第26話 駅前喫茶
「俺が、市長のやつを、吊り橋から川へ突き落としました」
あろうことか、よりによって、権三の長女、花華の婚約者である羽交(はがい)辰夫が、自首して出たのである。
辰夫は、顔は青白く、手はわなわなとふるえていた。
「殺そうと思った動機については、今は、これっぱかしも言いたくありませんが、あいつには、どうにもこうにも、許せないものがあったのです」
とうの昔、権三が政界へ進出する間際に、専務の羽交志馬次を、雇われ社長としておっ立てたわけだが、その志馬次の長男が辰夫である。
話によると、社長の座に就いて、高慢風を吹かせた志馬次は、雇われ社長という身をわきまえずに、権三とは相談なしに事業を推し進めて、度重なる失敗を繰り返し、気がついたら、会社の経営をどん底に突き落としていたのだった。
それを知った権三は、かんかんに怒って、志馬次の首を、即刻、すげかえようと裏で動いて志馬次を追い詰めたところ、こともあろうに、夫婦で車の中で死んでいるのが発見された。
さしずめ、自殺と判断されたが、社長の座に食い下がって辞めようとしない志馬次に、しびれを切らした権三が、心中と見せかけて殺したんではないかと、まことしやかに噂される一幕もあったくらいだ。
辰夫には寿和子という妹がいて、里哉香の同級生である。
寿和子は、里哉香が最も会いたくない人間の一人で、中学校の時に、意地悪な態度を取られたり、持ち物を隠されたり、悪口を流されたりするなどのいじめを受けた。
いじめの原因となったのは、寿和子の父親、志馬次が、権三にさっぱり頭が上がらないまま、人生の幕を閉じたことから、人一倍、負けん気の強い嶋子は、会社の上下関係をそのまま認めて、里哉香に媚びたくなかったのだろう。
権三は、世間の同情の的となった辰夫と妹を、文字どおり、親代わりとして手厚くめんどうを見て、自らへの疑いの目をそらし、辰夫も品行方正な青年を演じていて、まさしく権三にも気に入られていたのだが、まさか、この青年に、寝首をかかれるとは、とうの権三でさえ想像もできなかったに違いない。
それはそうと、辰夫は、一か月後に、権三の娘と結婚式を挙げる予定になっていたから、とりわけ、心が張り裂けるような、堪えがたいショックを受けたのは花華だった。
花華と辰夫は、幼なじみの間柄だったが、大人しい性格の辰夫と、気性の激しい花華とは、かねてから、お互いを恋愛の対象として意識することはなかったようで、花華は、スプレー事件で、いっしょに被害者となった友人の恵麻にもつねづねもらしていた。
「そもそも、辰夫さんはね、自分の気持ちを押さえてまで、相手の言いなりになろうとする悪い癖があって嫌だわ。いくら、社長の息子だったからって、結婚の候補に結びつけるのも癪だしね。同じような条件をもつ男性と、一通り交際してから考えるわ」
そんなことを言いながらも、結局のところ、花華が辰夫との結婚を決めた理由は、むしょうに、辰夫の優柔不断さを見ていられなくなったからだと言うのだ。
「私はね、自分の決断力と実行力については、他人よりも優れていると自負しているわ。どのみち、辰夫さんの欠点が巻き起こす問題なんてさ、私にしてみれば、ちょうどいい腕の見せ所のような気がしてね。正直なところ、私自身の力を十二分に発揮するのにふさわしい相手じゃないかと思うようになったわ」
こうした花華の、母性本能臭ふんぷんの発想から生まれた結婚話は、とうの辰夫自身も乗り気で、自分が花華のペースに引っ張られていることも、とくだん、気にかけることもなく、しゅくしゅくと挙式の日を待っていたように見えたのだった。
「辰夫さんは、殺人なんてできる人間じゃありません!」
花華は、ずばり率直に、後にも先にも、辰夫の犯行であることを否定した。
辰夫側の親族とは別に、署で説明を受けた典子、蓮二夫婦、花華、里哉香は、真犯人が見つかっても、すっきりするような気持には、少しもなれずに、悶々として署を出ようとした時だった。
「カバ先生!」
里哉香は、中学時代に通っていた進学塾でバイトをしていた俊介と、ばったり顔を合わせた。
「カバ先生が警察官なんてびっくり!」
「まあ、そうおどろかなくても……俺も正義感は強い方でね。お父さんの件は大変だったな。それに身内から容疑者も出るなんてな」
俊介が警察官になったことを知った里哉香は、藁にもすがる思いで、やにわに辰夫の件を告げると、俊介も里哉香の訴えを聞くことを約束した。
「それじゃ、あとで連絡するよ!」
その日の夕方、里哉香は、駅前の喫茶店で俊介と待ち合わせた。
先に到着した里哉香は、ぽかんとした顔で、注文した紅茶を飲んでいると、俊介が、連れと二人でやって来た。
