県警本部2

 警備部長を始めとする首脳陣の口が止まった事で、会議室の空気は更に緊迫の度合いを高めていた。避難誘導に伴う渋滞の発生。これは当然、新興住宅地から逃げる人々が向かう先で起こりえる事だ。

 何も知らない人たちが住む地域に突如として大勢の人々が逃げ込んで来れば混乱は必須である。しかも事態発生のタイミングは朝とも昼とも限らない。最悪の場合は夜や明け方にだって起こる可能性はあるのだ。今が比較的交通量の少ない時間帯とは言え、何百となる避難民が逃げて来れば何所かで渋滞は発生するだろう。

 シミュレーション開始から40分弱が経過。犠牲者の数も800に迫りつつある中、警備部長はようやく口を開いた。

「……一帯に警報を流す事は出来るか」

「流せても現地で対応の出来る人員が限られます。伊達署から追加の部隊を派遣しても到着にはそれなりの時間が必要ですし、急激な交通の遮断は大きな混乱や予期せぬ事故を引き起こします」

 逸る気持ちは分かるものの、理事官の言葉が無理やりにでも冷静さを取り戻させる。彼の言う通り、急に道路の流れを遮れば大事故に繋がりかねない。連続玉突き事故でも発生すれば避難誘導どころではなくなる。しかし、渋滞をどうにかしなければ逃げ遅れた人々はおろか、伊達署の人員にも犠牲者が出るのは間違いない。

 さてどう出るか。芳村は苦悶の表情を浮かべる警備部をそれとなく見やる。

「…………伊達署の人員を半数に分割、いや、7割を渋滞発生地点に向かわせる。交通管制は維持しつつ巡回中だったPCで車の流れを止め、ドライバーにも避難を促せ。最初の展開地域では避難の呼び掛けのみに活動を縮小。通達を頼む」

「承知しました」

 避難の呼び掛けと誘導、交通渋滞解消に奔走している間に、一応は機動隊と銃器対策部隊の到着時刻となってしまった。ストップウォッチを見ていた芳村は少し迷いながらも顔を上げる。

「部隊到着の時刻となりました。取りあえず予定通り来た事にしましょう」

 助け舟のつもりはなかったが、渋滞を解消出来ないまま部隊が到着せずに時間切れを迎えるのもそれはそれで問題だと考えた芳村は、この場を進めるためにそう発言した。色々と準備不足だった事は否めないが何の事前情報もなしに生物が出現した場合の事を考えると、警察という組織に柔軟性が足りてない部分を認めざるをえなかった。

「伊達署の人員は直ちに後退、交通整理及び円滑な避難の実施に努めてくれ。非常線には銃器対策部隊と本機2個小隊を展開。残りの1個小隊は後退する伊達署の人間と共に避難誘導を継続」

 思考を取り戻した警備部長の命令によって再びシミュレーションが進む。しかしその表情は何所か釈然とせず、自分が渋滞をどうするべきかに対する判断を下せなかった事に後ろ髪を引かれているのを感じさせた。

 同じく地域部や交通部の面子も何かしら発言をするべきだったのではないかと煮え切らないオーラが滲み出ていた。それを次に生かしてくれれば良いのだが、次の準備をしている時か次のシミュレーションをしている最中に事態が発生した時、実際に口出しが出来るかはまた別問題だった。

 そうこうしている内にシミュレーション開始から1時間が経過。結局、機動隊と銃器対策部隊が生物の集団と接触するには至らなかったが、シミュレーション終了の時点で死者は1200人程度に上った。これが多いと思うか少ないと思うかは微妙な所だが、取りあえずこれぐらいの数字が予想されるという一種の判断基準になるだろう。

 ともかく、これで本件における警察としての対処は、警備部だけでは成り立たないと言う事が全員にも分かった筈だ。加えて、警察以外の関係機関による協力が必要不可欠な事も、実感出来たと思われる。


