第29話 成り済まし協定

「市長が落ちたわ!」


 市長の身体は、ふいに突かれて、ろくすっぽ、自らをとどめることができずに、欄干を乗り越えて、暗闇の川底に落下した。


 羽交と女は、橋のたもとから川岸へ向かったのだろうか、急にモニターの画面から消えた。


 俊介も都真子も、真相をこの目で見たにもかかわらず、どうかすると、合点がいかなかった。


「羽交が現場にいたのを見たというのは、まんざら、ウソじゃなかったわね。でも、突き落としたのは女で、羽交は女を制止しているじゃないの!まさに新事実よ!さすが、TS1だわ!」


「ああ、この映像を見る限り、羽交はシロだ!そうなると、なぜ、女をかばって自首したのか?でなけりゃ、その女は、羽交にとって、どえらく大事な人間だってことだな」


「そうよ!羽交が、いちばん、よく判っているはずよ!羽交に真実を認めさせるのには、この女が誰なのか?それを、突きとめれば、羽交も白状するしかないわね!で、川岸に降りて、しまいまで確認する?」


「いや、どっちみち、川岸は照明がないから、暗くて何も映らないだろう。それよりも、じきじきに公園に行って、市長がここに来るまでのいきさつをとくと調べてみる方が先だな」


 二人は、ハドマンの熱気の冷めやらぬ城山公園に足を運んだ。


 ハドマン当日は、屋台が軒を並べて、わいわいしていたにぎやかさは跡形もなく、市長が流された永地川も、黄金色の芝生におおわれた広場にそって、何事もなかったかのように緩やかに流れており、日中は、せいぜい、幼い子供たちの遊び場となっている。


 祭りの本部が置かれた目抜きの場所は、イチョウの木が立ち並び、当日は来賓用のテントが幾張も設置されていた。


 俊介は、イチョウの木を見上げながら、祭りの様子を、頭に浮かべていた。


「市長は、川に落ちるきっかり一時間前には、来賓と一緒にここにいたことは分かっている。祭の関係者に無駄口をたたいたり、屋台を回って挨拶をしていたらしい。つまり、テントの席に着いたのはその後だろう」


 二人はテントが張ってあった一画に行くと、そこにもイチョウの大木がそびえ立っている。


「どこに行っても銀杏の木が立派だな」


 俊介は、テントの中が見えそうな位置のイチョウを探してTS1をセットし、祭りの夜に時間軸を合わせてスイッチを入れた。


 相変わらず、都真子は、始めに映るショッキングな映像を嫌って、そっぽを向いている。


「すごいぞ!ハドマンの大竜灯篭のアップの映像だ。イチョウの木も、大竜の姿には、さぞかし、おどろいてるってことだ!」


 都真子も、大竜の映像と聞いて気を取り直し、モニターをのぞき込むと、ちょうど、肝心かなめのテント内の映像に出くわし、せわしく、喋ってまわる市長の姿を目にした。


「市長がいたわ!ナイスよ!」


 権三は、かねてから、有権者の前では、うやうやしい態度を崩さず、もっぱら、きさくな政治家としての姿を印象づけていた。


「威張ってる政治家とは違うわね。まあ、そこがくせものか」


 その矢先、画面に一人の女がしゃしゃり出てきて何やらまくし立てた。


「さて、皆さま、ハドマン恒例の余興を始めます!裏に番号の書かれた券を配布しますから、一番の方から、この巾着袋の中のお札をつかみ出してください!何の価値もない紙くずも入っていますので、現金をつかむ秘訣は、紙の表面をよくなでることですよ!」


