第19話 同じ穴のムジナ

「お腹はすいてないから大丈夫よ」


 実矢は、話の腰を折らないように、ヨシに話を合わせた。


「そう……ご飯を食べるかい?」


「うん、後で食べるからいらないわ」


「そうかい……」


 ヨシはそう言うと、何事もなかったように、奥に姿を消した。


 してみれば、実矢の成り済ましとして現れた、この女の本名は、常家友子と言う。


 もともと、根は明るい性格の、どこにでもいる、ごく普通の娘だったが、父親の一治郎が経営していた町工場が倒産して、がらりと一変、借金取りに追われるようになったため、泣く泣く一家は離散した。


 そればかりか、住んでいた家も追い出されると、高校生だった友子は、友人にも内緒で学校を退学して、無料で寮を提供してくれるゴルフ場のキャディーの仕事についたのである。


 何ぶん、若い娘のキャディーとあって、とたんに客からも気に入られて、おまけに、友子のこみいった事情を知った、とある政治家が、ずいぶんと世話を焼いてくれたおかげで、ぜいたくな生活を送ることもできた。


 友子は、てっきり、ツキが回ってきたと思った矢先、仕事の最中に、逸れたゴルフボールが、至近距離から友子の右目を直撃して、大ケガを負った上、それに加えて、治療の失敗から右目の周りに醜い傷痕が残ってしまったのだ。


 おかげで、友子は化け物同様の扱いをされると、面倒を見てくれた政治家まで離れ、ついには金を渡されてゴルフ場を放逐されてしまったのである。


 知らず知らずに、ぜいたく癖のついた友子は、貰った金も使い果たし、にっちもさっちもいかなくなって、金になる仕事を見つけては、あちこちを転々とした。


 そこへ、ふとした機会に、成り済ましの広告を手にしたのだ。


 友子の自尊心は、顔の傷痕とともに、ずたずたに切り刻まれてしまっていたが、心機一転、別人の人生を送ることで、しばし、持ち応えられそうに思えたのである。


 六門は、現金の入った封筒を、実矢に渡しながら言った。


「ほう、あの婆さん、まるっきり疑いもしないじゃないか。本当の孫だと思っているみたいだな。お前も一人っきりで暮らすより寂しくなくていいだろう。当座は、この現金を渡しておくから、必要なものに使うんだ。文字どおり、この家には、処分できる財産は沢山あるはずだからな」


「分かったわ。上手くやるわよ」


 そこへ、ひょっくり、六門が警戒していた女、実矢からすれば叔母の仲子が玄関から入ってきた。


「買い物に行ってきたよ!珍しくお客様かね?」


 仲子の声に気づいたのか、ヨシがまた顔を出した。


「実矢が学校から、帰って来てな。早く晩飯を作ってやってな」


「こりゃ、おどろいた!実矢なの!すっかり変わっちまって、今まで一体どうしていたのかい?」


 実矢は、警戒心を顔に出すことなく、ありきたりの返事をした。


「叔母さんには、婆ちゃんの面倒も見てくれて、世話になったね」


「世話どころじゃないわ!あんたがいなくなったおかげで、みんながえらい迷惑したわね。そこの連れはどなた?厄介な人じゃなかろうね」


 仲子は、ずけずけと言いたいことを口にした。


「ああ、いろいろと世話になった人たちでね。私一人じゃ、どうしても帰りにくくって、つい、いっしょについて来てもらったのよ」


「それにしても、お前、ずいぶん人が変わったね。その顔はどうしたの?それに、話もすらすらできるようになって別人のようだね。本当に実矢なんだろうね?」


「まあ、永いこと会ってないんだから、そりゃ変わるわよ」


「だがね、この家も田んぼもアパートも、不動産屋がしょっちゅう来ちゃ、売ってくれ、売ってくれって、しつこいんだわ。まさか、売ったりはしないだろうね。御先祖様に顔向けができないからね」


「いきなり、何の話?難しいことは、よくわからないわ……」


 その晩、友子は、宿泊することになった六門と伝東の三人で、膝をつき合せて、神妙な顔つきで対策を相談した。


「妹の仲子は要注意だ。あいつは勘がいいかもしれないぞ。何とかしないとな」


 六門が眉をひそめて言うと、哲子は有無を言わさず口走った。


「金を手に入れたら、即刻、消えましょう!」


「いや、金目的だと気づけば、必ず一悶着おきるに違いない。やにわに不動産屋の話など持ち出してきやがって、あいつこそ、この家の財産を狙っているのかもしれないな。上手く騙すのは、難しいぞ……」


