第12話 ジャングルハウスの客

「だいいち、野良犬事件による警察のむきだしの信頼失墜は、許しがたいものがあるからな。これぽっちも、娘の誕生日を、のうのうと祝うどころじゃないんだけどな……」

 

 鼻田は、犯人が何度も警察を茶化すようなことはすまいと、高を括っていたことを苦々しく思い、やり場のない自責の念にかられていた。


「文字どおり、係長が、野良犬事件の矢面に立たされて、一切をひっかぶっているのを見て、しばし、気分転換にと思ったんですが……」


「それもそうだな。なんのかんの言っていても始まらん。短い時間ならいいぞ」


「それじゃ、私に任せてください。気分が晴々とするようなコーヒーを入れますよ。俊介くん、コーヒーくらい置いてあるでしょ?」


「ええ、豆も何種類か買ってあるだけでなく、自分でも新しい品種を栽培してますから」


「おいおい、そんな芸当までできるのか?」


「誰もが舌を巻くような植物オタクですから、見たこともないような花まで咲いてますよ」


「ほう、それは面白そうだな」


 その日、鼻田と俊介、都真子の三人は署内の連絡会議で野良犬事件をきびしく糾弾されると、鼻田は、弁解の余地もなく、ひたすら犯人逮捕の決意を表明するしかなかった。


 ずしりと重苦しい会議が終わると、三人はその足で、俊介が運転してジャングルハウスに向かった。


 都真子は、鼻田が手ひどく疲れ切った面持ちでいるのを見て、気を利かせて鼻田の娘の誕生日プレゼントは何か、ご馳走は用意したのか、顔や性格は係長に似ているのか、将来は警察官になりたいのかなど、考えつく質問をむやみに浴びせるなど、そうこうするうちにジャングルハウスに到着した。


 鼻田は、緑におおわれた風変わりな建物を、もの珍しそうにながめた。


「こりゃ、まさしく植物屋敷だな!こうして見ると植物の中に家がある!してみれば、ジャングルハウスとは良く言ったものだ!」


 俊介が、入口の扉を開け、ぽかんとする鼻田が足を踏み入れると、通路や壁、天井から尻込みするくらいの数の植物のお出迎えだ。


 最初のスペースは、ビニールハウスのように全面から採光が取れる透明アクリルでできた頑丈な建物になっており、高い天井のもとに、背の高い熱帯の食虫植物も栽培されていた。


「すごいな!まるっきり、植物園じゃないか!よく作ったもんだな……」


 奥にはもう一部屋、実験用の机がいくつか並び、その上にはおびただしい数の実験器具が並んでおり、端っこにガラス扉の付いたキャビネットがあって、コーヒーメーカーや何種類ものコーヒー豆の缶が押し込まれている。


「コーヒーはここにあるよ。ついでに、係長には見てほしいものがあるんです」


 都真子が、コーヒーを準備してる間に、俊介はモニターの前に鼻田を座らせた。


「実際のところ、ここは植物研究用の建物で、何の研究かというと、おどろかないでくださいよ。植物にも、人間のような記憶能力があるかどうかを研究してるんです。僕は、死んだ恩師とともに研究を続け、植物が目の前で起きた出来事を、まるで見たように記憶して、それを年輪の中に蓄積していく能力があることを、とうとう発見したんです。そして、年輪に特殊な波動を加えて、映像として再現することに成功したんです。それを今からお見せします」


「何?何だって?」


 鼻田は、とたんに面食らって、俊介がまくし立てたことが、こんぐらかって、何がなんだかよくわからない。


「いいから、見てもらえばわかりますよ!」


 俊介が、ひょっくりTS1のスイッチを入れると、モニターには、愛宕台団地で起きたスプレー事件の犯行映像が映し出されたのだ。


「こりゃ、スプレー事件の再現映像みたいだな。リアルでよく出来ているな」


「いや、再現どころじゃなく本物なんです!」


「えっ!本物の映像……」


「私の時も、いきなり見せられて、胸がどぎつくほど、おどろいたんです」


 ちょうど、コーヒーを入れた都真子がやって来て、鼻田の前にカップを置いた。


「おいおい、茶化すなよ。犯行の場面を撮った人からの提供フィルムじゃないのか?」


「いやっ!違います!この機器が再現したんです。このマシンはTS1と言って木の年輪に蓄積された記憶を映像化できる機能をもっています。そこで愛宕台団地の事件現場に生えていた木から取り出した映像がこれです」


「とても信じられん。こんなことがあるなんて……これは驚いたな。すると過去に起きた出来事を木が見ていて、それを呼び出したというのか?」


「その通りです!僕が、恩師といっしょに初めて映した映像は、江戸時代の参勤交代の映像でしたので、これも今お見せします!」


 俊介がデータカードを挿入し再生すると、いかめしい武士たちがゆっくり歩く姿が映った。


「えっ!まさか!これって、本物の江戸時代の武士なのか!びっくりだな……これは世の中に発表したらすごいことになるな。発表するつもりはないのか?」


「ええ、今はまだ準備不足ですから発表しても、どのみち、いかさまな怪しい技術として葬られてしまうでしょう。そこで係長、この機器を犯罪捜査に使うことを許してもらえませんか?当然のことながら、証拠能力がないことは分かっています。まぎれもなく、確実に捜査を進展させることはできます。しょせん、係長が知っていてくれればそれでいいと思っています」


