第15話 私の身体を好き放題できる立場なのに食欲の方が上なんですか
「よかったな、明日香と仲良くなれて」
「私だってやればできるんです」
「初めからやってくれたらもっと安心したんだけどな」
「……紅は私の保護者ですか?」
「似たようなものだろ。那月の従者なんだから」
学校からの帰り道。
夕食のためにスーパーで買ってきた食材を片手に袋で下げながら、日が傾きつつある歩道を並んで歩く。
高校入学から同居生活を続けて早一年……俺も慣れてきたものだ。
「それはそうと、なんであのことを明日香に話したんだ?」
「理由はちゃんとありますが、紅は知らなくても問題ありません。雫さんだって秘密にすると約束してくれたのを目の前で見ましたよね」
「……その事情ってやつは明日香も知ってるんだよな」
「ええ」
すんなりと俺をのけ者にしていると答える那月。
清々しくて怒りすら湧いてこない。
俺は那月の従者……主人が大丈夫だと言うのであれば俺が気にする必要はないのかもしれないけど、気になるものは気になる。
「これは雫さんのプライバシーにも関わりますから紅には教えませんよ。乙女の秘密協定です。知りたければ紅も女の子になってから出直してください」
「わかったわかった。那月がいいならいい。この件は二度と聞かない」
女の子になって出直してくださいってなんだよ実質的に絶対話さない宣言だろ?
だったら無理して聞く必要もない。
那月のことだからリスク管理をしたうえでの行動だろうし、明日香も約束を破るようには見えなかった。
「でも、俺だけ部外者って感じがして、ちょっと寂しいかもしれない」
「私たちの認識では当事者なんですけどね」
「……え?」
「ああ、気にしないでください。紅が考えてもわかるはずのないことですから」
「遠回しに馬鹿にされてるよな?」
「ある種の信頼ですよ、本当に」
那月が何のことを言っているのか考えたが答えは出ないまま帰宅した。
手洗いうがいなどを先にしてから買ってきた食材で使うものだけを出しておいて他は冷蔵庫にしまっておく。
「今日の夜は何にするんですか?」
そこに、愛用の白いエプロンを着用して髪を一つに結んできた那月が合流する。
料理をするときは衛生的な観点から結ぶように教えていた。
「安かったぶりを使った照り焼きに、大根とタマネギのサラダ、それと味噌汁。具は……大根、豆腐、油揚げとネギくらいか」
「じゃあ、お味噌汁は私が作りますね」
「助かる。隣で一緒にやってたら失敗することもないだろうし」
「……まるで一人でやらせていたら失敗するように聞こえます」
「五分五分……いや、失敗の方が六割くらいだと見積もってはいる。味噌汁で何を失敗するんだって話だけど、常人の思考を越えてくるのが那月だからな」
トースターで食パンを焼くのに失敗するんだから自分で調理する必要がある味噌汁では何が起こるか想像もつかない。
不満そうにしているけど苦い経験があるので何も言い返せない……そんな感じの表情だ。
「ちゃんと初めよりは上手くなってるから安心してくれ」
「……でも、まだ紅が作った方が美味しいです」
「まだ一年だろ? 失敗は成功の素。次は必ず成長してる。俺が一番近くで見てきた那月はそういう人間だ」
「…………本当に、ずるいですよ。そんなこと言われたら裏切れないじゃないですか」
頬を緩めて微笑む那月。
健気で素直な感情を浴びて、少しだけ恥ずかしさを覚えてしまう。
「今日も美味しいって言わせますからね、紅」
「楽しみにしておくけど、変に気合入れようとして失敗したら元も子もないからな」
「お味噌汁で塩と砂糖を間違えることはないので大丈夫です。……多分」
自信を持って断言して欲しかった。
料理中は目を離さないようにしようと思いつつ、二人でキッチンに並び、調理に取り掛かる。
慣れている俺が手際よく進めていく傍ら、ぎこちない手つきで材料を切り分ける那月。
一年前に猫の手を教えたのが懐かしく思えてくる。
その頃と比べると格段に上手くはなっているけど、時々危なっかしいところがあってひやひやしてしまう。
包丁で指を切るとか本当に勘弁して欲しい。
