警戒線3
朝になった。防刃ベストを着込み腰回りの装備をガチャガチャ言わせながら中盾片手に巡回する刑事やそこかしこに停まっている覆面車が否応にでも視界に入り込む異様な光景。それを尻目に、通勤通学が始まる。いつもと違う雰囲気にスーツ姿やビジネスカジュアル、作業服を着た世帯主たちは奇異の視線を向けていた。
子供たちは無邪気にパトカーだの何だのと騒いでいるが、それに構ってやれるほど刑事たちも暇ではなかった。軽く会釈したり手を振る程度に対応を留める。これで本隊が居れば少し騒ぎになっていただろう。夜明け前に撤収していたのは正に幸いだった。
午前9時。交代が新興住宅地に続々と到着。その車列の中から1台のPCが離れ、とある家の前で停まり、後部座席から制帽を被った平山副署長が降車。呼び鈴を鳴らしてインターホンでのやり取りも終わり家人が出て来る。連れだってそのまま隣にある公民館へ入って行った。
それから少し間を置いて到着したのは青い人員輸送車が2両。一旦は伊達署に撤収した銃器対策部隊の2個分隊が再び臨場した。件の公民館がある敷地の駐車場に停車する。
部隊長を務める小埜澤警部は単身で公民館に入り、十数個のパイプ椅子を並べている刑事たちを視界に収めながら、資料を纏めている平山副署長に近付いた。隣に居るのは地区会長である。変な威圧感を与えないため小埜澤はプロテクターの類を着ていないが、それでも服の色から発せられるオーラのようなものは拭えなかった。
「現着。これより警護に入ります」
「何かあればそちらに戦力を向けてくれ。優先すべきは私よりも君たち自身と住民の安全だ」
「それは重々承知しておりますが……」
「私の命令権は伊達警備隊に対してしか与えられていない。警部たちは本機に所属する部隊だ。立場上、ここに警部たちが居るのはあくまでこちらからの要請が受け入れられているに過ぎない。万一の際に指示を仰ぐのは竹内隊長であって私ではない事を覚えていて欲しい」
「……了解」
そのまま踵を返して公民館を出た。駐車場へ戻った所で、銃とヘルメット以外はフル装備の大志田警部補が出迎える。
「本部と無線は通じてるか」
「問題ありません」
人員輸送車に乗り込み、伊達署の本部班と連絡を取る。昨日までは不在だった竹内隊長もようやく本部入りしたので部隊の指揮系統はこれで完全なものとなった。
「小埜澤です。これより平山警備隊長の住民説明会が終わるまで警護を実施します。しかし万一の際は必要な場所へ戦力を向けるように言われましたが、それで宜しいですか」
「向こうは向こうで足を用意しているそうだ。火力が乏しいのは否めないがまぁ、仕方ないだろう」
「分かりました。因みにですが、近隣の県警からSATか銃対の支援を受けられる可能性は」
「それは何とも言えない所だ。東北にSATは居ないから、呼ぶなら道警か警視庁ないし千葉県警になるだろう。宮城か山形の銃対が来る可能性は高いが、いずれにしろ時間は必要となる。その辺の根回しも県警本部の方で動いているそうだ」
この段階でも小埜澤自身、本件が東北管区で済まないレベルの事件になりそうのは目に見えていた。だが、如何に銃器対策部隊長とは言え所詮は警備部に所属する1人の警官である。何をどうこう出来る権利など持ち合わせていないのだ。
話半分でしか聞かされていないが、県警の正面戦力たる警備部としては事を構えず、速やかに陸自へ本件を移譲する作戦が練られているらしい。小埜澤も対テロに備える者としてそれに関連する法案も一通り目は通していたが、基本的に自衛隊と警察の間には必ず何かしらの隔たりが存在し、且つ緊急とされる場合においても尚、上から降りて来た命令によって行動を起こす事が大前提となっていた。
つまり、今回のように警察力で対処不可能、または治安を維持出来ないであろう脅威が仮に目の前に居たとしても、直接的に自衛隊へ話を持ち込む術は存在しないとされている。我々は今からそのタブーを破ろうとしている事を、小埜澤は改めて認識した。
「……間に合うでしょうか」
「間に合わないならもう逃げるしか選択肢はないな。視界を埋め尽くすような敵を相手に9mm弾をバラ撒いても、そんなのは蚊柱に向かって撃つのと同じだろう」
