第37話 落下した男

 吊り橋から落ちて死んだはずの仕舞権三は、葬式も済んで、まぎれもなくあの世に行ったことになっていたが、実際のところ、息子の冠太とぐるになって、もくろんだ結果、八草沢元司会長に成り済まして生きていたのだった。


 つまり、本物の八草沢会長は、ハドマンの祭りの当日に、冠太と四倉によって誘拐されると、冠太の作った顔粘土薬によって、仕舞権三の顔に作り変えられ、おまけに、軽い意識障害をおこす薬物を打たれると、ふらふらした状態で吊り橋へ連れて行かれて、そんなこととはつゆも知らない犯人によって、橋から突き落とされて殺されたのだった。


 こうして権三は、冠太の薬で八草沢会長の成り済ましを始めた。


 まさしく、老い先が見えていたと感じた市長、仕舞権三の人生が幕を引き、あらたに八草沢興業の会長としての人生を開始したのだ。


 して見れば、この企ての始まりは、仕舞冠太が、日本へ帰国したことから、にわかに引き起こされた。


 冠太は、自分をアメリカに逃がしてくれた父親、権三には、人一倍、感謝をしていた。


 そのため、帰国直後から、権三とは、ひんぱんに連絡を取り合い、アメリカでの研究や、四倉明との出会いなど、何から何まで、つぶさに伝えていたのである。


 もっぱら、権三が、ことのほか、興味を持ったのは、シープアイという成り済まし組織のことや、冠太がその会員の教授と研究を共にし、その渦中で、オリバーの過激思想にどっぷり浸かり、中南米の大物政治家の成り済まし事件に、冠太の開発した顔粘土薬を使用したが、当時の顔粘土薬は効果が不十分で、成り済ましが発覚してしまい、そのことをきっかけに日本へ逃げてきたことであった。


 そこへもってきて、懲りないオリバーが、シープアイの資金を使って、冠太の薬の開発を支援し、日本で実験を繰り返させ、薬の効果が向上すると、日本を対象にして顔粘土薬を使った成り済まし計画を立てていることを聞いた権三は、オリバーの計画に、権三自身を使うように申し出たのだ。


 そのためには、市長、仕舞権三は、消える必要があった。


 そこで、高齢で、先の短い八草沢を利用して成り済まし、これから始める前代未聞の計画に、何が何でも、一切を賭けようとしたのである。


「さっさと仕事の話を始めよう!」


 せっかちなオリバーは、急かすような口調で催促すると、冠太は、計画について、かんでふくめるような口調で説明を始めた。


「そもそも、ターゲットはある大物政治家だ。折も折、あさっての夕方、選挙の応援で横州市に来ることになっている。宿泊先は、ほかでもない、八草沢興業グループの八草之宮ホテルだから、またとないチャンスだ!」


「あさってか、天気は雨模様だな」


「まあ、静かすぎるより雨音があった方が安心だ。市内で演説したあとホテルに入り、のっけから夕食会があって、おおむね、ターゲットが眠りにつくのは、午前零時は回るだろう。さしあたって、計画をおっぱじめるのに、うってつけの時刻は、深夜の二時から三時だな。泊りは最上階の貴賓室だが、どのみち、隅々までチェックが入るだろうから、仕事は、おしなべて天井裏からやる予定だ」


 四倉も説明に加わり、決然とした口調で言い添えた。


「手順としては三段階だ。第一に、ターゲットが床に入ったら通気口から睡眠ガスを流す。第二に、眠ったら、天井を開けてターゲットを吊り上げて、代わりに成り済まし人を吊り下ろす。第三に、ターゲットを外へ運び出し、権三市長の息のかかった福祉施設へ直行したら、ターゲットの顔を別人に変えて、死ぬまでずっと施設で眠らせておくんだ」


 野八重は、権三の口利きでこの福祉施設の理事に就任していた。


 と言うのも、世間体を気にしていた権三は、野八重とは実の兄妹であることをひた隠しにしていたが、最近になって、ひけめを感じるようになって、遅まきながら関係を修復していたのだ。


