警戒線2
第1第3分隊がパトロールを始めて数時間が経過。上空にはヘリも居るが、まだ進展は見られない。
次第に太陽も傾き出した。気付けばすっかり陽が落ちて周囲は暗闇に包まれ何もないまま時刻は23時。第2分隊と第4分隊1班の交替が到着し、彼らに引き継いだ第1第3分隊は伊達署に戻って行った。ヘリも既に帰投している。
そして深夜1時頃。異変は起きた。
「……何か聞こえないか」
「言われてみれば」
巡回中だった第2分隊の
「停めろ」
運転手の
「先行する。ゆっくり着いて来い」
久保巡査部長は小走りで進む。後方から覆面車が20キロ程度の速度で着いて回った。
頭の中でこの辺の地図を思い浮かべる。何かあるとすれば、森に接している民家の可能性が高い。そう考えて足を例の林道の出入り口がある方に向ける。進むに連れて鳴き声も大きくなっていった。
林道の出入り口手前の角を覗き込んだ瞬間、森を背にした方にある一軒の家の門から何かが飛び出して来るのが見た。瞬間的に一歩下がり懐のM360を引き抜いて車まで戻る。
「応援を呼べ。出来るだけ多くだ」
「了解」
ふと、ここで話し声がするのに気付く。角からまた覗き込むと人影が見えた。3人は居るらしい。また車へ戻って赤色灯を出したままここに停車するよう命じ、2人で角の先へ走った。
「こんばんは、伊達署の者です」
「どうかされましたか」
3人は家族のようだ。寝間着姿の中年男女と高校生らしい少年が1人。そして、少年の腕の中には、ブルブルと震える犬が居た。
「巡査部長」
久保が振り返ると、三津間巡査はアスファルトに点々と残る血痕を懐中電灯で照らしていた。家の敷地からここまで伸びている。しゃがみ込んだ久保は犬の足元を照らして見た。
「……これは」
「急に鳴き出したんです。声が移動したのを感じたんで、リードを千切って逃げ出したのが分かって外に出て見たら……」
少年がそう説明する。犬の後ろ足1本が失われてそこから血が出続けていた。久保は覆面車に積んであるタオルと止血帯で応急処置を実施。ここで到着した応援の覆面車に家族と犬を乗せ、夜間救急が可能な動物病院へ行かせた。
近場に居た第4分隊1班も到着。伊達署に連絡を入れるが、現段階での全力出動や避難誘導の開始には少し難があるとの結論になった。取り急ぎ銃器対策部隊と本機は車両に乗り込んで待機。そして久保巡査部長には、家の裏を可能な所まで調べるように命令が下る。もし敵の存在を確認した場合は出来るだけ素早くその場を離れて距離を取ってから連絡を入れ、新興住宅地と伊達署の中間地点まで直ちに移動。本隊と合流した後に至近へ舞い戻って避難の呼びかけを始めていい事になった。
「危険手当、弾んで貰いますよ」
「何かしらで帳尻は合わせる。とにかく頼んだぞ」
平山副署長との会話を終えた久保は、覆面車からバイザー付きヘルメットと中盾を持ち出した。続いて三津間にも着いて来るよう命ずる。
「後ろから懐中電灯で前を照らしてくれ。お前もいつでも撃てるようにしておけよ」
「了解」
「誰か、後方の警戒を頼む」
これは4分隊1班の刑事たちが担当。敷地内に入り、右回りで家の裏に回る久保たちに対して左側へ展開した。もし何かが来ればすぐに分かるだろう。
久保、三津間の両名は家の裏に回り始めた。家を囲う塀は1人分が通れる狭さしかないので、逃げる時は注意が必要となるだろう。先頭の久保はヘルメットのバイザーを下ろして中盾を前に構えながら、ハンマーを起こしたM360の引き金に指を添えている。後ろの三津間巡査もまた懐中電灯を持ち前方を照らしつつ同様にM360を構えた。
「聞いた事あるか?」
「何がですか」
「38口径じゃ人も殺せないって話し」
「2年前に起きた事件覚えてますか。自分の警察学校の同期はそれで撃たれて死にましたよ」
「確か立て篭もりだったか。悪い、忘れてくれ」
建屋の角が見え始めた。あの裏で、何かがまだ居座っているのか、それとも既に行方を晦ましたかは分からない。とにかく、最初の判断力が全てだ。
「……灯り、もう少し上から頼む」
「はい」
「踏み込むぞ」
中盾越しに家の裏側が少しずつ見える。犬小屋、千切れたリード、ひっくり返った餌の容器、そして血溜まりが確認出来た。僅かだが、肉片らしき物もある。
