警戒線1
再び行われた会議によって県警本部の各部長や理事官等が根回しを行う場所が決定。一部は明日を待たずに行動を起こした。
その頃、当事者の1つである伊達署にて編成された伊達警備隊は、1回目となるパトロール実施のため各フロアにて人員を招集。松山刑事課長代理と地域課長が見守る中、5名の分隊長が件の小会議室に集合していた。
「詳細は聞いていると思うが、このような結果となった。向こう48時間の警備実施を行う。重ねて言うが、無理な行動はしないで欲しい。以上だ」
平山副署長がそう言った。続いて各分隊長の名前がホワイトボードに記載される。
「第1分隊長、鈴森巡査部長」
刑事課強行犯係からは鈴森が選抜された。既に3回も現場に臨場している事と、芳村を含めた一件の発起人であるのが大きな理由でもあった。
「第2分隊長、
暴力犯係のベテランこと柳沼警部補が第2分隊長となる。経歴では伊達署メンバーの中で最も長く、次期係長とも言われているが本人的には定年まで今のままがいいらしい。
「第3分隊長、
地域課警ら一係長を務める石上巡査部長。こちらは一係がそのまま第3分隊になったため、殆ど横滑りの人事となった。
「第4分隊長、滝口警部」
前述の通りここに残っている県警本部捜査一課を纏める滝口警部が第4分隊長を拝命。人数的には最も多い部隊だ。ここだけは滝口警部の采配で更に数名の班長が作られる予定だそうだ。
「第5分隊長、
警備係長である橘内警部補。こちらも第3分隊と同じく係員全員が分隊になったパターンだ。階級は柳沼警部補と同格だがこちらの方が幾分か若手。元本機小隊長の経験を持つ警備実施に精通した人間である。
「以上の5名を持って5個分隊を編成。伊達警備隊として本事案の収束、或いは適当な段階まで任務に専念して貰いたい。続いて、本機副隊長及び銃器対策部隊長と副隊長を紹介する」
平山副署長がドアを開けて入室を促した。プロテクター無しの出動服に身を包んだ3名の男たちが部屋に入る。
「本機副隊長、
「麻木です。隊長の
県警本部で行われたシミュレーションから始まり、機動隊は大忙しだった。この段階では二機の待機場所もまだ決まっておらず、休暇中の隊員数名との連絡も付かない状態で、100%の充足率とは言えない動員になっていたのだ。
「続いて銃器対策部隊長、
「小埜澤です。どうなるか分かりませんが、最善を尽くします」
「副部隊長、
「大志田警部補であります」
こうして本機、銃対、伊達警備隊の各指揮官の面通しが終了。場所は捜査本部が置かれていた会議室に移り、最初の打ち合わせが執り行われた。
県警本部より通達された向こう48時間の緊急即応体制。その先に、矢面に立たざるを得ないかもしくは一歩下がれる未来が待っているか定かではないが、伊達署としてはここを乗り切れればとの思いが強かった。
1時間程度を掛けて打ち合わせは終了。まず第1及び第3分隊が新興住宅地方面のパトロールに向かう事となる。第2分隊は本署にて出動待機。第4分隊は滝口警部の人選によって3名の班長が新たに誕生した。
新興住宅地に向かう第1分隊長こと鈴森が助手席に載る覆面車。ブルゾンの中は防刃ベストを着込み、後部座席にはヘルメットと中盾がある。鈴森は流れて行く景色を横目に懐のエアウェイトを引き出してシリンダーの装弾を確認。特に意味もなくガラガラと回した。
「しけた装弾数だな。機捜のシグでも回してくれりゃちったぁマシだろうに」
「あれ、32口径ですよ。そいつと大して変わらないと思いますけど」
「向こうは8発ぐらい撃てるらしいぞ。小ぶりでもオートマチックって訳だ。見ろ、この貧相な5発のシリンダーを」
鈴森はそう言いながら運転する與曽井の前にエアウェイトを掲げた。與曽井は少し驚くもアクセルを緩めて鈴森の手を退かす。
「何するんですか」
「このまま東北道に乗ってよ、トンズラってのは無しか」
「無しです」
「はぁ~」
深いため息を付きながら椅子に腰掛け直した。拳銃を仕舞うが今度はジャケットの内ポケットにある予備弾丸を数え始める。
「弾、何発貰った。装填済みじゃないやつ」
「20です。全員同じですよ」