想像したくないが、どうしても頭に映像が浮かぶのだった。家と塀を乗り越え、道路も敵一色に染まる光景。数匹ならともかくそんな状況になればもう自分たちがどうなるか分かったものではない。
「何れにしろ、引き際を誤る事だけは避けなければならない。もし直観的に危険を感じたら迷わず撤退を命令しろ」
「了解。出来るだけ視野を広く持つよう心掛けます。それでは」
受令機を戻した。1度だけ深呼吸し、隣の人員輸送車が積んでいる車載無線機と周波数を合わせると、また受令機を持ち上げて話し始める。
「各員、銃に弾倉を入れて待機。初弾の装填はまだだ。何が起こるか分からないが、今はそのまま少し休もう」
車内に響く音を聞きつつ小埜澤も装備を整える。時刻は9時半前。これから行われる説明会に参加する住民たちがポツポツと公民館の敷地に姿を現し始めた。本部とやり取りしている間に到着した伊達署生活安全課の署員数名が住民たちを案内している。
平日の朝にも関わらずこの説明会に参加した住民は30名と少し。特に深夜の出来事で目を覚ました者も多かったらしく、言いようのない不安が公民館の空気を作り出していた。
「皆さん、おはようございます。えー、朝早い時間の連絡で申し訳ございませんでした。こちらは伊達警察署、副署長の平山さんです。この地区で発生した連続行方不明事件について、ご説明の機会を作りたいとの申し出がありました。本日はそのための集まりとなります。では、よろしくお願いします」
地区会長の挨拶と紹介が終わると平山は立ち上がった。まず一礼し、住民たちを端から端まで眺めてから口を開いた。
「伊達警察署の副署長をさせて頂いている平山と申します。まず、お忙しい中でお集り下さった事に感謝を申し上げます。当地区で発生しております例の連続行方不明事件ですが、私共はこれの容疑者、つまり犯人らしき存在を突き止めました」
この言葉で住民たちがザワ付き始めた。公式に死者1名、今も尚、行方不明とされている26名。どんな凶悪犯が周囲に潜んでいるのかと、怯える者も居れば無性に興味を持つ者と反応は様々である。
「順を追ってご説明します。最初の事件の後、裏手の方にある山へハイキングに出掛けた老人クラブの方々が同様に行方を晦ましました。更にこの直後、当地区で発生した車の単独事故はご存知かと思われます。事故車は何かにぶつかって横転しました。何にぶつかったのか、お手元の資料を捲って下さればお分かりになれます」
住民たちがそれぞれ資料を捲る。そこには、伊達署から科捜研に移送された死骸の画像が載っていた。これが何なのかまだ分かっていない所へ説明が続く。
「これは巨大なムカデらしき生物の死骸。これだけで全長は約1mありますが、恐らく全体の後ろ半分です。一連の状況から推測するに、これが十数匹から数十匹が森の中に潜んでいる可能性が高いと判断しました。それが集団で狩りを行った結果、行方不明となっている人々は餌食になった。今も尚、それが息を潜めている。次の標的が皆様となるのも時間の問題です。一軒一軒襲われるか或いは、津波のように襲い掛かって来るかも知れません」
平山はあえて煽るように話した。この説明会における目的の1つとして、住民たちに危機感を持って貰う事があるからだ。正にそれで触発された何名かが立ち上がってヒステリーを起こす。そこに署員たちが駆け寄って落ち着かせた。
「さて、ここからが最も難しい問題となります。立場上、私共は皆様の安全を保障しなければなりません。しかし、こんなものにむざむざと部下を殺される訳にもいきません。法律の事に触れますが現在の状況では皆様に対し、避難や退去と言った指示が出来る段階にないのです。ですので、これは警察からのお願いになります。可能な限り早く、逃げて下さい。ここから遠ざかって下さい。付け加えてもう1つ残念な事を言いいますが現段階で私共は、何所に逃げろ、とは言える立場にもありません。よく考えて行動するよう、重ねてお願い申し上げます」
「一応、ここに避難所を開設する方針ではありますが、当地区に留まり続けるのも、私としてはお勧めしません。取り囲まれたら逃げようがありませんし――」