 芳村がシミュレーション終了を宣言して10分が経過。避難させられた住民は2000人と少し。避難中の事故死や重軽傷者、行方不明者は加算しない事になっていたが、合わせても恐らく30名前後は発生するとの見込みも付加された。

 警備部長は1時間程度でいいから横にならせて欲しいと発言。これを持って休憩時間となり、全員が軽い溜息を洩らしながら再び椅子に深く腰掛けた。

「失礼、一服したい」

「行きましょうか」

 屋外喫煙所へ向けて何名かが集団を組んで会議室から出て行く。彼らがエレベーターで1階に降り立ち、庁舎の外に足を向けている所を目撃したのは記者クラブに所属する大手新聞社の人間だった。

 某新聞社の福島支社に勤める唐木からきと彼の後輩である織方おがたは、支社に用があったためついでに入稿を終えて戻って来たばかりであった。ゾロゾロと普段見ない組み合わせの面子が顔色の悪いまま屋外喫煙所を目指している。その光景を不審に思った唐木が足を止めて見入る。

「……機捜と交通規制課、それに警備課長と地域企画課長。変な組み合わせじゃないか?」

「そうですか? 何かの打ち合わせでもあったんじゃないですかね」

「機捜が交通規制課と何を話すんだよ。犯人を追い掛ける時に他の車が邪魔だから信号を全部赤にしろってか? 警備課と地域課だって接点があんまりない部署だぞ」

「我々が口を挟んだ所でどうとなるものでもないと思いますけど。それよりも早くデスクに戻りましょう。書き掛けの原稿、まだ沢山ありますよ」

「何所か温泉でも行きたい気分だなぁ」

 織方に現実へ引き戻された唐木も渋々とエレベーターに乗り込んで記者クラブを目指した。しかし、妙な引っ掛かりがどうにも気になった唐木は途中でエレベーターから降りた。

「唐木さん?」

「先に戻っててくれ。ちょっと寄り道する」

「はぁ……」

 理解出来ない表情の織方をエレベーターに残した唐木が向かった先は、県警広報室だった。


 福島県警本部広報室は総務課の中に置かれる部署だ。記者クラブとしてはよく出入りする場所であり、総務課フロアへ足を踏み入れる唐木に対して誰も疑問を抱く事はない。

「こんちはー」

「よぉ唐木さん。室長ならトイレだよ」

「んじゃ、少し待たして貰います」

 総務課の主任巡査部長が唐木に声を掛ける。唐木は広報室の前に設置された待合用のソファに腰掛け、総務課の中を見渡した。

 普段なら自分のデスクで暇そうにしている、何て言ったらどやされるんだろうが、そんな風に見える事もある課長の姿はなかった。取りあえず手帳を開き、質問を適当に2つ3つ書き込んでおく。更に、どうやって自分が抱いている疑問をぶつけるかを考え始めた。

(室長が呼ばれてないって事は……仮に何かが動いているとしてもそこまでの大事じゃない訳だな)

 例えば、何か大規模な警備計画や大事件が起きたとなれば、広報室も当然参集の対象となる。仕事は数多くあれども、記者クラブと言う最も近いマスコミに対して情報を提供する役割は広報室の仕事だ。

 どんな事件でどんな状況で、どんな方針で現場が動いているか。情報を外に流す以上、広報室が蚊帳の外に置かれる事は無いだろうと言うのが唐木の推理だった。何か内々でのイベント。コンペの事についてでも話し合ってる可能性はある。であれば、無理に広報室へ声を掛ける必要もない。

 屋外喫煙所に向かっていた面子は大方、ゴルフの下手糞なお偉いさんをどう扱うか思案に明け暮れて、疲れてしまったのだろう。

「唐木君か。どうした」

「お疲れ様です」

 広報室長こと清水しみず警部が戻って来た。立ち上がって一礼する。

「2つ3つお聞きしたい事がありまして」

「分かった。取りあえず入ろうか」

 清水に促されるまま広報室へ入る。中には偶然か誰も居なかった。そのまま清水のデスク横にある小さな応接用ソファに場所を移した。

「失礼します」

「で、何を聞きたいんだ」

「まず……先月に市内で発生した轢き逃げですけど、その後の進捗は」

「あれか。防犯カメラの映像から二本松方面に逃走した事は分かっているが、まだ被疑者と車を特定するには至っていない。本宮市までは抜けていないようだから、二本松周辺に住んでいる可能性は高いな」

