第14話 仕舞権三

 市長の仕舞権三は、元はと言えば、横州市で、がむしゃらに働いて、若くして、一代で酒造会社を立ち上げた名うての起業家だった。


「俺は事業では成功したが、息子の教育には失敗した!」


「息子が自制心のない若者に育ってしまった!」


 そもそも、権三は、高校生の息子、冠太のやらかしたことが、警察沙汰になったことに怒り狂い、どこでどう育て方を間違ってしまったのか、皮肉たっぷりに自分を責めた。


「信頼していた父親から否定された!」


「俺は失敗作か?はたまた、怪物か?」


 そこへもってきて、肝心の冠太は、自分に面と向かって、目くじらを立てた父親の言葉が何よりも印象的で、のちのち、思い出すたびに父親に失望して、奈落の底にでも突き落とされた気分になった。


 こうした親子の一幕は、はるか出生より始まっている。


 言うなれば、父親の権三が子供だった頃は、多産による人口増加で、子供の教育などは二の次になっていて、どこに行っても鼻たれ小僧たちが、自分たちで子供の世界を作って我がもの顔に暴れ回っていて、ちっぽけだが活力ある風景がどこにも見られる時代だった。


 現代のように、まるっきり、少子高齢化が容赦なく進み、老人に紛れて子供たちが生きているような今の日本社会では、当時、見られたような近所の道路や空き地など、いたるころで子供が大勢で遊び回る姿は、夢のまた夢どころか、二度と出会うことのない想像上の世界になってしまっている。


 若者と言えば、高齢者ばかりの田舎を捨てて都会に憧れて出て行くと、地方は一挙に少子高齢化を加速した。


 こんな世の中を目標にして、皆、生きてきたわけではないと嘆いても、わずかでも他人よりいい生活がしたいと、努力すればするほど、個人主義が拡大して、往々にして人寂しい世界を形成してしまうことになるとは誰も想像しなかったであろう。


 そこそこ、努力して自分の生活を築いたあとは、みんなで楽しく生きる方が、よっぽど幸せだと気づくべきだったのかもしれない。


 そこで話はもどるが、何よりかにより、権三は、冠太が産まれるやいなや、初めての子供ということもあって、ことのほか無条件に可愛いがり、冠太が欲しがる物や、欲しがらなくても持っていることでちやほやされそうな物を、やみくもに買い与えた。


 して見れば、消費生活はいっこうに不十分で、物は自由に手に入るほど普及しておらず、物を与えることは、上下関係の構築には効果的な方法だったため、教育にもある程度の効果があったのかもしれない。


 だが、冠太の世代になると、時代はがらりと一変した。


 世の中は、大量生産、大量消費の時代となり、豊かな製品に囲まれて生活するようになったことで、物を与えて人間関係を結ぶ時代ではなくなってしまったのである。


 そのため、こうして物を与えられて、甘やかしを繰り返された子供にとっては、当然のことながら、何かに向かって努力する習慣を身につけることは、文字どおり、不可能になったのである。


 さしあたって、教育の失敗の第一条件とも言えることは、子供の喜ぶ顔を見たいために、何のためらいもなく、物を与え続けることである。


 子供にとって、独力で生きていける力を身につけさせるためには、欲しい物は努力した結果との交換条件で与えるべきであり、それをすっぽかすなら、教育は放棄されたも同然となるのだ。


 おそらく、冠太としては、このような育てられ方をされたことを自覚する術はなかったのだから、気がついた時には、お決まりのコースにどっぷりはまっていた。


 とくに、くれぐれも自力しか頼りにならない思春期の洗礼を受けるようになると、ものごとが思い通りにならないことが多くなるのは当たり前で、その原因が自分自身にあることを見つめようとせず、ことごとく他者の責任に転嫁していくようになると、乱暴な手段に出てまでも、自分を押し通していく人間に育っていった。


 言うなれば、他人の力に依存する以外に、生きて行くことができず、他者とは、自分に何かを与えてくれる存在と見なす一方で、何もしてくれない相手には、価値を認めないどころか、あべこべに、敵視するような人間のことである。


 そんな時代の変化に取り残され、流されて行くのは、冠太のように努力することを学ばなかった人間だ。


 おまけに、冠太にとって不幸だったのは、継母の典子が息子の教育には、ほとんど無関心だったことである。


 典子は、冠太が度重なる不祥事を起こしても、警察や学校から呼び出しを受けたからといって、動揺し、あわてふためいて、駆けつけるようなことはしなかった。


 何より、真っ先に考えることは、化粧は大丈夫か、どんな服装で行くべきか、バッグはどれにするかなど、どのように自分が見られるかを、優先して考える性格で、刑事や教員から報告を受けても、息子の非行には関心がないように見えたり、まるっきり、話など聞いていないような態度であった。


