警戒線4

 白澤は走りながらシリンダーの撃ち切った薬莢を排出。熱された空薬莢が幾つかズボンに当たって瞬間的な熱さを感じるが、構っている場合じゃない。一刻も早く距離を開けなければそれ以上の恐怖が襲い掛かるのだ。

「八木、どうだ!」

「銃対が5分以内に来ます!」

「あ、くそ!」

 バラの38口径弾が手から滑り落ちた。拾いたい気持ちを押し込めて足を進め、後方のムカデに対して正面を向く。相手の動きを見ながらもう1度ベストの弾丸を手に取り再装填を終えた。

「交互に撃ちながら下がってこの距離を保つぞ。森が背になっている住宅側に警戒しろ。別のが来るならそっちからだ」

「了解」

 シングルアクションで指の疲労を軽減させつつ発砲を繰り返し、2人で合計20発近くを撃ち込む。流石に何発かは体に当たり黒と青が混じったような濃い色の血がアスファルトに垂れ始めた。怯んだのか足行きも遅くなり出す。

 後ろからエンジン音が聞こえたので振り向くと青色の人員輸送車が視界に入った。後方10mぐらいの所で停車し完全装備の銃対隊員たちが降りて来た。白澤と八木の気持ちも幾分か楽になる。

「安全装置解除、前方の制服警官2名と生物の間に入れ。半包囲するぞ」

 第1分隊長の鍋島なべしま巡査部長が隊員を率いて接近。半数はポリカーボネート製の防護盾、残り半数はMP5を構える。生物が溶解液を吐き出す攻撃をして来た場合、全くの防御手段がないよりは数秒でも身を守れる策を講じた結果だった。

 隊員たちは白澤・八木両名と生物の間に入る。前段の隊員が防護盾を構え、後段はMP5の銃口を生物に向けた。マウントされたスコープに低倍率とは言え拡大された生物の姿が映り込む。後段の隊員たちはそれに僅かながら嫌悪感を覚えるも、気にしているような状況ではなかった。装備しているのが如何に特殊部隊用と名高いMP5だろうと油断は出来ない。弾薬は所詮拳銃弾だ。人間ならともかくこんな化け物に何発撃ち込めばいいかなんて誰にも分からない。

「目標頭部、3点バースト、撃て」

 軽く乾いた音が3回。立て続けに幾度も鳴った。放たれた9mm弾は生物の頭部に次々と降り注ぎ一見すると硬そうな殻を食い破っていく。目と触覚が頭部諸共徹底的に破壊され、貫通した弾丸がアスファルトに跳弾して今度は下から上へ向けて体を貫いた。

 全身を激しく動かしている様から苦しんでいるのは見て取れる。しかしどうにも気色悪い光景だ。特に無数の足が一斉に動いてるのは直視を躊躇いたくなる。

 後段の4名がそれぞれ7回ほど引き金を引いた所で、生物は次第に動かなくなっていった。周囲は生物の血が飛び散りPCの車体も汚している。見るからに死んだような感じだが、誰も近付こうとはしない。

「前後を交替しろ。死んだか確かめる。もし動いたらフルオートで制圧していい」

 鍋島分隊長は人員輸送車に積んであった長い警杖を取り出して生物に近付いた。隷下の隊員たちは前後の入れ替わりが終了。前段だった隊員たちがMP5のセレクターをフルオートにして構えた。

「いいか、やるぞ」

 警杖を体の関節の隙間にあてがい、体重を掛けて一気に突き刺した。鍋島は鈍い感触を感じるが生物に動きはない。数秒待てどもそれは変わらなかった。完全に死んだと考えていいだろう。

「目標制圧、警戒は続行。最初に撃った4名はマガジンを換えておけ」

 場が収まった所で小埜澤と大志田が降車。死骸の所まで歩いて来た。信じられないが目の前に転がる生物の死骸が否応にでも思考を動かす。取りあえずでも自分たちの装備が通用する事は分かった。しかしこれは相手が1体と言うこちらにとって都合の良い状況が齎した結果に過ぎない。こんな事は金輪際起こらないと思っておくべきだ。

「…………何か感想はあるか」

「9mmが通用すると分かっただけでも大きいかと。しかし4人で計80発近くを消費しました。1人で1体を倒そうとしたらマガジンを3つほど使う事になります」

「1人で捌けるのは2体が限界か。まぁこの考えは現実的ではないな」

 大志田がそうぼやいた。何れにしろ1人で対処仕切れる事は不可能に近い。1個分隊で頭数10名弱。相手に出来る生物の数は4人で1体としても2体までが関の山か。

「怪我はないな」

「はい、ありがとうございます」

「助かりました」

 白澤、八木も無事だった。一先ず怪我人が出なかった事に安堵しつつ白澤が落とした弾丸や自らが排出した空薬莢を回収。銃対も警戒しながら同様の作業が終わった頃、伊達署の鑑識が到着した。科捜研から出向いて来た面子も混ざり撮影と死骸の回収が行われる。

