第24話 八月十日
八月十日
天気予報はまた例のごとく猛暑を予報し、蝉もこれからが本番だと朝から休み無しで大合唱を続けている。
「今度はきちんした形で家に連れてきて」
サクラは報告を受けてからずっとこの調子だ。
「エリちゃん正直ピンチよね。もちろんあたしは中立の立場だから安心して。いや~、我が弟ながらやるわね」
身支度を済ませて玄関で靴ひもを結ぶユキを、サクラはにやにやしながら見送る態勢をとっている。
「言っておくけど、姉ちゃんの印象は良くないからな」
「ちょっと! あのときのあたしは普段のあたしじゃないんだから、誤解のないようしっかり説明して――」
サクラを振り切り、ユキは真夏の日差しが降り注ぐ青空の下へ飛び出した。
待ち合わせ場所は出会うきっかけとなったコンビニだ。
額に滲む汗を拭いながらユキが店の前に到着すると、店内でナツが雑誌を手にして熱心に読み耽っていた。ガラス越しに近づき軽く叩くと、ナツはびくりと顔を上げた。
雑誌を元の場所に戻して店から出ようとするナツを制し、「俺が行く」と合図を出した。店内の強めに設定させた冷房がちょうど良い。
「お待たせ」
「私も着いたばかりです」
携帯を通さずに聞くナツの声は、携帯越しや夏実だけの時ともまた違う、透明感のある心地よい響きだった。
店から出るとふたりは逃げるように日陰に避難し、ユキは買ったばかりのアイスを袋から取り出した。半分に割れるタイプだ。
「はい」
自分の分を口に咥えながらもう半分をナツに差し出すと、彼女は苦々しい顔で受け取った。
「もしかして苦手だった?」
「好きです、好きですけど……半分に割っちゃうことに抵抗はないんですか?」
口を尖らせながらアイス受け取るナツに対し、ユキは悪びれることなく、
「ナツはもう分かれないだろ?」
いたずらっぽく笑ってみせた。
「そうなんですけど……」
「ほらっ、溶け始めてる」
ユキが急かすとナツは慌てて溶けた滴をペロリと舐めた。
「ナツとアイスを一緒にしないよ」
アイスを食べ終え、ひんやりする壁にふたり並んでもたれかかっていると、ナツは夏の暑さを楽しむかのように身体を伸ばした。
「昨日までのことが嘘みたいです」
確かめるように自分の身体をさわり、恐らく無自覚に、その細くて白い指がユキの腕まで撫でていた。
「嘘のような本当の話だ。それで――」
ユキの声に反応してナツの手がぱっと引っ込んだ。ようやく自分が何をしていたのか自覚したようだ。
「それで、なんですかっ?」
ほのかに顔を紅潮させてナツは言葉の先を促す。
「ハッピーエンドで良かったなって」
「いいえ、違います。これから次第です」
意外にもナツはこれをバッサリと否定した。
「元に戻っただけならむしろ後退です。私が変わらないとまだまだハッピーエンドとは言えません」
強い意志ではっきり自分の思いを述べるナツは、後退どころか大きく前進している。ユキはそう教えてやりたかったが、前進の速度を緩めないためにもあえて呑み込んだ。
「一つ聞きたかったんだけど、ナツの身体に昨日までいた宮入夏実の性格は残っているの?」
あたかも二重人格のように。その場合はまた別の問題が生じるのではないかとユキは心配だった。
「あの私も私であって、そもそも別人格じゃありません。一部の性格が極端に現れるから二つの人格があるように感じるかもしれませんけど、あっちもやっぱり私なんです。だから二重人格に悩まされることはありえません」
ナツが笑うと、新しい表情が見え隠れする。
「混じって一つになった感じかな」
「そうですね……ただ、以前の私だと遠慮して表に外に出せなかった性格が、今では出せそうな気分なんです」
そう言ってナツは軽やかに日向へと飛び出した。
「さぁ、行きましょう」
『図書館に行こう』
ナツと一緒に回った場所をもう一度見て回る。発案はユキだ。
暑い日差しが照りつける中、並んで歩くふたりには黒い陰が二つくっきりと後ろを付いて来ている。それだけでユキの頬は勝手に緩んでしまうのだが、どうやらナツの意識は別のところが気になるらしく、何か言いたそうに先ほどからちらちらとユキを伺っている。
「どうかした?」
建物の日陰に入ったところでユキは立ち止まった。予想はついている。昨夜のことだ。ふたりの間に漂う牽制し合う空気、何事もなく接しているのがむしろ不自然であることはユキも先刻承知だ。……だけど、照れるじゃないか。
「いろいろ片づきました」
上目遣いのナツの瞳に怪しげな光が混じる。抑え込んでいた性格の片鱗だろう。ナツにとっては良いことなのだろうが、ユキにとってこの場合はピンチだ。
「あー、それはつまり、俺にもう一度言えってことだよね?」
後退りするユキに合わせてナツは一歩進んでこくりと頷いた。
「私、直接言われていません。ユキ君にあのときの私は見えていなかったし、いろいろ片づく前だったし、私は何も言えない状態だったし」
「あのナツもナツだって言ったばかりじゃないか」
「それはそれ、これはこれです」
「ナツさ、ちょっと意地悪になっていないか?」
きみはもう昨日とは違う、変わり始めている。だけど――。
「そうかもしれません。けど、ユキ君に比べたらまだまだです。物言えぬ私に好き放題恥ずかしい台詞を言い放ってくれたおかげで、別の意味で消えちゃうところでした」
顔を赤らめながらもナツはおかしそうに笑っている。仕返しのつもりなのだろう。
――だけど、主導権は握らせないぞ?
饒舌になるナツの両肩を、ユキは逃げられないようにがっしりと掴む。
「えっと……ユキ君?」
「うずくまるのは、なしだから」
そう言ってユキは再び長い告白に突入する。
ナツと過ごす夏休みは、まだ半分以上残っている。
了
落ちていた夏を拾ったら あおきたもつ @tamotsu_aoki
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