「遅れて悪かった!こっちは、同僚の三色都真子だ!」
「初めまして、仕舞里哉香といいます。カバ先生のおかげで高校に合格できたので、人生の恩人です」
「まあ、やけにおおげさだわね」
都真子が、あけすけに言うと、里哉香は、照れくさそうにしながらも、さっそく、事件について口を開いた。
「わけても、父は辰夫さんを、とくと気に入っていました。なにせ、父の部下の人たちは、父の前だと、何を言われるか、おっかなびっくり、石のように緊張してましたが、辰夫さんは、常に礼儀正しく、落ちついた態度で、父もリラックスして気さくに話していました」
「そんな人が、どうして市長を殺害したんだろうか?」
「それは、全くわかりませんが、実は、辰夫さんについては、私しか知らないことがあるんです。私の大学の友人に三羽松里という子がいて、ちょっと変人なんですけどね。人を脅かしたり、さらったりする妖怪や、妖怪の百鬼夜行を想像するのが好きで、昔から変わり者扱いされて、高校生の文化祭の仮装行列じゃ、一人だけ妖怪の格好をして面白がられたらしいです」
「俺も妖怪って好きだよ。まあ、好きなものはやめられないな」
「その子が、私に頼み事をしてきたんだけど、『人生のやり直しを保障します』というチラシを見つけて来て、それに、話を聞く日時や場所が記されていたので、いっしょに行ってもらえないかって言うんです」
「普通、そういったチラシは危険よね。それで本当に行ったの?」
「ええ、松里が余りにも、しつこく言うので、場所は殿様山の展望台公園でした」
「ずいぶんと危ない真似をしたわね」
「だけど、行ってみると三十分以上も待たされたあげく、私が騙されたからもう帰ろうと言った時に、ふいに女が現れて、本気で聞きたいなら、明日、同じ時間に一人でこの場所に来るようにって言われたんです。きっと、どこかで私たちの様子を見ていたんですね」
「ほう、一人で来いってことか?」
「帰り道、松里は、自分の過去の話をしてくれたんです。彼女は施設で育ったそうで、天涯孤独の自分に嫌気がさしていて、親兄弟、親戚がいる暮らしを想像していたところに、ちょうどチラシを見て、嘘でもいいから、話を聞きたいってだだをこねたんですよ」
「不幸な生い立ちなら、そういう気持ちになってもおかしくないわね。家族って、いつもいっしょだと、うるさい時もあるけどね。誰もいないのは寂しいわね。それじゃ、また行ったわけ?」
「はい、一人で行くつもりって聞いたら、やっぱり行こうとしていたんです。私は心配になって、松里が承知の上で、こっそり、ついて行くことにしたんです」
「何か起きたらって考えると、その方が良かったよ」
「いざ、当日になると、事前に様子を探っておこうって、予定より早めに公園に行ったんです。けっこう、人出もあって、私もそういう人に紛れて、松里を遠くから見張っていたんです。すると、ちょうど、時間ぴったりにサングラスをかけた男女が現れて、松里を連れて、池の方に歩き始めたんですね。私も、見失わないように、そっとくっついて行くと、なんと、おどろいたことに、男が反対側から現れて、よく見ると、その男は辰夫さんだったんですよ」
「えっ!見間違いじゃなかったの?」
「いいえ!間違いなく辰夫さんでした。写真にも撮りました。ほら!これです」
里哉香は、ポケットからスマホを取り出して、写真を見せた。
「本当だ!まさしく羽交辰夫だ!」
「なんで、ふいに辰夫さんが、こんな場所に現れたんだろうって不思議に思ったんだけど、へたに動くと気づかれそうだったので、垣根の裏側から声だけ聞いてたんです」
「なかなか、勇気があるね」
「お前たちのやってることを警察に言ってもいいのかって、脅すような声で言って、松里には、もう来ちゃダメだって、すぐに帰るように言ったんです」
「サングラスの男女は何て言ったの?」
「女の方が、邪魔しないでって言って、口論になったんだけど、松里が逃げもどって来て、怖くて足ががくがくしてるから、早く帰ろうって、走って公園を出たんです。だから、その後どうなったのか、何もわからないんです。当然、松里には、辰夫さんのことは言っていませんけどね」
「そりゃ、怖い思いをしたね」
「で!もう一つ、話があるんです」
「えっ!まだ羽交について秘密があるの?」
「実は、辰夫さん、八草沢香澄さんという人と、以前、付き合っていて、結婚の約束をしていたんです」
「え!どうしてそんなこと知ってるの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます