第20話 拝見寄(おがみより)ホテル

「ええ、そうよ。あいつにちょっとばかり恨みがあってね」


 野八重と権三は、ほかでもない、実の姉弟だったのである。


 二人は、母親の千代といっしょに、この地に流れつくと、千代は、葡萄農園を手広く経営する仕舞辰之助という男の世話を受けることになったが、そこへもってきて、男児のいない辰之助は、利発な権三を養子に迎えたのだ。


 やがて、成人を迎えるころには、たちまち事業の才能を開花させた権三は、農園の葡萄を使って酒造会社を作っていちやく成功し、辰之助が息を引き取った今は、政治家にまでなったが、一方の野八重は、母親といっしょに暮らしを続け、権三とは音信不通のままだった。


 思いがけず、辰之助の危篤の報を知ったときも、野八重は、母親を会わせようと仕舞家の門を叩いたが、過去を公にしたくない権三は、知らない相手だと言って、野八重に冷たく門前払いを食わせている。


《幼い頃は、苦しい生活の中、ずいぶん、面倒を見てやったのに恩知らずめ!》


 それに加えて、権三は、母親の死に目にも、ろくすっぽ知らん顔を続けるに及んで、野八重は権三をひどく憎んだのだ。


 そんな折り、野八重のもとに、友子の成り済ましグループが現れた。


《しょせん、同じ穴のムジナというやつで、これを利用しない手はないだろう。こいつらを使って、権三に意趣返しをしてやるさ》


 野八重は、こうした権三とのいきさつを、一切、おくびにも出さず、ただただ、成り済ましを入れることだけをもちかけた。


「家族や親族が大勢いると、やみくもに成り済ましを入れても、すぐに、化けの皮をはがされるのが関の山です」


 冷静な哲子が、だしぬけに、食い下がった。


「ふん、それどころか、市長を恨んでいる人間はうようよいるわね。成り済ましの方は、あんたたち、プロに任せるわ。なにせ、金はあるわよ。ずいぶんと悪事を働いたでしょうからね。まあ、断れば、この子のことを警察沙汰にするだけよ。それは、誰も望まないことよね。上手くいけば、あんたたちにも、大金が入るから悪い話ではないでしょ」


「ええ、さしずめ、市長の評判がよくないのはみんな知ってますよ。人を踏みつけて上に昇ったような人ですからね。敵も多いでしょう。してみれば、そもそも、目的はカネですか?」


「まあ、少しはね……」


 本当のところ、六門も伝東も、心ひそかに、おどろいていた事実があって、仕舞権三をじきじきにターゲットにすることよりも、野八重さえ、いっこうに知らない事実なのだが、ここでは、当然、口にすることはできない。


「我々も、友子のことが、藪から棒に、明るみに出ると、この稼業が台無しになってしまうので、やるしかないようですね。それじゃ、仕舞の息子の情報を下さい。なるたけ、似ている男を探しますので……」


 野八重は、一枚の写真を哲子に渡した。


「これが、成り済ましてほしい男の顔写真よ」


 哲子は、はっとして心の中で思った。


《やっぱり、そうだわ!今回のケースは、ひときわ、危険なケースだけど、秘策がありそうだわね……》


 だが、こうして、六門が頼りにする伝東哲子も、かつては成り済まし役として、この世界に入った女である。


 初めて、成り済まし役で見知らぬ家に入った時、哲子の脳裏には、それまでに味わった、数知れぬおぞましい経験が、ありありと浮かんできたのを憶えている。


 哲子の家庭は、働かない父親と、派手好きの母親とで、からきし折り合いが悪く、とうとう、にっちもさっちもいかなくなって、離婚すると、哲子と妹の順子は、当然のことながら、母親について行った。


 かねてから、非行癖のあった順子は、家出を繰り返し、家に寄りつかなくなると、哲子自身も中学校を、ほとんど登校しないまま卒業したため、進学することなくコンビニでバイトを始めたが、釣り銭を間違えたり、遅刻や欠勤を繰り返して、バイト先を転々とした。


 どうにもこうにも、飲食店なら続けられそうと思って勤めてみると、意地の悪い同僚からいじめを受け、ひょいと付き合った男は犯罪集団の組員で、わずかに稼いだ金も、すっかり巻き上げられ、むきになって反抗すると、こっぴどく暴力を奮われた。


 あげくの果てに、男から覚醒剤を覚えさせられて、あれよあれよという間に、すさんだ生活に堕ち、警察に逮捕されるまでになって、やっと、ばかげた自分に目が覚めたのだ。


「もう二度と、こんな人生はごめんだ」


 こうして、心に真っ暗な闇を抱えた哲子は、拾ったチラシで成り済ましグループを知り、やっと過去からの因縁に、幕を下ろす期待が生まれた。


 哲子は、もう一度、人生をやり直そうと、成り済まし役として入った見知らぬ土地での生活に、無我夢中で望みを賭けたのだ。


 哲子の初仕事は、能川梨乃という女の成り済ましだった。


 六門といっしょに隣家を回って、永年、家を空けていたことを説明しながら挨拶を交わすと、どの家も、梨乃の顔など、はっきりと覚えている者はおらず、とりわけ神経を使ったわりには、いくぶん拍子抜けした感があった。


 六門は、放心したような哲子に言い添えた。


「思ったより、状況は悪くないぞ。むしろ、Aランクだ。梨乃の両親は、祖父母から遺産をもらう前に死んじまったから、孫娘の梨乃の相続権を、文字どおり、主張するだけさ」


 六門の慣れた仕事ぶりを見て、哲子は安心した。


 二人は、朝早くから出かけると、夕方には意気揚々と帰ってきた。


 と言うのは、相続の話は、これぽっちの疑いもなく進み、梨乃は、数千万円の財産を、ごっそり手にする見通しとなったのだ。


「現金になるまで頼んだぞ」


 六門の話を、正直なところ、半信半疑で聞いていた哲子だったが、本当に現金を手にするに及んで、疑いはかき消された。


《本当に、こんなことがあるんだ》


 哲子は、わずかの期間、能川梨乃に成り済ましたが、グループの運営に興味をもつと、六門に頼みこんで、ホストに回してもらっている。


 そうこうするうちに、哲子は、多くのケースに関わって、しこたま経験を積むと、押しも押されぬホストのチーフとして、高い立場を得ることになったのである。


「それじゃ、わかりました。決まったら、また連絡します」


 二人は、野八重から投げかけられた、重い課題を引きずって帰る羽目になった。


 横州市の北部、拝見湖畔の東山側には、斜面に沿ってうっそうとした針葉樹の森が、ひときわ濃い緑色に染まり広がっている。


 その森を貫く細長い古道を歩いて行くと、見上げるような大木がそびえ立ち、木々の間からは、黄金色に差し込む陽の光が、幻想的な雰囲気を醸し出している。


 夏でもひんやりと涼しく、薄暗い木立を抜けると、正面に、大谷石をあしらったエントランスが重厚に際立つ拝見寄ホテルが現れる。


 言い伝えによると、拝見寄ホテルの建っている辺りは、昔から「神隠し」の伝説があって、ちょいちょい人間が姿を消しているというのだ。


 そればかりか、拝見寄ホテルの敷地の裏手にある、古めいた祠に奉っている鎖姫の「祟り」だと言う噂や、人がいなくなる瞬間に、まばゆいばかりの光が輝き、その光の中に吸い込まれて行くのを見たという話や、やにわに濃い霧が流れてきて、その霧が晴れると、人がいなくなっていたなどの話がまことしやかに人々の口の端に上った。


 さらにまた、失踪した者の中には、拝見寄ホテルに宿泊した帰り道、家の前まで来たとたんに、拝見寄ホテルの方角から呼び声が聞こえて、その声につられて確かめに戻ると、ついに、そのまま帰って来なかったという話もあった。


 それに輪をかけて、いっそう非現実的な話は、拝見寄ホテルは異次元空間への入り口ではないかとか、宇宙人がUFOで連れ去ったのではないかなどとオカルト的な話まで飛び出る始末である。


 くれぐれも、このような根も葉も無い噂話は、怪しんだ方がいいだろう。


 何しろ、誘拐犯が、意図的に犯行を隠そうとして、おあつらえむきの噂話を流している場合や、ホテル側が噂話を、わざわざ、客寄せに利用している可能性があるかもしれないのだ。


 その日のこと、拝見寄ホテルの別館にある、物置とされている地下室では、秘密めいた会議が行われていた。


 そこに集まっていたのは、六門宣夫の息子の六門桐生、桐生とは少年院仲間だった水戸康二、伝東哲子、そして、何を隠そう、仕舞冠太と刑務所から脱獄してきた四倉明まで、顔を並べていたのだ。


 拝見寄ホテルの地下室に、十数年前、成り済まし詐欺の作戦部屋を作ったのは、六門宣夫と的当夏次だった。


 時の移り変わりは早いもので、宣夫は昨年、病に倒れ、子供のいない的当は、親友、宣夫の息子である桐生に、潔くホテルの社長の座を譲り、同時に詐欺グループからも引退している。


 こうして見ると、現在は、成り済まし詐欺グループ、通称、拝見寄クラブは、六門桐生が代表を務め、水戸康二が副代表、伝東哲子が事務長として、この三人を中心に、ぬかりなく運営されていた。


 それでいながら、四倉と仕舞が、なぜゆえ、この場にいるのかと言えば、四倉が、アメリカから帰国したときに、少年院時代を懐かしく思って、真っ先に六門家を訪ねたのが、事の発端だった。


 久方ぶりに会った三人は、夜を徹して、十数年分の話に花を咲かせた。


 桐生と康二は、表向きは、若くして、拝見寄ホテルの社長と支配人に就いていることもあって、四倉が仕事を辞めたのを聞くと、ホテルで働かないかともちかけた。


 四倉は、何気なく、言い出しにくそうな口調で言い始めた。


「もう、時効だから喋ってもいいだろう……実は、俺の本名は仕舞冠太ではなく、四倉明なんだ」


「えっ!そりゃ、いったい、どういうことだ?」


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