なぜかって? 夜まともに寝られなくなるのが確定するからだよ。
あれは……なんかもう、色々しんどかった。
俺は那月が場所を使っている間にぶりの方を焼くことにした。
先にフライパンにサラダ油を敷いて加熱し、温まるまでに買ってきたぶりをパックから取り出しておく。
事前に照り焼きのタレを作っておくのを忘れない。
しょうゆ、みりん、調理酒、砂糖を目分量で混ぜ合わせ、邪魔にならないところに置いておく。
相している間にフライパンが温まっていたのでぶりを二切れ並べ、焼き具合をみつつ焼き色がついてきたら裏返す。
「紅! ちゃんと切れましたよ!」
フライパンと那月の様子を交互に見守っていると、時間をかけつつもちゃんと味噌汁の具材を切り終えた那月が包丁を置いて嬉しそうに声をかけてくる。
子どものような無邪気さを感じる笑み。
一つに結んだ髪がぴょこぴょこと揺れるのが可愛らしい。
「みたいだな。鍋が沸騰したら先に大根を入れてくれ」
「煮えにくいものから、ですよね」
「そういうことだ」
クッキングヒーターの一つで鍋を沸かしつつ、俺も焼いていたぶりをひっくり返す。
そこへフライパン全体に満遍なく行き渡るようにタレを投入し、弱火にしてからスプーンでタレをかけつつ焼いていく。
「那月、もう一仕事頼まれてくれるか? 大根を千切り、タマネギは……普通に切って氷水につけておいてくれ」
「っ! 任せてください!」
追加で仕事を頼まれてやる気を出したらしい那月がうきうきとしたまま大根の皮をピーラーで剥き始めた。
サラダも俺が作ってしまう予定だったけど、照り焼きはあまり目を離せないのと、那月のスキルアップにも丁度いいので頼むことにする。
だが――
「っ、」
タマネギを切っているときに目に染みて手元がズレたのか、包丁で浅く指を切ってしまっていた。
じわ、と染みてくる赤い血。
「那月ッ! 血が」
慌てて火も消さずに那月に包丁を一旦置かせて、怪我をした手を取るも、
「すぐ治りますから大丈夫ですよ」
どこか焦点のあっていない目元のまま血が滲む指を流水で洗い、「ほら、この通り」と俺に見せてくる。
息は僅かに乱れていて、頬がほんのりと赤い。
「……悪い。俺のせいだな。余計な仕事を頼まなかったらこうはならなかった」
「私は怒っていませんよ。頼ってくれて嬉しかったです。ですから――」
緋色の瞳が潤んで見えるのはタマネギのせいだけではない。
那月は自分の血を見て吸血鬼の本能が呼び起こされてしまっている。
照り焼きを焦がさないよう先にヒーターの火を止めて蓋を被せてから、シャツの襟元をずらして那月の前に首を露出させた。
「収まるくらい貰ってくれ」
「……すみません」
謝る那月の声がして、顔が近付いてくる。
微かに甘い体臭が鼻先を掠め、続くように首へ那月の牙が埋められた。
鈍化された痛みと、忌避感を中和するための快楽が脳を交互に揺らす。
けれど、その感覚に身を委ねることはなく抗い続け、那月の身体を抱き留めながら終わりを待つ。
「――ありがとうございました。もう、大丈夫そうです」
そう言って那月は牙を抜いて顔を上げるも、吸血だけで終わるはずがない。
間近で、蕩けた緋色の双眸と視線が交わる。
「晩飯の時間がちょっと遅くなるけど……那月以上に大事なこともないか」
「…………紅のそういうところ、本当に、よくないです」
「文句は育ち盛りの男子高校生の食欲に言ってくれ」
「……私の身体を好き放題できる立場なのに食欲の方が上なんですか」
「答えにくいことを聞かないでくれ」
誰も性欲がないとは言っていない。
ただ、湧く頻度より那月に求められる回数の方が多いからこうなっているだけで。
「寝室いくぞ。手早く済ませよう」
「……義務みたいに思わないで、ちゃんと優しくしてくださいね?」
「乱暴にしてきた覚えも、蔑ろにしたこともなかったはずだけど」
「夕食と比べられるのはなんだか、嫌です」
「はいはい。ならもう気が済むまでやってくれ」
「言質は取りましたからね……?」
……飯食う体力残ってるかな?
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