第36話 死人に口あり

「ゴーイン!なんと、ぶざまな格好して、何してるんだ!おれだ!オリバーだ!」


 合院に、だしぬけに声をかけた、悪臭ふんぷんたるアメリカ人の名前はオリバーマジソン、とりもなおさず、シープアイの過激派のリーダーである。


 会長室に入って来た、仕舞冠太も四倉明も、縛られて床にひざまずいている合院をいまいましそうな目つきで、にらみつけた。


 喋ることのできない合院は、オリバーの顔をひたと見つめて、心の中で叫び声を上げていた。


《お願いだ!助けてくれ!オリバー!》


 合院が、こうした烙印を押されることになったのは、致命的なへまを犯したことにあった。


 ホテルを手に入れたことで有頂天になった合院は、浅はかにも、成り済まし業界の独占を企てて、目ざわりな羊会や拝見寄クラブ、赤屋敷を踏みつぶそうとバカな真似を始めたのだ。


「あの生意気な鳩飼野八重に一泡ふかせてやる」


 合院は、とっぱじめに、野八重が運営する成り済ましグループ、赤屋敷に目にものを言わせようと、横州署あてに、尾空実矢という名前を使って、一通の手紙を送りつけた。


 手紙にはこうあった。


『拝啓、刃条三太署長殿 私は、尾空(おそら)実矢といいますが、数年間、家を空けたあと、ふいに家に戻ったら、私に成り済ました女がいました。出て行ってほしいのですが、何しろ、両親は死に、弟も行方不明、祖母も認知症が進んで、成り済ました女を私と思っています。そればかりか、どうやら、私の父親の妹の仲子叔母さんについても、不在をいいことに、知らない女が叔母さんに成り済ましていました。我が家を助けてください。お願いします。尾空実矢 敬具』


 鼻田は、きっかり、読み終えると、文字の裏をさぐるような口調で、紫蘭と遠山に言った。


「唐突な内容だが、練馬家で成り済ましの件に出くわしたことを思うと、頭から否定するわけにもいかんな。いたずらにしては、要領よくムダのない書きっぷりだ。本人のことを、つぶさに調べた上で、尾空家に出向いて、本ものか偽ものか、確認をして来てくれ!」


 紫蘭は、化けの皮を剥いでやると、やる気満々で、実矢と仲子の母校を訪ねてはアルバム写真を調べたり、役所や病院に行って、医療の記録を調べたりして、くってかかるような剣幕で、遠山と二人、尾空家を訪ねた。


 あいにく、叔母の仲子は外出中だったが、祖母のヨシと孫の実矢が玄関に顔を出すと、紫蘭の疑念が、たちまち、口から放たれた。


「昔の顔とずいぶん違うわね!あなたが、実矢の成り済ましだと、尾空実矢、本人と称する人物から連絡をもらったんだけど、本当に、あなたが尾空実矢なの?」


 実矢を演じている友子は、のど元に短剣を突きつけられたように、ぎくりとした。


「顔にケガをして、かなり整形を受けたので……」


「だって、医療機関の記録に整形なんてないわよ!」


 紫蘭が、気迫を込めて、問い詰めるように言うと、友子は何も言えず黙ってしまった。


「署まで、いっしょに来て!」

  

 狼狽した友子は、取調室に入ると、熱病にかかってうわ言でも言うように、自らが成り済まし人であることや、仲子も成り済まし人であること、桐生や哲子のことはよく知らないことなど、洗いざらい、ペラペラと喋るはめになってしまった。


「怖そうな友だちと、実矢は遊びに行ったよ」


 野八重と言えば、家にもどったとたんに、ヨシの怯えた物言いを耳にして、ことのほか、異常を勘ぐると、胸騒ぎをおぼえのか、ふっつり、姿をくらましたのだった。


 合院の矛先は、当然、赤屋敷にとどまらず、拝見寄クラブにも手を伸ばし、クラブの財産とも言える成り済まし先の情報や運営のノウハウを、力ずくで手に入れようと一計を案じた。


「面目ない!哲子が連れ去られた!」


 水戸康二は泡を食って六門桐生に連絡を入れると、すまなそうに切り出した。


「哲子が裏の駐車場でさらわれたんだ!そのあと、電話が来て、拝見寄クラブの成り済まし先や成り済まし人のデータを哲子の命と引き換えに、よこせって言って来やがったんだ。すまん、俺がいながら、やっちまったよ」


