第42話 同士討ち
冠太は、権三の横顔を、射さすような目でにらむと言葉の罠を仕掛けた。
「オヤジ!昔は、ここの海によく連れて来てもらって、飽き飽きするくらいサザエを食べたよな!」
鼻田は、うかつにも、自分がサザエを好きなこともあって、調子に乗って、うっかり答えた。
「ああ、俺も、サザエは大好物だからな!」
その答えを聞いて、びくっとした冠太は、がらりと一変、つっけんどんな顔になると、やにわにコートのポケットに手を突っ込んで、まさぐるようにして銃を取り出し、権三の頭につきつけた。
「お前は、いったい誰だ?俺のオヤジは、サザエは大きらいなんだよ!」
《しまった!引っかかった!》
「ついでに言っておくが、オヤジの左手の甲には、酒造りの仕事中に、一升瓶で切った傷跡が残ってるんだ。お前の手には、いつの間にか無くなってるじゃないか!そりゃ、どういうわけだ?」
どのみち、言い訳がきかぬことを悟った鼻田は、面と向かって、稲妻のような口調で言った。
「俺は横州署の鼻田だ!観念しろ!お前のオヤジは、今頃、牢の中でお前を待ってるよ!この建物の周囲も、がっちり、警察が取り囲んでるんだ!どうしたって、もう逃げられんぞ!」
四倉が、そっと、窓から外の様子をうかがうと、林の中に、人影らしきものがわずかに動くのが目に入るやいなや、やにわに火のようになって怒り出した。
「来やがったな……おれに任せとけ!」
四倉は、目を閉じて、念じるような顔つきになって、自らの心に深く入り込むと、どこからともなく、スズメバチがこつ然と現れて、別荘の周囲を次々と旋回し始めたのだ。
「遠山!何か聞こえるないか……何の音だ?」
ブウンブウンと、がなり立てて飛ぶスズメバチが、建物の三六〇度を、まるでバリケードを張るかのように、あっちへも、こっちへも、行ったり来たりして飛びまわっているではないか。
「しまった!スズメバチの羽の音だ!係長が化けの皮をはがされたんだな!今度も、刑務所の時のように、スズメバチに我々を襲わせて逃げるつもりだな!」
俊介は、正直なところ、いちばん恐れていたスズメバチの出現が、もう、目の前に訪れるとは、てっきり、夢にも思わず、鳥肌が立つような恐怖を覚えた。
「全員、急いで防護服を着るんだ!早くしろ!まごまごしているとスズメバチに刺されるぞ!」
遠山が、警官たちに向かってわめき散らした。
「ははははっ!どうやら、これで、ろくすっぽ、建物には近づけやしないぞ!どれ、ついでに、もう一泡、吹かせてやるか!」
不意に、バキューンという甲高い音が、二度、繰り返されると、こともあろうに、二発の銃弾が木の幹に打ち込まれたのだ。
「何よ!あいつら、銃をもっているわ!どこで手に入れたのかしら!これじゃ、危険すぎて、突入なんて無理よ!そればかりか、係長は、完全に人質に取られたってわけね!」
都真子は、噛みつきそうな声を上げて地団太踏んで悔しがった。
「確かとは言えないが、やつらが銃を持ってるのは、アメリカ暮らしが長かったせいもあるに違いない!おそらく、アメリカから不法に持ち帰ったんだろう!」
トムは、苦々しい口調で、珍しいことではないと言い添えた。
「だとしたら、係長に銃を突きつけて、いとも簡単に、別荘から脱出されてしまったら、間違いなく、もとの木阿弥だ!」
ずばり、当初に立てた計画は、いつの間にか、袋小路に入り込んでしまったことが露呈されたのだ。
警官たちは泡を食って防護服を着用しようとあたふたしていた。
「こいつは愉快だ!ちょうど今なら、スズメバチが刺し放題だ!」
四倉は、せせら笑いながら、見えない力を使って、スズメバチたちに、いっせいに警官を襲撃するように命じた。
「たいへん!スズメバチがこっちへ向かって来るわよ!みんな危ない!早く防護服を着るのよ!」
着用を終えた紫蘭は、肝を冷やして、ヘルメットの側面の会話口から大声で叫び続けた。
もう、間に合わないと、誰もがあきらめかけた、そのときだ、とつぜん、頭上に三機のドローンが現れたのだ。
「ドローンだ!どこから飛んで来たんだ!」
「刃条署長の命令で来ました!下がってください!」
ドローンの操縦リモコンを手にもった三人の警官が、風のように、後方から現れると、三機のドローンの腹のあたりから、何やら、白い霧状の液体がスズメバチに向かって噴霧された。
とたんに、スズメバチたちに異変が現れた。
どのスズメバチも、即刻、警官たちにくるりと背を向けると、なんと、隣を飛んでいる仲間のスズメバチに襲いかかったのだ。
つまり、同士討ちというか、共食いを始めたのである。
