第9話 八月七日 1

 八月七日


 翌朝、ユキが目を覚ますと目の前にベッドの脚があった。昨晩、身体を持たないといえどもナツは女の子。一緒には眠れないということでベッドの使用権について一悶着あった。双方が遠慮し合う無益な展開末、ベッドはナツに使わせることでユキは押し切った。床に近い方が涼しいという苦しい言い訳を母親に行い下から運んだ固いと不評の敷布団の上で、ユキは悶々とした夜を過ごした。

 ユキが身体を起こすと、ナツは何も掛けずにベッドの上でまだすやすやと眠っていた。食欲はないにもかかわらず睡眠欲があるのはおかしな話だが、一晩中起きているより遥かに人間らしくユキは深く考えないことにした。眠れるのだから眠る、それでいい。生霊の生活リズムなどわかるはずもない。ユキの狭い常識を押し付けてナツを傷つけるより、わからないままにしておく方が百倍マシだ。

「ナツ」

 ユキが囁き声で呼び掛けると、ナツは一度身をよじってからゆっくりと目を開き、伸びをしながら身体を起こした。

「おはよう」

 ユキの挨拶にナツはぼんやりと頷き、挨拶代わりなのか携帯がワンコール分鳴った。当たり前なのかもしれないが、ナツがここにいて、起きてくれたことにユキは安心した。目が覚めるとナツがいない、もしくは眠ったまま目を覚まさないという想像がユキの中で容易にできてしまうことが嫌だった。

 遅めの朝食はナツの言いつけを守りサクラと一緒に食べた。トーストと目玉焼き、ウインナーは夏休みでも変わらない、相沢家のいつものメニューだ。

「今日はあなたたちどうするの?」

 台所に立つ母親の問いに、ユキもサクラも

「出かける」と声を揃えた。

「姉ちゃんはどこ行くの?」

「友達とプール。ユキは?」

 そういえば以前水着を新調したとかで見せびらかしに部屋に乱入されたことがあった。適当に褒めたら簡単に上機嫌になった姉の姿をユキは思い出す。

「俺はイノと会ってくる」

 ユキが目玉焼きに箸を入れると、半熟の黄身がどろりと流れ出た。

「エリちゃん? えっ、デートなの?」

 サクラが興味津々といった目を向けて、ユキは目玉焼きをごくりと飲み込んだ。

「……違う、ちょっとした相談」

「そうよだねー、そうやって強がっちゃうわよねー」

 説明空しくサクラは想像を逞しくさせていく。こうなってしまえば何を言っても無駄骨だ。

「だから違うって」

 それでも一応釘は刺す。

「そうやって否定ばっかりしていたらエリちゃんにもいつか愛想つかされちゃうわよ? エリちゃんくらいよ? あんたのこと気にかけてくれる子なんて。見捨てられた時点で暗い青春コース直行よ?」

 弟を心配しているように言いつつも、サクラの目からは面白がっているのがはっきり見てとれた。

「俺に構わないでよ。姉ちゃんだって彼氏いないくせに」

「今は、ね。イチとゼロを一緒にしないで」

 ぎろりと睨まれユキは大きめの一口を口に含んだ。

「とにかく! エリちゃんのことは大事にしなさいよ? あたしだってあの子のこと大好きなんだから」

 行儀悪くサクラが箸でユキを指した。

「大好きって伝えておく」

 「あたしじゃないでしょ」

含みのある言葉を最後にサクラはトーストをかじりもぐもぐと会話をやめた。

やかましい姉からようやく解放されたとほっとしたのもつかの間、今度は母親がエプロンで手を拭きながらリビングへやってきた。

「ユキはエリちゃんと本当のところどうなっているの? 彼女にするならああいう子よ?」

 姉だけなら冗談として受け流せるが、母親まで参戦するとなると話が重い。気にしないようずっと我慢していたが根負けだ。後ろに立つ子の反応が気になりユキはとうとう振り返った。――不自然ともいえる無表情でナツはそっぽを向いていた。「首は突っ込まない」そう言われたような気がした。

