第2話 八月六日 1

八月六日


 怖がり疲れ、いつの間にか意識を失ったユキを目覚めさせたのは、サクラからの一喝だった。

「夏休みだからって毎日寝坊じゃ堕落っていう坂道を転げ落ちるだけよ」

 ノックもせずにユキの自室に押し入り、部屋のカーテンを一気に開いた。

「ユキって窓締めて寝てるの? っていうか暑い! この部屋蒸し風呂じゃない」

 ユキの返事を待たずにサクラは窓を全開にして部屋に新鮮な取り空気を取り入れる。暑いことに変わりがないが、そよ風がユキの部屋を通り抜け、汗ばむ空気を一変してくれた。 

「何時?」

 眩しい日差しに安心感を覚えつつ、ユキは仰向のままうんと伸びをした。

「九時過ぎ。お母さんが朝ごはん早く食べちゃってだって」

 食事の話を持ち出され、ユキは空腹であることを自覚した。上半身を持ち上げしょぼしょぼする目をサクラの方へ向けると、

「え?」

 サクラが二人いた。

 違う、別人だ。本物の右隣に立つのは、姉のサクラではなく、昨夜、道でうずくまっていた少女だった。少女が自分の部屋にいる。

 ――憑いてきた。

 やっと起きたと思った弟が顔を凍りつかせて動かくなった。サクラが怪訝な顔をする。

「アンタどうしたの? まぁいいや。あたしは起こしたからね。それじゃ」

「待って姉ちゃん」

 思いがけず大声になってしまったことにサクラのみならずユキ自身も驚いた。そして、あろうことか少女までもが驚いた顔をしてユキを見ている。お前は違うだろうが。

「急に大声を出さなでよ。何よ? 寝ぼけてるの?」

 サクラが不満顔で言うと、

「姉ちゃん、見えないの?」

 真剣な表情でユキは訴えた。サクラの霊感はユキと比較できないほど強力で、見えてしまったときの対処方などはユキは全部姉から教わった。その姉が気がついていないなんて信じられなかった。

「何それ? もしかして霊の類のことを言ってるの?」

「そうだよ、それ以外ないよ! いるじゃん! そこに!」

 ユキがサクラのすぐ隣にいる少女を力いっぱい指差す。少女の「自分?」と言いたげな表情に少し苛つかされる。

 サクラが目を細めて至近距離で少女を睨みつけている、ようにユキに映るが、どうやらサクラには本当に少女の姿は見えていないようだった。

「どこにいるってのよ。大体あたしの方が霊感強いんだから、ユキに見えてあたしに見えないわけないじゃない。アンタまだ寝ぼけてるのよ」

 そんなっ、とユキが泣きつこうと口を開きかけた矢先、

「それとも何? アンタ、我が家に連れてきちゃったとか言わないわよね? あたしが、いつも、口酸っぱくして忠告しているにもかかわらず?」

 サクラの笑みにユキは何も言えなくなった。

『見えても見えないふり』『話かけられても知らんふり』

 徹底されてきた二つの誓いをユキは昨晩同時に破ったばかりか、あろうことか自分から話かけ、挙句の果てには憑かれ家に連れてきてしまった始末である。どれだけ非難されるかわかったものじゃない。

「なんでもない。姉ちゃんの言うとおり俺たぶん寝ぼけてるんだ」

サクラからの突き刺さる視線をかいくぐるようにして、ユキは一階に降りていった。

 自分で解決しよう。階段を下りながらユキは決めた。別に姉ちゃんが怖いわけじゃない。自分で解決できると思ったからだ。姉ちゃんに見えないんじゃ言ったところでどういようもない。仮に相談するにしても俺にしか見えない理由を自分なりに考えてからの方が相談もしやすい。それに、あの幽霊からは『悪意』といった気配を感じられない。緊急性は、たぶん、ない。

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