那月って人間は、困難に直面しても諦めずに挑戦し続ける。できないならできるようになるまで、何度も。そうだろ?」
「それは……過大評価しすぎですよ。紅も自分で言っていたじゃないですか。私が何でもできる完璧超人じゃないって」
「あー、ちょっと言葉が足りなかったな。確かに那月は始めから何でもできるわけじゃない。でも、それをわかっているから努力して、一つずつできることを増やしてきた。そういう姿を一番近くで見てきたから俺の言葉は信じられないか?」
自分でこの言い方は卑怯だなと思ったが、那月はふるふると頭を擦りつけるようにして横に振る。
「……信じます。信じられます。紅がいてくれるなら、私は頑張れます。他の人の血も、時間はかかると思いますけど摂取できるように……いいえ、なります。ならなきゃダメなんです。紅と一緒にいるためにはそれしか――」
強い決意を込めた呟き。
そこには、どこか無理をしているような気配が滲んでいて。
「――これは俺の自分勝手な考えで、気に留める必要のない話なんだけどさ。……那月が他の誰かの血を吸ってるのは、なんか、嫌だ」
「…………嫌?」
「上手く言葉に出来ないけど……違うな、俺が言いたくないだけだ。その感情を表す言葉はもう知ってる」
こんなことを言われても那月は困るだけだ。
しかも、吸血を続ければ俺が死ぬ、なんて重い話をしているときに伝えるべきことじゃない。
だとしても、今伝えないと、遠くへ行ってしまう気がした。
「――那月を他の誰にも渡したくない。独り占めしていたい。俺の血だけを与えていたい。たとえその末に死ぬ未来があるとしても」
「……こ、う? それは、それって、ええっと……」
「ただの嫉妬と独占欲。言ってしまえばそれだけだ。俺は那月の従者で許嫁……である前に、一人の男として、那月に一緒にいて欲しいと思ってる」
一度吐き出してしまえば、溜め込んでいたものが次々と出てきてしまう。
戸惑っているような声があって見上げる那月の顔は嬉しいやら恥ずかしいやらわけがわからないやらで、ミックスされた感情による百面相が繰り広げられている。
それもまた可愛いな、なんて考えながら、気持ちだけが前へ前へと先行していく。
止められない、止める気もない。
だったら、最後まで。
「頼ってくれ。弱味を見せてくれ。泣いてもいい。他の誰かの期待に応えようとしなくていい。むしろしないでくれ。自分が思うまま、自由に生きていて欲しい。それを支えるのが俺の仕事で、やりたいことで、見たい景色なんだ」
「……紅。あなた、は」
何かを言おうとして、息を呑む。
それがなぜかわからなかったけど、緋色の瞳の奥に強い期待の色が湧き上がり、眼差しに乗せて運ばれてくる。
俺が何をしたいかなんてわかりきっているだろう。
でも、これは俺の口から伝えなければ、伝わらない。
ちゃんと目と目を合わせ、しんと張り詰めた空気を裂くように、
「――だから、ずっと俺の傍で笑っていてくれ」
遠い先の未来の話を告げた。
遅れて込み上げてくる緊張。
心臓が叩きつけるかのように鼓動を繰り返して、あらゆるところに汗が滲む。
喉の奥は痺れてしまったかのように一言も発せられないし、限界まで感覚が鋭敏になってしまったのか間近で奏でられる吐息の音がやけに大きく聞こえた。
那月は驚いたのか目を丸くして、その後にへにゃりと緩く眉を下げて微笑んでいた。
ただただ無言で、見つめ合いながら。
一体どれだけの時間をそうして過ごしただろう。
時間の経過が遅くなったように感じられる世界が、那月の息継ぎとともに終えて。
「――本当に、どうしてこんなときに言うんですか……っ! 私が断れないことをわかっていて言うのは意地悪です! 卑怯です!」
「……そう、だなあ。弁解の余地がない。好き勝手言ってくれ」
「ああ、えっと、責めている訳じゃないんですよ? そりゃあちょっとは思うところとか、なんでもっと早く言ってくれなかったのでしょうかとか、付随しての怒りとかもありますけど……
満面の笑みを浮かべた那月が非常に落ち着いた様子のまま呟き、頬へ右手が伸びてくる。
添えられた手はいつも通りひんやりとしていて気持ちがいい。
「……ねえ、紅。私、めんどくさい女です。紅が他の女の子と一緒にいたら悔しくて悲しくて大変なことになってしまいます」
「俺も同じなんだから気にするな。お互い様だ」
「吸血だって、もっといっぱいさせてほしいって強請ると思います。そうしている間は紅の全部を独占できます。続けていたらダメだってわかっていても、やめられそうにありません。自制心が溶けてしまっているんです」
「那月に……好きな人に求められてるって考えたら悪い気はしない。でも、自制心が溶けてるは違うと思うぞ。本気で断れば察してやめてくれるはずだ。続けたら俺が死ぬって方は……まあ、おいおい対策を練るという形で」
