第4話 一番大切なのは誰ですか?


 談笑していたクラスメイトから一瞬だけ注意が寄せられるも、すぐに仲間内の会話へ戻っていく。

 そのいつも通りな雰囲気に安堵を覚えながら廊下側に席がある那月と別れて、俺は窓際後列の席に座って荷物を整理する。


「よっ、紅。今日も五連勤後のサラリーマンみたいな顔してるな。そんなに疲れるのか? 舞咲での仕事って」


 俺の肩を後ろから軽く叩いてかけられた声に振り向けば、クラスメイトであり友達の遠峰とおみね治孝はるたかが白い歯を見せて笑っていた。

 着崩した制服からは遊んでいるような印象を受けるし、実際遊んでいるのだが、この気さくなノリと親しみやすさから男子には好かれている。

 ただし、女子からは蛇蝎だかつの如く嫌われている。


 そればかりは本人の行いが全てなので俺には弁解の仕様がないものの、本人の名誉のために言っておくと悪いやつではない。

 治孝は俺が舞咲で仕事をしていることを知りながらも、こうして普通に接してくれている。


「……治孝か。別に見た目ほど疲れちゃいないよ。これくらいは慣れてる」

「こんな歳から住み込みで使用人の仕事とか、紅は立派だよな。頭撫でてやろうか」

「やめろ。野郎にされて嬉しくなる趣味はない」

「ご主人様ならいいのか?」

「断る理由がないからな」


 実際はマンションに二人で同棲じみた生活をしているのだが、住み込みでの仕事と言い変えても問題はないだろう。

 こういう言い方をすると那月は不機嫌になるけど、学校で詳細な部分を匂わせる必要はない。


「全く羨ましい限りだな、紅は。仕事でもあんな超絶美少女と四六時中一緒にいられるんだからさあ」

「語弊がある言い方はやめろ」

「へいへい。はぁ……俺も彼女ほしーぜ。おっぱいデカくてエロイ女の子とかさ!」

「最悪なこと言ってる自覚あるか? そんなんだからいつまで経っても彼女出来ないんだよ」

「これくらいは健全な範疇はんちゅうだろ!? お前だって男子高校生ならわかるだろ。というかわかれ」

「少なくともこの話を終わらせた方がいいことだけはわかる。周り見ろよ。女子たちがゴキブリを発見したような目でお前を見てるぞ」


 さりげなく注意してやれば、治孝は「うげ」を顔を引きらせながら、両手を上げて降参のポーズを取っていた。

 そうなるのがわかっているなら初めから口にしなければいいのに……と思いつつも、今のうちに封筒の中身を確認しておくことにする。


 封筒から紙を取り出し、開いてみれば――


(……『放課後、体育館裏で待っています』ねえ。那月ほど多いわけじゃないにしろ、こういうのにも慣れてきたな)


 恐らく女子のものと思われる丸みを帯びた文字で書かれた文面。

 呼び出されるようなことをした覚えは特にないけど、無視する理由もない。


 文面を呑みにするなら告白でもしたいのだろう。

 俺も舞咲と繋がっているためか、時折このような誘いが来ることがある。


 勿論答えは決まっているのだが、もしものことを考えると差出人の顔くらいは見ておきたい。

 もしもこれが罠で俺や那月に不満があるような人間が暴力で訴えようとしてきたのなら、実力行使で早いうちに邪魔者を排除できる。

 どの道こちらには出向く選択肢しかない。


 那月には昼食の時に伝えればいいだろうと考え、ひとまず手紙を仕舞い、さっきから感じる視線の主に対して小さくため息を返した。


 ◆


「――紅は私に頭を撫でて欲しいのですか?」


 午前中の授業が終わって、昼休憩。

 学校の敷地内にあるカフェテリアのテラス席で昼食の弁当――昨日の夜のうちに俺が中身を詰めているもの――を食べていた時に、那月が真面目な顔で聞いてきた。


 テラス席は他にも数席あるが、全部が空席となっていて事実上の独占状態。

 一年の頃からここで那月と昼食を取っているけど、誰かが座りに来たことは一度もなかった。


 思わず口に含んでいたものを吹き出しそうになったが何とか堪え、呆れたように那月を見て、


「真に受けないでくれ。その場のノリだ」

「私としてはやぶさかではない……というか、こちらからお願いしたいくらいなのですが」

「……那月がしたいなら好きにすればいい。俺は従者で、那月は雇い主。頭を撫でられることも業務内容の一環だ」


 思っていることをそのまま伝えれば、那月の目がぱっと見開かれる。

 そんなに俺の頭を撫でたかったのだろうか?


