第16話 八月八日 5

 ショッピングモールを抜けてさらに歩くと、広々とした市の中央公園に行き着いた。それは同時にユキとイノの最終目的地に到着したことを意味している。夕刻、陽はまだあるが、日中の暑さに比べると幾分和らぎ、爽やかな風が清々しい。これから陽が沈むまでの時間が勝負とユキとイノはあらかじめ標準を定めて行動していた。今までの時間は全てこれからのための余興にすぎない。

「歩きっぱなしだったし休憩しよう。俺がひとっ走りしてジュースを買ってくるから、シロ、俺の鞄を持っておいてくれ」

 ユキがショルダーバックをシロに押しつける。

「自分で持ってろよ」

「財布だけあれば十分だ」

「あたしも行く。シズクとシロ君はあそこのベンチを押さえておいて」

 イノが指差したベンチ以外は既に先客――大学生くらいのカップルたち――で埋まっており、シロとシズクに場所取りを頼むことに何ら不自然な点はなかった。

「こういうのは男が行くものじゃないか?」

 シズクとふたりきりになることにシロが抵抗を示すも、

「いいから」

 イノが一蹴し、ユキとイノは自販機を探す振りをしながらふたりの前から離れて行った。

「うまくいくと思うか?」

 公園をぐるりと一周する遊歩道のちょうどシロたちの後方になる場所で、プルを引いた缶ジュースをイノに手渡しながらユキは尋ねた。

「ありがと」

ジュースに口をつけ、一息ついてからイノは自身の予想を述べた。

「シロ君次第ね。シズクはシロ君のこと好きよ、断言できる。だけどあの子の方から想いを告げることはまずないと思う。だからシロ君が男を見せれば万事うまくいくはず……たぶん」

 イノに意見にユキも頷く。

「一足先に彼女持ちか。羨ましい奴」

 飲みかけのコーラを地面に置き、ユキはシロ宛にメールを打つ、『決めろバカ』。私も打ちたい、とイノもユキの打ちかけのメールに便乗する『勇気を出して』。

 ユキとイノの激励を送信すると、木々の隙間を通して見えるシロがベンチに座りながらあたりを見回している様子が伺えた。どうやらメッセージは届いたらしい。しかし、男を見せる様子はない。むしろ遠目でも縮こまっているのがはっきり見てとれる。

「しっかりしてシロ君」

 苛立ちと焦りがイノの自信を少しずつ削り取っていく。

「やっぱり催促させすぎたのかな……」

「待て、あきらめるのはまだ早い」

 イノがこぼした不安をユキはすくい上げた。

「俺に策がある」

「どうするのよ?」

 噛みつくように訊くイノを制しながら、ユキは決行するには少しばかりシロたちに近づく必要があるとイノに説明した。

「イノはここで待っていてくれ。ふたりよりひとりの方がバレにくい」

「だから具体的に何をするのよ?」

「行ってくる」

 苛立つイノに答えを返さずユキは走り出した。

 たどり着いた。ユキがナツに合図を送る。ナツの、ナツにしかできない出番がやってきた。

 ユキとシロたちのいるベンチまでの距離はおよそ二十メートル。ベンチ後方から足音に注意を払い木々に身を隠しながら近づいていけば発見されることはまずないだろう。

 イノとシロたちのいる場所からちょうど中間点くらいの場所まで来て、ユキの携帯が震えた。

「告白、するんでしょうか?」

 ナツの緊張した面持ちにユキは苦笑する。まるで自分が告白されるみたいだ。

「するというより、させる。あいつらだって両思いだと薄々勘づいているはずなんだ。普段の部活でふたりきりになる機会はまず巡ってこない。この機会を逃せば次はいつ来るかわからない、今がこの先の明暗を分ける分岐点であることくらいシロだってわかっているはずなんだ」

「それじゃあ」

「ただ……シロひとりじゃ無理そうだ。お節介なのは重々承知だけど、俺たちであいつの背中をちょっとばかし押してやろう」

「はいっ」

 ナツのはっきりとした返事がユキの耳に小気味よく反響した。

「始めよう。この距離なら――いけるか?」

「少し遠いけど――やります、繋げてみせます」

 ナツの瞳にゆらりと光が宿る。狙いはユキがシロに預けた鞄の中にある音楽プレーヤー。

 しゃがんで木の幹から顔を覗かせるユキに対して、見つかる心配がないナツは堂々と立ち、眉間に皺を寄せながら唸っていた。夏の暑さを感じることのできない彼女の代わりを果たすかのように、ユキの額からは引いていた汗が再び吹き出し、手のひらも汗でぐっしょりだ。