 こうなると、権三と野八重、そして、冠太という血のつながった三人が手を組んだのである。


「ブラボー!この計画、上出来じゃないか!」


 オリバーが躍り上がるような声を発した。


 中南米では失敗したが、オリバーの魂胆では、各国の企業家や政治家など、影響力のある人間の成り済ましを成功させることを本命としていたから、日本での大物相手の実行に、とりわけ期待をかけていた。


 オリバーはターゲットとなる人物が誰なのか、気になって質問した。


「ところでその大物政治家って誰なんだ?」


 権三はにんまりして答えた。


「土壇田(どたんだ)毅って言うんだ」


「えっ?そいつは、まさか!総理大臣じゃないのか?」


「そうだ!総理大臣に成り済ますんだよ!」


「ハハハッ!そうこなくっちゃな!」


 オリバーはしごく満悦といった顔をした。


「アメリカのシープアイもそうならなくちゃダメなんだが、ヘンリーにはそういう度胸がないからげんなりだ。だから、俺が、むきになってやってるのさ」


 合院は、縛られたまま、部屋の隅で一部始終を耳にしていた。


《やっぱり、仕舞権三って野郎は、一筋縄ではいかないくせ者だったな。俺の目は間違ってはいなかったが、まさか、八草沢に成り済ましているとは誰だって、夢にも思わないだろうよ。ちくしょう!このまま殺されるのは癪だ!生き延びる方法はないものか……》


「隅っこにいる男の始末はどうするの?えらい被害を被ったね。しばらくは、にっちもさっちも動けなくなっちまったよ。こっぴどく焼けた火の中へ放り込んでやりたいよ」


 野八重が、毒々しい口調で言うと、唐突に、冠太が返した。


「代わりに死んでもらうのが、いいかもしれないな」


 オリバーが、きょとんとした顔で尋ねた。


「誰の代わりに死ぬんだ?」


「おれだよ!仕舞冠太だよ!」


 四倉は、冠太の答えに、けたけたと、笑いが口からこぼれた。


「そりゃ、名案だ!そうすりゃ、冠太は、金輪際、警察から追われる心配はなくなるってもんだ!」


 野八重は、疑わしそうな言い方で問いかけた。


「そんな芸当ができるのかい。どうやって死ぬんだ?」


「そうだな。俺の顔で人前に現れりゃ、黙ってたって、警察が追っかけてくれるからな。追い詰められた挙句、ビルから落っこちて死ぬってのはどうだ!なにしろ、オヤジと八草沢会長のときみたいに、死ぬと、薬は固まってしまうから、そいつの人間の顔はもとにはもどらないからな」


 冠太は、自信ありげに答えると、四倉が付け加えるように言った。


「合院のせいで、警官たちが、拝見寄ホテルを見張りに来ているだろうから、わざと発見されて、屋上までに逃げたら、そこで冠太の顔に変えた合院を、屋上から突き落とすってのが、いちばんいいシナリオだ!」


「それなら合点がいったわ!もたもたしないで、出かけましょう」


 野八重が、話の幕切れを告げると、一同は、それぞれのホテルに向かった。


「冠太は、本当に、この拝見寄ホテルにいるんでしょうかね?」


 遠山は、拝見寄ホテルに、到着すると半信半疑の気持ちを口にした。


「このホテルが、仕舞冠太をかくまっているなら、拝見寄クラブを潰す格好の理由になるからな。合院も飯成もウソは言うまい」


 俊介たちは、仕舞冠太をホテルで見かけたという通報を理由に、社長の六門桐生を訪ねたが、あいにく外出中で留守だった。


「立派な庭園ですね。社長さんが帰るまで散策していいですか?」


 都真子と紫蘭は、庭園などには、あまり関心もないくせに、時間潰しにと思い、ロビーに続くテラスから芝生の広がる庭に出ると、御影石を敷いた石畳を歩いて、背景に築山を持った広い池まで歩いた。


