第15話 八月八日 4

 レジ付近に集まる三人と少し距離が生まれたことで、ユキはやっとナツに話しかける機会を得た。

「うまくいきそうだな」

 ユキの隣でナツは微笑むが、寂しい感情が見え隠れしていた。会話に加われない、存在すら気づかれないことはやはり相当堪えるようだ。隣の席で聞き耳を立てるだけ。ナツの居場所はそういう場所だ。

「ごめんな。やっぱりつらいだろ」

 携帯を震えさせることなく、ナツの返事は首を横に振るだけだった。

「時間はまだだいぶかかりそうだけど、いいのか?」 

 ナツはこくりと頷くが、ユキの心はちくりと痛んだ。

「あのな――」

「ユキー、何してんの早く来て」

 ユキが次の句はイノの催促によって遮られた。ナツが両手を前に突き出しユキを押し出すような仕草をとる。注意を向けられてしまったが最後、会話はもう叶わない。渋々ユキは立ち上がり、イノたちの方へと駆け寄った。

 ――元に戻ったら一緒に出かけないか?

 こんな誘い、今のナツには慰めにしかならないのだろうか。

 シズクの言葉に俄然やる気を出したイノは、ユキの腕を引っ張りながらあちこちの雑貨屋に入って回った。

「イノっ、お前がはしゃいでどうすんだ」 

 たしなめるようにユキが言うと、

「シズクたちにデートって意識させたいの。あのね、最終的にあたしたちは邪魔者になるでしょ?」

「そりゃそうだ。いつまでも四人で固まっていたら意味がない」

「でしょ? だからこうして今のうちから自然とふたりと距離をとっておくの。それと……」 

 イノが突然ユキの腕に抱きついた。

「――っ! 何やってんだ!」

 思わずユキは戸惑いの声をあげた。当然だ。年頃の男がそんなことをされたら嬉し恥ずかしで一瞬にして頭が沸騰する。いくら幼馴染――小さい頃はよくじゃれ合い抱きつきあっていた仲といえども昔の話。今は互いに高校生で、その上季節は夏真っ盛り、薄着のイノの体つき、胸の膨らみ、ほんのり汗ばむ腕の質感まで、ユキは直に認識できてしまう。

「動揺するんじゃない!」

イノセは小声で、しかし有無を言わさぬ迫力で言った。

「あっちを意識させるためよ。後ろ見てみて」

 言われるがままユキが振り返ると、シロとシズクは恥ずかしそうに俯いてしまっている。映画のとき同様に、むしろ逆効果な気がしてならない。

「意識させすぎじゃないか……?」

「私が身を犠牲にしているっていうのにその態度は何様よ? あんたはもっと喜ぶべきでしょうが」

 なるほど確かにイノも我慢しているらしい。彼女の顔も少し火照って熱そうだ。イノも動揺していると思うと、ユキは少しばかり冷静になれた。そして冷静になった頭が警鐘を鳴らす。――ナツが見ている。

 ナツは寂しそうに笑っていた。「私にはお構いなく」そう突き放されたのがわかった。怒りを表してくれた方がまだマシだ。触れ合うことが許されない今のナツにとって、ユキたちのとった行為は最悪といっていい。ユキに非があるとかそんなことはどうでもよく、図らずとも目の前で見せつけてしまったことにユキは申し訳なさでいっぱいになる。二日前に見たばかりの大粒の涙。彼女の瞳から悲しみがこぼれ落ちるのはもうたくさんだ。

「イノ悪い。やっぱダメだ」

 ユキはやんわりとイノを腕から引き剥がした。

「非常にもったいないと思うけど、イノのためにも良くない。こういうのはやっぱり好きな奴にするべきで、冗談半分でするべきじゃない」

 ユキがいつになく真剣だと素早く察したのは付き合いが長いおかげか。イノはパッと腕を離し、「やっぱりそうだよね~」とごまかすように舌を出した。

 ユキはイノが作ってくれた逃げ道に甘えた。

「冬ならセーフかも」

「夏はべたべたして気持ち悪いしね。けどねぇ、拒絶までされちゃうと女として傷つくなー」

「悪い。今度アイス奢る」

「うんうん。それで良い」

 ぎこちない空気は息の合う連携によってたちまち消え去り、ふたりの距離感は元に戻った。

「シロたちと合流しよう。離れてから結構な時間が経った。気まずくなっていたら俺たちの努力が水の泡だ」

「嘘? もうこんなに時間経ったの? ちょっと急がなきゃ」

 ユキの腕時計を覗き込んだイノがシロとシズクの元へと小走りに駆けていく。その口元が僅かに尖っていたことは、ナツを気にするあまりユキは気づくことができなかった

「……ごめん」

 ユキがナツにそっと謝る。俯いたナツの表情は前髪に隠れてしまい伺い知ることができない。ユキはシロたちに合流したイノが賑やかに何か話しかけている様子を眺めるばかりで、気まずくてナツに向き合うことができない。

 ユキの謝罪から僅かな沈黙が流れた後――ユキにとっては膨大だったが――携帯が小さく振動してくれた。

「もしもしっ」 

 ユキが慌てて携帯を耳に押し当てると、くつくつと押し殺すような笑い声が漏れ聞こえてくる。

「そんなに心配しないでください。私だってそんなに弱くはありません」

 その一言にユキの全身から力が抜ける。

「よかった……」

「心配してくれるのは嬉しいですけど、あれじゃあイノさんがかわいそうです。女の子に恥をかかせちゃいけないんですよ?」

「あんまり責めないでくれよ。俺だって申し訳ないと思ったけど、ナツのことを考えたら止まらなかった」

「……そういうのはズルいです」

「何がさ。俺はただ単純にナツを第一に考えてだな……」

「ほらっ! イノさんが呼んでますよ。私たちも行きましょう」

 ユキが言い終わらないうちにナツは強引に話を閉め、一方的に通話を切った。

「おいっ」

 ユキは消化不良だったが、渋々イノたちの呼び声に応えた。

 ああは言うものの、ナツが無理をしているのは一目瞭然だ。そのナツが大丈夫だと言う。ならば自分はそれに合わせよう。できる限りフォローをして。

 前を歩くユキの背中に向けて、ナツは世界中の誰にも届かない声でぼそりと言った。

 ――弱いままじゃいけないんです。

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