裏面工作

 交渉決裂。そんな4文字が芳村の脳裏に浮かんでいた。あの感じでは、臨時会の結果なんて分かったものではない。下手をすれば本当に事態が起きるまで状況が動かない可能性もある。それでは事をここまで大きくした自分の立場がない。いや、この件に首を突っ込んでから出世なんてものは捨てた。可能な限り大勢で生き残るために必要な行動をするだけだ。

「本部長。考えていたプランがございます」

 芳村は立ち上がり、小野に近付いた。懐に仕舞っていた1枚の紙を取り出す。

「何か策があるようだな」

 その紙をテーブルに置いた。見出しは"災害自主派遣名目案"と書かれている。

 自衛隊法では災害派遣において一定の条件を満たす場合、自治体等の要請がなくとも部隊を派遣する事が可能となっていた。これを俗に"自主派遣"と呼んでいる。

「どうやるかはよく考えなければなりませんが、事前に部隊を近くで待機させておき、その時が来たら加わって貰う方法が狙えそうです。まず仙台の管区警察局に行って、局長と可能なら向こうの県警本部長同伴の上、方面総監部に乗り込んで見るのはどうでしょうか。臨時会の結果を待っているより建設的な話が出来るかも知れません」

 突拍子もない発言に会議室がザワつく。そのプランを共に考え出した平戸と堂本は、まだ他にも考えてある手段からあえてそれを選んだ芳村を止めに入った。

「待て、それは流石に早い」

「落ち着け芳村」

 肩に手を置いた堂本に対して芳村は振り返る。語気を強めて言い返した。

「あまり時間は無いと考えるべきです。結論次第では対応に遅れが出る所か、最悪の事態を回避出来なくなります」

「一応、臨時会の結果を待たずに出来る事はやっておくつもりだが……」

 小野は暫し考え込む。数分後、吉田の方を向いて口を開いた。

「参事官。順番的に仙台の方で行かないとならないのは何所になる」

「無難に考えるなら最初は管区警察局ですね。次が宮城県警本部。これは向こうに筋を通す意味でも必要です。芳村の言う通り、方面総監部には面子が揃ってから行くべきでしょう。しかし本部長、警察庁についてもお忘れなく」

「それは一旦置いておこう。遠くの親戚より近くの他人だ。取りあえず県内で根回しが必要なのはどれくらいだろうか」

「お待ち下さい」

 吉田は手元の資料を手繰り寄せ、別のメモ用紙に何かを書き込み始めた。さっきまでやっていたテレビ会談の段取りや午前中の会議進行などをしつつ、必要そうな情報を事前にリストアップしていたらしい。これには芳村も表情にまでは出さなかったが正直驚いていた。

「現状で思い付くのはこれぐらいですね。優先順位をつけるならこんな感じかと」

 小野にメモ用紙を手渡した。内容を目で追っている小野を尻目に立ち上がり、ホワイトボードに書き込み始める。


1:福島駐屯地

2:伊達地方消防組合消防本部

3:医療機関(主に救急指定病院・特養ホーム及び老人介護施設等を含む)

4:伊達市役所

5:福島交通

6:阿武隈急行


 これを多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだが、今の彼らにとっては最悪の事態回避へのハードルが果てしなく上がったように感じていた。

「警備部長、福島駐屯地には何の部隊が居る」

 小野の問い掛けに警備部長は立ち上がって答えた。

「主力は第44普通科連隊です。人数は700人前後だったと記憶しています」

 700人。本機で100名に満たず、これで二機を招集したとしても今の我々にとっては喉から手が出るほど欲しい人数だ。しかも警察にはない様々な火器を保有している。大勢の人間を乗せられるトラックもあるだろう。

「一応、年に数回程度で我が警備部との共同訓練も行っております。それなりに連絡は取り合ってますので、緊急を要する際は直接的に話を持ち掛けるのも可能かと」

「そいつは奥の手だ。参事官が調べたように、我々が自衛隊へ治安維持に関した協力を要請するガイドラインは明確に定義付けられてない。既に県庁と公安委員会を巻き込んだ以上、要請の仕方はある程度でも法令の範囲に収める必要がある。それに、伊達署まではそこそこ遠い。向こうは我々よりも準備に時間が必要な組織だ。1回目のシミュレーション結果同様、今この瞬間に連絡を入れても間に合わん」