「突然どうしたの?」

 首を戻したユキを待ち構えていたのは、突飛な行動を怪しむ家族からの不審の視線だった。

「あー……なんでもない。とにかく! イノと俺はそんな関係じゃない」

 ユキは皿に取り残されていた最後のウインナーを口に放り込み、逃げるようにして席を立った。

 イノとの約束は十一時からだったが、デートだとすっかり思い込まれた家の中は居心地が悪く、ユキは十分すぎる余裕を持って家を出た。


「イノエリさんというのは……?」

 ユキの隣を歩くナツは例のごとく素足でアスファルトを歩き、すらりと伸びる白い脚の先は目の毒だった。

「井野瀬絵里。有り体に言えば幼馴染。クラスも一緒で部活まで一緒。ここまでくるとちょっと引くよな」

 ユキはナツに目を合わせず前だけ見て言った。イノとの関係を言葉で表すと、確かに誤解されても不思議ではない。

「部活ってどこに入部しているんですか?」

「美術部」

「ユキ君って絵を描くんですか⁉」

 ナツが目を丸くする。そんなに意外か。

「下手の横好きだけどね」

「今度見せてください」

「作品は全部学校に置いてる」

「それじゃあ今度学校に行くときに」

「うん」

「井野瀬さんもやっぱり絵を描くんですよね」

「イノでいいよ。独特なセンスを持ってる」

「幼馴染っていいですよね。私にもいるのかな」

「最近は煩わしいだけだ」

 喋りながらユキの中で埃がもやもやと舞い視界が狭まっていく。自分から誤解だと必死になるのは格好悪い、むしろ怪しいと受け取られるかもしれない。しかし、いずれにしても今の理解のままではナツは恐らく色眼鏡を掛けてイノを見る、いらぬ気も遣う。そんなことはまっぴらだ。

「あのな、ナツ」

「はい?」

 ユキが突如立ち止まり、ユキから離れられないナツは腕を引っ張られるようにしてくるりと反転した。華麗に舞ったナツのつま先にユキは視線を集中する。

「イノと俺は幼稚園からの付き合いなんだ。町内会も一緒だから家族ぐるみの付き合いで、気心知れた仲だから文句なしに仲も良い。でもそれだけなんだ。それ以上でもそれ以下でもない。だけど周りの連中は違う。面白がって冷やかしてくる。だけど――」

 そこまで言ってふとナツの裸足から視線を上げると、彼女はきょとんと突っ立っていて、ユキは自分がどれだけ空回りしていたか思い知らされた。興味はないらしい。俺は何を期待していた?

「――というわけで、イノと俺はそんな間柄。ナツには事前にも知っておいてほしくてさ」

「了解です」

 ナツが特別な関心を示すわけでもなく、イノについての会話はあっさり終わった。

 

 イノとの集合場所にしているファミリーレストランが見えてくると、ユキはナツにもう一度だけ確認をした。

「こんなことして本当に良かった?」

 余裕なんて一ミリもないはずなのに。昨晩から繰り返し続ける質問に、ナツはやはり同じ答えを繰り返す。

「ユキ君はユキ君をないがしろにしちゃいけないんです。怒られるかもしれないけど、今はユキ君の大切な夏休みなんです。それを潰して身体が元に戻っても、私はきっと喜びきれません」

 細い線からは想像できない、ナツはなかなかの頑固者だった。その頑固さをなぜ自分に向けられないのかユキには不思議でならなかった。

 約束の三十分前、かなり早く到着したはずなのに、イノは窓際のボックス席を陣取り、店の入り口で驚いているユキを手招いていた。

 愛想良く出迎えてくれた若い女性店員に連れが中にいると告げ、ユキはイノのいる席に向かう。空調が効いた店内で、イノは髪を緩めに後ろにまとめ、薄手の黄色いカーデガンを羽織って湯気の立つ紅茶を啜っていた。