「科捜研法医科主査の伊藤いとうと申します。不躾な質問で恐縮ですが何発で死んだか教えて頂けますか」

 鍋島と大志田の所へそう名乗った男がやって来る。胸には確かに科捜研の所属である事を示すプレートがぶら下がっていた。鑑識と同じ服を着ているが雰囲気は警察官のソレではなく、明らかに研究畑の人間である事が分かる。

「……警部補」

「構わん。これは貴重な情報だ」

「分かりました」

 攻撃した時の状況、狙った場所、9mm弾を80発近く費やした事を伊藤に教える。伊藤はその内容を事細かにメモ帳へ書き込み、ICレコーダーでの録音も忘れなかった。

「例えばですがCAFSなんかで吹き飛ばせる可能性は?」

「あれはインパルスとは違う物だ。やるんだったら筒先の方が確実に吹き飛ばせると思う」

「まさかそれで戦えと?」

 大志田が釘を刺すように言った。伊藤は顔色一つ変えずに答える。

「使える手段が大いに越した事はないでしょう。数が脅威になるのは確かですが、1匹だけウロウロしていたからと言って右往左往し続ける訳にもいきません。放水で追い込んで弱らせてから轢き殺すぐらいも戦術の1つになりませんか」

「溶解液を吐く生物だって事は忘れないで貰いたい」

「承知してます。取りあえず科捜研としてはコイツが死ぬエネルギー量や、最悪弱らせるにしてもどれぐらいの衝撃が必要かの解析を第一にしています。溶解液の方は相変わらず正体不明ですが、少なくとも一定の時間しか物を溶かせない事と、希釈が可能と言う点から何かしら対抗策が練れないかも検討中です。そちらも神経が擦り減っていると思いますが我々も同様ですのでご理解下さい。では」

 新たに回収された死骸と共に伊藤は帰って行った。現場の清掃もある程度は完了。残りの作業は鑑識に任せ、銃対も公民館へ戻る事になる。

「総員乗車。公民館まで戻って待機だ」

「総員乗車」

 未だ緊迫感の最中にある公民館へ到着し平山に状況を説明。更に平山が住民たちへさっきの事を伝えた所でこの集まりは解散となった。この日の夕方から夜に掛けて説明会に参加した殆どの世帯が自主避難を開始。一応の避難所として開設された公民館には誰か来る事もなく閑古鳥が鳴いていた。翌日の朝になるまで他の個体も出現せず、昨晩と打って変わって静かな夜となった。


 陽が沈み出す2時間程前、福島県庁で開かれていた臨時会は閉幕。結果は何も決まらなかった。所属会派が同じであっても考え方は人それぞれ。特に伊達市長は内々で本件の情報を回して貰っていたが本気では考えておらず「急にそんな事を言われても」と終始煮え切らない態度だった。

 また生物が銃対と接敵した報告で議会も一時中断を余儀なくされ、再会まで時間が掛かった。1日のスケジュールを全て使って何も決まらない事。たった1体だが白昼に姿を現した事で流石に相馬知事も危機感を覚え、全員を引き連れて死骸の保管されている科捜研へ行く事を決定。留守を預かっていた吉田参事官がその連絡を受けて承諾しあとは刑事部長の平戸もこれを容認。

 県議員たちを乗せたバスは科捜研に到着し新たに回収された死骸と対面。相馬自身も実物を目の当たりにして危機感を改める。他の県議員たちも顔を青くした。


 相馬知事以下が死骸と対面している頃、県警本部では第二機動隊の参集が終了。伊達署は既に一機と銃対の常駐によってキャパオーバーのため二機は県警本部にて待機となる。二機隊長は伊達署署長ではなく福島署署長が抜擢された。伊達署署長は根回しが終わった伊達地方消防組合消防本部長と連携して避難作戦の立案を命じられたので、伊達警備隊長は平山が正式に受け持つ事も決定。

 青ざめた相馬と県議員たちはそのまま県庁に戻り、2回目の臨時会を開いた。この臨時会は深夜にまで及び、最終的な県の統一見解としては「あくまで内密に対策を講じる」事で一致。また自衛隊への協力も事前に要請する事が決まった。この辺は既に相馬と公安委員会の意思が決定していた事も後押しとなる。