 暗礁に乗り上げたような空気が漂い始める。しかし、立ち止まる訳にはいかない。明後日までの時間を有効に使うにはどうすれば良いか。

 天井を見つめていた小野は、目線を吉田に向けて喋り出す。

「参事官。済まないが明日も留守を頼めるか」

「……本部長」

「芳村くんの提案を実行しようと思う。朝一で仙台に行く。管区警察局と宮城県警本部への連絡は私がしよう。その後、可能なら局長に方面総監部へご連絡頂き、3人で乗り込む。結果次第だが警備部長も状況によっては直ちに福島駐屯地へ行って貰う事になる。それ以外の者も各所へ飛んで根回しを頼む。まず何所へ誰が行くかを決めよう。だがその前にだ」

 今度は警備部長の方を向いて立ち上がった。姿勢を正して言葉を繋げる。

「警備部長、銃器対策部隊に対して向こう48時間の緊急即応態勢を命じる。全機動隊員は拳銃携帯の上で待機。狙撃班も実弾の装填を許可。伊達署対応部隊も同様だ。ヘリでの監視も怠るな。二機招集も直ちに実施してくれ」

「承知しました。これより命令を実行します」

 警備部の面子は一旦席を外す事になった。福島駐屯地については明日の結果次第であるため、2番から6番の各項目へ誰が出向くかを決める会議が手早く行われた。


伊達署

刑事課・課長代理 松山警部補

 今月に発生した連続行方不明事件に一定の進展が見られ、被疑者が人間ではないとの恐ろしい結果によって芳村課長以下の十数名が決起に近い行動を起こしてから、伊達署は静かな緊張感に包まれていた。

 続々と運び込まれる機動隊の資機材、装備。銃器対策部隊の武器弾薬が、それを物語っている。

 一般市民が立ち入れないフロアの廊下は、物資で山積みにされていた。運良く留置場が全て空いてたのでそこにも積み上げている。

「松山くん、今いいか」

「はい」

 副署長に呼び出された。向かった先は小会議室。そこには自分以外に地域課長と警備係長も居る。更にもう1人、副署長が紹介した。

「ここに残っている県警捜査一課の中で最も職歴が長く経験豊富な滝口たきぐち警部だ。一課の代表として考えてくれていい」

「滝口です。よろしく」

 松山は既に捜査会議で何度も見知った顔だが、地域課と警備係の方は彼を知らない。顔合わせも意味しているんだろうが、何が始まろうとしているのかは松山にも分からなかった。

「みんな、座ってくれ」

 副署長がそう促したので4人は椅子に腰掛けた。副署長は立ったままで話し始める。

「県警本部から向こう48時間における緊急即応態勢が命じられた。これによって本署の人員を用いて編成される部隊。便宜上として伊達警備隊とするが、内訳を発表する」

 ホワイトボードに副署長が自ら書き込み出した。なんと、警備隊長は副署長がするようだ。その隷下は以下のようになる。


警備隊長:平山ひらやま副署長

第1分隊:刑事課強行犯係

第2分隊:刑事課暴力犯係

第3分隊:地域課警ら一係

第4分隊:県警捜査一課常駐班

第5分隊:警備係(伊達署防護担当)


 総勢、約50名前後と言った感じだろうか。もしも100体が出現したとなれば到底太刀打ち出来る数ではない。いや、2~3体でも相当に手こずる筈だ。戦う方法は誰が決めるのか。出くわしたら直ぐに撃ってもいいのか。色々と疑問は浮かんで来る。

「現段階では私が警備隊長となる。現段階と言うのは、現在二機召集が下命中であり、その隊長にもしかすると署長が指名される可能性があるため、私が一旦これを預かる事になった。結果が分かり次第、正式に署長が警備隊長となる予定だ」

「それは何時までに分かりますか」

 地域課長が訊ねた。

「明日中には決まるだろう。これは我が署が既に本件の当事者として頭まで浸かっているから話せる事だが、県警本部長が明日、仙台の管区警察局と宮城県警本部を訪問するそうだ。その後、陸上自衛隊の東北方面総監部に赴き、本件へ協力して欲しいとの旨を伝える。これが上手くいけば我々はそこまで矢面に立つ必要はなくなる。しかし上手くいかない、もしくは最悪の場合、或いは全てが間に合わずに事が起きてしまった時に備え、相応の覚悟をしておいて貰いたい」