 典子は、自らのプライドと生命の安寧に重心を置いて生きているだけであって、ほころびた冠太の服を縫い、寒い日に帰宅したら温かい料理を出すような心遣いは、これっぽっちもなかった。


 言うなれば、高い虚栄心に、冠太がすがってくれば犠牲を払ってでも尽くすだろうし、冠太が優秀な友人を連れてきたら嫉妬にかられて蹴落としてやろうと思ったかもしれない。


 冠太は、そんな典子に、母親らしさを感じることはなく、典子の性格については、典子の実家が地元で有名な財産家であったことから、何不自由なく暮らして育った母親は、我がままな人間であり、自分が食べたいものが人の食べたいものであり、自分が欲するものが、人が欲するものと考える人間に違いないと分析していた。


 それゆえ、母親が父親の指図で鑑別所に面会に来ても、冠太は母親には会いたいとは思っていなかったから、典子の顔を見たとたんに、羊のように無表情になり、質素な椅子とテーブルを挟んで対面すると、差し入れのために鑑別所の入口で典子が買ったチョコレートとジュースを無言で頬張り、何を尋ねても生返事で返した。


 冠太は、実際のところ、尋ねたいことはいろいろあったが、いざ典子を前にすると、ほとんど何も言わなかったが、こうした態度は、学校の面談の際に、典子が言っていたことへのしっぺ返しをしていたからだ。


「なにせ、この子は家でも余り話をしてくれないので、何を考えているのかよく分からなくて困っているんです」


「それじゃ、俺は、何も喋らないほうが自分らしいから、口を閉じていよう。俺は喋れない男じゃない。もっと言えばよく喋る人間だ」


 母親の前で、そう言いたかったのを覚えている。


 さらに冠太は、典子が何を考えているかまで想像していた。


「母は面会が終わると、きっと実家に寄り、祖父母に会って、俺が捕まったから、弟と妹が肩身の狭い思いをしないように、上品な私立学校にでも入れて、その後は留学でもさせる手筈か何かを相談するつもりに違いない」


「自分の息子の面会などするつもりのない父親には、俺の鑑別所の様子を伝えて、少年院は避けられないから、出院した後、海外の知り合いに預けてまともな人間になるよう国内から追い出そうとけしかけているに決まっている」


 こうして冠太は、残念なことに、母親へのダメ押しに終始し、ますます孤独を深めて行ったのである。


 とは言うものの、冠太が、自分でも不思議に思うのは、父親の権三が鑑別所の面会や、少年院の入退に一度も足を運ぶことはなかった薄情な親にも拘わらず、権三を恨んだり憎んだりする気持ちはほとんどなかったことである。


 それは、今になってみても、溺愛された記憶によって、権三を心地良い相手として大人になっても消えずに残っているというのではなく、権三にしてもらった行為は、単に冠太を喜ばすための、道化師のようなおべっか使いの振る舞いであって、冠太が求めていた自分の成長のための栄養分を供給する働きではなかったことに気づいていた。


 つまりは、冠太の心の中では権三は何も感じない存在となって、消えずに残ると言う、まぎれもない死物と化していたのである。


 冠太は、やっと最後に、父は何か言っていたかと問かけると、典子は権三の言っていたことをオウム返しにつぶやいた。


「あいつは心から改心するような経験をしない限り、まともな人生を送ってはいけないだろう。これ以上、冠太を見舞いに行くことも連れ戻す素振りも見せず、これ以上の冠太の世話は、他人に任せることとしよう」


「少年院に入れば、そこでの厳しい生活規制や徹底的な人格矯正、おまけに仲間との関係など辛い日々を通して、一時的には別人に教育されるだろう」


 冠太にとっては、父親の言葉にある少年院への入所は、ナイフの一撃に等しく、ブラックホールのような暗黒の反磁場となって、ことさら生命力を枯渇させ、あらためて聞くのではなかったと後悔した。


 面会は、時間切れになり、チョコレートを包んでいた銀紙の鈍い光が、冠太の虚ろな目に映ると、母親は一仕事終わったような晴々した顔で帰って行った。


 ところがある日のこと、おどろいたことに、やにわに父親の権三が鑑別所に現れたのである。


 権三は、冠太にある提案をしに来たと言った。


「俺は言いなりにはならないぞ!」


 死物の権三に、むき出しの抵抗感を抱えていた冠太ではあったが、権三の提案は魅力的なものだった。


 冠太は、素直に受け入れる気になったのである。



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