緊急会談

 本部長室で動き出した流れは、30分程度で空間的及び機能的な限界を迎え、一同は課長陣の待つ第一会議室へ移動した。秘書室の面子は思わず呼び止めるも、小野は「少し会議が必要になった。夜には戻れると思う。もしも何かあれば第一会議室に直通を」と言った事で、室長以下も大人しく席に座る。

 吉田は相変わらず釈然としない表情だったが、第一会議室で待っていた課長陣を見た事でようやく危機感のようなものが芽生えたらしく、会議の進行を率先してやり始めた。

「それでは県警の共通認識としてまず、予想される生物群の出現に備え可能な限りの対策を講じつつ、可及的速やかに自衛隊の協力を仰いで官民共に大きな被害が出る事を避ける。これを骨子と致します」

 ここに県警本部長こと小野警視長の名で県警の行動方針が決定。福島県警は各機関と連携の上、生物群に対処する。しかし、県や自治体を巻き込むためにはもう1つ、突破しなければならない問題があった。

「本部長。時間が惜しいので本件を一気に推し進める手段として、知事と公安委員会が同席する場が必要かと」

 吉田が小野にそう告げる。小野は眉間にしわを寄せて、視線をテーブルに落とした。

「…………やはりそこを無視は出来んか」

「既に生物群が出現して深刻な被害を発生させていれば、国民保護法等を持ち出して緊急事態である事を理由に知事から治安なり災害出動なりを要請して貰う事は可能と思われます。ですが、これが"対処"ではなく"備える"となると難しいものがあります」

 都道府県及び自治体には災害等に対処するため警戒待機なるものが存在する。だが、自衛隊の出動待機となると話は当然変わって来る。

 自治体が自衛隊に要請の出来る最大レベルは治安出動だ。これをクリアするためには知事と公安委員会の協議が必要不可欠とされている。県警として目指す目標は取りあえずそこになるだろう。しかしその場合でも、最終的に決定権を持つのは総理大臣だ。

「色々とマニュアルをひっくり返しましたが、警察から自衛隊への主に治安維持に関連した対処不可能な事案における協力や出動の要請に関する明確なガイドラインは文章化されていないようです。ですので、知事を挟まなければ前に進めないでしょう」

「……公安委員会の御三方は在庁されているか」

「確認します」

 堂本が一課の部下に公安委員会の所在を確認させた。普段から何をしているかよく知らないが、公安委員会の3名は割り当てられている部屋に居る事が分かった。

 続いて小野は県庁舎に連絡を入れ、福島県知事こと相馬康明そうまやすあき氏のスケジュールを確認。知事は午後からなら空いているそうなので、午後一時よりテレビ会談を要請。同時に公安委員会の3名にも午後一時からの会談に参加を要請した。


 そもそも公安委員会とは、各都道府県警を知事からの委任によって民意に則した運用の方針を定める機関である。しかしながら、委員会と言いつつもその実態は3名~5名しか居ないばかりか、殆どは警察に関わりのない仕事をしていた人間が任命されるため、委員会主導として行われる定例会は基本的にさほど警察の行動や目標等について議論する事はなく、例えばとある警察署の花壇を華やかにして一般市民が楽しめる景観にしようだの、苦情が何件かあったので真摯に向き合うだのと言った、凡そ当たり障りない議題が取り上げられるのが通例だった。

 中には一般市民に対して警察官らしからぬ振る舞いをした事が問題となり、その件を定例会の議題として取り上げ何かしらの処分を下す事もあるが、どちらかと言えば前者のような定例会が多いのが実情だ。


午後一時 第一会議室

 昼食を終え、警察側の面子は全員が再集合した。キャスター付きの大きなディスプレイが小野を始め吉田と公安委員会の3名が座る前に移動して来る。

「……あの、これは一体」

 公安委員会の1人である井口いぐちが、小野に恐る恐る訊ねた。今から何が起きようとしているのかは知らされていない。とにかく知事とのテレビ会談に出て欲しいとか言われていないのだ。