「ああ、でも場所だけは考えてくれ。こんな所でされたら妙な疑いを持たれかねない」

「わかりました。帰ったらゆっくり撫でます。思う存分、気が済むまで」


 これは本気だな、と声の調子で理解してしまい、帰宅するのが億劫おっくうに感じてしまうも避けられない未来だと割り切って諦める。

 そもそも……頭を撫でられることを拒否する理由もなければ、嫌という感覚もない。


 多少恥ずかしさはあるけど、それだけだ。


「それにしても……やはり私は関わりにくい存在なのでしょうか」


 ぽつりと、那月が零す。

 朝に治孝としていた話が耳に入っていたのだろう。


「舞咲家……複数の有名企業を束ねる財閥のご令嬢ともなれば、な。住む世界が違うと思っているんだろう。那月のことを才色兼備の完璧超人だと思ってるみたいに。実際本人を見てたらそうでもないってわかりそうなものだけど」

「……まるで私が本当はポンコツみたいに言いますね?」

「深読みしすぎだ。俺はただ、那月がいわゆる天才じゃない事を知っているってだけ」


 学校での成績は文字通りトップの那月だが、そこに至ったのは彼女の弛まぬ努力によるものが大きい。


 毎日の予習は欠かさず、程よい運動を心がけ、コツコツと努力を積み重ねることを継続する。

 果たしてそれを数年単位で出来る人がどれだけいるだろうか。


 那月は「慣れれば誰でも出来ることです」と言っていたけれど、少なくとも俺にはとても難しいことだと感じてしまう。


「誰も理解しようとしないだけなんだよ。天才なんだ、特別なんだ――自分たちとは違う存在なんだって雑に括って、その本質を見ようともしない」

「怖いんですよ、自分とは違う何かを受け入れることは。その気持ちは、私もよく理解しているつもりです」


 それは那月が過去に抱いていた実感を元にした言葉だとわかって、胸の奥が針で刺されたかのような痛みを訴える。

 俺も那月をそういう風に見ていた側の一人としては耳の痛い話だと思いつつも、


「那月はそれでいいのかよ。このままだと卒業まで一人も友達が出来ないままだぞ?」


 現状をかんがみて、可能性の高い心配事を伝えてみたが、那月は顎に手を当ててほんの少し考える素振りを見せてから、


「……私は、紅がいてくれればそれでじゅうぶんです」


 迷いなく言い切ってしまうのだ。


「あの地獄のような自責と後悔の日々から救い出してくれたのは、他の誰でもなく、紅です」

「……外でこの話はやめないか。もしも誰かに聞かれていたら困ったことになる」

「そうですね。では、これだけでも伝えさせてください。いつもありがとうございます、紅。貴方がいてくれるお陰で、私は今も生きていられるのです」


 目を伏せ、自分の胸に手を当てる那月。


 那月はあの日から何度だって感謝を伝えてくれる。

 俺の役割が那月に吸血され、生命維持をすることだとわかっていても。


「それとも……これでもまだ、自分じゃなくてもいいなんて言い出しますか?」

「……事実、そうだろ」

「いいえ、違います。私は紅がいいんです。紅だからいいんです。――紅じゃないとダメなんです。他の人となんて考えられません。私は我儘なので、命を預ける相手くらい自分が信じる人であって欲しいと思ってしまいます」

「そんな大げさ……でもないんだよな。生命活動に直結するわけだし」

「それもそうですが、その後もですよ。いくら吸血が原因で発情していても、好きじゃない人としたいなんて思いません」


 ……。

 …………。

 ………………。


 こうもストレートに言われると、俺はどうしていいのかわからなくなってしまう。

 ヘタレだと笑いたければ笑え。


「……昼間からこの話をするのやめないか?」

「思い出して興奮してしまう、と?」

「頼むから人並みの羞恥心くらい感じて欲しい」

「私だって恥ずかしいと思うことくらいあります」

「例えば?」

「…………それは、絶対秘密です」


 ぷい、と那月は顔を背けてしまった。

 銀の髪が揺れる横顔。

 覗く頬の肌色はほんのりと赤い。


 那月が一体何を考えていたのかまではわからないが、あまり感情を表に出さない那月が顔を赤くするほどだから余程なんだろうと納得しておくことにする。

 食べ終わった弁当を片付けて、残りの昼休みを過ごそうとしたが、


「ああ、そうだ。那月、放課後に用事が出来たから、待つのが嫌なら先に帰っててもいいぞ」

「……用事、ですか?」

「放課後に体育館裏に来て欲しいんだとさ。差出人は不明。用件に心当たりがないんだが――那月?」


 どう思う? と聞こうとしたのだが、那月の表情が険しくなっていた。

 怒っているともちょっと違う……これは、なんだろう。


 那月が抱える感情を推理している途中で、


「……紅。一番大切なのは誰ですか?」


 神妙かつ静かな口調で、那月は問いを投げる。

 誤魔化しを許してくれそうのない緋色の瞳が、俺だけを真っすぐに映していて。


「那月。俺の一番は那月だ」


 確固たる自信を持って答えたが、那月はすぐには視線を外さず見定めるようにじーっと見つめ合ってから小さく息をつく。


「これ、何の意味があったんだ?」

「ただの確認です。気にしないでください」

「はあ……」


 この分だと追及するだけ無駄だろうと諦め、ちょっとだけ不機嫌を匂わせる那月と昼休みを過ごした。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ここまで読んでいただきありがとうございます!

少しでも面白い、続きが読みたいと思った方は作品のフォローと★★★をいれていただけると、さらに多くの読者さんに読んでいただけるきっかけになります! ぜひよろしくお願いします!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る