第38話 前代未聞
薬で仕舞冠太の顔に変えられた合院は、後にも先にも、地上の固い地面目がけて、落ちて行った。
「しまった!えらいことになったぞ!」
俊介たちは、仰天して、屋上から真下をのぞきこんだ。
「仕舞冠太は……死んだんでしょうか?」
紫蘭は、信じがたい光景に、ぽかんとして言った。
「急いで、下に降りよう!遠山!救急車を呼んでくれ!」
俊介たちは、泡を食って、一目散に一階に降り、冠太の落下地点に向かった。
「見て!リアウィンドウが粉々よ!冠太は車内にもぐったわ!」
都真子が、見て叫んだとおり、冠太は、駐車していた赤い車の後部リアウィンドウを突き破って、車内の後部座席に落ち、足下の隙間に挟まっていた。
「ウウウッ……」
「奇跡だ!即死じゃない!生きてるぞ!リアガラスを背中か尻で突き破って、車内に飛び込んだおかげで、後部座席のシートがクッションになって、衝撃が和らいだんだ!」
「それにしたって、重傷よ!」
そこへ、外出から帰って来た六門桐生社長や、水戸康二、伝東哲子、名前を呼ばれた羽交寿和子も、だしぬけに、駆け寄って現れると、後部が破壊した車を見て、ふるえおののいた。
「こんなことになるとは……」
桐生は、ガラスで切ったのか、血だらけの冠太の頭部が見え、まんじりともせず、つぶやいた。
俊介は、重力がのしかかったように、立ちすくむ一同に向かって、決然とした口調で言った。
「六門桐生社長!どうやら、仕舞冠太をかくまっていましたね!いずれにせよ、署でくわしい事情を聴きたいので、ご同行願います!」
「水戸康二さんと伝東哲子さん!拝見寄クラブのことは百も承知ですね!このクラブの件で聴きたいことがありますので、同じく、署までいっしょに来てください!」
俊介に続いて、都真子も有無を言わさず言明していると、サイレンを鳴り響かせて救急車がやって来た。
「全身を強く打っているはずだ!できるだけ、そっと、身体を引き出すぞ!」
救命士たちは、傷だらけになった全身を露わにした冠太を、おもむろに、車内から引っ張り出してストレッチャーに乗せると、ふたたびサイレンをけたたましく鳴らして発進した。
「さあ!我々も行きましょう!」
俊介たちは、雷に打たれたように、顔をこわばらせている桐生たちを、分散してパトカーに乗せると、塵を舞い上げて走り去った。
「やつはどうなったんだ?即死じゃないようだな!」
三階の部屋のカーテンの陰から、そっと、合院の様子を、細目でうかがっていた四倉が、気にするように言った。
「まあ、十一階から落ちたんだ……死んでくれないと俺が困ることになる!」
仕舞も、半信半疑の思いが、わずかに口元に浮かんだ。
「それにしても、桐生さんたちがしょっぴいて行かれたのは、合院の野郎のせいだな……」
四倉は、いまいましそうな表情で口走った。
「ああ、たぶん、もどってくるのは無理だな。すべて、ばれちまうだろうから、とうとう、成り済ましグループは壊滅だな。それにしても、地下室の機材を移動させておいて正解だったな……何があろうと、俺たちは俺たちの仕事をするだけさ。さあ、もう静かになっただろう……八草之宮ホテルに戻るぞ!」
冠太は、いたって、素っ気ない口調で言い放つと、二人は部屋を出て行った。
病院に運ばれた偽物の冠太は、何よりかにより、十一階から転落したにもかかわらず、緊急手術が功を奏し、一命を取りとめたのだ。
「この男の運の強さは並々ならぬものがありますよ!意識が戻るまでにはまだ何日かかかるに違いないがね……」
病院に付き添い、固唾を飲んで、冠太の容態を気にしていた遠山に、文字どおり、驚きをかくせぬような調子で医師が告げた。
そのころ、俊介は、険しい表情の六門桐生と面と向かって、取調べを続けていた。
「桐生さん!あなたは、仕舞冠太とは、たまたま、少年院で同部屋だったようですね。そればかりか、水戸康二さん、任尽五朗さんもいっしょですね。全員、まぎれもなく、拝見寄クラブの関係者になっていますが……そうした関係もあって、脱走した冠太をかくまったのですか?これは犯人蔵匿罪と言う罪になりますよ。それとも脅されてそうなったのですか?」
「いや、脅されるようなことはありません。どうした風の吹き回しか、ひょっくり、脱走直後、冠太のほうから訪ねて来たのです。何はともあれ、話だけ聞いてやるつもりでした。当然のことながら、悪いこととはわかっていましたが、少年院でのよしみというか……どんな事情があったのか聞いてみたかったんですよ……」
桐生は、記憶をたどるうちに、言おうか言うまいか、ある秘密が頭に渦巻き始めて、考えがもつれてきていたが、こういう状況になってしまって、今さら、やつらをかばっても仕方がないと腹をくくった。
「刑事さん!正直に言いますが、冠太は冠太じゃないんです。実のところ、少年院に入ってきたのは、四倉明と言う冠太の身代わりだったんですよ。本物の冠太のことはよく知りませんが、いっしょに生活した四倉という男は悪い人間ではありません。四倉が冠太を信頼しているなら、いっぺん、話を聞いてやろうと思ったのです」