「会談で知事と皆様へ同時に説明致します。今はお待ち下さい」

「は、はぁ……」

 あとの2人も状況をよく理解しないまま座っていた。公安委員会の定例会に知事が例えテレビ会談と言えど臨席する事はまずない。それが3人の心に冷静な感情を齎す暇を与えなかった。特に今回は各部の部長と理事官、課長が勢揃いしている。しかも記者クラブと言う厄介な存在も我が物顔で居座っていた。これから一体、何が起きようとしているのだろうか。

「県庁と繋がりました」

 画面に知事の相馬康明が映し出される。向こうも向こうで、特に何かを勘繰るような表情ではなかった。疑いを持たない雰囲気である。

「相馬です。ご苦労様です」

「県警本部長、小野です。急な会談の要請に応えて頂き、ありがとうございます」

 小野はそう言ってから席に座った。同時にタブレットを持ち上げて、吉村と堂本が纏めた資料の配布準備を進める。

「今から知事と公安委員会の皆様に資料データを配布致します。PDF化した物をダウンロードしてご覧下さい。20分程度の時間を設けますのでその間に内容の確認を」

 画面の向こうに居る相馬も手元のタブレットを使ってファイル共有サービスから件のデータをダウンロードした。公安委員会も同様にダウンロードが終了。どのぐらいで変化が起きるかは分からないが、20分も立たない内に何かしらの動きが見られる筈だ。

 暫し、画面をスクロールする指先の音だけがこの場を支配する。井口が真っ先に読み終わったのかタブレットをテーブルに置いた。深くて大きい深呼吸を繰り返している。

 続いてもう1人の委員、次に知事。最後は3人目の委員と、それぞれが読み終わったようだ。時間は15分弱。吉田がこの場を次に進める。

「御覧頂いた通り、未知の脅威が迫りつつあります。県警としては正面から事を構えず、警察としての役割の範疇で行動したいと考えております」

「何かご質問があれば受け付けます」

「これはその……訓練ですか?」

 資料を最後に読み終わった公安委員こと園田そのだが問い掛けた。

「残念ですが、訓練ではありません。現実に起きている事です」

「信じられないのは仕方ないでしょう。私も、2時間ほど前まではそうでした」

 吉田の次に発した小野の言葉が妙な重みを感じさせた。県警のトップがそう判断するだけの情報がこの資料に収まっている。それを公安委員の3名は改めて理解し、同時に底知れぬ恐怖を覚え始めた。

「……本部長」

 画面の向こうに居る相馬知事が声を掛けた。公安委員の方を見ていた小野は画面に向き直る。

「何でしょうか」

「警察は市民の生命と財産を保護し、治安の維持と犯罪を抑止するのが大局的な仕事の筈です。しかし、これではその役割から逃げていると受け取れますが」

「仰りたい事はよく分かります。ですが知事。警察が矢面に立って対処した結果、我が県警の警察官が半分消え去ったとなった場合、その立て直しには長い年月を要します。数年は警察として使い物にならないでしょう」

 それこそ、最も回避しなければならない最悪の結末だ。警察史に残る汚点となるだろう。正体のよく分からない敵の相手を警察が担い、1000人を越す殉職者を出したとなれば、その責任は誰が取るのか。結果として政治的な問題に発展する可能性も高い。

 火種が海外へ飛び火すれば国際世論も黙ってはいないだろう。力不足を承知で警察力での対応に固執し、甚大な被害を招いた政府に世界中からどんな言葉が届くだろうか。安易に想像出来るものではない。

「仮に警察官が一瞬で100人殉職したとあっても大問題でしょう。それがもし、1000に近い数になったらとしたら、日本警察は無能と言わざるを得ません。政府も同様に」

「……では、何をどうするべきですか」

「最大の要望としては自衛隊の治安出動を実現したく思います。どっちにしろ、立ち向かうには彼らの力が必要不可欠です」

「法的にクリアしなければならない問題が多すぎます。現実的ではありません」

「その場合、警察が矢面に立つ事でしょう。結果は先ほどの通りと考えます」

 相馬はカメラから視線を外して何かを考え始めた。5分ばかりの沈黙が続く。

「…………県全体の統一された認識が必要と判断します。臨時会を開いての議論によって、全体の方針を決めた後、関係機関との協議を行いたいと思います」

 出て来た言葉は期待を裏切るものだった。しかし、対応に当たる者の生命が掛かっている以上、引く訳にはいかない。

「知事。であればこうお考え下さい。武装ゲリラが山中に潜伏しています。警察での阻止行動は不可能に近い。連中はこちらの方針に関わらず、いつ攻撃を始めてもおかしくありません。そんな中で議会を開いている余裕などない筈です」

「全ては想像です。何も確証はない。違いますか」

「そうしましたら知事は今この瞬間に生物群の侵攻が発生しても対応には当たらず、あくまで議会での結論による行動を優先されるのですか」

「緊急を要するのであればそれ相応の手段を取ります。ですが、まだ事は起きていない。この段階で表立った行動に出るのは県民の混乱を大きくするだけです」

「行方不明者は26名です。既に県民の不安はピークと考えます。知事。あなたが仰っているのは、武力攻撃事態等が起きた場合に新しく全体の方針を決めようとする行為だ。連中にそんなものは通用しない」

「では尚更、新しい方針が必要でしょう。それを決めるためにも、臨時会の開催は必要と判断します」

「事が起きる前にどうにかしたいと言う我々の思いは無視される訳ですね」

「…………とにかく、結果を待って欲しく思います」

「その結果は何時までに出されますか」

「明後日には結論を出せるように努力します。今日中に参集を掛け、明日の朝一から臨時会を開いて協議し、明後日にお渡し出来れば幸いです」

「……承知しました。ではもし仮にですが、結果が出る前に事が起きた場合は如何されましょう」

「まずは一報をお願いします。因みに、公安委員の皆様は、本件への対処は警察ではなく自衛隊が適切だとお考えでしょうか」

 3人とも挙手した。これは当然だろう。

「次に、本件は災害ではなく治安出動による対処が一時的にせよ有効だと考えますか」

「…………明らかに、野生動物の行動の範疇を超えたものと判断します。警察力で未然に防ぐ事が難しく、追っ払う事が不可能に近い以上、災害には類さないと考えます」

「災害そのものに捕食の概念はあり得ません。これまでの行方不明者の数から考えても、前例がない異常事態です」

「ごく短い距離にせよ、間接的に攻撃が出来る手段を持っているなら、熊よりも危険な事は明白です。こちらの攻撃が効き難いとなれば、それ以上の殺傷能力を持った装備を有する自衛隊に頼らざるを得ないでしょう」

 井口が答えたのを皮切りに、公安委員は全員が治安出動に賛成した。まかり間違えば、自分たちも食われかねない。そんな思いがあるのだろう。

「分かりました。しかし、問題があります。治安出動では警察官職務執行法が適用され、自衛隊と言えど簡単に武器の使用が出来る訳ではありません。その辺りの見解をお聞かせ下さい」

 小野はこのぐらいで、相馬が基本的にはこちらの意見を肯定し始めている事に薄々気付いていた。だが油断は出来ない。臨時会の結果がどうなるか分からないが、最悪の場合は独自の行動に出る必要性も考え出した。

「相手が相応の脅威であれば、相応の武器を使うべきです」

「基本的には……緊急避難としての対応で良いかと思います」

「同感です」

「ありがとうございます。武器の使用も踏まえて、臨時会の議題として取り扱います。今はこのぐらいで十分と考えますが如何でしょう」

「頃合いかと」

 イライラし始めた吉田が小野に先んじて同意した。小野は何も咎めなかったが、僅かな苦笑いをしていた。

「はい。緊急の際はいつでも良いのでご連絡を。では失礼します」

 警察側に大きな違和感を残したまま、テレビ会談は終了した。小野はここで公安委員に退室を促し、また必要であれば集まって貰うと通達。第一会議室には最初の面子だけとなった。

「本部長。何か先手を打ちたく思います」

 沈黙を守っていた平戸がそう言った。全員が内心、同じ思いでいる。

「そうだな……警備部長、部隊の移動状況はどうだ」

「伊達署に本機2個小隊の移動が完了。銃器対策部隊も残り1~2時間程度で到着の見込みです」

「うん。第二機動隊の招集準備に入ってくれ。これは避難誘導をメインに活動して貰おう」

「承知しました」

 明後日。そんな余裕があるのだろうか。しかし結果を待っていては何も始まらない。出来る事。出来そうな事をやっていく。それが少しでも被害を抑える事に繋がるのを願うだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る