 この道にすがるしかない友子は、落ち着いた調子で言った。


「それじゃ、財産目的じゃないって信じさせるなら大丈夫でしょう?私も、崖から飛び下りるつもりでここに来てるわ。失敗はしたくないから、少しずつ仲良くやるわ。時間がかかってもその方が確実よ」


 六門は、友子が落ち着き払って言うのを聞いて、にんまりした。


「わかった、お前がそう言うなら、任せるよ」


 翌日、友子は、六門と伝東を家の前で見送り、ひっそりと家の中に戻って行くと、仲子とばったり出くわした。


 まぎれもなく、失踪者の出現におどろいていたのは、ほかでもない、この仲子だったのである。


「あんた、この家の財産目当てかい?」


 友子は、仲子の眼をひたと見つめると口を開いた。


「そう、やっぱり気づいたのね。でも、会社の方はお金が目当てだけど、私は人生をやり直したいだけよ」


 仲子は、疑い深そうな目つきをしていたが、友子のことばを聞いて、笑い声を上げた。


「なにね、本物の実矢って子はね、三年ほど前に、思いがけず、戻って来たんだけど、生意気だったから私が追い出したのさ。だから、あんたが、偽物なのは百も承知さ。化けの皮がはがれたからには、あんたも追い出すかもしれないね」


「私はどうなってもいいわ。ろくな人生を送って来てないからね」


 友子は、口ごもるように答えた。


「ほほう、あんたとは上手くやれそうだね。しばらく、おいてやってもいいわな……」


 仲子は、考え込むような顔をしたあと、口を切った。


「それじゃ、あんたたちは言ってみれば、こうしたことのプロらしいね。実は、私も頼みたいことがあってね。今度、あの男を呼んでほしいんだが」


「黙っていても、金を回収に来るわ」


「はははっ、そりゃそうだ。金を手にしなきゃ、わざわざ危ない橋を渡ることはないわけだ。私があんたの証人になるから、それじゃ、こっちのことにも手を貸して貰おうかね」


「こっちのことって?」


「その男が来たら話すさ。それまで、ゆっくりしていきな!」


 ところが、実際のところは、仲子も、あべこべに、友子を騙していたのである。


 この女は、鳩飼(はとがい)野八重という元家政婦だった女で、実矢の母の妹、尾空仲子に成り済まして、この家に入っているのだ。


 もともと、尾空仲子は、横州市内にマンションを借りて住んでいたが、結婚もすることなく、一人で世界を巡るのを狂ったように趣味にしていて、とかくするうちに、アフリカ旅行に行った先で、ぷつんと消息を絶ったのだ。


 野八重は、祖母のヨシが独りきりになったために、家政婦が必要となって、尾空家に入ったが、どういうわけか、仲子に雰囲気が似ていて、仲子によく間違えられたから、ぬけぬけと仲子のように振る舞っているうち、祖母のヨシも認知症が進んで、野八重を仲子と思い込むようになったのである。


 おかげで、ヨシの金も自由に使い込めるようになり、何不自由のない生活を送れるようになっていた。


 言うなれば、そこへ、同じことをやっている奴らが、まさか自分が成り済ましている家に入ってくるとは誰が想像しただろうか。


 この犯罪を、誰もやっているということは、それだけ騙し合いの世の中であることの証明だと野八重は強く思ったのだ。


 野八重は、六門に早く会うのを楽しみにした。


 一週間後、六門と伝東がそろってやって来た。


「金は出来たか?」


「ええ、貸し駐車場が売れて一千万円になったわ」


 友子は、有卦に入ったことを実感している様子で、笑顔で返した。


「上出来だぞ!」


「叔母の仲子と会ってくれる?実は、全部ばれたわ……」


「なに!いったい、何のことだ……」


 六門は、友子から事実を嗅ぎつけられたことを聞くと、とたんに動揺を隠せず、額から汗が噴き出した。


「もう、隣の部屋に居るわよ」


 友子が声をかけると、そそくさと野八重が入って来た。


 同じ穴のムジナ同士が、顔を合わせたのだ。


「友子さんには話したけど、戻ってきた実矢に、家を出て行くように仕向けたのは私でね」


「実矢って子は、生きているんですか?」


「もちろん、死なせたりはしてないがね。金を持たせたら、自分から出て行ったよ。この家には、処分出来る財産が、まだまだ、あるからね」


「分かりました。ところで頼みとは?まさか脅しじゃないでしょうね」


「はははっ!心配なさんな!あんたが住んでる街に、仕舞権三という男が住んでいるはずだが、そいつの行方不明の長男に、同じように成り済ましを送ってもらえないかね」


「えっ!仕舞権三って、市長じゃないですか?」


 六門は、目を丸くして、おどろいた。


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