第2話 家族みたいなものですから
「――起きてください、紅。遅刻してしまいますよ」
そんな声が聞こえて、
蝶の羽のように瞬く長い
身体に残る確かな倦怠感は那月に吸血をされ、その後も発情した那月が落ち着くまで行為に及んでいたからだろうと寝起きのぼんやりした頭で考える。
「……起きてたんだな」
「紅の血を吸った後の日は気力も体力も満ち溢れていますから」
微笑みを浮かべながら答える那月は俺よりも先に起きていたのか、学校の制服に着替えを済ませていた。
那月に仕える立場で彼女より起きるのが遅いのはどうなのかと思うけど、吸血された後の朝は勘弁して欲しい。
いつもが早起きだとは口が裂けても言えないけど。
「俺の方はぐったりだよ」
「そんなこと言って、昨日は何度も私を攻め立てていたじゃないですか」
「……記憶にないな」
急に気まずさを感じて那月から目を逸らし、上半身を起こして背を伸ばす。
那月には記憶にないと誤魔化したが……実際のところ、ばっちりと覚えているし、そんなことは那月も理解している。
俺の方が勝手に気まずく感じているだけ。
「とても美味しかったですよ、紅の血は」
「……そうかい」
現代には天使や悪魔、人狼、雪女なんて実在しないとされているが――それは、微妙に間違っている。
その根拠として上がるのが、俺が使える家……舞咲家。
複数の大企業を束ね、日本有数の財力と規模を誇る舞咲グループを統括する舞咲家は、それら
そして、舞咲家から生まれた吸血鬼の特徴を持つ少女こそ、俺が子どもの頃から関わりのあった舞咲那月なのだ。
那月が俺の血を吸うのは生命維持のため。
吸血の後、行為に及んでしまうのは吸血という仕組みが抗えないほどの性的興奮を引き起こし、発情してしまうからだ。
要するに俺は輸血パックのような役割なのだが……発情した那月と身体の関係になってしまっている訳で。
那月は財閥令嬢で、本来なら手の届くはずのない異性。
なのに、恋人以上のことをしてしまっている。
とはいえ、そこまでするようになったのは高校に入る前くらいから。
頻度で言えば週に一から二回ほど。
しかも……俺は那月の許嫁だ。
これを聞いたのは那月と初めてしてしまったことを那月の両親に謝罪しに行ったときだ。
冗談じゃないと思いながらも、こんなことをしているのだから責任を取れと言われても断れない立場にいるのは理解している。
那月とそうなることに不満があるわけではないけれど、立場や精神的な問題から本当にいいのだろうかと考えてしまう。
那月は俺の血が好きらしく、何かと吸血を
責める気もなければ、断る理由もない。
俺自身が望み、生きるための指針となった価値基準。
孤独だった自分を救い出してくれた那月に報いたくて。
同じく孤独を選びかけた那月に、そうはなって欲しくなくて。
こんな形ではあるけれど……俺はどうしようもなく那月のことを好きなのだから。
「とりあえずシャワー浴びてくるか……」
「では、私は朝食の用意をしておきますね」
「無茶はするなよ? 人間には向き不向きがあるからな?」
「……そんなに私の料理の腕が信じられませんか?」
半眼で問う那月に対して即座に頷く俺。
いや、だってさ……まさか一年経って目玉焼きが関の山とは思わないだろ?