 そこは、木石が見事に配置された回遊式の庭園になっており、赤や白の梅やバラの咲き乱れる一画もあるが、その先には門があって、奥には吾妻屋と石灯籠が見える。


 その石灯籠の脇に、コートを着た男とホテルの制服姿の女が、もの思わし気な様子で立っているのが見えた。


 女は長い髪を後ろで束ね、背はすらりと高く、きつい表情をしていたが、男は優しそうな顔つきで女を見つめている。


 いくぶん、いわくありげな様子が気になった都真子と紫蘭は、門の陰に身を隠して、二人が喋る声に耳を傾けた。


 女が、不安そうに口を開いた。


「隆司さん!みんな捕まったって本当?」


 女は、手にした大きな見出しの見える新聞を男に見せた。


「寿和子さん!自首しよう!もう逃げられないよ!」


 都真子は、寿和子と聞いて、はっとした。


《寿和子って、このホテルで働いている羽交の妹では?》


 女は、一瞬、凍りつくような表情になって、心の揺れと頭の混乱を顔ににじませた。


「自首はできないわ!私はどこまでも逃げるわ!」


「今なら軽い罪で済むはずだ!逃げたら重くなるに決まってる……」


「警官がホテルに来てるぞ!どうする?」


 地下の本部のモニターで、ホテルの一部始終を画面で見ていた四倉が言った。


「予想通りじゃないか。いきなり、飛び出て、おどろかせることもできるが、桐生さんに迷惑がかからないように上手くやろう」


 冠太は、閃光のように目を光らせて、四倉に言った。


「ずばり!行動開始だ!眠らせた合院を屋上に連れて行くぞ!」


 二人は、人に見られないように、合院をスーツケースに入れて運ぶと、屋上のふちに座らせ、てすりに括りつけた。


「ここから落ちれば、脳内出血、内臓損傷、全身骨折で死ぬのはまちがいないな。このくくりつけた紐を、すぐ下の部屋からひっぱってほどけば落ちるしくみだ。合図は俺がするから、お前がほどいてくれ」


 四倉が念を押すように言うと、冠太はうなずいた。


「それじゃ、俺が冠太だからな!警官をおびきよせるとするか。ロビーに二人、庭園に二人いたな。なるべく大勢をここへ上げて現場を見せるんだ!」


 四倉の頭の中では、庭園の二人の警官に先に見つけてもらい、二人がロビーの二人に連絡をとって、四人で屋上にやってくるのを想像した。


 四倉は、庭園が見渡せる三階の部屋に移動すると、窓から顔を出し、寿和子だけでなく、都真子たちにも聞こえるように、大声で呼びかけた。


「寿和子さん、何してるの?屋上に来てくれないか!」


 声に反応した都真子が、ふいに振り向いて見上げると、なんと、逮捕したとき以来、片時も忘れることのできない仕舞冠太に、視線が釘付けになった。


「仕舞冠太よ!俊介に連絡するわ!紫蘭は三階に行って!」


 紫蘭は、急いで館内に走った。


「俊介!三階から仕舞冠太が顔を出したわ!今は中央の部屋よ!でも、そのあと屋上に行くつもりよ!」


「わかった!すぐ上がる!」


 俊介、遠山、合流した紫蘭の三人は、エレベーターを待つことなく、階段で三階の廊下に駆け上がると、ちょうど冠太が、しゃあしゃあと、追手を意識しながら、エレベーターに乗り込む姿を発見した。


「いたぞ!エレベーターに乗った!屋上だ!」


 俊介たちも、エレベーター前に走りよると、遅れて来たもう一台に乗って、屋上を目指した。


「到着は十一階だ!屋上はそこから階段だ!」


 三人は、エレベーターを降りると、息をはずませて、階段を駆け上がって屋上へ出たとたん、たちまち、肝をつぶした。


 こともあろうに、屋上のへりに冠太が座っているのだ。


「何をするんだ!よせ!」


 次の瞬間、冠太は、前のめりに転がり落ち、地面へと落下していったのだった。




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