そこへもってきて、同士討ちに勝ったスズメバチは、やみくもに、次のスズメバチを狙って、ひっきりなしに戦いを挑み、あれよあれよという間に、スズメバチ同士による自制を失ったものすごい戦いが繰り広げられたのだ。
警官たちは、びっくり仰天してぽかんと見つめるしかないのだ。
やがて、数分間の戦争が終わると、おどろいたことに、おびただしい数のスズメバチが地面に転がっている。
それにもかかわらず、生き残った数匹のスズメバチは、生き残りを賭けて、あくまでも、最後の一匹になるまで戦いを続け、とうとう、疲れ切った、その最後の一匹は、紫蘭が行って踏みつぶした。
「いったいどうして、何がスズメバチをこうさせたんだ?」
頭の中に渦巻いた疑問が、思わず、俊介の口からこぼれると、ドローンを操縦していた警官が説明した。
「それというのも、われわれがやって来たのは、そもそも、刃条署長の指示です。さきほど、ドローンから噴射した液体は、スズメバチ同士が、お互いを一時的に天敵と感じてしまう物質なんです!」
「えっ!署長が?そんな研究をさせていたんですか?」
「ええ、以前、刑務所でスズメバチを使った脱獄があったでしょう。あの時から、刃条署長は、同様のことを繰り返させないために、東央大学の昆虫学研究室に、密かに依頼していたのです」
「俺の卒業した大学だ!もしかすると、磐梯教授?」
俊介は、大学に応用昆虫学の研究室があるのを知っていた。
「そうです!磐梯教授は、スズメバチ同士の間で、オオスズメバチがキイロスズメバチを襲うことがあるのを知って、そのメカニズムを研究して、この物質を開発したんです」
「なるほど、スズメバチの天敵もスズメバチってわけね」
都真子は、昆虫の奥深さに触れた思いがした。
「なにしろ、完成したのが昨日だったので、ぎりぎり、この場に間に合って何よりでした。その通り、物質を振りかけられたスズメバチは相手を天敵と勘違いして同士討ちとなりましたね。これほど、うまく的中するとは思いませんでした。さすが、磐梯教授です!」
「それで合点がいきました!そんなこととは、つゆも知らなかったものですから!言うなれば、おおっぴらにできるような内容ではないですからね」
俊介はほっとしたのも束の間、目と鼻の先で鼻田を人質にとった上、銃まで所持している冠太たちを逮捕するには、いたって、荷が勝ちすぎることを感じていた。
「これで、いくらスズメバチがやってきても恐れる必要はないが、やつらを捕まえて係長を救出するためには、今、手にしている、こちらの銃と防弾盾くらいの装備では、ことのほか無理だな!交渉を長引かせて、応援が来るまで、粘って引き留めるしかないな!」
「銃を持っているとわかっていたら、SATを連れてきたのにな……」
トムも、アメリカとは異なる、じれったい対応を取らねばならないことに、歯がみして悔しがった。
「あれっ?見てください!SATですよ!SATがやってきましたよ!」
強力な助っ人の出現を見て泡を食った遠山が、後方を指さした。
なんと、本物のSATがやってきたのだ。
「誰が呼んだんだろう?」
俊介は、けげんに思ったが、渡りに船とは、まさにこのことだ。
「刃条署長からの依頼です!」
「すごいわ!署長は、先の先まで読んでるのね……」
都真子は感心して躍り上がるような目をして口走った。
SATの責任者が近づいて来ると、俊介に話しかけた。
「やつらは拳銃を持っているのか?我々に任せろ!SATには防弾設備が十分に整っているからな!」
「一丁は、撃ってきたので確認しました。中にいる係長を、もう一人が銃で威嚇しているかどうかはわかりません。それに、係長を盾にするというようなやり取りは、まだ始まっていません!」
「よしわかった!奴らが何か言ってくる前に決着をつけよう!」
四倉は、山ほどいたスズメバチが全滅したあり様が、とくと目に入ると、狂ったように憤怒の火花を燃やした。
「ちくしょう!なめた真似をしやがって!俺のかわいいスズメバチがこてんこてんにやられちまったよ!」
しゅんとした四倉の姿を見た冠太は、金輪際、その能力に頼れないことを悟ると、ふと、こうやって人の首にぶら下がって生きて来た自分に気がついた。
冠太は、銃を持つと、身体を縛り上げた鼻田の襟首をつかんで、銃を突きつけた。
「大丈夫だ!俺が、なんとかする!こいつを人質にしてバリケードを突っ切り、車に乗って逃げきってやる。お前は崖下に逃げろ!もし、俺が捕まったら、いつか、助けに来てくれ!じゃあな!」
冠太はそう言うと、鼻田といっしょに外へ飛び出したのだ。
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