「なるほど。じゃあ次に――」

 当たり障りのない質問が続いた。清水が何かを怪しむ様子も見受けられないし、何かを隠している感じもしない。素直に聞いてみてしまっても良さそうだという感情が唐木の中に芽生えつつあった。

「ありがとうございました。因みにもう1つだけいいですか?」

「ああ」

「今日って何か重要な会議とかあるんですかね。さっき1階で、機捜だの交通規制課だの、警備課長やら何やらと課長クラスが集団で外に向かって歩いてるのを見たんですけど」

「そう言えば昼過ぎからウチの課長も居ないな。もう1時間近く席を外したままだ。こっちは特に何も聞いてないが」

 この時点で清水が何も知らない事は完全に分かった。特にこの人物は嘘が下手で、顔に出るタイプだ。しかしそれだけで引き下がるには情報が足りない。

「そうですか……ああすいません、最後にもう1つだけ」

「うん?」

 目下、県内だけでなく地方そのものに恐怖を植え付けつつある"例の事件"について切り出してみる。

「伊達署管内で発生中の連続行方不明事件ですけど、そちらには何か進展ありましたか?」

 清水の表情が硬くなる。最も、この話題を切り出されて柔和な顔付きになる人間など、県警の中に存在しないだろう。

 1分程度、沈黙が続いた。考え抜いた末のような回答を清水が口走る。

「日々、事件解決に奔走している。今言えるのはそれぐらいだ」

「分かりました。ありがとうございます」

 この質問によって清水が現状、何か大きな物事の外側に居るのが唐木には改めて納得出来た。もしも例の事件に何か進展があり、それに対する方針を話し合っていたとしても、外に情報を流すまでには至っていない段階である事が分かる。

 そうなると、この回答によってコンペの線が消える。「今度こういうイベントがある」だの「次のコンペで」と言った触り程度の話があっても良さそうなものだ。

(広報室を締め出すか、或いは何も報せないで秘密の集まりね……)

 逆説的に組み上がっていく推理が導き出した答えの1つに、やはり"例の事件"に対する何らかの集まりが開かれている線が浮き上がって来る。警察官を含めた行方不明者26名。公式に死者は1名とされているが、これまでの日数を考えても生存の可能性は殆どゼロと思っていい。

 考えている内に、唐木の中で虫が騒ぎ出した。長い間、ずっと燻っていた何がか再び燃え上がる感情に支配されていく。

「じゃあこの辺で失礼します。またよろしくお願いします」

 冷静を装いながら広報室を後にした。どうやら久々の美味しいネタが目の前に転がっている。それだけで唐木は全身を駆け巡るアドレナリンを感じていた。

 しかし、その唐木が隠せなかった僅かな武者震いを、清水は見逃さなかった。何年も広報室室長を勤める中、時にはタチの悪い雑誌記者やジャーナリストを相手にして来た事も多い。

 特にこの手の人間は腹の内を読まれる事を嫌う。それは自分も同様ではあるが"こちらの言う事に対して反応が薄い時は何かを勘ぐっている時"だと言うのが、数々の経験から得た事の1つでもあった。お陰で唐木と話している間、頭の中は常に黄色いサイレンが回り続けていた。

 退室していく唐木を見送り、5分ばかりが過ぎた頃を見計らって清水は立ち上がる。考えて見ればおかしな事だ。席を外している間に消えた課長。特に「何所へ行った」とも言われておらず、2時間近くも帰って来ない。もしかすると自分たちの与り知らぬ所で何かが動いてる可能性はある。それに掛かり切りで内線を入れる暇も無いのだろうか。