「早すぎだろ」

 文句を挨拶にユキがイノの対面に座る。それから少し窓際へずれ、空いたスペースにナツが音もなく腰掛けた。

「そっちこそ早い。あーあ、ユキが来る前に宿題を済ませちゃうつもりだったのに」

 机の上には数学の宿題が広がっていた。夏休み序盤から取りかかる姿勢は小学校に置いてきた。

 店員が注文をとりにくると、ユキはイノ同様ドリンクバーを注文し、自分の分を注ぎに席を立った。

「動きやすさを考えたら、ナツが奥に座った方いい」

 ドリンクバーのコーナーでユキはコーラを注ぎながら呟いた。

 席に戻り、ナツが先に座り、ユキが後に続く。座る位置が微妙に変わったことにイノは特に気づく様子もなく、なんの指摘もしなかった。

「それじゃあ早速始めましょ。ユキはちゃんと考えてきた?」

「考えたって、何を?」

「寝ぼけたこと言わないで。明日のデートについてよ」

 イノが苛立たしげにテーブルの下でユキの足を蹴った。

「蹴ることないだろ――ちゃんと考えてきたのに。俺がシロを、イノが栗林さんを連れて偶然を装って映画館で合流。観終わった後は昼飯を食べて街ぶらついて、いい感じになったら俺とイノが消えてふたりっきりにする。だろ?」

「だから! その具体的な内容よ。食事する場所の候補は? その店が混雑していた場合の第二候補は? 私たちが振る話の話題は? いい感じってどんな感じよ⁉」

 イノの連続口撃にユキは思わず閉口する。

「どう? これでも考えてきたって言える?」

「……考えていませんでした」

 イノは深いため息をついた後で自嘲気味に軽く笑った。

「いいわ、別にそこまで考えてこいとも言ってなかったし。実は私も考えてない。そのための作戦会議なんだしね」

 だったら責めることないだろとユキは反論しかけたが、イノに口で勝てる自信は皆無のため、出かけた文句は渋々飲み込み、腹の中で消化させた。

「先に一つ聞いてもいい?」

 ユキが小さく手を挙げると、イノは教師のようにユキをあてた。

「栗林さんって、どんな子なの?」

 ユキは明日会うイノの友達と話したことがない。話すどころか廊下や昇降口で見かけた程度しかない。クラスが違ってしまえば、特に異性などそんなものだ。ユキの知る栗林雫とは、クラスメートの大城亘の偏った主観の評価の中でのみ存在する、ユキにしてみればナツ以上に幽霊に近い存在だった。

「ホントに何も知らないの?」

「少しくらい。男女で別だけど、シロとはバレー部繋がりで、一生懸命な姿と屈託のない笑顔にシロが惚れた。これくらい」

そういえば、栗林雫の雰囲気はどことなくナツに似ている。物静かそうなところや、かわいいところとか――。

「その褒め方からすると、大城君はシズクにべた惚れで間違いないわよね。そこまで好きならユキに頼らなくても自分ひとりで告白しちゃえばいいのに」

 呆れながらイノセは肘杖をつく。「ヘタレ」

「そう言ってやるな。告白なんてそうそうするものじゃないし、意外としゃいな奴なんだ。そんなあいつだからこそ、イノだって協力する気持ちになったんだろう?」

「まあ、ね。シズクが幸せになれるなら私も嬉しいし」

 イノは冷めかけた紅茶に口をつけた。その一息の瞬間、ユキはナツの様子を確認する。実のところ、ユキは今日の議題について何も伝えずナツを連れてきている。恋愛相談など今のナツにはあまりに遠い出来事で、寂しい思いをするに決まっている。嫌な思いをする時間は短い方がいい。ユキは極力早く済ませるつもりでここに来ていた。

 しかし、結果としてユキは自分の目を疑うこととなった。横を向いた視線の先に悲しみに暮れる人物はどこにも見あたらず、目を輝かせ身を乗り出す、ユキの知らないナツがそこにいた。

