第12話 八月八日 1

 八月八日


 夏休みに入ってからまだ一度も雨が降っていない。干上がりそうな暑さの中、ユキとナツが待ち合わせ場所にしたバス亭のベンチで休憩していると、ユキたちが来た反対方向から長身で短髪の爽やかな好青年が手を振って歩いてきた。

「あの人ですか?」

「そう、あいつがシロ――大城亘だ」

「……随分イケメンさんですね」

 想像とかけ離れた体躯にナツは隠すことなく驚きを露わにした。

「あの……、私たちが協力する意味ってあるんですか?」

 ナツが首を傾げるのも無理はない。歩いてくる男はスポーツマン然とした美男子だ。同性のユキが見てもほれぼれするときがある。「スポーツが出来る=モテる」の方程式が成り立つ小中学生時代、男兄弟の中で育ったせいとは本人談だが、そんな男が女子から話しかけられるだけで緊張して固くなるというのだから宝の持ち腐れここに極まれりだ。

「あいつは天から授かった喉から手が出るほど欲しい最強武器を全く活かせない大馬鹿野郎だよ」

 ぶっきらぼうにユキが言うと、ナツがいたずらっぽく微笑んだ。

「ユキ君も負けてないですよ」

「――っ! 切るぞ!」

「あっ、ちょっと!」

 言い終わらないうちにユキは強引に通話を切った。男の嫉妬が恥ずかしく、見透かされたことはもっと恥ずかしかった。

「またすぐに話せる機会作るから」

 あたふたしながらシロの方へと向かうユキの背中に、「嘘つき」ナツは静かに呟いた。

「ようユキ、終業式以来」

 シロから放たれる白い歯の輝きは太陽に負けず劣らずの眩しさで目の毒だ。

「これで人見知りじゃなければなぁ……」

 長身を見上げて、ユキは憐れみに眉を下げる。

「おいっ、いきなりご挨拶だな。今日誘ってきたのはユキの方だろ?」

 口ぶりとは裏腹な明るい表情を見せ、シロはユキの胸にツッコミを入れる。

「悪い。学制服以外のシロって新鮮じゃん? 一段と男前で悔しくなった」

「面と向かってそういうことを言うかぁ?」

 もじもじするシロの姿にユキは非常に惜しいとやるせなくなる。シロが弱々しい態度をとると、がっしりとした体格がプラスの要素から一転してマイナスに姿を変える。女っぽい仕草が一般の男のそれよりも数倍強調される格好になり、要は気色悪いのだ。

「いいかシロ」ユキはシロの両肩に手を置き、真剣な面持ちで言う。「お前は男の俺から見てもカッコイイと思う。だからお願いだ。もっと堂々としていてくれ」

 今日だけでも、という言葉は口の中でぐっと抑えてユキは頼む。

「恰好良くなんてねえよぉ」

 シロのなよなよとした返事にユキは頭を抱えた。

「映画の時間を調べたんだけど、早く着き過ぎやしないか?」

 繁華街へと向かうバスの中、隣に座るシロが携帯をいじりながら思い出したように指摘した。ユキがシロに誘った映画はこの夏の超大作と謳う派手なSFものだった。もちろん観ない。ユキとイノが計画している映画は恋愛コメディだ。開始時刻はSFよりも十五分程度早い。

「道が混む場合もあるだろ。到着が早いに越したことはない」

「そっか」

 なんの疑いも持たない友人に付いた嘘はユキに少し後ろめたさを覚えさせたが、前の空席に座るナツが身を捻り、ユキに代わってシロに頭を下げてくれた。これで手を打ってくれとユキは心で唱え、ナツに「ありがとう」と口パクで伝えた。

「そういえば」

比較的大きめの揺れで思い出した振りをして、ユキはシロにあらかじめ仕込んでおくべきことを実行することにした。

「今日さ、なんとなくテレビで占いを見てたんだけど、シロって確か獅子座だったよな」

「ああ、っていうか来週が誕生日だから今日の分奢れ」

「そんな金はない。むしろ金より嬉しいことだと思うぞ」

「聞こう」

 シロがユキに身体を寄せる。狭い。

「今日のシロは『告白が成功する日』だってさ。愛しの栗林さんに電話で告ってみろよ」

 当然こんな占い結果は事実無根の作り話だ。実際は風邪に気をつけてとかそんな内容だった。バスのアナウンスだけが流れる僅かな沈黙、効果なしかと思われたそのとき、シロがパカッと口を開いた。

「マジでっ? ヤバイ、チャンス来た? あーけどなぁ……俺、告白するなら電話より直接がいいんだよなぁ」

 効果はてきめんだった。告白は面を向かってしたいという意気込みが男らしいといえるのかはともかくとして、シロにもこだわりはあるらしい。ならば、今日は尚更良い機会だとユキは内心ほくそ笑む。