 だがそれが決まるよりも前に、仙台に行っていた小野が県警本部へ帰庁。疲れ切った表情で吉田と対面した。

「どうでしたか」

「……取りあえず、現場レベルでの協力は取り付けた。事態が起きれば上もなし崩し的に命令せざるを得ないだろうとの事だ」

「断られはしなかった訳ですね」

「方面総監は中々に話の出来る人だったよ」

 小野は仙台での出来事を思い返す。新幹線で仙台駅に降り立った小野は宮城県警本部からの出迎えを受け、本部庁舎で宮城県警本部長の庄司しょうじ警視正と対面。芳村や堂本が作り上げた資料を見せて状況を説明した。

「…………確かに、こんな物が集団で現れたら警察力の手には負えません」

 庄司警視正は資料を眺めながら苦い顔つきになる。小野は来年で定年だが庄司本部長はまだ50代。小野から見ても若々しかった。

「ですから、お願いに上がりました。管区局長を説得し、3人で東北方面総監部に乗り込みたいのです」

「……しかし、私も警察から自衛隊へこのような協力の取り付け方は何とも」

「話をしておくだけでも幾分違うでしょう。何も知らない所へ事態発生の報告が飛び込むより、ある程度でも情報が共有されていれば初動が早まります」

「ですがそれだけなら福島駐屯地だけでも十分では」

「あの震災の時、当時の方面総監部は上からの命令を待たずに行動を起こしました。本来なら褒められた事ではないのでしょうが、今はその前例を取っ掛かりにしたいのです」

 小野の説得によって庄司は一旦これを受け入れた。その後で東北管区警察局長を同様に説得。こっちはお飾りに近い存在のため、何かあれば小野が全ての処分を受ける事で同席を承諾した。方面総監部に一報を入れ、面談と言う形で訪問が実現。スケジュールがたまたま空いてたのも奇跡に近い。


 3人は公用車で仙台駐屯地こと東北方面総監部を訪れた。そのまま総監部庁舎に通され、出入り口前で公用車から降りる。一昔前であれば濃緑の見慣れた制服だが、新たに採用された紫紺色の制服に身を包んだ幹部自衛官が出迎えた。

「幕僚副長の千葉ちばです。階級は陸将補になりますがあまり気にされないで下さい。こちらへ」

 将補と言えば自衛隊では上から3番目の階級である。3人の中で最も高い階級は管区警察局長の警視監でこちらは警視総監の下。実質2番目だ。それがこの場でどれだけの意味を持つかは分からない。

 庁舎内に通された3人は一応のボディチェックを受け、奥へ進んだ。ついに総監室までやって来る。

「千葉です。失礼します」

 ドアが開かれた。奥のテーブルに座るのは東北方面総監こと松浦まつうら陸将。東北地方が形取られNEAと記載された隊旗が隣に立て掛けられていた。

「お待ちしておりました、松浦です」

「こちらのソファの方にどうぞ」

 千葉に促された3人は小野を先頭に入室。ソファに腰掛けると共にコーヒーが出された。向かい側に松浦陸将も腰掛ける。

「難しいお話だそうですね」

「福島県警本部長、小野と申します。お会い出来て嬉しく思います」

 庄司の時と同様に一通り説明が終わる。最初は「何とも」と感じを醸し出していたが、ここで吉田からの連絡によって小野は生物の出現報告を受けた。数は幸いにも1体だけで排除に成功した事も伝わり、本件が小野の虚偽でないと言う証明にもなる。

「なるほど……これは確かに上の方へ投げたら回答に時間が掛かる案件ですな」

「はい。諸々、お願い出来ますでしょうか」

「当然ですが表立った行動には出れません。例えば災害による自主派遣を名目にされる場合、件の山中で大規模な地滑りや土砂崩れが起きる予兆が見られたなど、何か我々が出張る謳い文句が必要です。それに関しては申し訳ありませんが、其方で考えて頂かなくてはなりません。そうすれば臨時会の決定がどうなろうと、取りあえずでも我々が動く準備は出来ます。いざ事が起こった時、初動は圧倒的に違うでしょう。極秘で近傍の部隊を中隊レベルで動かすぐらいの手筈は整えます」

 こうして小野は陸自との協力を取り付ける事に成功。帰りの新幹線まで時間があるので、方面隊の部隊についてある程度の説明を受けた。その後、県警本部に戻って着替えを済ませ、仙台駅から新幹線に乗って福島に戻る。

 取りあえず事は順調に進んでいる。しかし言いようのない不安は増すばかりだ。県警にとって決定打となる手段がない以上、生物の脅威は未だ大きいのだった。


――――――――――――――――――

補足

CAFS(キャフス) 圧縮空気泡消火システム

インパルスの後継的な存在です。厳密に言うと消火方法が異なるので似て非なる物です。ポータブルタイプが警察に配備されているそうですね。

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