第24話 死の吊り橋

 その日、権三の次女、仕舞里哉香は、とっくり日が暮れてから、ハドマンの会場である城山公園に到着すると、煌々と燃え上がるかがり火が、あちらこちらに明るくゆらめいて、祭りの雰囲気を、いちだんと盛り上げているのを目にした。


《この雰囲気が好きだな!》


 里哉香は、幼い頃、胸をわくわくさせてハドマンに行った記憶を今でもよく覚えていて、懐かしい気持ちになった。


 里哉香は、美術大学の四年生だ。


 里哉香は、物心がついたころから、絵を描くのが得意で、芸術の道へ関心をもち、大学では抽象的な芸術論を専攻した。


「絵は描くものではない。絵はありのままから、天然に生まれる」


 こうした人間の意思を超えた、自然な作品の創作こそが理想的な芸術と考えて、自分から絵を描くと言わずに、絵を生むと定義して、意思で作品を造らない芸術を理想とする美術論に傾倒した。


 作品を造り始めると、深夜であろうが早朝であろうが、徹底的に作業に集中し、あっという間に仕上げてしまうが、気に入らないと部屋の隅に捨て置くようなことを何度も繰り返している。


 自分で満足できる作品ができても、時間がたつにつれて、色あせて見え、自分にとっての充実とは、作品の完成より創作現場という空間に身を置くことであると最近は自覚しているようだ。


 里哉香は、ぶらぶらと、屋台を眺めてまわりながら、親しげに談笑している、同い年くらいの若い男女が目に入ると、羨ましい気分になった。


《地元でずっと暮らしていれば私もあんな感じなんだろうな》


「先週、中学校の同じクラスの子と集まったんだけどさ。みんな、仕事がきついってこぼしてたわ」


「わかる、わかる!俺も学生の頃がいちばんよかったな!中学の時なんか、部活の帰りは、毎回、駄菓子店に寄り道して帰ったな!」


「そうよね!それじゃ、今日は大人の寄り道ってことで!」


 耳をすますと、筒抜けの会話が、ひっきりなしに聞こえてくるが、そもそも、祭りというものは、他人同士が一蓮托生に集まって、どことなく、皆が家族になったような温かい雰囲気を味わえる場でもあるのだ。


「大竜による灯籠流しを始めます!川に集まってください!」


 ハドマンのメインイベント、「大竜流し」開始のアナウンスが場内に聞こえると、里哉香は、家名の仕舞と書いた薄紫色の小竜灯籠を持った母親の典子、兄の蓮二、兄嫁の富子、精霊に届くように盛り沢山の果物を載せた小舟を抱えた姉の花華を見つけ出して合流した。


 川には、十メートル以上もある張り子の大竜が、鮮やかに色とりどりに彩色された長い胴体を持ち上げて、体内に照明を灯しながら水面に浮いていた。


「それでは、大竜流しのスタートです!」


 青年団の男たちは、それまで、大竜が流れないようにつかんでいた綱を、一斉に手から離すと、迫力満点の大竜灯篭は、ゆっくりと水面を滑り始めた。


 里哉香たちも、波静かな水面に、巨大灯籠と寄り添うように小竜灯籠と小舟を浮かべて、すうっと流れて進んで行くのをながめながら、祖母の静乃の冥福を祈った。


《暖かいところでおいしいものを食べてね!》


 里哉香が、しみじみとした気持ちになって、そう念じたとき、こともあろうに、上流にいる人々が、ふいにざわつき始めたのだ。


「ねえ!何あれ?ぷかぷかしてるの!」


 灯籠が流れる先の、川の真ん中あたりに、上下に浮き沈みしながら、流れているのを、黒々とした物体に、おおぜいの視線が釘付けになった。


「きゃー!人間よ!」


 とたんに、女たちの胸をどきつかせるような甲高い金切り声が、闇を切り裂くように、響き渡った。


 おどろいた消防団の青年たちは、皆が固唾をのんで見守る中、急きこんで、冷たい川に入ると、おっかなびっくり、黒い物体を引き寄せた。


「市長だ!」


「えっ!なんだって?」


「仕舞権三市長だ!」


 灯籠流しの真っ最中のハドマンはまぎれもなく恐怖に包まれた。


「早く救急車を呼べ!」


 岸に上げられたずぶ濡れの権三に、消防団の男が、必死に、AEDや心臓マッサージを施した。


 騒ぎに駆けつけた里哉香たちは、救命措置を受けている、顔面蒼白の権三を見て、肝をつぶした。


「お父さん!しっかりして!」


 なにしろ、ハドマンのテントで、来賓と酒を飲んでいた権三は、電話が来て席を外した後、中々、戻らない。


「その辺に、酔い潰れているんじゃないのか」


 不安になった秘書の丸野が、再三、電話を入れてみたが一向につながらず、祭りの運営本部に事情を話して、方々を探してもらったがそれでも見当たらないため、とうとう警察官までが捜索を始めた矢先だったのだ。


 やがて、ものものしくサイレンの音が鳴り響き、救急車の赤色灯が近づいて来ると、意識もなく、呼吸もしていない権三を、一刻の猶予もなく、救急車に乗せると、次男の蓮二が付き添って、てこまい医療センターに運んで行った。


 だが、センターに到着後、救命措置のかいもなく、権三は死亡したのだった。


 死因は、解剖の結果、意表をついて、溺死ではなく脳挫傷が致命傷と判明し、権三は固いものに頭を打ちつけたことで死亡し、その後、川に流されたことがわかり、そればかりか、体内から微量の毒物も見つかった。


 してみれば、市長は、いったい、どこで命を落としたのか?