暗に地区会長自身も"逃げたい"と言う意思を示していた。住民たちは表情を白黒させながら頭を抱えている。
現段階において警察が避難や退去を命じる事が出来ない以上、住民をここから遠ざけるにはお願いするしか手段がなかった。役所が協力してくれていれば相応の形を取れるだろうが、警察だけで動くとなるとこれが限界なのである。
説明会が始まって約15分後、突如として数回の銃声が響き渡った。平山と住民の護衛を兼ねていた鈴森率いる第1分隊が真っ先に動く。
「銃を抜け。外に出るぞ」
公民館のドアを開けた直後、ヘルメットではなく機動隊の制帽を被り装備を整えた小埜澤が目の前に居た。
「聞こえたな?」
「はい、方角まではちょっと」
そこに平山も加わる。鈴森が道を開けると小埜澤に近付いた。
「今のは」
「考えたくありませんが、接触した可能性があります」
「直ちに急行してくれ」
「了解、これより第1分隊を率いて向かいます。第2分隊には周辺警戒を命じました。緊急の場合は使って下さい。では」
出入り口まで近付いていた人員輸送車に小埜澤は乗り込んでそのまま走り去った。もう1両の人員輸送車からは第2分隊が飛び出して来る。分隊長を務める寺門(てらかど)巡査部長が指示を飛ばした。
「死角をカバーし合える位置関係を保て。安全装置も外していいぞ」
「支援に入ります」
「では見張りだけ頼みます」
鈴森分隊も周辺警戒に混ざる。人数は総勢20名弱。公民館に居る30数名を護れるのかと言われると、YESともNOとも答え難いのが現実だった。
時間は銃声が鳴る少し前に遡る。森が後ろに面した住宅街の道路をPCで巡回中だった伊達警備隊第3分隊こと地域課警ら一係の
「停めろ、今何か見えた」
「え? 何所ですか」
「いいからまず停めろ」
運転する
ゆっくりゆっくり近付く中、右手でニューナンブのグリップをしっかりと握り締める。細長い何かが消えた家が正面になりつつあるも、玄関の周辺には何も居ない事が分かった。さっきのは何だったのだろうか。首を傾げながら玄関先まで辿り着く。
「……何も居ないな」
念のため家の左右も確認したが見つからない。気のせいだったのかと思い直してPCまで戻ると、車体の後ろに何か異様に長いものが見えた。
「八木! 降りろ!」
出せる限りの声量で叫ぶ。同時にホルスターからニューナンブを引き抜いた。何所に撃ち込めばいいか咄嗟に判断が出来ず、長年に渡って沁み込んだ動作のせいか威嚇射撃のため銃を上空に向けようとしてしまった。
目の前で白澤が自身の名前を叫びながら銃を抜いた事で八木も危険を察知。運転席のドアを開けて車外に出ながら後ろを振り向くと、正しく巨大なムカデがそこに存在したのを目にした。
「っ!」
余りにも現実離れした光景に声を呑む。勢い余って尻餅をつき、立ち上がるのが遅れた所へムカデが無数の足を不気味に動かしながら触角を上下させて近付いて来た。
このままでは八木が危ない。そう判断した白澤はニューナンブの撃鉄を起こし、両手で構えて近付きつつあるムカデの頭部を狙った。
「撃ってる間にこっちへ来い!」
1発目は外れてアスファルトに跳弾後、上空へ消えた。2発目も外れて真横に跳弾。PCのドアに穴が開く。両手が上手く保持出来ない。八木は銃声に首を竦めながらもようやく立ち上がって白澤の元まで辿り着いた。隣でニューナンブを構えるも、接触した事を仲間に報せろと命じられる。
「後退しながら警戒を促せ! 距離を開けるんだ!」
「了解!」
銃声が響く中、個人用受令機に位置と状況を出来るだけ冷静に流し始める。最初に答えたのが小埜澤率いる銃対第1分隊だ。公民館から人員輸送車が出たくらいである。
「こちら銃対01、5分以内に現着します」
嬉しい内容だが逆にその5分が重く圧し掛かった。あと5分もある。今すぐ逃げ出したいがそういう訳にもいかない。白澤の方を振り向くと、こちらに向かって走りながら次弾を装填している最中だった。
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