味付けで失敗しないだけマシなのかもしれないけど、その目玉焼きすら半分くらいの確率でスクランブルエッグになってしまう。
だから普段は俺が頑張って早起きして朝食を作っているのだが、吸血の後の日はちょっと厳しい。
「……でも、やらないことには上達しないか。因みに作ろうとしてたのは?」
「朝食なので軽めにトーストとスクランブルエッグ、ベーコン、粉末で淹れるコーンスープと、ドライフルーツ入りのヨーグルトにしようかと」
「それなら失敗する要素はないか。ああ、トーストの時間まちがえるなよ? 前に炭みたいにしたことあっただろ」
「あれはトースターが勝手に丁度いい焼き加減で止めてくれるものだと思っていただけですっ! もう失敗しませんから! というかそれ一年前のことですよね!?」
「悪い悪い。流石に那月でもそんなミスはしないか。……しない、よな?」
「お望みならダークマターを錬成するのもやむなしですが」
「からかい過ぎた」
「わかればいいんです」
少しむっとしつつも那月はキッチンへ向かったので、俺も早めにシャワーを浴びてこようと着替えを持って部屋を出る。
浴室の鏡に映るのは昨日那月としたことが原因なのか疲れて見える自分の顔だ。
目元を軽く隠すくらいに揃えられた黒髪。
釣り目気味な目元はどうしてか不機嫌そうに見えてしまう。
特徴的なのは金にほど近い色味の瞳だろう。
特徴自体は発現していないものの、俺にも那月と同じく人ではない存在の血が流れている。
視線を下へ移せば細身ながら鍛えられた身体が映り込む。
そして、首元につけられた那月の噛み痕も。
「……いつも思うけど、これ痕が治る前にまたつけられてるよな?」
那月の唾液には麻酔・鎮痛・治癒作用があるのだが、それでも吸血の時につけた噛み痕を治すには足りないらしい。
痛みがないだけマシと思えばいいのか? 気にしてどうなることでもないから、最終的には諦めるしかないのだが。
全ては那月の匙加減。
ここ一年の吸血頻度を考慮すると、この先一生身体に刻まれ続けることになりそうだ。
「吸血するために噛み痕はどうやったって残る。だけど……キスマークを付けるのはどうにかならないのか?」
身体全体に数個ほど残された赤い虫刺されのようなものを見つつ、ため息をつく。
こんなものを誰かに見られでもしたら妙な疑いを持たれかねない。
那月だってその辺のことはわかってるはずなのに……いや、発情中の理性を期待するのが間違っているのか?
……思い出すのはよそう。
温めのシャワーで身体を綺麗にしながら頭を起こしてから、俺たちが通う三ツ和高校の制服に袖を通す。
この制服も二年目になり、着慣れて来たなと思いつつ鏡を見て身だしなみを確認。
髪などを整え、自分の中で及第点が押されたところでリビングに戻れば、那月が宣言していた通りのメニューがテーブルに並んでいた。
「どうですか? ちゃんと作れましたよ」
「万が一失敗してたら俺は那月をキッチンに立たせるのを本気でやめさせようか考えるところだったぞ」
「紅は早起きが苦手でしょう?」
「命がかかってるなら起きれるだろ、多分」
そもそも朝食は手間をかけずに作るから、さほど時間は必要ないんだけどな。
「それはそれとして……ありがとな、那月。今日のは美味しそうだ。助かる」
「今日のは、は余計ですけどね」
「ならもっと上達してもらわないとな」
「紅に教えてもらえれば、もっとうまくなれると思います」
「だな。那月が下手なのは経験がないからだとわかってるし。一年前までは屋敷で暮らす箱入りだったわけだからな」
那月はこれでも育ちのいいお嬢様。
当然、自分で料理をしたことがあるはずもない。
「高校生になってからはマンションの一室を借りて紅と二人暮らしですけど」
「一年経ってるのに今更なのはわかってるんだが、年頃の男女が一つ屋根の下ってどうなんだよ。血が繋がっているわけでもないのに」
「紅に限って言えば何も問題ありません。むしろ別で暮らす方が支障があります」
「好きな時に血が吸えないからか?」
「それもありますが――紅はもう、家族みたいなものですから」
微笑みながらかけられる言葉に、自然と胸が熱くなる。
俺の両親も舞咲で働いていたが、小さい頃に事故で死んでいる。
幼くして天涯孤独となった俺は色々あって舞咲の本邸で暮らすことになり、自然と同年代だった那月と過ごすことが多かった。
だからだろうか。
血が繋がっていない関係だとしても、那月を含めた舞咲の人のことを家族のように思い、思われている。
「それに、お父様から聞いていますよね? 紅は私の実質的な許嫁だと」
「……承諾した覚えはないけどな。第一、俺じゃ那月に釣り合わない」
「家を継ぐのはお兄様がいるので問題ありません。釣り合わないということも紅を知っている人ならば絶対に言わないでしょう。そしてなにより、私自身が望んでいます。紅は違いますか?」
そんなの、望んでいないはずがない。
俺だって那月のことは好きだ。
大好きだと言ってもいい。
それは異性としても、一人の人間としても同じ。
「……随分遠い話な気もするけどな」
「そうでもありません。後二年もすれば法律的には結婚が認められます」
「だとしても、ほら、大学とかあるし」
「結婚していても通えるはずです」
こんなにも想いを伝えられては、嫌う方が難しい。
「それより学校だ。早く食べないと遅刻するぞ」
「話を逸らしましたね?」
「間違ったことは言ってない」
「……まあ、そうですね」
仕方ない、という雰囲気を漂わせながらも話を区切った那月と一緒にテーブルについて、学校に遅れないよう手早く朝食を食べ進めるのだった。
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