第13話 過去の暗闇

「なに?隠れ家が見つかった?本当か?よくやったぞ!詳しい場所を知らせろ!」


 鼻田は、やにわに甲高い声を上げた。


「ここは蝙蝠団地の隣接地です!今、データを送ります!やけに静かな場所なので、騒々しいとたちまち悟られてしまいます!」


「わかった!道路の出入口を固めた上で、こっそりと突入班を近づかせるようにするから心配するな!」


 鼻田は、何はともあれ、声をはずませて刃条署長に報告すると、即刻、言葉が返って来た。


「ありったけの人数を引き連れて行け!決して、逃がすんじゃないぞ!今度こそ、幕切れにするんだ!」


 都真子は、マンション監視の時に、とうに気づかれて面目をつぶされた苦い経験から、鼻田が到着するまでは、工場を通り過ぎた先の空き家の陰に移動し、見つからないように車を降りて監視することにした。


 とかくするうちに、錆びだらけの工場から人影が現れて、重そうな黒塗りの鉄門扉に付いた南京錠を外して門を開き、どこかへ出発するようなそぶりを見せた。


「まずいわ!応援が来る前に出かけたら台無しだわ!」


 都真子はやきもきして、今か今かと、応援の到着を待った。


 人影は、何度も建物と車を往復して、どうやら、荷物を運び出している様子で、しばらく、出かける気配がないのが幸いした。


 しかるのち、待ちに待った応援が到着すると、都真子は鼻田の顔を見て、安堵の表情を浮かべた。


「失敗は許されんぞ!建物を包囲した上で、突入一班と香原木と都真子は手前入口から行け!突入二班と遠山と紫蘭は奥の入口から建物に突入だ!」


 鼻田が、かんでふくめるように指示すると、文字どおり、突入が始まった。


「今だ!行くぞ!」


 いっせいに、二方向から建物に突入すると、虚を衝かれた四倉はあわてて二階に駆け上がり、屋根を開いて脱出用のバルーンにつかまって舞い上がり、有刺鉄線の外側まで飛んで、地面に落ちた。


「大丈夫だ!包囲網の外へも、どっさり、捜査員を回してる!」


 ちょうど、四倉が落下したところへ、ばったり出くわした何人もの捜査員は、ここぞとばかり、力まかせに四倉をねじ伏せた。


「やりました!犯人を捕まえました!」


 辺り一面にとどろく声を、待ち望んでいたように耳にした鼻田や俊介たちは、早く犯人の顔を見たくて、うずうずして駆け寄った。


 鼻田も、俊介も、都真子も四倉の顔に視線が釘付けになった。


「やっぱり、お前か!建物にあった噴射装置の付いた車やスプレー缶は証拠として確認したぞ!愛宕台団地の事件は顔を見られているはずだ!その時のドラレコの映像とお前の顔はまさしく一致している!とどのつまり、お前を容疑者として逮捕する!」


 手首に冷たい手錠をかけられた四倉明は、またぞろ、自分の居場所が、あっさり分かってしまったことに、からきし納得することができず、憮然として黙ったままだった。


 四倉に言わせれば、犯行時にも証拠は残してはいない自信もあり、通報する人間にも心当たりはないことから、こうして捕まったことに、身ぶるいするような敵意をあらわにした。


《ちくしょう!どうして、ここがわかったんだ!》


 四倉は、名前も名乗らず、死んだようにずっと黙り通したが、指紋からは、おどろいたことに、かれこれ十年以上に渡り行方不明になっている市長の息子、仕舞幹太と判明したのだ。


 マスコミは、ことのほかビッグニュースとして一斉に報道した。


 とうの市長の仕舞権三も、正直なところ、肝をつぶした。


 ところが、どういうわけか、以前の仕舞冠太とは、人違いと思うほど顔つきが変わっていることを、往々にして、不審に思う人間が数多く現れた。


 刑事の寺場もその一人だ。


「十五年前の奴とは顔が変わっている!」


 四倉は、顔のことをうるさく言われるのに、しびれを切らし、煮え切らぬ口調で整形をほのめかした。


《まあ、実際は、俺は四倉明だが……そもそも、公には仕舞幹太だけどな……》


 取り調べは、それやこれやで、俊介が担当した。


「結局のところ、動機について尋ねるが、お前は高校生の時に、スプレーを使った事件を起こして施設に入っているが、なぜゆえに、十数年経って、同じような事件を引き起こしたのだ。ぜひとも、理由を聞かせてもらいたい」


 その事件というのは、冠太が高校生の頃、たまたま、仲間とのいざこざで、怒り狂ったあげくに、やにわに相手の顔に殺虫スプレーを噴きかけて、失明寸前までの重症を負わせたという傷害事件なのだ。


 元はと言えば、当然のことながら、スプレー缶などは虫類を狙って噴射する以外に使ってはいなかったが、時がたつにつれて、噴射する勢いの強いものが販売されるようになると、その強力な噴射能力の力を借りて、たちまちストレス解消になるような、特筆すべき経験をしたからだった。


 冠太は、ある晩のこと、公園のベンチで、ぐでんぐでんに酔っぱらって寝ている男を発見し、男の顔に目掛けて、面白がって、強力タイプの殺虫スプレーを浴びせるといったバカな真似をしたところ、男が驚いて飛び上がった姿やスプレーの成分を吸い込んで苦しがる様子がことのほか愉快に感じられ、このシーンは今でも嘲笑を禁じ得ず、今でも思い出しては嘲笑い、嘲笑っては回想していたが、何より肝心な点として、男が、ついでに落として行った現金入りの財布を拾ったことで、この遊びに味を占めたのだ。