音楽プレーヤーの中には、今朝早くシロを鼓舞するための音声を録音しておいた。バレーバカであるシロが動かずにはいられないだろう魔法の言葉だ。ナツ頼りの、ある種保険として録音したものだったが、最終手段を使う羽目になるとはシロも情けない。

 ユキは人事を尽くした。次はナツの番。天命はその次でいい。

 真剣な眼差しで一点に集中するナツに、ユキは心の中でエールを送った。


 シロは声にならない悲鳴をあげていた。

 四人でいれば緊張もなく普段どおりにシズクと話せていたが、いざふたりきりにされると間が持たない。いや――される(・・・)という表現はユキとイノセに失礼だろう。して(・・)くれた(・・・)のだ。だがシロは自分にはまだ早かったと腰が引けていた。いくつか話題を提供してみるものの、自身の興味の幅が狭いこともあって膨らますことができない。認めるよう、自分は身体を動かすことしか能のない、女の子ひとり笑顔にできない口下手だ。

「ねえ」

「な、何だっ」

 シズクの呼びかけにシロはハッとする。自分の殻に籠もりつつある意識を慌てて呼び戻す。

「エリたち、遅いね」

 呟くシズクはつまらなそうだとシロには映る。後ろ向きな思考がシロを深みへ引きずり下ろす。

「そうだな、携帯にも出ないし、俺ちょっと探してくるよ」

 限界だ。息の詰まる空気に耐えきれないシロがついにベンチから腰を上げる。実のところ、シロも今日一日を通じてシズクが自分に対して少なからず好意を抱いてくれているということには気づいている。それにもかかわらず、シロはフラれるのが怖くて『逃げ』を選んだ。

「えっ」

 シズクの期待を裏切られたかのような声が下から突き刺さるが、シロは聞こえない振りをした。彼女の期待すら踏みにじろうとする自分の臆病さが我ながら情けなかった。

 だがその時、

「トスは上げたぞ!」

「うおっ⁉」

 ユキの声が突然足下から響きシロはたたらを踏んだ。

「トスは上げたぞ!」

「トスは上げたぞ!」

 繰り返すユキの声の発信源は、預かった鞄からだった。

「なんだ?」

 シロがユキの鞄を持ち上げて中を覗こうとすると、

「勝手に覗いて平気かな……」

 シズクが驚いた顔のままシロに躊躇いを見せる。

「悪いかもしれないけど……この音を止めないと」

 ユキの鞄を開くと、コンパクトスピーカーに繋がれた音楽プレーヤーが最大音量の設定でリピート再生されていた。

「これ、ユキ君が自分で録音したの? というか、どうやって再生されたんだろう?」

 シズクが疑問を口にするのをよそに、シロは笑い出しそうなのを懸命に押し殺していた。

「トスは上げたぞ!」

 最後にもう一度だけ背中を叩いてもらってから、シロは音を止めた。

 ――どこかで見てんだろうな。

 見られるのは癪だが、ここまでされたら文句を言える立場ではない。いっそ見届けてくれとさえ思えてくる。

「栗林さん」

 シロ自身も驚くほどの優しい声が出た。

「――はい」

 シズクもこれからやってくるだろう台詞を察したのか姿勢を正す。

「良いトスが上がったら、決めるのが俺の役目だよな。言うべきじゃないんだろうけど、バレーと一緒だと考えたら不思議と怖くないんだ」

 その後に続いたシロの人生初の告白に、シズクは柔らかい笑みを浮かべた。

「その方が大城君らしいよ。そんな大城君だから――」


 

 ふと顔を上げると、イノがユキの後ろで憮然とした表情で立っていた。

「私聞いてない」

 シロたちがうまくいったことには大歓迎なのだが、その最後の一手に自分が絡めなかったことが悔しいらしい。

「昨日の夜に思いついたんだ。あくまでも俺の中での最終手段であって、使うつもりはなかった。本当だ」

「ふ~ん」

 シズクの疑念の視線をかわし、ユキはナツと視線を交わす。

 ――やったな。

 ――よかったです。

「ちょっと、どこ見てんのよ!」

 すかさずイノが突っかかり、

「ところで、あれってどうやって再生したの?」痛い点を突く。

「リモコンだよ。そんなことよりシロたちのところに行こうぜ。うまくいって嬉しい反面、腹も立つから冷やかしてやろう」

 ユキの音楽プレーヤーにリモコンなど付属されていない。お茶を濁してユキは新しい恋人たちの下へ駆けていく。

「なんか怪しいのよねぇ」

 疑問はあったが、まずは友達を祝福すべく、イノもユキを追って走り出した。

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