第10話 仕舞と四倉
常務の飯成は首をかしげながら言い訳が舌の先からこぼれた。
「どうやら映像は、まさしく天井の方角から撮られていましたが、これっぱかりもカメラを取り付けた形跡はありませんでした。そればかりか、実に不思議なことに、社内の防犯カメラにさえ、誰かが社長室に侵入した形跡はからきしないんです」
社長の深池は、地団太踏んで怒り狂い、まくし立てた。
「どいつもこいつも、うちの会社の警備体制はどうなってるんだ!これじゃ、社内の機密が垂れ流しだ!誰が何といっても、この映像は間違いなく、昨日の会議が、よくもしゃあしゃあと盗撮されてるじゃないか!」
飯成は、たちまち、目のやり場を失って、放心したように口ごもってしまった。
「申し訳ありません。微細にわたって調査をやり直します。それはそうと、差し出がましいようですが、こうなるともう、要求に応じるしかありません。さもないと、門田議員の首を飛ばしてしまいます」
「そんなことは百も承知だ!なによりかにより、これを仕組んだ、いまいましい野郎を捕まえないと腹の虫がおさまらんのだ!一億もの金を猫ばばされてたまるか!いいか!金を渡す場で捕まえるんだ!」
「ですけど、相手が複数の人間がいるなら、金を受け取りに来る人間だけ捕まえても意味がありません。残りの人間に公表されてしまったら終わりですから。それならいっそ、金を積んだ車を追跡して、ひと思いにアジトを押さえる方が賢明かと……」
「ちくしょう!何てことだ!どんなことをしても、逃がすんじゃないぞ!」
メモに指定された金の受け渡し場所は、高速道路の規模の大きなサービスエリアの駐車場だった。
指示された黒のミニバンに、恨めしそうに一億円が積み込まれると、黒のミニバンは、はじかれたように、一気に本線へ飛び出して行った。
当然のことながら、うずうずしながら金の積み込みを待っていた会社側からの三台の高級車は、しびれを切らして追跡を始めると、とたんにおどろくことが起きたのだ。
サービスエリアからは、ふたを開けてみると、ほかにも十台の黒のミニバンが、金を乗せたミニバンと同時に発進したのである。
おまけに、全車に同じナンバーが、シールで貼られていて、現金を積んだミニバンをじりじりと取り囲んだのだ。
「ろくでもないことをしやがって!これじゃ、どの車が現金を積んだミニバンか、いっこうに、見分けがつかなくなったぞ!」
ミニバンの集団は、ひょっくり、次の出口から高速を降りると、すべてのミニバンが各方面に分散したものだから、あわてて会社側の三台の高級車も、三方面に分かれて追跡したが、追った車に現金があるとは限らない。
結局のところ、三台の高級車は、見事に、はずれくじを引き、追っていたミニバンは、そうこうするうちに、ひょいとレンタカー店に入った。
「たかだか、ミニバンを運転するだけでいいって、言われました」
高級車に乗っていた社員たちは、ミニバンの運転手をふんづかまえて、したたか脅したが、いずれの男たちも、時給のいいアルバイトだったというばかりで、結局のところ、あれよあれよという間に、一億円はまんまとかすめ取られてしまったのだ。
「仕舞さん、文字どおり、上手くいきましたね。わけても、煙町には、後先のことはちんぷんかんぷんでも、金さえ出せば何でもやってくれる奴がゴロゴロいますからね」
隠れ家に戻った白衣の男は、満足そうなそぶりを見せた。
仕舞と名前を呼ばれた男は、ミニバンに乗り込むと、一億円の入ったケースを調べ、会社側が取り付けた発信機を丁寧に探した。
「ほら、やっぱりあったよ!まあ、この発信機の電波は通信抑制装置によって遮断されたはずだ。今ごろは、歯を噛み鳴らして悔しがっているだろう。浅はかな悪事を働くからだ」
仕舞は、高飛車な口調で、皮肉たっぷりに言い添えた。
「ところで四倉!警察の動きはどうだ?」
「ひょっとすると、横州署に優秀な刑事がいるようですね。レストランに、藪から棒に現れて、すっかり夕食を台無しにされましたよ。どういうわけで、俺の面が割れたのかも、今一つ、見当がつかないのです」
「だとすると、ことのほか、厄介な相手だな。誰なのか見つけ出して、即刻、ひねり潰しておかないと、とんだことになるな」
この二人、実際のところ、正式な名前は仕舞幹太と四倉明と言い、四倉は、まさにその通り、スプレー事件を起こし、言うなれば、俊介たちから犯人として追われている人物である。
この二人の出会いは、のちに詳しく語ることとするが、注目すべきことは、二人の行動には、都真子が指摘した通り、はっきりとした目的があり、むしろ、寺場が考えるような犯罪行為に酔しれるような異常な人格の持ち主ではないということである。