「だったら栗林さんを呼び出そうぜ。連絡先くらい知ってんだろ?」

「阿呆。そりゃあ連絡先は部活の関係で一応知ってはいるけど、個人的にする仲じゃない」

 胸を張って言うことじゃないだろうとユキは呆れるが、

「連絡し合いたいとは?」との質問に、

「是非もない」という答えが返ってきて安心した。

「じゃあさ、仮に今日栗林さんに会えたらどうする?」

「そんな偶然あってたまるか。……だけど、仮に会えたとしたら、占いを信じてみるのもいいかもしれないな」

 妄想が透けて見えそうなくらいのシロのだらしないにやけ顔は、想い人のシズクにはとても見せられるものではなかったが、一方でユキは羨ましくもあった。本人がいないにせよ、これだけはっきりと気持ちを表すことは簡単じゃない。

「もしも会えたなら、俺は神様を信じよう」

「神様か……いるといいな」

 俺たち人の手でやれることは精一杯尽くす。あとは案外、本当に神様次第かもしれない。

 ナツと目が合う。「がんばりましょう」と聞こえた気がした。

 終点、駅前の停留所でバスから降車すると、目的地のシネコンまで歩いて五分もかからない。ユキとイノはその道中でばったり出会う算段を立てていた。しかし、道はユキの予想以上に混雑していた。平日といはいえ世は夏休み真っ盛り。近隣の学生たちが刺激を求め、こぞって繁華街に集まっている。

「賑わってるなぁ」 

 のんきに周囲を見渡すシロは、道行く人々から頭一つ飛び抜けている。こいつが目印だぞ、ユキが不安げに駅の改札へ目を向けた。イノとシズクは足として電車を選んでいる。事前に調べた時刻表ではユキたちの乗るバスの方が到着が若干早い。

「どうした? 早く行こうぜ、暑くて敵わない」

 さっさと歩き出してしまうシロに催促され、ユキは後ろ髪を引かれる思いでシネコンの方へ身体を向ける――と、その時突然ナツが飛び出しユキの前を塞いだ。

「うお!」

 思わずユキから驚きの声が漏れる。明らかに不自然なタイミング、道の真ん中でおかしな声をあげた友人に、シロは怪訝な顔で振り返る。

「変な声出してるんじゃ……」

 振り向いたままシロが固まった。視線はユキを飛び越えてその後方。ナツの綻んだ顔でユキは作戦が順調に滑り出したことを知り、背中にぶつかる呼び声に返事をした。

「え~? どうしてユキたちがいるの? すっごい偶然!」

 イノの大袈裟な態度にもしかしたら思惑がバレてしまうのではないかとユキは冷や冷やしたが、当のシロはそれどころではない。イノに手を引かれ、彼女の背中で縮こまる少女に視線は釘付けだった。

「イノたちはどうしてここに?」

 仰天しているシロとシズクを余所に、ユキは台本どおりの台詞を放つ。

「私たちはこれから映画に行くの」

「マジ? 俺たちも!」

 なぁシロ? と隣を見ると、早くもため息がこぼれそうだった。ユキたちの会話はおそらく全て耳を素通りしていることだろう。シロはさっそくシズクを意識しすぎている。バスでの会話はどうやら裏目に出たようだ。

 シズクも同様だ。日除けの帽子を目深に被り、もじもじしたまま顔を上げない。うっすらと頬が赤いのは日焼けのせいではなさそうだ。

「イノ」ユキがイノを手招きし、そのまま耳打ちする。「栗林さんどうしたの?」

「打ち合わせどおり占いについて伝えたの。そしたらあの様(ざま)よ」

 『素敵な出会いがあるかも』という嘘の結果に、イノはさらに盛ったらしい。『好きな人にばったり会えそう。絶対チャンス! どんどん攻めて!』と。

「ごめん、かなり調子乗った」

ため息をつくイノにユキはため息で返した。良かれと思っての行動を責めるわけにはいかないが、やりすぎた。意識のしすぎでシズクの身体はガチガチだ。

 シロとシズク。意識し合ったふたりは端から見れば初々しい恋人同士に見えなくもない。しかしそれはただの誤解であり、臆病者同士がもじもじしているに過ぎなかった。

「よう」

「こんちには」

 ぎこちない挨拶にズッコケそうになる。弾んだ会話は夢のまた夢か。

 どうすれば……とユキたちが手をこまねいていると、ポケットの中の携帯が大きく震えた。

 はっとしてナツを見ると、「しっかり!」と口が動いている。

「ちょっと失礼」

シロたちに断ってユキが携帯に出ると、

「ユキ君まで飲まれてどうするですか」

 叱責が飛んだ。

「バスでのことは失敗でした。上手く行くと思っていたけどダメでした。だから今から挽回しましょう。シロ君もユキ君の助けを求めてますよ」

 指摘されたとおり、シロはすがるような目でユキを見つめていた。あまりの駄目っぷりにユキの頬が緩む。シロには悪いが自分のことじゃない。そう思うと肩の力がふっと抜けた。

「――そうだな、勝負はこれからだ」

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