 この余興は、先刻承知で、酔っている高齢者も、是が非でも高額をつかもうと、目をきらりとさせて、ただちに集中した。


「待ってました!今年こそ高額をつかむぞ!」


「金の出所はどこだ!何度もつかめるのか?」


 もつれる舌で、言いたい放題だ。


 ぐうぜんにも、とっぱじめが舞い込んだ権三は、どっこい、五千円をつかみ出したが、急に身体を引きつらせて、やにわに女に向かって目くじらを立てた。


「おいおい!痛いじゃないか!針が入ってたぞ!」


 女は、すかさず、茶目っ気たっぷりに言い返した。


「厚かましく、五千円もつかんだんで、痛い目に合わせました!」


「そうだ!そうだ!」


 当意即妙の切り返しに、一同は合いの手を入れて、笑って盛り上がり、権三も、しぶしぶ、訴えをひっこめた。


「針が入っていたって、どういうこと?明らかに、びくっと衝撃を受けたように、さっと腕を引き抜いたわ。まさか、毒針のようなものを仕込んだのかしら?」


 都真子は、けげんな顔つきになって、俊介に尋ねた。


「まさに、その可能性はある!市長の体内に残っていた毒物かもしれないな!それじゃ、この女も一枚かんでいるってことだ!」


「見て見て!市長が電話をしているわ!」


 ふいに、かかってきた電話に出た権三は、おどろいたような顔に変わり、電話を切るやいなや、余興をすっぽかして、そそくさとテントから出て行った。


「まるで、誰かに呼び出されたみたいだわ。市長の通話履歴を確認しないとね」


 そうこうするうちに、余興は幕切れとなり、もとのように、てんでに、一杯やりはじめたが、権三は戻って来ることはなかった。


「さしあたり、これ以上の手掛かりはなさそうだな。鼻田係長が、市長の転落の場面を見たら、さぞかし、おどろくだろうな」


「それに、橋にいた女とテントの女の身元を割り出さないとね。どっちみち、捜査の方向が大きく変わるわね」


 二人は、TS1からの予想を上まわる成果を手に、あわて気味に署に戻って行った。


 その日の夕方は、真冬の寒さをむきだしにするような、これっぱかりも、傘が役に立たないほどの吹雪となった。


 羊会の代表、有田東樹と、複数いる副代表の一人、三原島夫は、ワイパーが目まぐるしく雪を払いながら動く車で、人気のない道を拝見寄ホテルに向かっていた。


「うまく集まるでしょうかね?それに、仕舞の居場所も見つかるといいですが……」


 三原は、運転しながら、一抹の不安を感じて有田に質問した。


 穏健な有田は、横州市を拠点に成り済ましを行うグループ、赤屋敷と拝見寄クラブと密かに連絡を取り、羊会も含め、ターゲットが重なることで潰し合って共倒れになるのを防ぐために、最初にターゲットに入ったグループを優先する協定を結ぼうと考えたのだ。


「ああ、二つのクラブとも了解はとれている。それに仕舞の件は、拝見寄クラブが仕舞の名代と称して、団田という弁護士を実家に入れたそうだから、まちがいなく仕舞とコンタクトをとっているはずだ。そこから、仕舞が、今どこにいて、何をしているかを突きとめるんだ」


 雪の舞う闇夜に、煌々と輝く照明が、黄金色に照らすホテルの正面玄関に、有田たちの乗った車が停止すると、やんわりとした表情の伝東哲子が、うやうやしく出迎え、即座に会議場である名月の間へと案内した。


「お客様がお着きになられました……」


 和室の粋を尽くした二十畳ほどある名月の間には、朱色の漆塗りの座卓を挟んで向かい合わせになる形で、すでに六門桐生と鳩飼野八重が座っており、入って来た有田と三原をひたと見つめた。


 有田は、朱塗りの座椅子に敷かれた、金糸で桐唐草の描かれた座布団に座ると、心地よい感触を感じながら口を開いた。


「羊会の有田と三原です。六門さんと鳩飼さんですね。早速、本題に入りましょう。練馬家や仕舞家など、これだけターゲットが重なってくると、へたをすると成り済ましが警察にばれて、共倒れになる可能性が出て来ています。お互いのためにも、最低限のルールが必要だと思いましてね」


 有田の話をじりじりして聞いていた野八重は、くってかかるように言葉を浴びせた。


「練馬大留の件は荒っぽいやり方ね。力ずくはよくないわよ。どのように収拾をつけるつもりかしら……」


 有田は、合院が先走って黙ってやったことだと言い訳しても、そんなことは羊会内部の問題だろうと言われることは目に見えていたから、合院には触れずに、羊会の失策として話を進めた。


「大留が現れるはずではなかったにせよ、羊会の失策といわれても仕方がない。淡人の成り済まし人を大留が疑い、警察が入ってきた以上、金輪際、練馬家から手を引くつもりでいます」


 野八重は、母親に成り済まし人を入れようと考えていたため、練馬家から手を引くのは、金を手に入れてからにしたかった。


「何しろ、厄介な問題にしたのは大留って次男よ。大留は淡人を疑って警察に告げて警察が動いたのよ。それで自業自得で自分が捕まったのよ。バカなやつよ」


 桐生も、任尽五朗が大留に脅され、逃げる羽目になったことから、そこは同じ意見だ。


「貰うものだけは貰ってさっさと済ませたい気持ちだが、今更、大留の口を封ずるのは手遅れな上、うちの成り済まし人がもう一度、顔を出せば、死んだ人間が現れたことになるから、警察に追われることになる。うちも、もうこれ以上深入りすればするほど自身で自身の首を絞めるような格好になるので練馬家をもうターゲットにするつもりはありません」


 有田も、重ねて念押しするように言った。


「我々のことを知られないようにするにはその方法が一番でしょうし、警察が動いたとしても成り済まし人が入った証拠は何一つ残していないはずだからね」


 野八重は、カマをかけるような口調でで、つっけんどんに言った。


「市長の件は、私たちには直接関係はありゃしないが、羊会でまさか市長を殺害したんじゃないでしょうね?」


 三原が、濡れ衣を着せられたような言い方に、不愉快そうな顔をした。


「本来、強引なやり方は羊会の方針ではありませんよ。仕舞家も我々のターゲットだったが、仕舞冠太が警察に逮捕されるにおよんで、寸前で止めたので仕舞家との関係は一切ないと断言できますよ」


 野八重からは、なおも突き刺すような言葉が口をついて出た。


「それじゃ、あなた方が失策と言うように、羊会の中にそういう男がいるんじゃないの?そこが曖昧なまま協定なんてのはダメよ!」


 有田と三原は合院のことに触れられ、苦い苦しい顔になった。


「協定の取り交わしは止めて頂きたい!」


「ん!誰だ?」


 そこへ、合院がつかつかと入ってきたのだ。




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