「5回撃ち尽くしたらゲームオーバーか。いや、撃ち尽くす前にお陀仏かもな」
與曽井と自分しか乗っていないのを良い事に鈴森は悪態を尽く。あれから1度帰宅はしているが、目の前で見えない何かが牙を剥いていると思うと、気持ちは切り替わらなかった。酒を入れて見るが酔えもせず、出勤までの時間をまんじりともせずに過ごして終わるのだった。
そのままあれよあれよと言う間に伊達警備隊なんぞとのたまう部隊の分隊長に抜擢され、上の方でどうにかされるもんだと思っていた例の事件の矢面を結局の所で担う羽目になる。車内に2人しか居ない今の内に鬱憤を出し切るしかなかった。
「そうならないように立ち回るのが我々の至上命題だと副署長も言ってましたけど」
「お前、何か保険入ってるか?」
「え? いえ、特には」
「警察共済だけじゃ足りん。今からでも何か入っとけ。今回の一件で片足を食い千切られでもしたら、それは労災か? 相手は人間じゃないぞ」
突拍子もない発言だったが、與曽井はその問いに答えられなかった。若干の気まずさが生まれ始めた頃に例の新興住宅地が見え出す。
「そろそろですよ」
「もう着くのか」
鈴森は受令機を持ち上げて後続車への回線を開いた。事前の打ち合わせで第3分隊は周辺警戒が決まっていたので、第1分隊とはここで別れる。覆面車の方が威圧感を与えないだろうとの配慮からだった。
「各車、予定通りの行動に入れ。だが2号車だけは別命あるまで着いて来て欲しい。以上」
「2号車です。何ですか急に」
「いいからちょっとだけ付き合え」
有無を言わせない声色で何かを察したのか2号車から了解の返事が返って来る。車列は新興住宅地に入り、2号車以降の後続車は散って行った。與曽井は鈴森の指示する通りに運転するが、ふとある事に気が付いてゆっくり減速した。
「……もしかしてこの道筋」
「化け物が居るかどうか少しだけ探ってみようぜ」
そう。このルートは最初の事件現場に向かう道筋だったのだ。角を曲がった所で林道に真っすぐ伸びる道が視界に入る。その先にある林道の出入り口には木に結ばれた「KEEP OUT」の黄色いテープが不気味に揺れ動いていた。あの先は地獄か何かだと思わせるようなものを、與曽井は感じた。
「本気ですか」
「俺たちはあの死骸1つだけしか肉眼で見てないんだ。もしかすると、数十匹居るなんてのはこっちの勝手な想像だとしたら?」
「でも普通のサイズからあの大きさに成長するって考える方が無理なんじゃ」
「そういう種類だったとしたら? 小さい内に殺虫剤撒いて殺せた方がよっぽど経済的だろ」
「確かにそうですけど」
車内での言い合いが終わらない内に林道の出入り口まで来てしまった。先頭が停車したので自然と2号車も停まる。2号車に乗っていた武藤と宮本が鈴森たちより先に降りて近付いて来た。
武藤が助手席の窓をノックした事で鈴森は窓を下げる。
「早いな」
「何をする気ですか」
「ちょっとだけ森の中に入って見ようぜ」
武藤をドアで押しのけて鈴森は降車。運転していた與曽井もゆっくりと降りる。事件初日の事を思い返しているようだ。何よりこの面子で、家の中の惨状を直接目にした人間は與曽井だけなのだ。
最初に踏み込んだ機動隊員たちを含め鑑識の人間も辟易としたあの光景。忘れろと言われても忘れられる訳がない。鈴森たちは家の外から遠目に眺めた程度で終わったが、近くで見た記憶は與曽井の脳に焼き付いていた。
林道の出入り口の前に鈴森が立つ。地獄への入り口か、はたまた巨大な化け物の口か、鈴森はそんな事を考えていた。
「行くぞ」
「危険です分隊長」
「奥までは行かねぇよ。それと分隊長は止めろ。俺は承諾した覚えはない」
宮本が横に立って静止を促すも鈴森は歩き出した。武藤と與曽井も仕方なく着いて行く。武藤はこっそり與曽井に近付いて耳打ちした。
「ハンマーを起こせ」
「はい?」
「引き金には触れるな。でもグリップは握っとけ。何かあってからそれをするのは遅い」
武藤は既に懐へ手を突っ込んでいた。もしここで襲い掛かられた場合、引き抜いてからハンマーを上げて撃つのはタイムロスが大きい。その場合の準備をしておけと言う事だ。