そこまでが視界に収まった所でもう1つ、森の中に消えて行く細長い2つの何かが見えた。草木が揺れているので相応の大きさである事が窺える。瞬間的に引き金を絞りそうになるのを何とか抑えた。
「…………今の見えたか」
「見えました。多分、尻尾のような……」
「下がるぞ、何所まで知能があるか分からん。俺らが誘き出された可能性もある」
前方を最大限に警戒しながら戻った。幸いにも左側を見張っていた4分隊も無事だ。久保は第4分隊の班長と協議した結果、緊急時とは言えこの時間帯に住民を叩き起こす労力を回避する事で一致。本隊を呼び寄せて夜明けまで厳重に警戒を行う案を伊達署に提案した。
「久保です。現状ですが、家の裏手で目標らしき存在を確認。しかし森の中へ完全に姿を消す直前だっただめ全体像も正確な数も把握出来ませんでした。連中にどれだけの知能があるか分かりませんが、こちらから悪戯に追い掛けるのは危険です。夜明けまでの襲撃に備え本隊を住宅地で待機させるのはどうですか」
「それでは万一の際に誤射の危険性が高まる。いいから下がれ」
「無線越しで押し問答したくないんですが、住民たちにはもう何かしらで状況を説明するべきです。幸いここは新しい住宅地ですから別に先祖代々の土地だと言う人たちは居ないでしょう。であれば実家なり何なりへ逃がす算段は付けられる筈です」
警察としてはそこまで踏み込むと民事不介入に抵触する可能性を恐れていた。これで大々的に事が起これば地域指定の避難所なりへ誘導出来るが、そうでない状況で且つ詳細も告げずに具体的な避難先を指示するのは警察権を越えた行動になる。
これでもし、実家と折り合いが悪いなんて家族が居れば、それこそ事態発生までは一切口出しが出来ない。やはり行政が間に入ってくれないと難しい部分は多いようだ。
「分かった、朝までに何か策を考える。今はいいから戻れ。本隊を出したら集合地点を追って報せる」
「了解。頼みます」
久保は全員に一時後退を告げた。新興住宅地から抜けた辺りで平山副署長より本隊との集合地点を指示されたので、車列は指示された場所に向かう。
暗闇の中で第2分隊と第4分隊1班は集合地点に到着。ここは伊達署からは少し遠く、まだ新興住宅地よりの場所だ。すぐ近くにJAの倉庫があるぐらいであとはほぼ野ざらしである。
多くの刑事たちの頭に、ふいにこんな所で襲い掛かられた何所に逃げても無駄だ、なんて考えが浮かんだ。
「待機だ。ちょっと休むぞ」
各車に無線で待機を伝える。ここに来るまで約15分ばかり。伊達署の本隊が同じぐらいの時間に出発したとすると到着までは残り約30分程度と見た。何も出来ない時間の歯がゆさを感じつつも、今はただ待つしか選択肢がないのだった。
運転席に座る者はしきりに警察無線のチャンネルを切り替えて慌ただしい交信が起こっていないかを確認。もしもそんなやり取りを見つければ、事態が発生した事を意味していた。
交替で5分でも目を瞑る休息を取り続けて大体35分後、暗闇の中に複数のヘッドライトが姿を現す。それとほぼ同時に久保巡査部長の覆面車に入電があった。
「銃対、小埜澤です。聞こえますか」
「こちら伊達2分隊久保。よく聞こえます」
「進行方向に複数の車を確認。もし其方であれば何かしらで返答願います」
「了解」
後部座席の誘導灯を持ち出して大きく振り回す。先頭を走る車両がパッシングで応えた。間違いなく本隊だ。
「確認。これより合流します」
こうして伊達警備隊と本隊は合流。本隊側の陣容は銃対2個分隊と本機1個小隊である。本機には竹内隊長が随伴しており、自ら陣頭指揮を執るとの事だ。
2部隊は車列を組み直して再び新興住宅地へ走り出した。もし到着した時に、住宅地でアレが大量出現しているのではないかと伊達警備隊の方は不安に陥るが、幸いにもそんな事はなく静かな夜が続いていた。しかし逆にそれが恐ろしくもあった、嵐の前の静けさでない事を願うのみである。
立てる音も最小限に本隊の展開が始まった。車両は白い小型輸送車2両と青い中型人員輸送車が2両。前者は銃対が使用し、後者は本機小隊が乗って来たものだ。
「第1分隊、林道の出入り口正面に展開して前方及び左右を警戒。第2分隊は車両待機。尚、交替は30分間隔とする」