「……もしかして本当に例の事件で集まってるのか」

 今この段階で何かをすっぱ抜かれるのは拙いと判断した清水は、あちこちに内線を掛けて総務課長を探し始めた。3つ目に掛けた刑事部で第一会議室の集まりを知り、そこに繋いで貰って総務課長を呼び出す。


 唐木が広報室を後にした頃、件の第一会議室では芳村と堂本が2度目のシミュレーションに向けて打ち合わせを進めていた。今度は部隊が到着しようがしまいが関係なく、1時間きっかりで終わらせる方針である。

「渋滞が発生した辺りから本当に生物集団が迫っている感覚になったな。変な汗が出たぞ」

「訓練を実戦のように、実戦は訓練のようにって言葉がありますけど、誰も体験した事のない事態には結局、その場その場で対処いていくしかないんでしょうね。これでもしもですが、親玉のような存在が出て来たらもうシミュレーションなんて通用しませんよ」

「怖い事を言うのは止めろ。そうなったら我々に出来る事なんて何もない」

 堂本の声を聴きながら芳村はふと、会議室の一角で何か押し問答をしている総務課長に気付いた。考えて見ればここに集まって2時間弱が経過している。能力があるなしについては言及しないが、役職を持った人間を少し長く拘束し過ぎただろうか。

 10分近く、そこそこの声量で話す総務課長を堂本も気にし始める。

「……何だ?」

「よくよく考えれば役職のある人間を拘束するには長過ぎましたかね」

 受話器を置いた総務課長が平戸の元へ走る。話を聞いた平戸は、芳村と堂本の所へやって来た。

「広報室から、出入りしている記者クラブの人間にそれとなく接触を受けたと報告が入った。感付かれたかも知れん」

「記者クラブか……厄介ですね」

「何もしてないと突っ撥ねればいいんじゃないですか」

 そう発言した芳村に対し平戸は開いていた椅子に腰掛け、難しい表情で説明を始めた。

「接触を図って来たのは唐木と言う大手新聞社の人間で、元々は東京の本社に居た男だ。大きい声じゃ言えんが、とある県警が難航していた強殺グループの潜伏先を、そこの刑事部出し抜いて先に特定したとんでもない野郎だ。刑事部長は相当にお怒りでな、本部長に直訴して新聞社に抗議文まで送ったらしい。まぁ、その後に起きた報道とのゴタゴタと問題発言に加え、結局グループ全員を取り逃した責任で刑事部長は辞任。唐木もここの支社へ左遷。そんな結末になったみたいだ」

 平戸の説明を一通り聞いた芳村は少し考える。確かにまだ報道へ情報を解禁出来る段階ではない。何より、自分たちが想定している敵が問題だった。信じろと言う方が無理なものである。

 だが何か手を打たないと、ある事ない事を書かれかねない。であればと考えた芳村は凡そ警察らしくない発言をした。

「巻き込んじゃいましょうか」

 平戸と堂本は硬直した。2人が口を開く前に芳村の言葉が続く。

「全部見せましょう。その上で、我々が悩んでいる事も打ち明けます。ついでですから皆様を一旦部署に戻して業務の方を進めていただきましょう。取りあえず2時間後の再開と言う事でお願いします」

 何かを言い掛けるも言葉にならなかった堂本は、軽い溜息をもらしてから立ち上がった。

「刑事部長、私もそれで良いかと思います。後々の予防線を張る意味で、このシミュレーションにも参加させてやりましょう。もし最悪の結末が待っているとしても、我々が出来る限りの事をしていた証明になる筈です」

「……そうだな。保身目的と言われればそれまでだが、生き残った人間に突き刺さる針は少ない方がいい。やるか」

 他の人間はどうだか分からないが、この3人は自然と死を意識した考え方をしていた。最初は懐疑的だった平戸もシミュレーションを通す中で、前の前で起きている事態への危機感が急速に芽生えつつあった。

 警察だけでは対処仕切れないであろう事態が予測される今、どうやって諸機関を巻き込むか。これがその第一歩になろうとしていた。

 最も厄介な報道と言う存在が最初になるとは、誰も思っていなかったが……

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