第5話 二度目のTS1
発進前に追いついた都真子は、ミニバンのフロントガラスを、力まかせに手で叩いた。
「警察よ!ねえ!ちょっと聞きたいんだけど!」
都真子は、凄みのある口調で、男に切り出した。
「あなた!洲上さん?」
「違います……」
男は、サングラスの奥から、のぞき込むように都真子を見て、頭から否定した。
都真子は、ガスマスクの男の輪郭を頭に思い浮かべながら、ひるまず問いかけた。
「洲上さんって!知らない?」
「洲上?知りません。急ぐので……」
男は、つっけんどんな素振りを見せ、気もそぞろにミニバンを発進させた。
《ちくしょう!もう警察が来やがった!これっぽっちも、証拠を残したはずはないのに!》
男は、藪から棒に現れた、都真子からの問いかけに、目をむいて、はげしい怒りに震えた。
《えてして、犯人の背格好に似てる気がするわね。犯行に使われた改造ミニバンとは違うけど、ことによると、複数の車をもっているかもしれないわ》
都真子は、男の悪臭ふんぷんたる雰囲気が、思いのほか解せず、洲上がどうかはそっちのけで、即刻、追跡することにした。
「くれぐれも気づかれないように追って!」
ミニバンは、そうこうするうちに、横州市を通り過ぎ、隣接する葡萄市にあるコスモ団地に入った。
「がらりと車通りが少ないわね」
「住宅地ですからね!くっつき過ぎないようにします!」
遠山は、もたつくことなくミニバンを追ったが、角を曲がったとたんに、ふっつり姿を見失ってしまった。
「しまった!この一角は、やたらに塀が高い家が多くて、さしあたり、敷地に車が入ると、どうにもこうにも、外からは見えません!」
「こうなったら、車が消えた付近の家を、しらみつぶしに当たりましょう!」
どういうわけか、不在の家が多く、いっこうにミニバンは発見はできなかったが、都真子は、怪しい男の追跡に、一歩も引かぬ構えで署に戻った。
都真子は、決然とした口調で、まんじりともせず係長の鼻田に言った。
「係長!スプレー事件の容疑者として、煙町に住む会社員、洲上文明、三十五歳を、至急、取り調べたいのですが!」
「何か証拠をつかんだのか?」
「はい。被害者が車のナンバーを、あとから思い出したって言うので、照会したところ、車種もナンバーも一致しました!」
もちろん、TS1の証拠の方に自信がある都真子は、上司の前であろうが、ぶっつけ、はったりで喋っている。
「煙町の奴か?名前はさておき、捜し出すのは、ことのほか厄介だな。それじゃ、犯行に使った車はどうした?」
「車も発見しましたが、今は見失っています。何しろナンバーを偽造したミニバンで、ふだんは別の車で動いているようです」
「まあ、上出来だ!だが、この事件ばかりは、前代未聞の異常な事件であることを忘れるな!現在、科捜研の方に、つぶさに分析を頼んでいるが、被害者の顔の加工の件は、マスコミに知られたら大騒ぎになるからな!」
鼻田は、署長からも、解決できなかったら、署の沽券にかかわると言い渡されていたのだ。
「応援体制も、マスコミに気づかれないように、来週から始まるからな。署長も、横州署のメンツをかけて、犯人逮捕に期待してるんだ。無差別のスプレー事件として報道されているうちに、解決を目指すんだぞ!」
「無差別のスプレー事件か……そいつの年齢は三十五歳と言ったな?名前が違うが、係長!何はさておき、そいつが仕舞冠太だったら、おどろきだな!」
ベテラン刑事の寺場が、たわごとだがと言って、一種のひびきを帯びて、昔の事件を口にした。
「なに、二十年前のことだ。ほかでもない、スプレー事件を起こした高校生がいたんだよ。ちょうど、かれこれ、今なら三十五歳だな。かりに奴だったら、二十年も経って、当時に輪をかけて病んだ事件を起こしていることになる。当然のことながら、歳月は人を変えるはずだが、同じ人間が同じ系統の事件を起こしたとしたら、当時、奴を更正させようとした労力はムダになっちまうな。奴が新犯人なら、よっぽど、屈折した人生を歩んだに違いないな……」
「寺さん!そりゃ、考え過ぎだろう。奴は、いまだに行方不明らしいが、どこからともなく舞い戻ってきて、またぞろ異常な事件はなかろうよ」
鼻田は、どっちつかずの返事をして、自らの推測を打ち明けた。
「俺の見方からすれば、繰り返し犯罪を行う者の心理循環は二十日間だ。犯罪を実行してもしなくても、そこに区切りがあるんだ。スルーしちまえば何事もおこらないが、どのみち、二十日ほどたつと欲求がたかまるのさ。直近の事件は七月二十日だったから今月はすでに八月七日だろ。二、三日中に事件を起こす可能性が大だな」
「令状をお願いします!とにかく奴を捕まえて、動きを封じます!」
都真子は、こうしたやり取りがあったにも関わらず、まんまと裏をかかれて、事件を防げなかったことは、鼻田の顔に泥を塗ってしまったと、ひときわ後悔していた。
鼻田の言った通り、事件当日の今日は、二十日後の、まさに八月十日だったのだ。
翌日、都真子は、被害者の事情聴取を、有無も言わさず、遠山にまかせて、俊介をせかして愛宕台団地の事件現場に向かった。
それというのも、鼻田の期待を考えると、矢も楯もたまらず、TS1を使って、犯人の新たな尻尾をつかもうと、やけくそになっていた。
「コーヒー買ってきたから、飲んで!」
カップコーヒーの香りが、密閉された車内に満ちると、都真子は、いくぶん気持ちが落ち着いた。
「この事件って、被害者の顔のいたずらは別にして、通りがかりの人間を狙って、ガスを噴きかけて持ち物を奪うとか、とくだん死人が出るわけでもなく、おまけに奪われた金額も少なくて、しょせんは、遊び半分の幼稚な事件にしか思えなかったわ。そんなことだから、犯人は若くてクレージーな奴をイメージして、いとも簡単に捕まえてやると、高をくくっていたのよ」
《都真子は、心底から、突き進むしかないタイプだ。用意周到で隙のないやり口の犯人を相手にすると、応用が利かず、捜査が行き詰まってしまったんだな。手がかりが少ないならば発想を変えてみることも大事なんだけどな……》
俊介は、都真子の性格は、よく把握していたが、犯人が、一枚も二枚も、こっちの上手を行く奴だから、振り回されても仕方のないことだと思った。
「ああ、奴は一見すると強盗でもあり愉快犯でもあるが、こうして行動がよく考え込まれているのを見ると、そんなレベルではない気がするんだ。奴は俺たちがマークしたのを、一発で見破り囮を放ったわけだから、今から振り返ってみれば、はじめて奴のマンションに行って跡をつけた時からばれていたのさ」
「だとしても、犯行に使う道具がスプレー缶とかガスとかで、これってもともと、人を傷つける道具じゃないでしょう!正直なところ、それを軽率に犯罪に利用したことが鼻につくのよ。挙句の果てに、それを人の顔面に吹きかけ、おまけに顔を粘土細工のようにもてあそぶなんて、もってのほか、許せない奴だわ!」
都真子は、長広舌をふるい、しまいには、俊介の犯罪道具論を持ち出した。
「俊介が言ったように、道具にふさわしい人間という見方をするなら、奴は、ずばり、ガスや気体みたいに軽く、浅はかで、ただ世の中への不満だけを充満させている人間よ!よりによって、ガスにも毒ガスあり炎上するガスありとするなら、恐ろしく危険な奴とも言えるわね!」
俊介は、この事件の注目すべき点は、スプレー噴射より、顔の加工にカギがある気がしていた。
「本当のところ、まぎれもない賢い奴だから、何やら、隠れた目的があるに違いない。そいつが気になるんだ。とりもなおさず、顔を粘土細工のように加工するのは、科学的に高度な技術だし、ゆくゆく別の犯罪に応用されたら、きわめて厄介なことになるからな」
車は、話がはずんだところで、折よく、愛宕台団地の犯行現場に到着した。
閑静な住宅地には、道幅の広い道路があって、ちょうど、おあつらえ向きに、春に見事な花を咲かせる桜の大木が、堂々として、何本も宙を見上げていた。
俊介は、犯行現場に近い一本の桜を選んで、TS1を当てたが、意に反して映像がでない。
「なんだよ!この前は、調子が良くて、たちまち映像が出たのにな」
「そうね、TS1も気まぐれね」
俊介が、けんもほろろになって、調整にてこずっていると、とたんに、ぞっとする映像が映った。
「きゃっ!」
映像には、一匹のアオダイショウが、舌を出しながら、枝の根本にある鳥の巣めがけて這い上がっていく。
「やだっ!」
ヒナは、みごとにアオダイショウに呑み込まれた。
「自然の摂理ってやつだな!生き物の世界は、きびしいな!」
ほどなく、映像が切り替わると、黒のミニバンが映り、ガスの噴射、女たちの顔への器具の設置など、前回TS1で捜査した久留美町の事件と、同じ犯行が繰り返されていた。
「ふん!何度見ても、腹が立つわね!」
とは言うものの、男が犯行を終え、車に戻りかけた時から、前回の事件とは、まるっきり違った物語が始まったのである。
「あれっ!この女児は何よ!」
やにわに、ミニバンの陰から、顔の所々が黒ずんだ女児が現れたのだ。
わけても、女児の親らしき男女が登場して、女児に暴力をふるったあとに、ガスマスクの男にこてんぱにやられて逃げて行くシーンが続くと、俊介も都真子も、モニターに釘付けになった。
「思わぬ展開だな……」
「あっ!犯人が……マスクを……」
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