 事件は、一見、証拠が少ないと思われたが、折よく、事件の核心に迫る証言が得られた。


 話としては、城山公園を流れる永地川の上流にあって、春になると大勢の花見客で賑わう桜橋という吊り橋で、ハドマンの夜、三人の人物が橋の上にいる姿を見た者が現れたのである。


「橋のたもとの街灯しかなくてね。なにぶん、薄暗くてよく見えなかったけど、一人は市長に似た男で、身体がふらついているように見えたので、何が起きるのか固唾を飲んで見ていたよ。すると、もう一人の男がふらふらとしている男を川へ突き落とそうとしたんだけど、もう一人が制止しているように見えた。ところが、次の瞬間、ふらついた男は倒れるように手すりから川底に落下していったのさ。まるで、足元を滑らせたようにも見えたな。残りの二人は、すぐに逃げ去ったよ」


 この証言は、ことのほか、重要視されて、事件は殺人事件として報道された。


「ハドマンの最中だというのに、殺人なんて、犯人は宗教心の無い奴ね」


 都真子は、殺人が、にべもなく祭りの日に起きたことに、許しがたい憤りを感じた。


 権三の死は、仕舞家にとっては、心棒が抜けたような出来事だったが、市政にとっては、一種特別の、大きな葛藤の生ずるような反応を示し、中には、あからさまに顔をしかめ、毒のある口調で揶揄するような人々も現れた。


《市長とは言え、さんざん、わがもの顔で、永いこと市政を牛耳ったわりに、あっさり殺されてしまうとは業の深い男だ》


 と言うのは、一見のどかに見える横州市は、市長の仕舞権三という政治家が、がらりと発展させた地域だったのだ。


 元はといえば、権三はこの市の生まれではなく、どこからか母親と流れてやって来て仕舞家に入った人間だったから、自らの出自の話になると、つゆほども口にすることはなかった。


 並はずれて、仕事のできる男だった権三は、酒造業から成り上がると、政治の仕事に野心を燃やし、三十代前半で市議会議員選挙に出馬して当選したあとは、あれよあれよという間に、横州市長を四期に渡り勤めるような政治家になって行った。


 何しろ、人一倍、頭の回転が速く、持ち前の先見性と実行力で、あらんかぎり、精力的に活動していたから、もっぱら、上の者には自分をアピールし、下の者には命令している姿しかないような人間だった。


「反発も大きいだろうが、市の活性化は他者を入れるしかない」


 権三は、市会議員のころから、愛着のない地元を切り捨て、外からの開発や企業誘致に積極的に力を注いだことが功を奏して、市の財政は、ことのほか潤ったため、そのお先棒を担いで、甘い汁を吸う者たちから支持を受け、地元の有力者の一人となっている。


 権三の家族は、酒造業のときの社員、成子と結婚し、冠太を授かったが、成子がはやり病で早死にしたため、地元出身の財産家の娘、千楽典子を後妻に娶り、次男の蓮二と長女の花華、次女の里哉香をもうけていた。


 だが、成功者だからと言って人格者であると勘違いしてはならない。


 権三は、すさまじいまでの権力欲にとりつかれ、邪魔立てする相手を見つけると、あの手この手で、どん底につき落とし、あるいは、汚い賄賂も、平気の平左で、懐に入れて私腹を肥やし、そのくせその一方で、悪事を隠すための慈善事業も抜目なく行ったから、権三を恨む人間も大勢いたのである。


 とは言うものの、権三にも、一筋縄では行かぬ、厄介な相手がいた。


「どこの馬の骨ともわからないよそ者に、でかい顔をさせるわけにはいかない」


 横州市の交通機関や観光開発を牛耳る八草沢興業の会長、八草沢元司は、権三が、温泉地やホテル、旅館などの観光資源に手をつけようとすると、たちどころに異を唱え、つけ入る余地を与えようとしなかった。


 こうして因縁の争いとなった今、権三は、次の手として、全国展開しているホテルチェーンを、秘密裏に誘致しようとしていたのだ。


 ところが、ひょんなことから、事実を嗅ぎつけた八草沢興業は、市長のやり方に、腹の虫がおさまらず、権三を市長の座から引きずりおろそうと、青筋を立てたので、まるで、権三の死は、この対立が原因とも噂する者も出た。


 そんな折、権三の葬儀がしめやかにとり行われた。


 文字どおり、市長の葬儀ともあって、斎場には、参列者の長い列ができ、人があふれていたが、何やら、その列をかき分け、思わぬ人物が現れたのだ。


「仕舞冠太の名代として来ました」


「えっ!冠太の?」




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