「まるで続けるのは構わない、と言われているような気がするのですが」
「そう言ったつもりなんだけどな」
お互い呆れたような目に変わって、はあ、とため息が重なる。
それがどうしてか面白くて、二人揃って笑ってしまった。
「……まあ、そういうわけだから、もう我慢しなくていい。もうじき一時間経つ。途中で応急処置をしていたとはいえ……限界だろ?」
「…………バレていましたか。どうにか取り繕おうとしていたのですが、誰かさんのせいで意味がなくなってしまいました」
視線が、動く。
一生消えないであろう噛み痕が残されている首筋へ。
那月の意識が釘付けになり、さらに身体が寄せられる。
女性特有の柔らかさと、汗と混ざり合ったほんのり甘い体臭。
少なからず血を摂取しているため、発情の方も始まっているだろう。
それを意識させるように那月は腰回りを一段と強く押し付けてくる。
とろんと蕩けた緋色の瞳。
色んなものが溶けて混ざり、一つになった宝石。
赤い舌で唇を濡らし、僅かに口角を上げた。
「……もう何日も吸っていないせいか、いつもより恋しくです。疼きがずっと止まらなかったんです。でも、目を逸らし続けてきました。吸血衝動が起こったらどうしようもないですから」
「好きなだけ吸えばいい。俺が吸わせたいんだ。まあ、量には気を付けて欲しいところだけど」
「そこは初めて紅の血を吸った日から気を付けていますよ? 美味しすぎて、いくらでも欲しくなってしまうんです。そこの自制心だけは自信があります。ですが……その、えーっと…………」
珍しく吸血衝動の最中に言葉を詰まらせる。
ああでもないこうでもないと唸りながらも、最後には耳まで真っ赤に染めた顔を見られまいと考えてか、耳元まで口を寄せてきて。
「――ちゃんと、いっぱい、溺れるくらい、私を愛してくださいね……?」
甘い囁きに背が震える。
押し倒されるような形で視界が上へと傾き、背中がベッドに着地。
そこへ那月が覆いかぶさるような体勢で、上下の形で再び顔を合わせる。
「遠慮も、罪悪感も要らない。那月にとっては必要なことで、俺はこの関係を望んだ。もしも破綻したら……そのときは笑ってくれ。馬鹿な男だったってさ」
「笑われるべきは私の方でしょう。大切な人の命よりも、その人と一緒にいる、いつ終わるかも不明瞭な時間を選んだのですから。ですが――そうならないように最大限の努力はします」
「……なるべく他の人の血を吸う那月は見たくないんだけどなあ」
「私だってできることなら紅の血だけがいいですけど、我儘を通した結果、紅がいなくなるのはもっと嫌です。先にいっておきますけど、私、多分紅が死んでしまったら自殺しますよ?」
「は? いや、那月が死ぬ意味はないだろ?」
「そうかもしれませんけど、最愛の人がいなくなった無味蒙昧な世界で生きる意味を私は見出せません。ですから……そうならないように、頑張ってくださいね? 私も頑張りますけど……残念なことに、自制心には自信がありませんから」
「…………そりゃあ責任重大だ」
乾いた笑いしか出てこない。
もっとも、それを言われてもなお気持ちは変わらず、むしろずっと遠くの未来のことを考えてくれていることに喜びすら感じているのだから、俺はもう手遅れなのかもしれないが。
見つめ合い、こくりと頷き合って、那月の顔が首筋に埋められ――鈍い痛みとともに何かが入ってくる異物感があった。
同時に湧き上がる高揚と快楽がそれらを打ち消して、思考を一気に塗り替えていく。
その感覚に身を委ねつつ頭の片隅で「こんなに焚きつけたら今日は長くなりそうだなあ」なんてぼんやりと考えながら、必死に血を吸っている那月の頭をそっと撫でた。
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くぅ~疲れました!w(←これがやりたかった)
これにて完結です!約一か月の間、お付き合いありがとうございました!
終わり方が中途半端と思う方もいるかもしれませんが、元々10万文字程度で完結予定で書いていたのでここまでです。
面白かったという方は星を入れていただけると嬉しいです!
次作に関しては未定です。カクヨムコンにはなんとか一作出したいとは思ってますが……どうなるかは未来の自分に丸投げです。
とりあえず原神とow2をやっておきますね……!
許嫁のS級お嬢様は、俺なしじゃ生きていけない吸血鬼~血を吸うと発情してしまうお嬢様を慰めるのも俺の役目なんですか?~ 海月くらげ@12月GA文庫『花嫁授業』 @Aoringo-_o
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