 そこへもってきて、冠太は、好きこのんで、自らスプレー缶の構造や成分を調べると、オリジナルなスプレー缶を作ることに精魂を傾け、おまけに、作れば使いたくなるから、自ら開発したスプレー缶を初めて使用した実験台が同じ高校の喧嘩相手だった。


 今になって考えてみれば、幸運なことに、常軌を逸したおぞましい常習犯に転落する寸前で、傷害事件の加害者として逮捕されたことになる。


「狂気的なスプレー缶の量が並んでいるぞ!殺人まで起きなくてよかった!」


 冠太の部屋を捜索して驚愕した捜査員には、そこまで言わしめる程だった。


 冠太は、担当した寺場刑事から言われた。


「お前は他人にスプレーをぶっかけたんじゃない!自分自身に噴射して自分を台無しにしたんだ!自分の人生を大事にしろ」


《そうだな。それはいい考えだ。いいことを教えてくれた。自分の顔にもかけてみないとな……》


 文字どおり、冠太は、その忠言を本当に実行し、自分に目がけてスプレーを浴びせ、顔面は赤く腫れ上がり、吸い込んだ噴射物で数日頭痛が止まらなかった。


 こうしてこの事件は、高校生が起こした幼稚だが危険極まる事件として、当時、有名になったが、冠太は、この事件以外にも窃盗事件や無免許運転などを繰り返していたから、親は呼び出され、警察官や教員と話をする時間を持つにあたり、あべこべに、それらすべてを、自らが特別な存在として英雄視されているような自尊感情の充足感に変えて、むしろよりいっそう誇らしい気分を満喫していたのだ。


 だが、四倉はこの仕舞ではないのだ。


 このことはのちのち、はっきりさせることとして、四倉は、いまだに、自分がどうして捕まり、ここにいるのか、ろくすっぽ納得できてはいなかった。


 四倉は、ふとした機会をとらえては、幾度となく俊介に詰め寄った。


「どうやって俺を見つけたんだ!絶対に分かるはずはないんだ!どんな手を使ったか教えろ!それを聞かない限り、俺は詳しいことは何もしゃべらないからな!」


 四倉の心を支配していたものは、どこに失敗があって、この状況に陥ってしまったかに、明瞭な答えを出すことだったが、そのくせ一方では、失敗の原因を、ことさら自らに求めることはしなかった。


《警察は何かを隠しているに違いない!俺の勘は間違っていない!必ず突き止めてみせるぞ!俺をバカにするな!》


 俊介は、仕舞の犯行の動機を、どんなことがあっても突き止めて、事件の本質に迫りたかった。


《こいつの頭の中では、犯罪行為と人格とが未分化な状態だ。犯行の発覚は、自分という人間がさらし者にされたことと同じで、そのことによって、さらに心の本質がゆがみ、自分を絶望させた警察への憎しみとなって仕舞の頭脳を一杯にさせているんだ》


 こうしたすれ違いから、二人の話は、当初から噛み合うことはなかった。


 俊介は、くれぐれもTS1を使って仕舞を発見したことに触れるわけにはいかなかったから、仕舞からの問いへ、納得する返事はできなかった。


「お前は、被害者への謝罪の気持ちより、自分の捕まったことへの疑問の解決を優先するのか?それは違うだろう!」


 俊介は、仕舞の救い難い思考に、残念な気持ちになって心を重くした。


「被害者の一人には、片目が失明寸前になっている人もいる。お前は、卑劣な自分の行為への反省と、相手の苦しむ姿を思い浮かべるべきだ。被害者たちは、なぜゆえ、自分が事件の犠牲者になったのか、一生、解決できないまま生きていくんだ。そういう被害者のことを先に考えるべきじゃないのか!」


 俊介は、仕舞に対して、被害者への罪の意識を少しでも感じるように心に訴えるような口調で話したが、仕舞の自己中心的でかたくなに閉鎖した心を、一ミリたりとも開くことはできなかった。


 それならいっそ、仕舞が家族のことを少しは気にして、家族に会わせることで気持ちが変わるかもしれないと考えた。


 仕舞の祖父母や産みの母親は病死しており、あとの家族は父親が再婚して入った血のつながっていない継母と兄弟だった。


《そうなるとやはり、父親しかいないな》


 俊介は、父親を呼び出して面会させることにし、横州市の市長を務める父親の権三に連絡を取ると、こともあろうに、父親は仕舞に会うことを拒否した。


 冠太とは、とっくに縁を切ったから会わないというのだ。


《親子の間で一体何があったのだろうか?》


 俊介は、親子の縁を切ったと聞いて、親子喧嘩どころではないなと、げんなりしてため息をついた。


《みんながみんなというわけではないが、人間はこの地上で様々な苦難に遭ったとき、たった一人で生きていくことは耐えられないが、家族や仲間がいるから乗り越えていけるんじゃないのかな?》


 俊介は、なによりかにより、仕舞の善心を呼び起こす人間は誰かいるはずだと問うと、やはり、家族の存在しか思い浮かばなかった。


《もう一度、父親に当たってみよう》


 俊介は、ふたたび、父親に接見を求めることにした。


 しかし、父親は頑として会うのを拒絶してきたのだ。



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