それだけに、この先、二人の狂おしい計画は、ところどころに関わる様々な人間たちを巻き込みながら実行され、俊介たちの捜査を、いっそう困難なものにしていくのだ。
「寺場さん。どの刑事にも、本当のところ、性に合わない事件というものがあるんですか?ひょっとすると、凶悪と思われる事件でさえも淡々と処理できる刑事もいるって聞いたんですけど、どういうわけか、僕は、ガスのようなものを扱う犯罪は不気味で嫌ですね」
遠山は、煙町に行く途中、運転しながら、だしぬけに寺場に尋ねた。
「さあな、だいいち、事件に好き嫌いを行ってちゃ仕事にならんよ。たいていの場合、性が合う合わないはどんなことにもあるさ。俺たち警察官の仕事だって、合わなかったらつらいだろう。休めない時もあるし、体力勝負もあるからな。俺に言わせると、凶悪事件や異常な事件の方が好きだったな。なぜと言うに、生ぬるい事件は大人になりきれないやつらが起こした事件だから、一発、ぶっとばして終わりにしたいくらいだったよ。現に、そういう時代だったからな。今の時代は、手は出しちゃだめだけどな」
「はあ、そういうもんですか……そろそろ煙町に着きます」
寺場は、車窓からちらほら見える目つきの悪い人間たちや、転がるごみや廃品を食い入るようにのぞきこみ、町の雰囲気が以前よりも、いっそう、悪くなっているのを感じた。
「こりゃ、相変わらずひどい街だな。文字どおり、様々な事情を抱えてこの町に逃げ込んだ人間が、一段と増えたようだな。古めかしいアパートが密集しているだろう。あちこちの部屋には、どいつもこいつも、悪事を考えているやつらが棲む巣穴があってな。気の抜けたことを考えている場所じゃないんだよ。そのためにことさら、みんな怖がって滅多に近づかないから、益々、ひどい街になるんだ。いい加減、市の方も手を入れないと犯罪の温床だっていつまでも言われるよな」
「ええ、だから、そんなこんなで、一人じゃ危ないから気をつけろって、わざわざ紫蘭先輩と来たら、案の条やられましたよ。寺場さんの名前は、おりしげく煙町に捜査に入って、犯人を捕まえたってとどろいてますよ」
「ああ、だがな、呆れたことに、すぐ次の犯罪者が出て来るのさ。どうにもこうにも、更生につながらない奴が多いんだよ。そう言えば、この前はいつ来たかな?俺も定年間近だから、ここに来るのも今年しかないんだが……」
寺場は、煙町が、永いこと、一筋縄ではいかない理由は良く承知していた。
「いやね、ここをがらりと一変、開発するにはな、今、住んでいる人間を立ち退かせないとダメだから厄介なんだよ。ところが、市役所でさえも誰がどう住んでいるのかの把握にも苦労しているそうだ。それにもかかわらず、市の議員の中には、目新しい代替地を見つけて移し替えようと頑張った人もいたけど、行き先々の住人たちが、ここに住んでるやつらが来るのを嫌がってな、しまいに反対運動にあってぽしゃったのさ」
「ああ、分かる気がしますね。ここで見かける人間の顔つきには、毒があってみんなヤバそうだって、紫蘭先輩も言ってましたよ」
「だが、大鳥のような、とっぴょうしもない奴を探すにゃいい場所だろ。金さえもらえりゃ、どんなことでも首をつっこむ奴ばかりだからな」
遠山は、雑草だらけのマンションの駐車場に車を止めると、煮え湯を飲まされた先日の経験を思い出した。
「やつの部屋でガスをくらったり、この駐車場から蝙蝠団地まで追ったことも全部気付かれていたんですよ。俺は、上手く運転して絶対気付かれないと思っていたのにな」
寺場は、遠山の言葉を耳にして、眉をひそめた。
「おいっ!ここへ到着したことや、付近での張り込みを、あらかじめ監視している奴がいてもおかしくないな……遠山!今日は、このマンションの全世帯を回って、犯人の情報を聞き出すぞ!」
「えっ!監視してる俺たちを逆に監視してるって?思ってもみなかった!」
遠山は、寺場の観察力を知って、胸がどきつくのを感じた。
ちょうど、マンションの玄関に足を踏み入れると、とたんに管理人室の扉が開き、中からは、くたびれたアロハシャツと濃紺のジーンズ姿の男とばったり出会った。
「おっ!一照じゃないか!まじめにやってるのか?」
「まあね、おやじは中にいますよ」
管理人の息子である一照は、寺場からふいに声をかけられると、にべもない態度でマンションの入り口の切れた電球の交換に向かった。
「犯人の部屋を見たいんだ!鍵を出してくれ!」
寺場は、管理人の老人に声をかけ、鍵を受け取って二階に上がっていくやいなや、刑事たちが視野から消えたのを見計らった一照は、即刻、四倉に連絡を入れた。
「刑事が二人来ました。どうすれば……」
「飛んで火に入る夏の虫だな……」
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