第13話 八月八日 2

「――そうだな、勝負はこれからだ」

 通話を切り、シロたちに見えないようナツへガッツポーズ。そしてユキはシズクの方へ、親しみやすさを総動員して歩み寄る。

「こんにちはー。俺はシロの友達で同じクラスの相沢雪彦。イノとは部活が一緒の幼馴染。みんなからはユキって呼ばれてる。まぁそんな感じの自己紹介でよろしくね」

ユキの挨拶に緊張が少しほぐれたのか、シズクはユキに丁寧にお辞儀をした。

「こちらこそです、栗林雫です。エリとはクラスが一緒で、シロ君とはバレー部で一緒です」

 ユキはやはり彼女からナツと似た印象を受けた。きっと良い子だ。

「挨拶の時は帽子を取らなきゃ」

 とそこに挨拶に割り込むように、イノが頭を下げていたシズクの頭から帽子を素早く奪い取った。

「わっ」

 シズクが両手を頭にやったときには彼女の帽子は既にイノの手の内にあり、ようやくシズクの顔が露わになった。

 運動部ならではのショートヘアは、癖毛のせいか毛先が愛くるしく外側へ跳ねている。跳ねの一つひとつがまるで狙ったのではないかと思うほど絶妙だ。シロが惚れるだけのことはあると納得する反面、ライバルが多いのではないかと心配になる。おとなしい分、この逸材はイノのような活発な子たちの中に埋もれてしまっていたのだろう。 

「日焼けの問題はあるかもしれないけど帽子で顔を隠すにはもったいないんじゃない? なあ、シロ?」

 軽口をたたいてユキが同意を求めると、シロは機械仕掛けのように何度も首が縦に曲がり、シズクの頬はさらに染まった。

「あのさ!」

会話がひと区切りついたのを見計らい、イノが三人の視線を集中させる。

「ユキたちも映画を観に行くんでしょ? それならいっそ一緒に観ない?」

 イノの提案に、事前の打ち合わせどおりユキは高々と手を挙げた。

「俺も賛成。男ふたりで映画を観るよりよっぽどいいや」

「それはそうだけど、栗林さんはイヤじゃない?」

 空気を読まないシロの気配りにシズクは「そんなことないよ」と小さく手を振った。

「決まりね」

 イノが見せた一瞬の黒い笑みをユキは見逃さなかった。そして、ユキが同じ笑みを浮かべていたことはナツが見逃さなかった。似た者同士――細い顎に手を当てて、ナツは静かに観察していた。

 シロが当初目的としていたSF映画は話題にのぼることもなく選択肢から外れ、シズクが希望する、筋書きどおりの恋愛コメディを観ることに決まった。

「男だから言いだしづらかったけど、実は俺も観たかったんだ」

 チケットを受け取ったシロの健気な同調に感心しつつも、――嘘つけ、ユキはナツに向かって舌を出し、ナツはそれに叱る仕草で返してくれた。

「シズクと一緒に観れて嬉しい?」

 映画の配役についてシズクと話しているシロに向かって、からかい口調でイノが爆弾と投下した。ユキが躊躇ってしまう奥地へイノは平然と攻め入ってしまう。危なっかしくて見ていられない。

「ちょっとエリ!」

 ユキの注意よりも早く、シズクが恥ずかしさを隠すための怒り顔でイノを引っ張る。一方のシロは図星を突かれたことがもろに顔に表れ、気の毒になるほど挙動不審だった。

「顔に出てるぞ。しゃんとしろ」

 ユキがシロの背後に回りそっと声をかけた。

「絶対バレた。もう駄目だ、帰りたい」

 女性陣が少し離れたところで言い合っている様子を見つめ、シロの勇気は早くも萎えていた。

「バカ、むしろチャンスだと思え。これで栗林さんは映画中もシロのことを意識する。絶対にだ」

「根拠は?」

 シロから降り注がれる恨めしそうな視線を無視し、ユキは力強く頷く少女に目をやった。

「俺の守護霊さまがそう仰っている。間違いない」

 守護霊とされたことが不服なのか、ユキのポケットの中で携帯が抗議の声を上げた。

 イノの冷やかしは良くも悪くもシロとシズクを互いに強く意識させた。ただし会話はぎこちないものに逆戻りだ。

「なあ、大丈夫なのか?」

 館内への入場が始まり、チケットの確認に並ぶ列の中でユキはイノに確認する。大丈夫と見栄を張ったのはよいが、ぎこちないふたりにさすがに心配が膨らんでいく。

「シロ君は好意が気取られて落ち込んでいるみたいだけど、あんなの始めからバレバレよ。おまけに目も節穴。シズクの素振りを見てチャンスと思っていない」

「確かにそうかもしれないけど、このままだと今日の予定が台無しだぞ」

「映画が終わった頃には元通りに戻ってるんじゃないかな。笑って泣ける映画みたいだし。けろりと忘れるわ」

 イノはチケットをひらひらさせてあっけらかんとしていた。事態を動かすのはイノ、細かいフォローは俺。ユキはようやく今日の自分に与えられた役目を自覚した。

 封切りからまだ日はそれほど経っていないはずだが、館内の席の埋まり具合はまばらで内容に期待できるかは微妙なところだ。内容次第で昼食時の盛り上がりが大きく左右されるというのに、ネタバレが嫌で事前調査を怠ったことをユキは悔やんだ。

「何ぼんやりしてるのよ。早く席に着きなさい」

 背中をイノに小突かれ、ユキは改めて自分のP‐15と書かれたチケットを見直した。

 スクリーンに向かって左から順番にイノ、シズク、シロそしてユキの順。座席順はチケットを受け取ったイノが調整したものだ。ユキはナツに空席になるだろう右隣の席に座るよう目配せし、ナツはチケット代を払っていないことを気にしてかおずおずと浅く腰掛けた。

 ユキがナツの反対側の席に目を向けると、シロは岩のように固くなり、視線は館内マナーを繰り返すスクリーンに釘づけだった。

「バスでの大口はどうしたんだ」ユキが囁く。

「うるさい」

「いいか、これから暗くなる。暗く、なるからな」

「……何が言いたい」

 ようやくシロの視線をスクリーンから引き剥がしたとき、館内の照明は早くも一段階落とされた。

「チャンスがあったら手くらい握れ。強引なくらいがちょうどいいんだ」

 薄暗い館内でシロがさらに固くなる。強引な仕事はイノの役目と分担したつもりだが、やはりシロの背中を叩くのはユキの役目だ。

 ユキがシロを煽る一方、イノもまたシズクに同様の内容で煽っていた。館内が暗くなければシズクの顔はさぞ目立ったことだろう。

恒例の本編前の予告が始まる。ユキがふと視線を左に向けると、シロの隣でシズクが慣れた手つきで鞄から眼鏡を取り出した。印象違うな、ユキにとってはその程度だった。しかし、ナツにとっては違っていた。眼鏡をかけたシズクの姿を見た瞬間、ナツの心で何かが大声で騒ぎ出し、その衝撃は海底に横たわっていた記憶を呼び覚ますに至った。目を覚ました一部の記憶が、意識の水面を突き抜ける。

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