「了解」
言われた通り與曽井もエアウェイトのハンマーを起こした。右手で軽く握りながら周囲を警戒する。
林道に入ってから50m程だろうか。今の所は何も起きていない。爽やかな風が木々を揺らし、サラサラとした音が流れる。春夏秋冬を自然に包まれたこの環境で生活出来るのは、ここに家を買った人々が持つ特権と言えるだろう。
しかし、それが仇となった。逆を言えばこの環境は、緊急事態が起きても気付かれ難い。一軒同士の距離もそこそこある上に1本道でしか行き来が出来ない。火事でも起きようものなら一斉に火が回って逃げ場を失うだろう。もう少し防犯的な側面に気を使ってくれたらと思わずにはいられないが、そればかり気にしていたら儲けにはならない。難しい話だ。
「……何もないな」
「ですね」
先頭を歩いていた鈴森と宮本の足が止まった。これと言って嫌な感じもしない。もう化け物はこの辺から遠ざかってしまったのだろうか。であれば嬉しいが、何も断言は出来なかった。
「戻りましょう。これ以上は何かあった時を考えると危険です。こっちはたった4人なんですから」
武藤が呼び止める。序列では鈴森の直ぐ下に当たるため、この状況で少し強く言い出せるのは彼だけだ。
「バタリアンって映画知ってるか? こんな感じの林道で警官5~6人がゾンビに食われるシーンがあるんだ。銃なんて糞の役にも立たないぞ」
悪い顔をしながら鈴森は振り返ってそう言った。お陰で3人とも、周囲から一斉にムカデが襲い掛かるのを想像してしまう。
「止めて下さいよ!」
「冗談だ冗談。仕事に戻るぞ」
宮本が嫌悪感を露わにする。鈴森はそのまま出入り口に向けて進み始めた。宮本は小走りで鈴森を追い越して先に外へ出る。武藤も鈴森を追い掛けた。最後尾となった與曽井はエアウェイトを引き抜いてハンマーを寝かせ、それを仕舞うと3人を追って歩き出す。
「……っ」
嫌な感覚が後方から與曽井に近付いた。何だろう。何か居る。よく分からないが、何かが近付いている。振り向けば食われるかも知れない。しかし、ここで走り出してもいけない気がする。
焦る気持ちを抑えながら歩くスピードを維持。まるで尾行している時のように相手へ自分の存在や心情を悟られないよう歩く。森の出入り口が果てしなく遠い。たった2~30mが凄まじい距離に感じた。
3人との距離が大きく離れていく。取り残されるような感覚に支配されながら、それでもスピードを維持した。この感覚は何かに似ている。そうだ。子供の頃、親と買い物に行って人込みではぐれそうになった時の、あの締め付けられるような感覚。それに近い。
懐にそっと手を忍ばせ、さっき仕舞ったばかりのエアウェイトを握り締める。再びハンマーを起こして下がり切った引き金に指を掛けた。
このまま殺されるのは割に合わない。振り向いて、もしアレが居たら躊躇なく撃つ。38口径と言えど25発を全て叩き込めれば幾ら何でも無事では済まない筈だ。そうであると願いながら、右足を軸にして後ろを振り向いた。
「おーい! 與曽井!」
鈴森の声がした。振り向いたばかりなのにまた元の方向を振り向こうとしてよろける。
「早くしろ! 行くぞ!」
「はい!」
さっきまでの嫌な感じは消え去っていた。本能的に足が3人の元へ向けて走り出す。たったの10m弱。5秒も掛からずに戻れる距離だ。
「何やってんだ」
「ああ、いえ。ちょっと」
與曽井が戻ったのを見届けた武藤と宮本は2号車でパトロールに出発。與曽井もそそくさと運転席に収まって1号車のエンジンを掛けた。鈴森が助手席に座るよりも早くエアウェイトのハンマーをまた寝かせて仕舞い込む。
「ちょいと遅れたが予定のコースを回るぞ」
「はい」
サイドブレーキを解除して走り出した。頭の中で鈴森が言う予定のコースを思い起こしながら、さっき振り返った時に見えた光景を反芻する。
ほんの一瞬。時間にして1秒もない。しかし、何か細長いものが、草藪の中に消えて行くのを見たような気がした。
見たような気がしたのだ。
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