 桐生は察しがついた。


「あいつの仕業じゃないか?協定会議のときに乱入したやつだ!」


 康二も思い当った。


「合院って名前のやつだったな!おれもそう思うよ。俺たちの秘密を知ってる連中に間違いないからな!」


「それで、受け渡し場所はどこだ?」


「木津根湖のボート乗り場だ!」


「わかった!クラブのデータを渡せばこの稼業を一からやるしかないし、渡したデータは警察への脅しに使われるかもしれないが、哲子の命には変えられない!」


 桐生は、苦渋の決断でデータを渡すことにした。


 そうこうするうち、伝東哲子は、合院のホテルに連れて行かれ、猿ぐつわをされ、手足を縛られ身動きが取れずにいた。


《なんとか、逃げる方法は何かないかしら!》


 部屋の中を見渡し、縛られているロープを切るための尖ったものを探したが、がらんとして何もない。


《無理だわ……私を捕まえるなんて何者だろう?》


 何もできないまま、時間は過ぎ、やがて覆面をした男がやってきた。


「拝見寄クラブのデータを、あんたの命と引き換えに貰えることになったよ」


 哲子は、雷に打たれたように、心が波立ったが、口を開くことはできない。


「ついでに聞くが、仕舞冠太って男がホテルにいるよな。頭を動かして返事だけよこせ」


 哲子はためらったが、首を縦にふるしかなかった。


「こりゃ、警察に垂れ込むぞ!。おもしろいことになるな!」


 文字どおり、覆面の男は、拝見寄ホテルの中に、指名手配中の仕舞冠太がうろついていると、警察に連絡を入れたのである。


「さあ、今から、引き渡しだ!社長に理解があってよかったな」


 男はそう言うと哲子にも覆面を被せて部屋から連れ出した。


 木津根湖のボート乗り場には、桐生たちが先に到着していた。


 そこへドローンが一機飛んで来て着地すると、ドローンが下げている袋に小さなメモが入っていた。


『データの入ったカードを袋に入れろ。ドローンが飛んだら、湖の右手の小高い茂みを見ろ』


 桐生がデータカードを袋に入れると、ドローンはその茂みに向かって飛んで行くのを目で追っていると、ドローンが着いた茂みの先から、顔を帽子とメガネで覆った男が、黄色い救命胴衣を着けた哲子を連れて現れた。


「おっ!哲子だ!」


 康二が叫んだ。


 帽子の男は、ドローンを手にすると、桐生たちに大きく手を振ったが、次の瞬間、哲子を湖に突き落としたのだ。


「哲子が落ちた!何てことをしやがるんだ!」


 桐生たちは急いで乗って来た車で、その茂みに直行すると、そこにはもう誰もおらず、湖をのぞき込むと、膨らんだ救命胴衣をつけた哲子がプカプカ浮いていたのだ。


「ここからじゃ、引き上げは無理だ!ボートを回せ!」


 康二が、もう一度ボート乗り場にもどって、ボートで救出に向い、浮いている哲子をボートに引き上げた。


「大丈夫か?なんて荒っぽいやつらなんだ!」


 哲子は唇を紫色にして寒さに震えるしかなかった。


 文字どおり、最後に、狂気じみた合院の脳髄の餌食になったのは羊会だった。


 実際には、失敗したわけだが、合院は、何のためらいもなく、羊会の有田と三原の抹殺に手を下した。


 合院はこうして二つのグループの追い落としをしたが、まさか、これらのグループが、裏で八草沢会長とつながっていたことを知る由もなく、自らの首を自分で絞めてしまったのである。


「こらえ性のない男でね。へまばかりやらかすんで、どうケリをつけるか、それとも、野垂れ死んでもらおうか、とっくり、相談していたんだよ」


 八草沢会長は、言葉のはしばしに冷酷さが顔を出し、合院の生死を手の中に握っていることを匂わせた。


「俺たちも、こいつのお陰で、こっぴどく迷惑してますよ。何しろ、居場所を警察に密告されたもんだから、警官がうろうろして、計画が台無しになりそうだ」


 仕舞冠太は、怒りを口元に浮かべ皮肉たっぷりの口調で言った。


「そりゃ、困る!大きなへまだ!これしかないようだな。」


 オリバーは、左手を首もとに添えて、横に手刀を切った。


 やにわに、黙っていた四倉明が横合いから、いかめしい調子で口を出した。


「そんなことより、こうなると、即刻、新しい研究室を用意してもらわなくちゃ、せっかく用意した、顔粘土物質がおじゃんになりますよ。何しろ、この物質は、生成してから二十四時間で分解して元に戻ってしまうが、それでも、二十四時間以内に顔に注入すれば、十時間の持続効果が上がるところまで進化したんですからね」


「ああ、先刻承知してるよ。いやでなけりゃ、蝙蝠団地だったら、いくらでも用意することは可能だ。同じ場所に、性懲りもなく、舞い戻るなんて意表をついていいかもしれないぞ」


 八草沢会長は、何のかんの言わずに、俺にまかせろという顔をしてやり返した。


「何はともあれ、オヤジにまかせるよ」


 仕舞冠太は、七面倒くさそうに、素っ気なく言った。


 冠太が、八草沢会長をオヤジと呼んだことや、ましてや、八草沢興業の会長室に、こうして、顔を並べていること自体に、とりわけ、読者は、不自然な点を感じるに違いない。


 と言うのも、一般的に、若者が親しみを込めて、年配者のことをオヤジと呼ぶことには違和感はないかもしれないが、あに図らんや、おどろくことに、八草沢元司会長は、何と、死んだはずの仕舞権三、本人そのものだったのである。

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