「四倉が冠太の身代わりだっていうことは、直接、四倉から聞いたのですか?」
「ええ、てっきり、冠太だと思っていた四倉が明かしました」
「それは、貴重な情報です。我々も最近になって知りました。そうやって包み隠さず話してもらえば、事件の核心に迫り、解決につながりますからね。おまけに、そのこと以上に、罪を償おうとする、あなた自身の意識を知ることができました」
「それじゃ、身代わりの件は、もう知ってたんですね……とっぱじめに、四倉が私のところにやってきたのは、うちの不動産部門に、家探しを依頼してきたのがはじまりです。とくだん、変わった様子もないので、蝙蝠団地の物件を紹介しました。そこへもってきて、警察沙汰を起こしたと聞いて、びっくりしましたが、まさか、脱獄して、また、やってくるとは夢にも思いませんでした」
「だとすれば、何より肝心な点は、いくらなじみのある相手であっても、罪を犯して逃げている人間を、こともあろうに、やすやすと受け入れて、かかずり合うべきではなかったのです。だが、ひょっとすると、そんなバカな真似をしてまでかくまおうとする、決め手となる理由が何かあったのですか?」
「それは……」
桐生は、背筋にぞっと悪寒が走るのを感じた。
「あなたから、つゆほども言い出せなければ、私の方から言いましょう。つまり、もう一つの事案、成り済まし詐欺を専門に実行する拝見寄クラブの存在に関係するわけですね。もとはと言えば、警察に証言が寄せられているので、もう言い逃れはできませんよ。この行為は、詐欺罪でもあり、私文書偽造など様々な罪が問われることになります」
俊介は、飯成から仕入れた情報をまくし立てた。
「はい、その通りです。わかってしまっているんですね……私が彼らを受け入れようと思ったのは、冠太の薬が人間の顔を作り替えることができると聞いて、成り済ましにはぴったりだと思ったからです。甘い汁を吸おうと、我を忘れて、まんまと心を揺すぶられてしまったのです」
「つまり、あなたは、冠太の技術を成り済まし詐欺に利用しようと考え、二人を受け入れることを決めたというわけですね」
「ええ、浅はかでした……」
こうして、桐生だけでなく、水戸康二も伝東哲子も、都真子が取り調べ、洗いざらい罪を認めることとなった。
『行方不明者の成り済まし詐欺グループ摘発!!』
翌日の新聞の見出しには、大々的に羊会や拝見寄クラブによる成り済ましの文字が目をひき、横州新聞の記者、尻田刈一によって、詳細に語られた記事が、概要を暴露すると、人々は目を丸くして驚いた。
「こんなことが本当にあるんだな!」
「うちの実家は大丈夫か?」
テレビ局も、じきじきに特集を組んで討論番組を流し、ある学者などは露骨に警告を発した。
「こうした事件の背景には、家族と言えども、個々の生活が中心となる場面が増えていて、家族間の関係は、ずんずん薄っぺらくなっているという実態があります。それゆえ、かりに家族の誰かが成り済まされても、すぐに気づくことのできない状況が生まれており、これは、恐るべき社会問題であります」
そんなこんなで、波紋が広がる一方、冠太が入院している病院の医師が、あわてふためいて、一本の連絡を警察に入れた。
「すぐ来てください!患者が別人に変わってるんです!」
どだい、冠太が作った薬の効果は最長十時間であるから、夜中には効力を失う計算だとすれば、仕舞冠太が一晩で合院杉男に変わってしまっても、何の不思議はない。
とは言え、九死に一生を得た合院の意識がもどるそぶりはまだなかった。
「スプレー事件と同じですよ!冠太の仕業だわ!だって、あの事件でも、被害者は顔を変えられていたじゃないですか?」
都真子は事件を思い出して、もどかし気に言うと、鼻田も、口をとがらせて怒りをあらわにした。
「科捜研からも、スプレー事件の薬物は、アメリカの事件で顔に使われた薬物と一致するとの報告は受けたよ。こともあろうに、冠太は、よくもしゃあしゃあと薬を合院に使って殺し、自らは死んだものと思わせ、我々の追跡から逃れようとしたんだな。まんまと一杯食わされるところだったな」
「してみれば、合院が生きていると知ったら、冠太は、また何かをしでかしてくるでしょう!早く、やつに止めを刺さないと、どこまでも解決は長引きますね!」
俊介は、眉をひそめ、苦々しい顔で口走った。
さてまた、その日の横州市では、土壇田毅総理大臣の訪問と言う、抜き差しならない一大イベントが始まろうとしていた。
総理は、夕方に市に到着すると、ただちに、市民の帰宅時間に合せて、駅前で応援演説を行い、終わり次第、八草之宮ホテルで、会食会及び宿泊することになっている。
八草沢会長に成り済ました権三はにやりとして言った。
「いよいよ、前代未聞の大作戦の開始だ!」
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