「正直なところ、この機械からの映像じゃ、犯罪を立証する証拠とはならないが、それでいながら、未解決の事件にとほうもない威力を発揮するかもしれないな」


「だいいち、スプレー事件のれっきとした犯人の顔を特定できたのも、この機器の威力です。ぜひとも、捜査に使わせてください!」


 鼻田は、いきなり言われて面食らったが、事件解決に役に立つことを考え、崖からとびおりる決意で承知した。


「よし、いいだろう!今回の難事件を解決するなら願ってもないことだ!」


「ありがとうございます。係長なら分かっていただけると思っていました。私たちも黙って使うのは嫌だなと思ってましたので、ほかならぬ係長には打ち明けようと考えたんです」


「話は分かった!今回の事件に早速使ってみるわけだな。いやいや、もう使っているのんだったな」


 都真子は悩まし気な口調で言い添えた。


「でも、肝心なことは、どうやって犯人逮捕に結びつけるかどうかです。犯人の顔はこのTS1で見つけだしましたけど、結局、居場所は不明です。紫蘭の事件も、野良犬事件もみんな煙町のやつらにやらせてるけど、煙町のやつらだって、犯人のくわしいことは知らないんですから……」


 俊介は、決然とした考えが口をついて出た。


「普通なら犯人の足取りを防犯カメラで追うわけだけど、それをこの機器に置き換えればいいんです!愛宕台団地で事件が起きたとき、犯人は子供を連れて病院に行ったことまではわかってます。そこからの足取りを防犯カメラとこの機器で追えば、拠点となる隠れ家を見つけることができるはずです!」


 鼻田は、病院からの犯人の足取りを追う暇もなかったことを、てっきり思い出した。


「それならば要するに、できるかぎり防犯カメラで黒のミニバンを追って、それに合わせて、この機器を使って不明な部分を補えばいいんだな。よし、事件解決の光明が見えて来たぞ!」


「係長!絶対、捕まえましょう!」


「あっ!まずい。こんな時間だ!家まで送ってくれるか?」


 俊介と都真子は、鼻田を家まで送ると、都真子が提案した。


「良かったわ、了解が取れて!これでTS1を使いやすくなったわね!あと紫蘭と遠山も仲間に入れようよ。信頼できるメンバーよ」


「そう焦ることはないさ。今は俺たちだけで全力を上げよう!」


 翌日、防犯カメラの映像をチェックすると、横州市の市立病院から出た犯人は、南東方向に向かい、ぬけぬけと市の中心部を横切って、ほいさっさと、煙町に入ったことが分かった。


「まずい!煙町に入ったぞ!ここは防犯カメラを取り付けても、ことごとく壊されてしまうか、とりはずされて売り飛ばされてしまうから、カメラが機能してないんだ!」


「でも、煙町に入ったなら話は早いですよ。煙町を徹底的にTS1で調べ上げてやりますよ」


 鼻田の心配とはあべこべに、俊介と都真子は勢い込んで出動した。


 二人は、北東方向周辺から煙町に入る道路に立っている、五十本ほどの樹木に、TS1を使って、手当たり次第に調べると、そのうちの一本から、犯人のナンバーの黒のミニバンを発見した。


「見つけたわ!くれぐれも、煙町のマンションの方角に向かう道路ね。どのみちマンションの駐車場よ!あそこにも木が生えてたわ!」


 マンションの駐車場に到着すると、取り囲むように立っているイチョウの木を数本選んでTS1を当ててみると、とたんに犯人のミニバンが映った。


「やったわ!あれっ!隣にあるのは、以前、乗り換え用に使った小型車よ! やっぱり乗り換えたわ!こいつで動かれると分からなくなるはずよ!」


 小型車が駐車場を出たので、そそくさと映像を切ろうとした瞬間、思いがけない男が現れたのを見つけた。


「あっ!管理人の息子よ!ミニバンに乗ったわ!こいつもグルなの?でも、小型車の方を追いましょう!本命はそっちよ!」


 小型車は、煙町から同じ道を通って市内に出た。


「この先は、防犯カメラで追えるはずよ!逃がすもんですか!」


 二人は、署に戻ると防犯カメラの映像で犯人を追った。


「ああ、蝙蝠団地に向かってるな。またあの屋敷か?でも屋敷には何にもないはず……」


 そこへもってきて、小型車は蝙蝠団地を通り過ぎると、その先で消えてしまったのだ。


「その先に行っていないとすれば、団地に隣接する地帯に入ったわね。ここからはTS1よ。執念で見つけ出してやるわ!」


 二人は、ふたたび署を出ると、蝙蝠団地を過ぎた辺りの脇道にある木に、くまなくTS1を当てた。


「見つけた!この道へ入って行ったぞ!」


「ええと、地図で見ると、この先は、右が蝙蝠団地との境の雑木林になっているけど、左側には作業場や資材置き場、または廃棄物の処理場なんかがあるわ。隠れ家を作るには適した場所ね。近くまで来ていたのに、気がつかなかったわね」


 俊介たちの車が、ずんずんと脇道を進んで行くと、有刺鉄線に囲まれた中に古ぼけた工場とも見える建物がひょいと現れた。


「さしあたり、この建物の全景が見える木を選んで、TS1を当ててみよう!」


「やっ!例の小型車だ!この建物の敷地に入って止まったぞ!」


「とうとう見つけたわ!ここが奴の隠れ家じゃないかしら!」


「係長に連絡して応援をもらうぞ!」

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