「……何? 窓の外に何かあるの?」

 口を半開きにぽかんとしているユキの姿を見て、イノが窓越しに外の様子を見回した。店の外で何かがあった、彼女にはユキの驚きがそう映ったらしい。

「なんでもないっ。太陽の光が車に反射して眩しかったんだ」

 ユキは慌てて手を振って「ちょっとトイレ」と立ち上がった。落ちつきのないユキの後ろ姿をイノは口を尖らせて見送った。

「電話鳴らして」

 イノセの死角になる場所でユキはナツの眼前に携帯を掲げた。

「一体どうした?」

「憧れだったんです」

 携帯からはいつもよりワントーン高い声が返って来た。ナツの頬は緩み、口元からは嬉しさが溢れ出している。

「友達の恋愛の成功を願って奔走する……一度でもいいからやってみたかった、憧れのシチュエーションなんです」

 目をキラキラ輝かせ、髪先はすばしっこく左右に揺れ動き、まるで犬が尻尾を振っているかのようだった。

「わかった。わかったからいったん落ち着いて。ナツからもたっぷりと意見を聴かせてもらうから。だからそれまでは興奮は抑えて待っていてくれ。気になりすぎてかなわない」

「努力します。どうしても言いたいことがあれば電話鳴らします」

「よっぽどのときだけ、な」

 聞いているのかいないのか、はしゃいだナツはくるりと回り「早く戻りましょう」とユキをせっついた。

「家で済ませておきなさいよ」

「悪い。急に冷えたから」

 仏頂面のイノに紅茶のおかわりを持って戻り、目をキラキラさせたままのナツを極力意識しないよう、首を少し左に回す。

「シズクたちについて話を戻すけど、シズクも大城君のこと悪く思っていないことだけは確か。あの子が自分から男子の話してくるなんて大城君以外で聞いたことないから」

「うちのシロもそう。栗林さんのことしか話してなかった」

 ユキはこれまでシロの言葉を反芻する。『栗林さんの下の名前、雫っていうんだけどさ、名前までかわいいよな』、『髪切ってるの見た? かわいすぎてやばくねぇ?』、『夏休みに彼氏とか作られたらどうしよう。狙っている奴ぜったいに多い』恋は盲目、ユキがいくら引いた態度を示してもシロは一切気にせずひたすらユキに語りかけてきた。

「両想いなら勝負は見えたな。勝ち戦だ」

「ユキ、アンタ本気で言ってるんじゃないでしょうね?」

「全然」

 シロとシズク、ふたりの最大の障壁は互いに内気なことだ。何もせずにいれば長期戦は必至。ふたりの背中を強引にでも押す、それがユキとイノに課せられた使命だった。

「そもそもあの子たちは異性と話すことを意識しすぎなの」

 イノ不満をぶつけるかのように紅茶をスプーンでくるくるとかき混ぜる。

「バレー部、っていうか運動部は男女で分かれるのが普通だし、異性と話す機会が少ないんだろ。クラスで男女が話すってのも、それなりに高い壁がある」

 高校生活、男女の距離は近くて遠い。一度でも遠いと意識してしまえば、へたをすれば三年間すっと遠いままだ。

「たしかに私たち文化部の方が異性の壁は低いかもしれない」

 低い、というより男子たちが迎合したと言うのが適切のようにユキは考えるが、わざわざ口には出さなかった。

 そもそも文化部は女子の割合が圧倒的であり、男子は好む好まざる関係なしに女子と仲良くしならなければ居場所はたちまち消え失せてしまう、弱い立場にさらされている。ユキが美術部で安定した日々を送れるのもイノという女子ヒエラルキーの高い階層の住人の近くにいてくれている要因が大きい。ただ、裏を返せば殺すも殺さないもイノセの意のままというわけだ。しかしユキにそういった不安は微塵もない。そのようなことをする女でない十年以上前から知っているからだ。

「要は慣れだろ。話してみたら案外いけるもんだと俺は思う」

「だといいけど。大城君はよく知らないけど、シズクの人見知りっぷりは折り紙つきよ」

「うちのシロも負けず劣らず凄いぞ」

 意地の張り合いよろしく友人の内気自慢をこれでもかと披露すると、ふたりは乾いた笑いとため息をこぼした。

「明日、上手くいくかな」

 イノからこぼれた不安はユキの中にも当然ある。しかし、内気な友達が勇気ある一歩を踏み出そうとしているのだ。上手くいってもらいたいのが掛け値なしの本音だ。彼女ができたことのない身だ、嫉妬がないと言えば嘘になるが、友達の嬉しがる顔と泣き顔のどちらを見たいかと問われたら前者以外は考えられない。