「各分隊は林道出入り口を基点に半径50mを徒歩巡回。発砲許可については各分隊長に一任するが、不意に至近距離で遭遇した場合を除いてまず逃げる事を最優先とする。以上だ」
本機小隊は分隊毎に別れて行動を開始。伊達警備隊は車両巡回を継続した。そして銃対は林道出入り口正面に布陣して突発的な事態に備えている。夜明けまで残り約3時間弱。どう転ぶか、どうなるか。ある程度の予想は出来ても、口にする気にはなれなかった。
本機小隊第4分隊を指揮する
歩き出してからどれくらい経っただろうか。プロテクターの下にある腕時計を無理やり見えるようにする。夜光塗料が塗られた長針は、まだたったの5分程度しか進んでいなかった。
「…………こんなキツイ現場は初めてだな」
弱音のつもりはないが、そんな言葉が漏れ出た。相手が人間ではない、正確な数も分からない、住民の事前避難もまだ出来ない。これでどう立ち向かえと言うのか。
「分隊長、何か居ます」
最前列を歩いていた隊員がこっちに来てそう言った。彼の直ぐ後ろを歩いていた隊員たちもスピードを落とす。
「何所だ」
「前方です。民家の敷地から何か伸びてます」
「分隊停止」
第4分隊は足を止めて前方を注視した。暗視ゴーグルのような便利な代物は無いのでよーく目を凝らすしかないが、次第に姿形が分かり始めた。見える限りでは細長い体に無数の足が生えており頭部の触角をゆっくり動かして周囲の地形を探っているらしい。まだかなり距離がある。
「……こっちに来たら下がるぞ。向こうに行くなら静かに追い掛ける」
暫く様子を窺う。ソイツは体の向きを通りの奥へ伸ばし、ついに敷地外から完全に出た。あまり早い動きはしていないが油断は一切出来ない。ムカデはそもそも素早い生物だ。
「待て、2匹目が居るかもしれん」
最初に出て来たヤツを視界に留めつつ、次が姿を現すかどうか警戒。2~3分が過ぎるも新たな個体は出現しなかった。
海藤はここで前進を下命。後方の警戒も厳重にしながら追跡を開始した。
「目標、別の住宅敷地内に入って行きます」
まだ5分も経っていないがヤツは別の家の敷地に入り出した。ここに至るまでの行動を見るに、そこを目的地にしていた訳ではないのが何となく分かる。ちょっとした冒険か何かのつもりなのだろうか。餌を求めての行動にしては随分と余裕が感じ取れた。
「後方、他には居ないな?」
「居ません」
「どうします」
「あの家の中に入るかどうかを見届ける。入らないで裏から森に消えるならそこまで。もしも押し入るようなら……覚悟を決めるぞ」
海藤がその言葉と共にエアウェイトを抜いて撃鉄を起こした。隷下の隊員たちも同じ事をする。
全員が拳銃を仕舞って敷地内に入って行く目標を追い掛けた。完全に姿が消えるのを待ってから追い掛けるため、どうしても行動が今一歩遅れがちになる。
「……居ないな」
敷地を覗き込むが姿は見えない。海藤は分隊を半分に分け、左右から追跡を続行。それぞれがほぼ同時に家の裏手へ出たあたりで草木が揺れ動くのを目撃した。これ以上足を踏み出せば一斉に襲われる可能性もある。誘われているのか否か。
「…………後退、急げ」
「後退」
分隊は敷地から出て再集結。手持ちの地図にさっきのヤツがどんな行動をしたか出来るだけ詳細に書き込んだ。
もしかすると、この行動が頻繁に見られるようになれば、それが侵攻の前兆を意味しているかも知れない。そんな気持ちから起きた行動だった。出来れば分かりやすい前兆だと有難いが――
「他の所から何か情報は」
「似たような行動の目撃例がある模様です。数としては自分たちを含めて4件」
「これだけじゃまだ何とも言えんか。取りあえず巡回を続行する、行くぞ」
「了解」
徒歩巡回を再開した。森に面した家々への警戒を強めつつ住宅地を回って行く。またもや腕時計を見たが、時間はここに来てから未だ30分と経っていなかった。
早朝5時。それ以上には特に何も起きる事なく、時間が過ぎ去った。交代の第3分隊と第4分隊2班にこの場を任せ、第2分隊及び第4分隊1班は本隊と共に一時撤収。白み始める空を横目に車列は伊達署へと戻って行った。
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