 急に部屋の空気が張り詰めた。しかし、何をどうすればいいのだろうか。それは自分を含めここに集められた4人が等しく思っている事だ。

 最悪の事態を回避するために芳村たちは行動を起こした。それなのに、当事者の我々が最悪に備えねばならない。必要な措置であるのは理解出来ても、完全には納得仕切れない自分が居るのを、松山は感じていた。

「まず、我々の役割を伝える。1つ。生物群出現時における避難誘導。前面は本機と銃対が務める。我々は新興住宅地から逃げて来る人々を誘導し、安全な場所まで退避させる。2つ。この際に交通渋滞発生が予想されるが、交機隊の協力を経てこれを解消。スムーズな移動の実現も必要だ。3つ。現状、これが最も重要な任務となるから心して聞いてくれ」

 体に力が入る。どんな事を言われるのか。色々と想像は出来ても受け入れたくないものばかりが浮かんで来る。

「向こう48時間の緊急即応態勢を命じられた件はさっき話したが、これによって新興住宅地における巡回の強化が必要になった。想像すれば分かる事だが、完全装備の機動隊員が一列に並んでそれを行う様を住民たちが見れば混乱を招く。我々はその前段階としてのパトロールを行う。もし不意に遭遇した場合は本署と県警本部へ連絡してくれ。この場合、各隊員は新興住宅地より直ちに撤退。一定の距離を取った段階で避難の呼びかけを実施。逃げて来るであろう人々を後方へ退避させ、交機と共に交通渋滞解消に専念するだけでいい。これは本部長からの命令だ」

「すいません、ちょっと話を整理していいですか」

 ここで警備係長が口を挟んだ。平山が話し終わるタイミングを見計らっていたらしい。

「どの辺が疑問点だ」

「まず1つめ、これは分かりました。2つめも意義はありません。確かに渋滞の発生は予想される事です。しかし3つめですが、何でこれは途中から1つめと2つめが合体したような事になってるんですか」

 言われてみればそうだ。避難誘導と渋滞の解消と予め言っておきながら、3つめで付け加える形になっている。どういう意味なのだろうか。滝口も腕を組んで唸った。

「んぅ……確かに」

「これか。話が少し複雑になるんだが……」

 平山はホワイトボードの空きスペースに新しく"状況整理"と書き、今の状況を加えていった。

「県警本部において知事と公安委員会、そして本部長によるテレビ会議が行われた。目指す所は自衛隊の治安出動実現だ。しかし知事は県全体の意思統一を理由に結論を保留。明日の朝一から臨時会が開かれ、この事態に県としてどう動くかが決定される。そこで自衛隊への要請についても議論するそうだ。これが上手く運んだ場合、恐らく福島駐屯地の部隊がやって来て包囲網構築と監視体制の強化が行われるだろう。住民の避難も実現出来る。となれば、我々の任務は1つめと2つめだけになるかもしくは更に後方の警備で済む。だが上手くいかない、間に合わなかった場合の備えが必要だ。今は交機が巡回していてそのシフトも作成中だが、彼らだけではカバー仕切れない。ヘリも来るそうだが限界はある。そこに我々も加わって早期発見を実現。発見後は直ちに撤退し避難呼び掛けに専念。前面はここで待機する本機と銃対が担当」

 一旦言葉が切られると共に書き込みも終わった。言い方を考え直しているのだろうか。平山の表情は硬い。当人もこんな役割を担う事になるとは思わなかった筈だ。

「つまり、1つめと2つめだけで済む状況を作り出すため、本部は動いている。私もそうなる事を願っている。考えたくないが間に合わない、それか何らかの手段によって避難を実施する前に事が起きる可能性に備え、3つめが最も重要となる。こういう事だ」

「その先鋒が我々になる、と」

「そうだ。だが係長。君たちは本署防護の担当だ。歯痒いだろうが、ここの護りを固めて欲しい」

「分かっています。ですが、後詰でもいいので何かあれば仰って下さい」

「うん、済まない」

 疑問は解決されたようだ。松山も完全に納得した訳ではないが、命令であるなら受け入れるしかなかった。今ここで警察官を辞める事も出来る。しかし課長代理を任された以上は責任を持ちたい。そんな心情だった。

「副署長。この部隊の行動規定みたいなものはあるんですか」

「ああ、それは受け取っている」

 滝口の問い掛けに平山は応える。県警本部から送られて来たFAXが人数分コピーされた物が渡される。平山がそれを読み上げる中、4人は真剣な表情のまま内容を目で追っていた。

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