「シロは決めるときは決める奴だし、栗林さんだって良い子なんだろ? きっと上手くいく。だけどまぁ、俺とイノの働き次第だな」

 それにもうひとり。ユキが軽く目配せすると、隣の夢見がちな少女は拳を握ってみせた。

 それから約一時間、ユキとイノは軽口を交えながら彼女の用意した雑誌をめくり、映画は何を観るのか、食事はどの店にするのか、どの場面でふたりきりにさせるのか、話のネタは……等、電話が震えなかったことを良いことに、ナツの意見を終始伺うこともなく、明日の予定を大まかに立ててしまった。

「こんなところでいいわね。あとはシズクたちの気持ちと当日の流れにまかせましょ。くれぐれも私たちで無理強いはしないこと。あくまでも私たちはフォロー役、いいわね?」

 一息ついたイノがカップに手をのばすと、カップは既に空であった。「あ」とイノが言う前に、ユキは自分のコーラを一気に飲み干し、「俺が行くよ」とすかさず立ち上がった。

 ユキがポケットから携帯を取り出すと同時に携帯が震えた。どうやら待ち構えていたらしい。

「ごめん、結局ナツを参加させてやれなかった」

「いいんです、仕方のないことだから」

 ナツの声はどこか単調で、怒っているというより拗ねている、そんな感情が帯びていた。ユキは気まずいと思う反面、ユキに言えば叱られるだろうが、彼女の知らない一面を見れて嬉しがっていた。もちろん、顔には出さず人知れずにだ。

「自分がしておきながらだけど、これじゃナツがあんまりだ」

「それじゃあどうするんですか? まさかイノさんの前で私に話しかけるつもりですか?」

 その時だった。拗ねた声がユキの耳に刺さるのとほぼ同時に、サーバーが機嫌を損ねたかのように嫌な音をあげ、二杯目のコーラを吐き出すのをピタリと止め、うんともすんとも反応しなくなってしまった。

 異常音に駆けつけた店員がユキに詫びながら機械を取り替える旨の説明をしたが、ユキには届いていなかった。

「……やっぱり怒ってる?」

 中途半端にグラスに注がれた泡ぶくだらけのコーラは、ナツの機嫌をそのまま映し出しているような気がした。

「あの、違います……ちょっぴり寂しいなと思ったくらいです」

 ナツも目を丸くしてサーバーを見つめていた。

「ナツがやったわけじゃない……?」

「そんなこと……ないはずです」

 タイミングが偶然重なった。そういうことらしい。


「何よその色」

 濁った液体にイノは顔をしかめる。途中まで注いだコーラには、別サーバーから野菜ジュースを注ぎ足した。

「俺が飲むからいいの」

「そういうのが許されるのは小学生までじゃない?」

 イノの小言を無視してユキはその液体をストローで慎重に吸い、ごくんと飲み込んだ。

「うん、まぁまぁいける」

「……私もやりたくなっちゃうでしょうが」

「小学生レベルだぞ」

 ユキがグラスと未使用のストローをイノに差し出すと、彼女はむっつりと頬を膨らませながらグラスにストローを突き刺した。半透明のストローからイノセの口に一端吸い上げられると、それは止まることなくグラスが空になるまで続いた。にやにやするユキを見て、イノは居心地悪そうに咳払いする。

「ユキ、ここでお昼食べていくわよね?」

 この話はこれでおしまいと言わんばかりにイノは空のグラスを脇にずらし、代わりにメニュー表をユキに突き付ける。時間帯としてはちょうど小腹が空いた頃、店内も老若男女でにぎわってきた。

「えっと……」

 ユキがさりげなくナツに視線を送ると、彼女は「こ・こ・で」とメニュー表を指さした。

 ついさっき寂しいと言ったばかりなのに。納得できなかったが、結局ユキはイノからの提案を無下にできないと言い訳をひとり作り出し、ランチセットを頼むことにした。

 食事中、ナツは終始難しい顔をして考え事をしていた。そんなナツをちらちら気にしながら食べる料理の味はほとんどわからず、平らげたときにはナツとイノ両方への後ろめたさでユキの腹は膨れてしまっていた。

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