第3話 八月六日 2

 リビングのテーブルについてパンをかじっている間も、ずっと少女はユキの傍らに立ち続け、時折ユキの食べている様子をのぞき込みながら、パクパクと何か言いたそうに口を動かしていた。ユキは徹底して無視を貫いていたが、この少女、手を伸ばしたらそのきめ細かい肌に触れることができそうなほどはっきりとした存在感がある。洗面所で既に確認したのだが、鏡にはやはり彼女の姿は映らなかった。だが、怖がってはいけないというサクラの教えを忠実に守り、ユキは悲鳴を喉元で押し留めていた(きっと鼻や耳から悲鳴に代わる何かが出ていたと思う)。透ける透けないはこの世への未練の強さで変わってくるのかな、と思いながらもユキは触れてみたい欲求を抑えて黙々と朝食を口に運んだ。母親は台所から、サクラはソファに腰を沈めて録り溜めたドラマに夢中だ。ふたりとも少女の存在に気づいている様子はない。日常の中に見知らぬ少女がひとり混じり込んだ異様な光景だった。

 遅い朝食を済ませ自室に戻るまでの間も、少女はユキの傍を片時も離れることはなく、とうとうユキは限界に達した。幽霊といえども同年代、それもかわいい部類に入る異性を近くにして、高校一年生のユキが緊張せずに無視を決め込むのは土台無理な話なのだ。

「なぁ、どうして俺なんだ? やっぱり昨日の夜、きみに話しかけたから?」

 部屋の真ん中に正座し、きょろきょろしている少女に対して、ユキはすぐさま逃げられるようドアノブに手を掛けながら質問を投げかけた。

 呼びかけられた少女はピタリと動きを止め、ゆっくりとユキの方に体を向けたかと思うと、瞳を潤ませ両で顔を覆った。え、泣くの? ユキは訳がわからず狼狽する。俺が無視し続けたから? 悪いのは俺なの? 泣きたいのは憑かれた俺の方なのに!

「……やっぱり声が出せないの?」

 泣きやんでもらうためにも質問を続けると、少女は顔を覆ったまま首を横に振った。どうやら本人の感覚では声は出ているらしい。となると、少女の発する声がユキの耳に届かないということになる。非現実な存在を目の当たりにして麻痺していたが、幽霊ということは空気を震わす器官が存在しないということだ。当然といえば当然のことかもしれない。サクラはどうか知らないが、ユキは幽霊の声なんて聞いたこともなかったし、聞きたいとも思わなかった。

「それじゃあ、俺はきみとどうやって意志疎通を図ればいいのかな?」

 ユキが交流の意思を示したことに安心したのか、少女はようやく顔を上げ、昨夜から床に転がったままになっている携帯電話を指差した。

「携帯?」

少女はユキを見つめて会釈するように頷いた。

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